著者
林嵜 和彦 児島 明 山ノ内 裕子 中島 葉子 山本 晃輔
出版者
福岡教育大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2013-04-01

本研究は、日系ブラジル人のトランスマイグラントとしての側面に着目しながら、日本で教育を受けた経験のあるブラジル人青年のライフストーリを収集し、進路状況、文化的志向やアイデンティティ、被教育経験をあきらかにしようとした。そして、日本におけるブラジル人学校や、そのほかの日本の学校の機能、支援の在り方等を考察している。その結果、おおくの若者が、日本での被教育経験や生活経験をうまく活用しながら、ブラジルにおいて再チャレンジをはたす姿が見出された。また文化的な貢献として刷新された日本の文化や習慣が旧来の日系社会文化と混成される様子も観察された。
著者
児島 明
出版者
東洋館
雑誌
教育社会学研究 (ISSN:03873145)
巻号頁・発行日
vol.69, pp.65-83, 2001

The aim of this paper is to describe the moment when Japanese school culture changes by accepting" newcomer" children, from the point of view of the politics of "borders." The paper is based on observational data obtained in a Japanese class in a particular junior high school. The author focuses on the "border strategies" which a Japanese teacher worked out in order to position herself within the school or classroom, and explores the possibility that they changed the Japanese school. There exist various given "borders" within the Japanese school. Teachers often cope with newcomer children by depending on these given "borders." This can appear in a variety of forms, such as "marginalizing" the special Japanese class and Japanese teacher, "institutionalizing" the relationship with newcomer children, and permitting deviant behavior by newcomer children. All of these contribute toward maintaining the existing school culture. While teachers who teach Japanese in special Japanese classes for foreign children also often use the given "borders" to cope with newcomer children, they find themselves confronted with the contradiction that they themselves are marginalized by these same "borders." This experience can prompt them to reconsider the existing "borders" which they have depended on. The Japanese teacher whose experience is described in this paper positioned herself anew as a "mediator" able to provide a place where different "borders" crossed one another, by becoming aware through the experience of conflict that she did not fit any of the existing "borders" in the school culture. It gave her the chance to try to create a site for overcoming the given "borders" of the school culture within the Japanese class and in her relationship with other teachers.
著者
児島 明
出版者
鳥取大学
雑誌
挑戦的萌芽研究
巻号頁・発行日
2008

越境移動する人びとの教育に関する先行研究を検討して浮かび上がってきたことの一つに、いわゆる「若者の危機」について数多くの研究が蓄積されるなかにあって、移動する青年の「移行」については、ほとんどまともな研究がなされていないことがあった。これは、従来の移行研究が、「日本人」を前提としたナショナルな枠組みに暗黙のうちにとらわれ、移動あるいは移動する人びとの視点を欠いてきたことに起因するものと思われる。そこで、国境を越えた移動のなかで青年期を過ごすブラジル人青年の移行経験について、かれらが自身の「自立」や「自己実現」をどのように意味づけ生きているのかに注目し、日本とブラジル両国での聴き取り調査を行なった結果、かれらの語りからは、移動による獲得と喪失の経験をめぐって、「獲得の持続」「喪失への転化」「喪失の累積」「獲得への軌道修正」という四つの物語が析出された。とりわけ「獲得への軌道修正」は、度重なる移動による「喪失」経験の累積を断ち切る可能性として、移行支援の文脈からも興味深いものであった。ただし、「軌道修正」の可否は、当該の青年が居住する地域においてアクセス可能な諸資源の有無、あるいはそうした諸資源へのアクセスを可能にしてくれる知人・友人や支援団体(社会関係資本)の有無といった偶然性に大きく左右される。その意味では、ニューカマー青年の移行の結末は、かれらの自己決定ないし自己責任に安易に帰されるべきものではない。移行期を生きる青年はさまざまなゆらぎのなかを生きており、国境を越えた移動の経験もそうしたゆらぎをもたらす大きな要因の一つである。人間形成の途上にあって、ゆらぎながら生き方を模索する可塑的な存在としてニューカマー青年を理解し、どのような局面でどのような働きかけが望ましいかを熟慮することは、今後、ニューカマー青年に対する実効的な移行支援を構想するにあたり重要なポイントとなる。
著者
児島 明
出版者
和光大学現代人間学部
雑誌
和光大学現代人間学部紀要 (ISSN:18827292)
巻号頁・発行日
no.2, pp.117-131, 2009-03

ニューカマー児童生徒教育や国際教室の登場には、それらの展開をある一定の方向に水路づけるべく作用してきた歴史的制約、すなわち経路依存性が深く関わっている。と同時に、複数の経路が複雑に交錯してもいる。こうした複雑に交錯する経路を解きほぐす作業は、ニューカマー児童生徒教育や国際教室が、現在、共通して直面している諸課題を理解するうえで欠かせない。しかし他方、ニューカマーの受け入れは、それぞれローカルな文脈のもとでなされるものである以上、ローカルな文脈に根差した固有の教育理念や実践を生みだし、場合によっては、そうした歴史的制約との間にある種の緊張関係をもたらしもする。こうした緊張関係は、実践の当事者にはさまざまな困難を強いるものではあるが、その一方で、ニューカマー児童生徒教育の多様な展開の可能性を暗示するものでもある。本稿では、神奈川県大和市の小中学校に設置された国際教室の事例に基づきながら、ニューカマー児童生徒教育の展開に内在する問題点と可能性について検討する。