著者
伊達 聖伸
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.89, no.2, pp.297-322, 2015-09-30

本稿は、あえて長い時間の幅を確保し、イスラームがいつ、いかにしてフランスの宗教になったのかを検討するものである。フランスにムスリムがいた事実は古い時代に遡って確認できるが、イスラームは長いあいだヨーロッパの外部にある鏡のような役割を果たしてきた。イスラームがフランスの宗教になる経緯として決定的なのは、植民地行政によってイスラームが「宗教」として把握され、管理されるようになったことである。一九〇五年の政教分離法は、宗教に自由を与える性格を持つが、同法が形式的に適用されたアルジェリアでは、実際にはイスラームに対する管理統制が統いた。フランス国家がイスラームを「宗教」と見なしてムスリムにアプローチする枠組みにおいて、イスラームはフランスの「宗教」になったが、そのアプローチの限界も浮き彫りになる。イスラームに対する構造的不平等があるなかで、ライシテは宗教の平等を唱える理念として機能している。
著者
伊達 聖伸
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.81, no.3, pp.531-554, 2007-12

フランスの政教関係を定めた「ライシテ」の原理は、いわゆる近代社会の基本的原則たる政教分離を最も徹底させたものだとしばしば見なされている。それを裏づけるように、フランスのライシテは、「アメリカの市民宗教」-教会から切り離されたユダヤ=キリスト教の文化的要素が政治の領域に明白に見て取れる-とは構造を異にすると分析されている。だが、この差異から、フランスでは政治の領域に宗教的次元が存在しないという結論が導けるわけではない。事実、研究者のあいだでは、ライシテ(およびこの原理に即した近代的な価値観)を市民宗教などのタームでとらえることの妥当性が問われている。本稿では、彼らの議論の一部を紹介しながら、市民宗教の五類型を提示し、ライシテがいかなる条件において、どのような意味での「市民宗教」に近づきうるのかを、ライシテの歴史の三つの重要な節目-フランス革命期、第三共和政初期、現代-におけるいくつかの具体例を通して検討する。
著者
伊達 聖伸
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.89, no.2, pp.297-322, 2015-09-30 (Released:2017-07-14)

本稿は、あえて長い時間の幅を確保し、イスラームがいつ、いかにしてフランスの宗教になったのかを検討するものである。フランスにムスリムがいた事実は古い時代に遡って確認できるが、イスラームは長いあいだヨーロッパの外部にある鏡のような役割を果たしてきた。イスラームがフランスの宗教になる経緯として決定的なのは、植民地行政によってイスラームが「宗教」として把握され、管理されるようになったことである。一九〇五年の政教分離法は、宗教に自由を与える性格を持つが、同法が形式的に適用されたアルジェリアでは、実際にはイスラームに対する管理統制が統いた。フランス国家がイスラームを「宗教」と見なしてムスリムにアプローチする枠組みにおいて、イスラームはフランスの「宗教」になったが、そのアプローチの限界も浮き彫りになる。イスラームに対する構造的不平等があるなかで、ライシテは宗教の平等を唱える理念として機能している。
著者
伊達 聖伸
出版者
日本政治学会
雑誌
年報政治学 (ISSN:05494192)
巻号頁・発行日
vol.64, no.1, pp.1_122-1_144, 2013 (Released:2016-07-01)

The central figure of the Action Frarnçaise, Charles Maurras presented his “religious nationalism” amidst a tense conflict between republicans and Catholics, which culminated with the separation of the Churches and the State in 1905. The Catholic blocs supported him, because he reclaimed the Catholic monarchy from the French Republic by criticizing individualism and representative democracy. This article tries to contextualize his political thought at the dawn of the twentieth century and to analyze it from the viewpoint of political theology.   It primarily focuses on Maurras' so-called “Catholic positivism” which was largely influenced by Auguste Comte. However, Maurras deviates from the founder positivist in that he emphasizes the French “nation” instead of the “humanity”; he didn't acknowledge the idea of separation between temporal and spiritual powers. His monarchical nationalism stands on the positivistic horizon, and the autonomous nation rendered absolute doesn't require a heteronomous religious justification. This scheme of political theology, which appeared through his polemic with Marc Sangnier, bore some resemblance to neo-Thomism, despite its pagan character.
著者
伊達 聖伸
出版者
東京大学文学部宗教学研究室
雑誌
東京大学宗教学年報 (ISSN:02896400)
巻号頁・発行日
no.26, pp.63-76, 2008

