著者
東島 仁
出版者
京都大學人文科學研究所
雑誌
人文學報 = The Zinbun Gakuhō : Journal of Humanities (ISSN:04490274)
巻号頁・発行日
vol.100, pp.129-144, 2011-03

近年,心・行動の生物学的な基盤を遺伝子の働きや遺伝情報を手掛かりに探る心・行動の生命科学が,急成長を続けている。その進展には,公共の福祉への大きな貢献と同時に,多くの社会・倫理的な課題が伴うことは人類の歴史から明らかである。本稿では,心・行動の生命科学の研究領域で世界的な注目を集め,今や100名に1人が持つとも言われる自閉症スペクトラム障害に着目し,関連領域の学術的な発展に伴う障害概念の変遷と,社会的影響を論ずる。自閉症スペクトラム障害概念、が形成される道のりは,医学的な症例研究に端を発した心・行動の生命科学研究における自閉症スペクトラム障害領域の発展と展開,そして社会との関わりの歴史である。本論では,まず自閉症スペクトラム障害を取り巻く世界,そして我が国の社会的な状況を概観する。次に,医学や生命科学が科学表象の産出を通じて該当概念、を形作る歴史的な流れを振り返る。そして,生命科学によって自閉症スペクトラム障害の生物学的な基盤が解明され,様々な技術が開発される過程で現代社会にもたらされつつある課題を考察する。
著者
水野 直樹
出版者
京都大學人文科學研究所
雑誌
人文學報 = The Zinbun Gakuhō : Journal of Humanities (ISSN:04490274)
巻号頁・発行日
vol.101, pp.81-101, 2011-03

本論文は, 2009年に発表した拙稿「植民地期朝鮮における伊藤博文の記憶」(伊藤之雄・李盛煥編『伊藤博文と韓国統治』ミネルヴァ書房)の続編である。1932年日本支配下の京城に, 伊藤博文を祀る仏教寺院博文寺が建てられたが, そこで起こった最大の出来事は, 安重根の息子と伊藤の息子との「和解劇」であった。伊藤の死から30年後の1939年10月, 上海在住の安俊生と東京在住の伊藤文吉が京城で会見をし, ともに博文寺を訪れて合同の法要を行なった。それを報じた新聞記事では, 父の罪を詫びる安俊生とそれを受け入れて「内鮮一体」に努めることを慫慂する伊藤文吉の姿が強調された。この和解劇には, 朝鮮総督府外事部が深く関与し, 長年にわたって朝鮮独立運動を取り締まってきた警察官相場清, 安重根裁判の朝鮮語通訳を務めた園木末喜が安俊生の言動を左右する役割を果たした。その後, 安重根の娘夫妻が博文寺を参拝するという後日談もあった。「和解劇」とその後日談は, 総督府が植民地統治の成果を宣伝するために演出したイベントであったのである。
著者
髙津 茂
出版者
京都大學人文科學研究所
雑誌
人文學報 = The Zinbun Gakuhō : Journal of Humanities (ISSN:04490274)
巻号頁・発行日
vol.108, pp.127-141, 2015-12-30

特集 : 日本宗教史像の再構築 --トランスナショナルヒストリーを中心として-- ≪第III部 :神の声を聴く --カオダイ教, 道院, 大本教の神託比較研究--≫
著者
鈴木 洋仁
出版者
京都大學人文科學研究所
雑誌
人文學報 = The Zinbun Gakuhō : Journal of Humanities (ISSN:04490274)
巻号頁・発行日
vol.105, pp.117-139, 2014-06-30

