著者
ライター ヨハネス 盛永 審一郎
出版者
富山大学
雑誌
研究紀要 : 富山大学杉谷キャンパス一般教育 (ISSN:03876373)
巻号頁・発行日
vol.35, pp.11-19, 2007-12

移植医療ほど急速に発展した医療分野はないだろう。1954年にアメリカの外科医が、若い男性から彼の病気の双子の兄への腎臓移植をはじめて成功させたのは、まさに53年前のことである。それから今日に至るまで、ドイツにおいては、一日当たり7 つの腎臓が、そして3つの肺、1つの心臓が移植されている。2006年には、ドイツにおいて4646の臓器が移植された。臓器の需要はいまではかつての2 倍近くになっている。2006 年の時点でドイツにおいては、腎臓病の患者は、新しい臓器を5年半待たなくてはならなかった。命を救う臓器提供がなかったために、毎日3人の人間が亡くなっている。臓器不足が発生しているのは、ドイツにおいて臓器提供者が不足しているからというだけではなく、臓器移植はまた、構造的にも引き起こされているのである。つまり、次第に増えているより良い免疫抑制の可能性、臓器移植の事由が拡大し続けていること、そして改善された技術的な可能性によって、より大量の臓器が必要とされている。
著者
松倉 茂
出版者
富山大学
雑誌
研究紀要 : 富山大学杉谷キャンパス一般教育 (ISSN:03876373)
巻号頁・発行日
vol.35, pp.85-86, 2007-12

ヒトの認知構造は発達することが知られている。生まれたての乳児は聴覚や視覚などは別にしても、ほとんど認知能力が無に等しいにもかかわらず成人するまでの間にはその認知能力は著しく発達する。このように急激に認知能力が発達すること自体はよく知られた事実であるが、それがどのようなメカニズムで起きるのかはまだよく分かっていない。本研究の目標は言語の認知能力のメカニズムの解明である。
著者
福田 正治
出版者
富山大学
雑誌
研究紀要 : 富山大学杉谷キャンパス一般教育 (ISSN:03876373)
巻号頁・発行日
vol.35, pp.21-34, 2007-12

基本情動の発生、および進化を考えたとき、系統進化の中にその証拠と見つけることは不可能に近く、形態と機能や行動制御の詳細を化石の証拠から見つけるのは難しい。その点から情動の進化は推定を含めた物語になる危険性を含んでいる。しかし情動の進化の紐を辿っていくと、生物の発生や動物の発生までに至り、動物が食性として肉食に至るまでの時間をさかのぼらなければならなかった。そして情動が運動と連動し、運動と別々に論じられないことを見てきた。情動とは何か、という問題を考えていったとき、動物の動物たる所以のところに突き当たってしまった。おそらく、動かない植物に情動が備わっていないことを考えると、動くものと最低限定義できる動物の特性として情動を脳の機能として設定せざるをえなかった。生物は自己保持の機能を根本的に持っていると考えなければ、地球上の生物は今日ここに存在しないであろう。この自己保持機能の中に、生きていくための捕食者―被食者の関係を持たざるを得ない。その関係の中で、情動という機能が生まれ、恐れが第一なのか、報酬に関係した喜びが初めてなのか不明であるが、そのような判断がすばやくできることが生き残る第一の選択であった。有性生殖もまた、複雑な機能を要求してきた。自己の遺伝子をいかに効果的に伝えていくかの機能の中に受容・愛情の原型が作られた。種が生き残る判断として、この受容・愛情の原型は役立ったに違いない。ここではヒトの感情の大部分は動物が群れや集団を作ってしか生きていけないことから発生していることを指摘した。社会的感情は集団の中で生きていくための選択であり、その集団を離れることが死を意味するために、この感情の能力は何千万年かけて幾世代超えて脳の中を書き換えていった。ところが新人類が出現したとき、食料問題か環境問題が緊急になり、自己のテリトリーだけでは満足せず、集団間の軍拡競争にその活路を見出した。時を同じくして、新人類はそれを実行できる大脳皮質の能力が拡大し特殊能力を身に付けた。そして今日地球上を席巻し、いまだに軍拡競争に明け暮れている。
著者
松井 三枝 中坪 太久郎
出版者
富山大学
雑誌
研究紀要 : 富山大学杉谷キャンパス一般教育 (ISSN:03876373)
巻号頁・発行日
vol.35, pp.61-84, 2007-12