論文/ArticlesCet article a pour but de mettre en relief les caractéristiques essentielles de la version « institutionnelle » des sciences religieuses en France, notamment celles des dernies décennies du 19e siècle. Nous nous attarderons d'abord à éclairer la connotation des mots « science(s) religieuse(s) » et « histoire des religions ». Puis, nous examinerons la propagande d'Albert Réville et de Maurice Vernes pour instituer cette nouvelle discipline académique dans leur pays. C'est dans ce contexte qu'une chaire d'histoire des religions est créée au Collège de France (1880) ainsi qu'une nouvelle section à l'École Pratique des Hautes Études (1886). Nous nous intéresserons à ce qui sépare cette nouvelle science de l'ancienne théologie catholique. Or, nous allons aussi découvrir certaines similitudes implicites entre elles. Nous suivrons ensuite le développement méthodologique de cette science : l'histoire historicisante de Maurice Vernes, l'histoire évolutionniste psychologique d'Albert et Jean Réville, et enfin, la sociologie anthropologique des durkheimiens (Henri Hubert et Marcel Mauss). C'est à travers les débats parfois violents entre ces chercheurs que se développe la jeune discipline académique. En effet, c'est grâce à l'intervention sociologique que l'allure protestante de la 5e section de l'EPHE s'atténue et que les caractères christiano-centristes des études religieuses se relativisent.
著者
池澤 優 近藤 光博 藤原 聖子 島薗 進 市川 裕 矢野 秀武 川瀬 貴也 高橋 原 塩尻 和子 大久保 教宏 鈴木 健郎 鶴岡 賀雄 久保田 浩 林 淳 伊達 聖伸 奥山 倫明 江川 純一 星野 靖二 住家 正芳 井上 まどか 冨澤 かな
出版者
東京大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2010

本研究は、欧米において成立した近代的宗教概念とそれに基づく宗教研究が、世界各地、特に非欧米社会においてそのまま受容されたのか、それとも各地域独自の宗教伝統に基づく宗教概念と宗教研究が存在しているのかをサーヴェイし、従来宗教学の名で呼ばれてきた普遍的視座とは異なる形態の知が可能であるかどうかを考察した。対象国・地域は日本、中国、韓国、インド、東南アジア、中東イスラーム圏、イスラエル、北米、中南米、ヨーロッパである。
著者
伊達 聖伸
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.85, no.2, pp.479-504, 2011-09-30

カナダのケベック州は、一九六〇年代の「静かな革命」以降、大きな社会の変化を経験している。そのなかで、宗教のあり方も変化している。州政府、教会、家庭の関係が再編されるなかで、学校教育の役割も変わってきており、ますます増大する宗教的・文化的な多様性を踏まえながら、子どもたちの規範的な社会化と市民性教育を行なうことが課題となっている。そのときに拠り所となるのが「ライシテ」の原理だが、ケベックのライシテは、宗教を取り除くことを志向しがちなフランスのライシテとは趣を異にし、宗教と手を切る面を孕みながらも、むしろ学校での道徳教育や倫理教育、宗教文化教育、スピリチュアリティ教育の継続と再編を可能にしているところがある。それだけに、「道徳」「倫理」「文化」「スピリチュアリティ」という言葉には、ライシテの推進者のみならず、反対者の思惑も込められている。本稿は、これらの言葉のニュアンスを読み解きながら、一定の合意形成のなかに、対立の構図が残っていることを明らかにしようとするものである。
著者
伊達 聖伸
出版者
東京大学文学部宗教学研究室
雑誌
東京大学宗教学年報 (ISSN:02896400)
巻号頁・発行日
no.31, pp.17-34, 2013