本論文は、「戦後」において「明治」を見直す動きを、桑原武夫と竹内好の言説を対象に議論している。桑原と竹内が、「もはや戦後ではない」昭和31年 = 1956年を境に行われた「明治の再評価」をめぐる議論の意味を指摘する。「明治の再評価」を最初に唱えた一人・桑原にとっての「元号」は、西暦とは異なる、日本固有の時間の積み重ねだった。それは同時に、昭和20年 = 1945年に始まる「戦後」という時間軸よりも、「昭和」や「明治」という時間の蓄積に親しみを抱く世間の空気でもあった。そして、桑原もまた、「元号」と同様に、世の中の雰囲気を鋭敏に察知するアイコンでもあった。対する竹内は、「昭和」という「元号」を称揚する復古的な動きに嫌悪感をあらわにし、「明治」を否定的に回顧しようとしつつも苦悩する。「明治維新百年祭」を提唱した理由は、その百年の歴史が、自分たちが生きる今の基盤になっていると考えたからこそ、苦悩し、ジャーナリズムでさかんに発言する。このように本研究では、「明治百年」についての複数の言説の中で、日本近代に対峙した代表的な2人の論客が「元号」に依拠して明らかにした歴史意識を対象として、当時の知識人と社会、学問とジャーナリズムの関係性もまた見通している。
著者
森田 真也
出版者
京都大學人文科學研究所
雑誌
人文學報 = The Zinbun Gakuhō : Journal of Humanities (ISSN:04490274)
巻号頁・発行日
vol.108, pp.35-47, 2015-12-30

特集 : 日本宗教史像の再構築 --トランスナショナルヒストリーを中心として-- ≪第I部 :帝国日本と民間信仰≫
著者
北村 直子
出版者
京都大學人文科學研究所
雑誌
人文學報 = The Zinbun Gakuhō : Journal of Humanities (ISSN:04490274)
巻号頁・発行日
vol.105, pp.35-67, 2014-06-30

16世紀から18世紀にかけて書かれたユートピア文学では,大航海時代末期から重商主義・啓蒙主義時代にいたるヨーロッパ人の視野拡大を反映し,架空世界と既知の空間との落差をふたつの要素によって強調した。(a) 空間的距離: ヨーロッパからの遠さ。主人公の遭難の地点が実在の固有名 (地名・緯度経度) を使って表現される。(b) 意味論的落差:身体的・文化的・政治的な違い。空間的距離によって説得力を保証され,語りの視点の設定を工夫することによって強調される。(a) のような既知の固有名の使用はユートピア文学が次代のリアリズム小説と共有する要素である。いっぽう (b) の特徴はユートピア文学の「報告」としての性質を支える要素であり,ユートピア文学の報告者 (語り手,視点人物) は当時のヨーロッパ人を代表してヨーロッパと架空世界との落差に驚いてみせ,読者にその違いを強調してみせることによって読者の反応を先導しようとする。読者を誘導するこの仕掛けを物語論では「評価」と呼ぶ。「評価」のマーカーは物語一般に見られる自然なふるまいである。なお,20世紀に書かれた架空旅行記においては,語り手の「評価」のマーカーがときに欠如しており,読者が視点人物と容易に同一化できない。本稿では,こういった物語装置の分析を通じて,報告体物語の機構を検証し,トマス・モアからシラノ・ド・ベルジュラック,スウィフトを経てサドにいたる空想旅行記の暗黙の前提を可視化することをめざす。いかなる物語も,多かれ少なかれ「出来事の報告」という側面を持っている。本稿は,さまざまな物語ジャンルのなかでも,とりわけこの報告というコミュニケーション様式に特化したユートピア文学を分析的に特徴づけることによって,報告という言語行為がもつ小説史上の意味を考察する。視点操作や物語行為の本質を解明するためには,物語作品の意味内容以上に,物語の暗黙の前提を研究することが有効と考えるからである。De Thomas More au Marquis de Sade, en passant par Cyrano de Bergerac et Swift, la litt?rature utopique s'attacha ? figurer l'?cart entre ses contr?es imaginaires et lar?a lit? de l'Europe en l'inscrivant dans une distance spatiale, pa r le recours ? des toponymes authentiques pour nommer les lieux o? les h?ros font naufrage. Cette distance spatiale garantit l'existence synchronique de l'utopie, ce qui distingue les voyages imaginaires d'avec les r?cits qui installent les lieux de leurs fictions dans le pass? mythique (l'?ge d'or ou le paradis perdu), le futur (le roman d'anticipation) ou le r?ve (Le Roman de la Rose). Ce genre de texte met ainsi l'accent a ussi sur les diff?rences culturelles entre l'utopie et le monde europ?en : le narrateur s'?tonne de tout ce qu'il voit et entend dans l'utopie, et ses r?actions d?terminent l'attitude du lecteur en lui sugg?rant une r?ponse appropri?e aux ?v?nements narr?s. Ce dispositif discursif, que la narratologie nomme ? ?valuation ?, est un ?l?ment fondamental de tous les r?cits de cette nature, y compris les romans et les nouvelles. Seuls certains textes ?crits au vingti?me si?cle l'abandonnent, en interdisant l'identification du lecteur aux personnages. L'int?r?t d'une analyse th?orique de ce type de strat?gies narratives ne se limite pas ? l'?tude des m?canismes romanesques. Elle permet, plus g?n?ralement, une approche narratologique des modes de communication, ad?quate ? toute forme de discours destin? ? rapporter une exp?rience.
著者
能川 泰治
出版者
京都大學人文科學研究所
雑誌
人文學報 = The Zinbun Gakuhō : Journal of Humanities (ISSN:04490274)
巻号頁・発行日
vol.104, pp.91-112, 2013-03-29