本調査は、小川(1972)と秋田(1980)の報告から約30 年の年月を経て実施されたものである。そこで、今回の結果を用いて、小川(1972)および秋田(1980)との比較の上で、本結果の考察を行うこととする。まず、全体的な結果を見ると、時代の変化の影響を受けたカテゴリーと、比較的時代の変化を受けていない事例をもつカテゴリーが存在することが明らかとなった。例えば、有名人や雑誌などは、小川(1972)および秋田(1980)の報告と大きく変化している。しかし、これらのカテゴリーにおいては、各事例の出現率が低くなっている。つまり、それだけ多くの種類の回答が示されており、これらのカテゴリーには、万人に共通する事例というものがみつかりにくいことが推測される。一方で、色や顔のパーツなどは、小川(1972)と秋田(1980)の報告とそれほど差がない。しかも、各事例がかなりの高率(「色」の第一反応が88.6%、「顔のパーツ」の第一反応が98.1%)で出現していることから、これらのようなカテゴリーは、ある程度多くの者に共通する事例というものが存在していることがうかがわれる。また、調査の実施場所や研究協力者の偏りによるデータの違いも見て取ることができる。例えば、「山の名前」や「川の名前」などは、小川(1972)と秋田(1980)の報告、本結果のすべてにおいて、その土地の土地柄を反映した事例が多数出現していることが分かる。さらに、秋田(1980)において「学科」のカテゴリーの第2位が、「心理学」であるように、研究協力者の持つ背景が事例となって出現していることも見出せる。本結果においても、「職業」のカテゴリーにおいて、「医師」「看護師」「薬剤師」が上位に並んでいるが、これは本調査における研究協力者の専攻とも関係があると考えられる。このように、小川(1972)および秋田(1980)の報告と、本調査の結果を比較したことによって、時代の変化や研究協力者の偏りの影響を受けるカテゴリーと、影響を受けないカテゴリーが存在することが明らかとなった。このような差は、今回得られたデータを用いて、実験や調査のための刺激を作成する際にも考慮することが必要である。つまり、時代の変化や、研究協力者の偏りの影響を受けていないカテゴリーについては、安定した実験用の刺激として用いることが可能といえる。一方で、影響を受けているカテゴリーについては、そのことを考慮した上で使用する必要があることから、実験目的に見合った使用を考えるべきであろう。
著者
濱西 和子
出版者
富山大学
雑誌
研究紀要 : 富山大学杉谷キャンパス一般教育 (ISSN:03876373)
巻号頁・発行日
vol.34, pp.1-22, 2006-12

この小説は第一次大戦が終わってから5 年後の1923年の6月のロンドンを舞台に、主人公であるダロウェイ夫人や他の登場人物たちの意識の継起を通じて14時間以内の出来事が展開される。ダロウェイ夫人の「戦争も終わった」という独白にあるように、まだ戦争の傷跡は深く人々の間に影を落としていた時代であるが、長期にわたるヴィクトリア王朝以来の伝統や慣習も少しずつ崩壊が顕著になり、イギリス小説に於いてもウェルズやゴ-ルズワ-ジ-などの大作家達の時代は終わり、ジョイスなどの出現により新しい時代の波の兆候が現れ始めていた。この小説の大きな特徴は二組の登場人物の物語が平行して進行していくことである。この小説の主人公クラリッサ. ダロウェイを中心としたグループとクラリッサの分身ともいえるセプティマスの人物群である。この両者のグループの人物達の相互の関わりはなく、また物語の筋に関しても何の関連性もない。ただセプティマスを診療する精神科医のサー・ウィリアム・ブラッドショ-だけが両方のグループに登場する唯一の人物である。ここでウルフは何故に二組の関連性のないグル-プと、異なった筋の二つの物語を平行して設定したのか。またクラリッサの身代わりの如くセプティマスを死に追いやり、逆にクラリッサを死から救済し生への回帰をなし得たのか。この疑問について分析し考察をしたい。