著者
大西 公恵
出版者
和光大学現代人間学部
雑誌
和光大学現代人間学部紀要 (ISSN:18827292)
巻号頁・発行日
no.9, pp.57-70, 2016-03

国語教育は言語教育的側面と人格陶冶的側面のいずれを強調するか、すなわち形式主義と内容主義とのいずれを主たる目的とする教科であるかが長く論争となってきた。1930年代初期は、新教育思潮を背景として興隆した1920年代の文芸鑑賞論の潮流が、形象論にもとづき「理会」と認識を追究する形式主義へと転換する過渡期である。東京高等師範学校附属小学校で開催された第34回全国小学校訓導協議会では、国語科の教育目的が再考され、生活論と文芸鑑賞論との融合を目指して新しい国語教育の目標を構築しようとする試みがなされた。本稿では、同協議会での議論を通して、教師たちによる国語科の教育目的の再考および教科としての自律性の模索のありようを示す。
著者
太田 素子
出版者
和光大学現代人間学部
雑誌
和光大学現代人間学部紀要 (ISSN:18827292)
巻号頁・発行日
no.3, pp.185-196, 2010-03

KEISEIKAN-DIARY 1811-1853, consisting of two volumes, is very precious historical materials to examine a local school in Aizu district. The Aizu feudal clan had a policy to spread education to common people from the beginning, and after the KANSEI reform it struggled more consciously to enlighten people. Tanaka Yoshina and his son Shigeyoshi were assigned as instructors of KEISEIKAN by the feudal clan at first, and after the discontinuance of financial support by the clan, the school continued to exist for 33 years. A certain comparatively rich merchant in the town, all the boys entered a school, and the chosen girl entered it.
著者
髙坂 康雅
出版者
和光大学現代人間学部
雑誌
和光大学現代人間学部紀要 (ISSN:18827292)
巻号頁・発行日
no.7, pp.215-228, 2014-03

松井(1990, 2000)や飛田(1991)は、青年期の恋愛行動の分類を行い、恋愛行動の進展プロセスについて明らかにしているが、どの程度の交際期間でそれらが進展するのかについては明らかにしていない。そこで、本研究では、交際期間に伴う大学生の恋愛行動の進展を明らかにすることを目的とした。全3 回の縦断調査において、同一の恋人と交際していた大学生126 名(男子38 名、女子88 名)を対象に、各調査時点における恋愛行動の経験の有無を尋ねた。その結果、松井(1990, 2000)の第4 段階に位置づけられるような行動も、交際8 ヶ月程度までには多くの大学生が経験しており、その後、親密さを示す行動や親密になる過程で生じる葛藤行動が徐々に増えるが、結婚に関わる行動は、ほとんど経験されないことが明らかになった。
著者
児島 明
出版者
和光大学現代人間学部
雑誌
和光大学現代人間学部紀要 (ISSN:18827292)
巻号頁・発行日
no.2, pp.117-131, 2009-03

ニューカマー児童生徒教育や国際教室の登場には、それらの展開をある一定の方向に水路づけるべく作用してきた歴史的制約、すなわち経路依存性が深く関わっている。と同時に、複数の経路が複雑に交錯してもいる。こうした複雑に交錯する経路を解きほぐす作業は、ニューカマー児童生徒教育や国際教室が、現在、共通して直面している諸課題を理解するうえで欠かせない。しかし他方、ニューカマーの受け入れは、それぞれローカルな文脈のもとでなされるものである以上、ローカルな文脈に根差した固有の教育理念や実践を生みだし、場合によっては、そうした歴史的制約との間にある種の緊張関係をもたらしもする。こうした緊張関係は、実践の当事者にはさまざまな困難を強いるものではあるが、その一方で、ニューカマー児童生徒教育の多様な展開の可能性を暗示するものでもある。本稿では、神奈川県大和市の小中学校に設置された国際教室の事例に基づきながら、ニューカマー児童生徒教育の展開に内在する問題点と可能性について検討する。
著者
挽地 康彦
出版者
和光大学現代人間学部
雑誌
和光大学現代人間学部紀要 (ISSN:18827292)
巻号頁・発行日
no.2, pp.133-144, 2009-03

本稿は、高齢化を所与の傾向とみなし参加型・自立支援型の福祉社会をめざす現代の日本社会を批判的に考察するものである。近年の日本社会では、就労可能な高齢者はたとえリタイア期にあっても受益者に甘んじることははばかられ、積極的に社会を支えることが称揚されている。一方、社会関係が稀薄化し貧困化した高齢者は、受給条件の厳しくなった社会サービスから益々切り離されるばかりか、社会の「お荷物」として排除されつつある。このような認識のもとに、本稿では、高齢化する刑務所の内実に着目し、昨今の刑務所が国家に代わって福祉の代替的な機能を果たす側面を検証する。ケインズ主義を前提とする福祉国家が、「繁栄の時代」を象徴する歴史の一部になって久しい。ネオリベラルな福祉政策がセーフティネットから撤退する現代では、皮肉にも、犯罪者の社会復帰を担う刑務所が、社会から排除された高齢受刑者の雇用と生命の安全を忠実に引き受けているのである。
著者
西村 史子
出版者
和光大学現代人間学部
雑誌
和光大学現代人間学部紀要 (ISSN:18827292)
巻号頁・発行日
no.2, pp.79-91, 2009-03

日本の義務教育制度は、就学義務を原則としてきたが、近年の規制緩和の動向の中で、これは揺らぎつつある。1967(昭和42)年に導入された「義務就学猶予・免除者等の中学校卒業程度認定試験」は、当初は養護学校での教育もままならない病弱・虚弱の児童生徒に高等学校進学の希望を与えるための例外的措置であったが、養護学校の義務化、不登校生徒児童生徒や外国人子女への対策が講じられて、教育選択の自由を保障する一制度となっている。しかしながら現在では、むしろ日本の義務教育学校を利用できない、あるいはそれから除去された裕福ではない外国人子女に後期中等教育機関への進学を保障する救済機能を果たしつつあり、その教育費用の支弁の在り様を、日本国憲法の「義務教育の無償」規定を改めて見直しながら検討する段階を迎えている。