著者
漆 麟
出版者
京都大學人文科學研究所
雑誌
人文學報 = The Zinbun Gakuhō : Journal of Humanities (ISSN:04490274)
巻号頁・発行日
vol.109, pp.103-142, 2016-07-30

本稿は, 日中戦争末期の1945 年1 月に重慶で開催された「現代絵画聯展」に注目し, それを戦時中の中国モダニズム美術による一つの集約として考え, その具体像を再現するとともに, 中国美術におけるモダニズムの規範, そして時代・政治的状況とともに変わっていく美術史的言説による作家・作品評価及びその歴史化の様相について検討するものである。「現代絵画聯展」はおそらく戦時中におけるモダニズム志向の最大規模の美術展であるにもかかわらず, 現在までそれに触れた著作は, それをいわゆる「重要な現代美術展であった」と捉えているものの, 作家名以外の具体的な状況に全く言及していない。そして, 歴史的事象の選択による近現代美術史の編成においては, 日中戦争中をモダニズム美術の「空白期」として扱う傾向が見られる。それらの既往研究を踏まえ, 本稿では, 林風眠・倪貽徳・龐薫琹・関良を中心とする出品作家の戦時中の活動を辿り, その帰結とも言える「現代絵画聯展」の具体像を再現することを試みる。その再現作業を通して, 戦時中におけるモダニズム美術の転換, そして同時代の言説空間から窺えるそのあり方について考察する。それは, 当時の美術界の「生態系」の様相を浮かび上がらせることによって, モダニズム志向の画家群と両立していた宣伝美術や伝統美術に従事する人たちをめぐる政治的空間, 複数の「近代」の成立についての検証である。さらに, 「現代美術聯展」に関する戦後から現在にわたる美術史的言説の変遷について考察する。1949 年から1980 年代までのその展覧会に参加した画家本人の「忘却」, それに相反する1990 年代以降の美術史の再編における展示や作家たちに対する拡大しつつある評価, などの事象を検討することを通して, 戦時中のモダニズム美術に対する歴史化の様相を明らかにし, 「近代化」の論理で語られる1990 年代以降の美術史的言説と, 制作領域におけるモダニズムの「不在」との矛盾について考える。
著者
出口 三平 清水 厳三郎
出版者
京都大學人文科學研究所
雑誌
人文學報 = The Zinbun Gakuhō : Journal of Humanities (ISSN:04490274)
巻号頁・発行日
vol.108, pp.163-187, 2015-12-30

特集 : 日本宗教史像の再構築 --トランスナショナルヒストリーを中心として-- ≪第IV部 : 宗教のつなぎ方 --大本の宗教提携と平和運動をめぐって--≫
著者
永岡 崇
出版者
京都大學人文科學研究所
雑誌
人文學報 = The Zinbun Gakuhō : Journal of Humanities (ISSN:04490274)
巻号頁・発行日
vol.107, pp.103-129, 2015-09-30

本稿は,漫画家・エッセイスト辛酸なめ子の諸作品を読み解くことを通じて,現代日本におけ る象徴天皇制やスピリチュアリティ文化と批判的に対峙する作法について思考するものである。 現在,天皇は非政治性を建前とした「象徴」として,またスピリチュアリティ文化は過酷な競 争社会を生きる現代人につかの間の「癒し」を提供するものとして,柔和で無害な相貌で存在しているようにみえる。だが,これらの文化/制度は,それを中心にして形成される「空気」のなかで,ときとして暴力性や抑圧性を露わにすることがある。このような暴力性・抑圧性に対 する批判は多いが,外部的な視点に立ったイデオロギー批判に代表される従来の批評的言語は, ポストモダンな天皇制やスピリチュアリティ文化を前に,有効性を喪失してしまっているように思われる。そのようななか,興味深い批評の言葉を創出しているのが,辛酸なめ子の作品である。なめ子は,作品のなかで,皇室やスピリチュアリティ文化を題材として積極的に取り上げ,それらを戯画化することでユーモラスな世界を創造する。彼女の手法として重要なのは, 第一に,皇室ファン,またスピリチュアリティ文化の愛好者として,つまり作品の題材となる 文化のインサイダーとして自己規定しながら,同時にアウトサイダーとしての視点をも導入す る姿勢であり,第二に,さまざまなジャンル(皇室,スピリチュアリティ,女子校文化,芸能 ゴシップなど) の間の境界線を混線させて笑いを生みだすスタイルである。そのことにより,なめ子の作品は天皇制やスピリチュアリティに内包される権威性や差別性を機能不全に陥らせることに成功している。それは,外部者の立場から“本当のこと”を突きつけるという批判のスタイルが通用しない領域が広がっているなか,天皇制やスピリチュアリティ文化を構成する「空気」に亀裂を入れる批評の言語の可能性を示すものといえるのではないだろうか。
著者
山本 真也
出版者
京都大學人文科學研究所
雑誌
人文學報 = The Zinbun Gakuhō : Journal of Humanities (ISSN:04490274)
巻号頁・発行日
vol.100, pp.145-160, 2011-03