論文/ArticlesDid the concept of "religion" change in the aftermath of the French Revolution? If so, in what way did it evolve? This article argues that there was indeed a change in conceptualizing religion during this period and tries to partially explain it by comparing the approaches of Voltaire and Chateaubriand to religion. Though these French writers belonged to two different generations, they were both anglophiles and were able to reflect on the religious situation in France with reference to England. What is often said about these two is that the former criticized religion while the latter defended it. However, we should bear in mind that Voltaire was never an atheist in the strict sense of the word despite his fierce criticism of religious institutions, for he believed in the existence of God which transcended different religious denominations. Also, Chateaubriand was an ardent proponent of Enlightenment thought, although he became a devout Christian. In other words, we need to understand the complex nature of religious discourse especially during this transitional period. A key word in Voltaire's religious critique is "tolerance". While he celebrated religious diversity in England and was greatly influenced by John Locke's work, especially A Letter Concerning Toleration(1689), Voltaire did not share the same vision as this English philosopher. Unlike Locke, who vindicated religious liberty and presupposed the separation of the religious community from political institutions, Voltaire's idea of religious tolerance was based on the assumption that the religious system should be subordinated to the political system, thereby placing little importance on religious liberty. As for Chateaubriand, religious liberty occupies an important place in his thought, but as an antirevolutionary thinker, he emphasized it in a conservative manner. The Genius of Christianity(1802) is an attempt to vindicate the Christian faith by reinterpreting the notion of liberty. Here, Chateaubriand reappropriates Christian discourse and attempts to restore Catholicism to its rightful place. Nevertheless, this reappropriation is not so much explained by theological as cultural impetus, because religious faith for him was a matter of individual commitment.
著者
伊達 聖伸 渡辺 優 見原 礼子 木村 護郎クリストフ 渡邊 千秋 小川 浩之 西脇 靖洋 加藤 久子 安達 智史 立田 由紀恵 佐藤 香寿実 江川 純一 増田 一夫 小川 公代 井上 まどか 土屋 和代 鶴見 太郎 浜田 華練 佐藤 清子
出版者
東京大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2020-04-01

本研究は、加速する時代のなかで西洋社会の「世俗」が新局面に入ったという認識の地平に立ち、多様な地理的文脈を考慮しながら、「世俗的なもの」と「宗教的なもの」の再編の諸相を比較研究するものである。ヨーロッパ大陸とアメリカ大陸の政教体制を規定している歴史的文脈の違いを構造的に踏まえ、いわゆる地理的「欧米」地域における世俗と宗教の関係を正面から扱いつつ、周辺や外部からの視点も重視し、「西洋」のあり方を改めて問う。
著者
伊達 聖伸
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.81, no.3, pp.531-554, 2007-12-30 (Released:2017-07-14)

フランスの政教関係を定めた「ライシテ」の原理は、いわゆる近代社会の基本的原則たる政教分離を最も徹底させたものだとしばしば見なされている。それを裏づけるように、フランスのライシテは、「アメリカの市民宗教」-教会から切り離されたユダヤ=キリスト教の文化的要素が政治の領域に明白に見て取れる-とは構造を異にすると分析されている。だが、この差異から、フランスでは政治の領域に宗教的次元が存在しないという結論が導けるわけではない。事実、研究者のあいだでは、ライシテ(およびこの原理に即した近代的な価値観)を市民宗教などのタームでとらえることの妥当性が問われている。本稿では、彼らの議論の一部を紹介しながら、市民宗教の五類型を提示し、ライシテがいかなる条件において、どのような意味での「市民宗教」に近づきうるのかを、ライシテの歴史の三つの重要な節目-フランス革命期、第三共和政初期、現代-におけるいくつかの具体例を通して検討する。
著者
柴田 大輔 河合 望 中町 信孝 津本 英利 長谷川 修一 青木 健 有松 唯 上野 雅由樹 久米 正吾 嶋田 英晴 下釜 和也 鈴木 恵美 高井 啓介 伊達 聖伸 辻 明日香 亀谷 学 渡井 葉子
出版者
筑波大学
雑誌
新学術領域研究(研究領域提案型)
巻号頁・発行日
2012-06-28

現在の西アジア諸国において戦争・政争を引き起こす重要なファクターとしてイスラームの政教問題が挙げられる。西アジア政教問題の重要性は万人が認めるところだが、一方でこの問題は単なる現代情勢の一端として表層的に扱われ、しかも紋切り型の説明で片付けられることも多い。本研究は、文明が発祥した古代からイスラーム政権が欧米列強と対峙する近現代にいたる長い歴史を射程に入れ、政教問題がたどった錯綜した系譜の解明を目指した。ユダヤ・キリスト教社会、紋切り型の説明を作ってきた近現代西欧のオリエント学者たちが西アジアに向けた「眼差し」も批判的に検討したうえで、西アジア政教問題に関する新しい見取り図の提示を目指した。