著者
管 啓次郎
出版者
現代文芸論研究室
雑誌
れにくさ (ISSN:21870535)
巻号頁・発行日
vol.5, no.3, pp.322-330, 2014-03-10

特集 北アメリカの文学
著者
管 啓次郎
出版者
現代文芸論研究室
雑誌
れにくさ (ISSN:21870535)
巻号頁・発行日
vol.5, no.3, pp.322-330, 2014-03-10

特集 北アメリカの文学柴田元幸教授退官記念号翻訳
著者
見田 悠子
出版者
現代文芸論研究室
雑誌
れにくさ = Реникса : 現代文芸論研究室論集 (ISSN:21870535)
巻号頁・発行日
no.4, pp.211-223, 2013

特集 ラテン文学論文En este estudio, leemos Cien años de soledad comparándolo con "La soledad de América Latina" el discurso Nobel, para aclarar la función de la escena final. Cien años de soledad carece de meta-lengua. Explicar algo por medio de la meta-lengua, puede terminar colocar un mundo diferente dentro de un discurso pre-existente, y al mismo tiempo, puede ignorar una lógica que se encuentra fuera del "sentido común". La novela logró ser una unidad que contiene diversas "realidades" posmodernistas por buscar persuadir a sus lectores sin usar la meta-lengua. Sin embargo, dentro de García Márquez hubo intentos de sacar a la luz los elementos de fantasía. La escena final es una forma contrarresta el cierre del libro que hace una distinción física entre el mundo interno de la novela y el mundo externo de la novela. Esta también fue la revelación de ser una ficción del mundo externo de la novela por ser un reflejo del mundo. Lo que el autor no pudo dejar de aclarar al final, no era el hecho de que esta "es una novela / no es real", sino más bien, la ficción del mundo real. Incluso alguien que crea que actúa por su propia voluntad, por ejemplo, es bien posible que tenga su destino establecido y contralado por otros.
出版者
現代文芸論研究室
雑誌
れにくさ (ISSN:21870535)
巻号頁・発行日
vol.5, no.3, pp.340-395, 2014-03-10
著者
Damrosch David
出版者
現代文芸論研究室
雑誌
れにくさ = Реникса : 現代文芸論研究室論集 (ISSN:21870535)
巻号頁・発行日
no.3, pp.133-155, 2011

特集 世界文学へ/世界文学から : 比較・翻訳・日本と世界The Brave World Literature Revisited : Contemporary Approaches to Literary Studies, November 12, 2011, the University of Tokyo国際シンポジウム「世界文学とは何か?」, 2011年11月12日, 東京大学私の著書『世界文学とは何か?』で中心的に扱ったのは、文学作品が元来の環境の外へ出て、翻訳され世界文学のグローバル空間に入って新しいものになるとき、作品に何が起こるのかという問題だった。しかし、ここで私が論じたいのは、異質な伝統間に見られる断絶をどう考えるべきということだ。その断絶は決して絶対的なものではない。そして今日のグローバル時代にあっては、各伝統の持つ共約不可能性こそが、新たな重要な役割を果たすということを示したい。(1)まず、東アジアとヨーロッパで、詩作がどのように捉えられてきたかを比較しよう。西洋の伝統では、文学は詩人や作家が「作る」もの(ポイエーシス)である。他方、中国や日本では、杜甫や芭蕉の詩を見ればわかるように、文学は現実に深く根ざしたもので、詩人は自分の観察と経験をありのままに書くとされた。しかし、この違いを強調しすぎるべきではない。それは本質的な差というより、程度の問題である。杜甫や芭蕉の詩もまた緻密につくり上げられた構築物という側面を持つのに対して、ワーズワースは<詩人=フィクションの作り手>とする西洋の伝統の内部で詩作しているにもかかわらず、その作品の背後には伝記的要素が秘められている。(2)17世紀から18世紀にかけて、世界の様々な場所で、商人階級が新たな力を得て自らの声を響かせはじめ、19世紀に至り旧来の貴族制を決定的に退去させた。文学はこうした推移を、初期段階からいち早く取り上げた。まったく異なる文化圏が、同様の推移を経験したため、そこから生まれた作品どうしの興味深い比較が可能になる。格好の例として、フランスの劇作家モリエールの『町人貴族』(1670)と近松門左衛門の『心中天網島』(1721)を挙げよう。日仏の演劇の伝統はまったく別のものだったが、これら二人の戯曲家は勃興しつつあった新たな社会秩序への関心を共有していた。そのおかげで、二人の作品の間には興味深い一致が見いだせるのである。(3)現在多くの作家たちにとって真の「外国文学」とは、外国の同時代の文学よりも、自分の伝統における古典作品のほうではないだろうか。日本の近代作家のなかで三島由紀夫ほど、前近代の失われた過去に深い関心を持ったものもいないだろう。『豊饒の海』四部作は、前近代アジアの過去と、グローバルな近代性とを織りあわせる方策の百科事典と言ってもいい。三島は平安時代の世界を新しく蘇らせるためにプルーストを用い、さらにプルーストを脱構築するために紫式部を用いた。この二重のプロセスのおかげで、三島はどちらの伝統に対しても、深く依拠しながら、単なる模倣に終わらずに済んでいる。近代世界文学に対する三島の最大の貢献の原動力となっているのは、古代と近代、そしてアジアの伝統とヨーロッパの伝統の共約不可能性である。そして共約不可能性の比較こそは、今日の世界文学研究の新しい一面なのである。
著者
沼野 充義 Morrison Shaldjian
出版者
現代文芸論研究室
雑誌
れにくさ = Реникса : 現代文芸論研究室論集 (ISSN:21870535)
巻号頁・発行日
no.3, pp.188-206, 2011