チンパンジーはヒ卜に最も近縁な進化の隣人である。生物学的にも「ヒト科チンパンジー」と分類される。筆者は,このようなチンパンジーとヒトを比較することにより. 「こころ」の進化について明らかにすることを目指してきた。本論文では,比較認知科学研究者の立場からこれまでの研究を概観し,チンパンジーとヒトの共通点と相違点について論じてみたい。長い間ヒトに特有と考えられてきた行動や特性の多くはチンパンジーでもみられることが明らかとなってきた。道具使用や文化の存在などである。社会的知性にかんしても同様である。たとえば利他行動では,自分には即時的な利益がなくても,チンパンジーが同種他個体の手助けをすることが実証的に示された。しかし,ヒ卜との違いも指摘されている。ヒ卜では他人が困っているのを見ると自発的に助けようとする心理が働くこともあるが,チンパンジーではこの自発的な手助けが稀だった。相手の要求に応じて手助けする。これがチンパンジーの特徴だと言えるかもしれない。チンパンジーとヒ卜でこのような違いがみられる理由に,それぞれの社会や生息環境の違いがあげられる。それぞれの種がそれぞれの環境に適応して進化してきた。その種にみられない知性や能力は,たんにその種にとって不必要だっただけかもしれない。主に植物性食物を食べるチンパンジーは,基本的に自分の食べ物は自分ひとりで確保することができる。それに対し,動物性食物に頼るようになったヒトでは,協力して狩りをし,獲物を分配する必要があったと考えられる。このような違いが手助け行動の自発性の違いにも表れているのではないだろうか。どちらが優でどちらが劣だという問題ではない。種を比較することで,それぞれの特徴を浮き彫りにする。その結果,自己および他者のアイデンティティーを尊重することにつながればと願っている。
著者
高野 昭雄
出版者
京都大學人文科學研究所
雑誌
人文學報 = The Zinbun Gakuhō : Journal of Humanities (ISSN:04490274)
巻号頁・発行日
vol.105, pp.141-159, 2014-06-30

本稿は,京都市左京区松ケ崎地区の近代における朝鮮人労働者の足跡について論じた。松ケ崎は,平安遷都にさかのぼる松ケ崎百人衆の伝承をもち,また鎌倉時代末期には全村挙げて日蓮宗に改宗するなど結束の強さを誇ってきた。その伝統は,現在でも,五山送り火の一つである「妙法」の送り火に受け継がれている。こういった歴史をもつ松ケ崎は,周辺地域に比べ,工業地としての開発が遅れていた。そのため松ケ崎の朝鮮人労働者は,隣接地区に比べ,人口も少なく,目立った存在ではなかった。それでも,第一次世界大戦時の大戦景気の中で,松ケ崎にも東洋ラミー織布会社の工場が作られ,朝鮮人労働者が就業した。大戦景気時に労働力が不足し,繊維産業に朝鮮人が従事する現象は,京都では西陣地区でも見られた光景である。その後,1920年代になると,京都市では人口が急激に増加する中で,社会基盤整備事業が活発に行われ,土工や砂利採取夫として就業する朝鮮人も急増する。松ケ崎でも,人口増加を支えるための浄水場が建設され,その配水池の工事を中心に,朝鮮人労働者が多数従事した。また浄水場の工事や高野川での砂利採取,京都高等工芸学校の建築工事には,朝鮮人労働者と被差別部落住民とが,ともに就業していた。土木建築業や砂利採取業に,朝鮮人労働者と被差別部落住民とが従事する形態も,京都市他地域と共通する現象であった。一般的に京都の在日朝鮮人について語られる際,戦後の状況もあって,東九条を中心とした京都市南部あるいは西部に言及されることが多かった。しかし,西陣や上賀茂,修学院といった北部にも朝鮮人が多く居住し,それぞれ特色ある就業形態をとっていた。また松ケ崎のような朝鮮人労働者が少ない地域においても,京都市の典型事例とも言うべき朝鮮人労働者の就業状況があった。
著者
中空 萌
出版者
京都大學人文科學研究所
雑誌
人文學報 = The Zinbun Gakuhō : Journal of Humanities (ISSN:04490274)
巻号頁・発行日
vol.107, pp.159-187, 2015-09-30