本稿の課題は,いわゆる十五年戦争と大阪城との関係について,これまでの大阪城の歴史の中で紹介されてこなかった事例を紹介し,大阪城は戦争動員に関してどのような役割を果たしたのかという点について,考えようとするものである。日中戦争が長期化し,さらにアジア太平洋戦争が始まろうとしていたとき,陸軍の中から大阪城を戦没者慰霊空間として改造する試みが浮上していた。大阪城内に大阪国防館という軍国主義的社会教育施設を設け,さらに護国神社を移転させることにより,大阪城を戦没者慰霊空間として完成させようとしたのである。一方,大阪財界の太閤ファンによって結成された豊公会からは,豊臣秀吉顕彰の場として大阪城を活用しようとする提言があがっていた。長期戦を戦い抜くためにも秀吉を顕彰して加護を祈ることが必要であり,また,秀吉の神霊の加護を受けて滅私奉公に励むことが都市大阪の発展につながるというのである。このような豊公会の活動によって,大阪城天守閣は秀吉の神霊が宿る司令塔として位置づけられていた。つまり,戦時中の大阪城天守閣は,大大阪の帝国主義的対外膨張のシンボルとされていたのである。そして,豊公会からあがった提言は,大阪の軍・官・財及びジャーナリズムと歴史学者の提携の下に,市民を啓発する式典や展覧会として実現された。その中で大阪城天守閣は,ある時は秀吉の神霊が宿るランドマークとして,またある時は大東亜共栄圏構築の先駆者としての秀吉像を宣伝する歴史博物館として,長期化する戦争を市民が戦い抜くための精神的支柱としての役割を担っていた。それは大阪という大都市における戦時大衆動員と都市支配の一端を示すものであると言えよう。This article deals with the relationship between Osaka Castle and the Fifteen Years' War, using aspects of Osaka Castle that have not appeared in the history books to consider the role played by the castle during war mobilization. As the Sino-Japanese War dragged on, and the Asia-Pacific War loomed, there was an attempt by people in the army to transform it into a memorial space for the war dead, as well as a proposal by the H?k?kai, formed by fans of the Taik? from among the Osaka financial world, to use the castle to commemorate Hideyoshi, and pray for his aid in the war. The proposal from the H?k?kai was achieved with the help of military, government, financial, journalist, and historian support from Osaka, creating a commemorative event and exhibition to educate the citizens. As part of this, the castle keep has been a psychological pillar to help Osakans win through the war, at times as a landmark where Hideyoshi's soul rested, or as a history museum eulogizing Hideyoshi. This can be positioned as showing part of the mass mobilization and urban control during the war in the major urban area of Osaka.
著者
宮下 良子
出版者
京都大學人文科學研究所
雑誌
人文學報 = The Zinbun Gakuhō : Journal of Humanities (ISSN:04490274)
巻号頁・発行日
vol.108, pp.49-63, 2015-12-30

特集 : 日本宗教史像の再構築 --トランスナショナルヒストリーを中心として-- ≪第I部 :帝国日本と民間信仰≫