特集 世界文学へ/世界文学から : 比較・翻訳・日本と世界The Todai-Yale Initiative Lecture Series (Fall 2009), Dec. 8, 2009, Yale University「東大-イェール・イニシアティヴ」(両大学間の学術交流プログラム)主催レクチャー・シリーズ, 2009年12月8日, イェール大学現代日本でもっとも人気のある作家は誰かと聞かれたら、私は村上春樹とドスとエフスキーだと答えたい。ドストエフスキーは日本人ではなく、ロシアの作家であるということは、いかに迂闊な私でも知らないわけではないが、このところ、『カラマーゾフの兄弟』の新訳が100万部を超えるベストセラーになったことをきっかけにドストエフスキーの人気が急上昇し、いまや彼は現代日本の作家として蘇ったかのようである。しかし、このドストエフスキー人気はいま急に始まったわけではない。明治時代の日本において、近代文学の形成に対してロシア文学が巨大な影響を与えたことはよく知られている。二葉亭四迷や白樺派の作家たちにとって、ロシア文学は決定的に重要だった。第二次世界大戦後は、『近代文学』に依拠した批評家たちを始めとして、「戦後派」の作家たち全般にロシア文学の影響が濃厚に感じられる。また早稲田大学の露文科はすぐれた作家たちを輩出した。またロシア文学を専攻していなくとも、ロシア文学に造詣の深い現代作家としては、加賀乙彦、大江健三郎、井上ひさしなどがいる。ロシア文学はその後、現代にかけて影が薄くなってきたように見えるが、じつは潜在的には巨大なインスピレーションの源であり続けてきた。その素地があってこそ、今日のドストエフスキー・ブームも可能になったのである。この講演では、主として1980年代以降に活躍を始めた新しい世代の現代日本作家6名を取り上げ、彼らの作品を具体的に紹介しながら、ロシア文学が彼らの作品にどのように影響を与えているか、ロシアのイメージがどのように現れているかを検討していく。6名の作家とは、池澤夏樹、島田雅彦、村上春樹、黒川創、中村文則、鹿島田真希である。彼らの作品に登場するロシア人に、スパイ、秘密警察、独裁者、売春婦などといった相も変わらぬステレオタイプ的な人物が多いのは事実だが、これらの優れた作家たちは皆それぞれの方法でステレオタイプを超えて、狭く閉ざされがちな現代日本文学に風穴をあけ、そこから形而上的な息吹や宇宙的な響きを呼び込むための「文学的手法」としてロシアを使っている。そのロシアとは、現実のロシア、「プーチンのロシア」とはあまり似ていないものかもしれないのだが。
著者
アスアヘ=アラモ マヌエル
出版者
現代文芸論研究室
雑誌
れにくさ = Реникса : 現代文芸論研究室論集 (ISSN:21870535)
巻号頁・発行日
no.4, pp.270-284, 2013

特集 ラテン文学大学院生・学生論文Este artículo presenta una comparación entre la novela de Roberto Bolaño, Estrella distante, y la novela del escritor colombiano Juan Gabriel Vásquez. El ruido de las cosas al caer. Esta comparación tiene como punto de inicio el hecho de que ambas novelas están narradas en primera persona por un personaje cuya historia está basada no tanto en sí mismo sino en un hombre de su pasado. En el caso de la obra de Bolaño, se trata del piloto, poeta y asesino, Carlos Wieder, cuya historia tiene como trasfondo la dictadura de Pinochet en Chile. En el caso de la obra de Vásquez, se trata de Ricardo Laverde, un piloto de contrabando cuya historia tiene como trasfondo el principio de la expansión del problema del narcotráfico en Colombia. Ambas novelas pueden ser entendidas como pertenecientes a diferentes tradiciones dentro de la literatura latinoamericana; Estrella distante pudiendo ser entendida como una novela de la dictadura, y El ruido de las cosas al caer pudiendo ser categorizada como una novela del narcotráfico. Sin embargo, si el lector se enfoca en sus estructuras narrativas encuentra una clara similitud en el hecho de que ambas novelas proponen la figura de un misterioso del pasado, Carlos Wieder y Ricardo Laverde, cuyas vidas, contadas en ambos casos por una voz que es cercana al autor, se vuelven narrativas que intentan simbolizar los problemas morales de Chile y Colombia en momentos claves de su historia. De esta manera se puede ver que, aun siendo sus estilos y atmosferas diferentes, estas dos novelas se pueden entender como dos novelas con estructuras y estrategias narrativas similares frente a una realidad histórica que es también similar y diferente a las de otros países de Latinoamérica.
著者
熊野 純彦
出版者
現代文芸論研究室
雑誌
れにくさ (ISSN:21870535)
巻号頁・発行日
vol.5, no.2, pp.72-82, 2014-03-10

特集 北アメリカの文学
著者
足立 伊織
出版者
現代文芸論研究室
雑誌
れにくさ (ISSN:21870535)
巻号頁・発行日
vol.5, no.2, pp.349-367, 2014-03-10

特集 北アメリカの文学

2 0 0 0 OA 前山君のこと

著者
都甲 幸治
出版者
現代文芸論研究室
雑誌
れにくさ (ISSN:21870535)
巻号頁・発行日
vol.5, no.1, pp.96-99, 2014-03-10

特集 北アメリカの文学