本論文では,現代インドにおいてアーユルヴェーダが生物医療,代替医療,知的所有権制度 といった異なる知識制度との関連の中でその性質を定義され続けている過程を,接触領域における「翻訳」に焦点を当てながら描く。 インドにおけるアーユルヴェーダと他の知識システムの混交をめぐるこれまでの研究は,「アーユルヴェーダの根底的なパラダイムは他のシステムと接触しても不変のままである」あるいは「生物医療の導入がアーユルヴェーダの身体・人格観を根本的に変容させた」という二極的な立場に収斂していた。これらの議論は両者とも,アーユルヴェーダとその他の知識を首尾一貫した知識=治療パラダイムとして捉えている。それに対し本論文では科学人類学的アプローチに従い,知識を固定的な知識「体系」ではなく,常に生成し続けている不安定な実践と捉えた上で,異なる知識間の接触領域においていかに翻訳可能性が部分的かつ偶発的に見いだされるのか,複雑な交渉と比較の過程を照射する。 具体的には,(1)独立後にアーユルヴェーダの制度化を推進しようとしたmisra 派の知識人たちによる,生物医療概念とアーユルヴェーダの諸概念の翻訳,(2) 1980年代以降のグローバルな代替医療の潮流の中で欧米人患者を受け入れる,アーユルヴェーダ医師の実践,(3) 2000年以降,グローバルな製薬開発をめぐる動きの中でアーユルヴェーダを知的財産化しようとする「国家」研究機関の科学者たちのプロジェクトを取り上げ,それぞれ具体的な翻訳の文脈の中で,「アーユルヴェーダとは何か」がいかに立ち表れているかを素描する。それにより,アーユルヴェーダと他の知識システムとの具体的接触場面で展開している事象とは,「アーユルヴェーダ の本質の残存/喪失」といった一面的プロセス,すなわち知識間の差異の消失ではなく,翻訳可能性と不可能性の間の曖昧な領域において,新たな知識や思想,アイデンティティを生み出すものであると主張する。
著者
武内 房司
出版者
京都大學人文科學研究所
雑誌
人文學報 = The Zinbun Gakuhō : Journal of Humanities (ISSN:04490274)
巻号頁・発行日
vol.108, pp.159-161, 2015-12-30

特集 : 日本宗教史像の再構築 --トランスナショナルヒストリーを中心として-- ≪第III部 :神の声を聴く --カオダイ教, 道院, 大本教の神託比較研究--≫
著者
山室 信一
出版者
京都大學人文科學研究所
雑誌
人文學報 = The Zinbun Gakuhō : Journal of Humanities (ISSN:04490274)
巻号頁・発行日
vol.101, pp.63-80, 2011-03

1895年から1945年の敗戦に至るまでの日本は, 日本列島弧だけによって成立していたわけではない。それは本国といくっかの植民地をそれぞれに異なった法域として結合するという国制を採ることによって形成されていったが, そこでは権利と義務が差異化されることで統合が図られていった。こうした日本帝国の特質を明確化するために, 国民帝国という概念を提起する。国民帝国という概念には, 第1に国民国家と植民地帝国という二つの次元があり, それが一体化されたものであること, しかしながら, 第2にまさにそうした異なった二つの次元から成り立っているという理由において, 国民帝国は複雑に絡み合った法的状態にならざるをえず, そのために国民国家としても植民地帝国としてもそれぞれが矛盾し, 拮抗する事態から逃れられなかった事実の諸相を摘出した。その考察を通じて, 総体としての国民帝国・日本の歴史的特質の一面を明らかにする。