著者
加藤 聖文
出版者
国文学研究資料館
雑誌
国文学研究資料館紀要 アーカイブズ研究篇 = The Bulletin of The National Institure of Japanese Literature, Archival Studies (ISSN:18802249)
巻号頁・発行日
vol.50, no.15, pp.1-16, 2019-03-15

敗戦時に大量の公文書が焼却処分されたという証言は数多い。しかし、具体的に何が焼却対象となったのか、またどのような経路で焼却が指示されたのかについて明らかになっていない点は多い。本稿では、国内でわずかに残存する焼却指示文書を手がかりに、敗戦時の焼却は内務省系統と軍系統の二系統が存在し、焼却対象となったのは内務省系統では法令に基づいた機密文書であり、軍系統では動員関係文書が中心であったことを論証していく。また、筆者はこれまでの文書焼却をめぐる研究が進まなかった要因は、焼却対象となった機密文書や兵事関係文書に関する分析がほとんど行われていなかったことにあると考える。したがって、本稿では機密文書および兵事関係文書の構造にも触れることで、今後の研究の進展の足掛かりとする。There are many testimonies that a large number of official documents were disposed of by burning at directly after the end of WW2. However, it has not been completely clarified what official documents were disposed and how the disposition was ordered taking what routes. In this article, using documents of the disposition order slightly left in Japan as a clue, It will be demonstrated that the target of disposition were two types-classified documents were ordered by the Ministry of Home Affairs and mobilization documents were ordered by the military and naval forces-. In addition, a study on classified documents and military affairs documents is not making progress in Japan. Therefore, this paper also mentions the structure of classified documents and military affairs documents to make that to be a foothold for future progress of study.
著者
伊藤 陽平
出版者
国文学研究資料館
雑誌
国文学研究資料館紀要 アーカイブズ研究篇 = The Bulletin of The National Institure of Japanese Literature, Archival Studies (ISSN:18802249)
巻号頁・発行日
vol.51, no.16, pp.39-55, 2020-03-16

本論の目的は、1950~60年代に展開した公文書管理改善運動の中で、行政の意思決定の中核を担っていた稟議制の性格が変容する過程を考察することである。公文書管理改善運動を推進していた人事院、行政管理庁は、末端の起案者から決裁権者の行政長官までが印判を押す稟議制による意思決定を非効率的だと認識していた。戦後初期まで、稟議制は実務に長けたベテランの下級官僚の属人的能力によって運用されており、彼らの影響力をいかに抑えるかが大きな課題となった。高度成長が本格化すると、行政需要の高まりとともに決裁文書も増大した。加えて、財政悪化を抑制するため、公務員数も抑制する必要が生じた。その結果、少ない人員で大量の文書を扱うことができる能率的な行政意思決定が必要となった。こうした状況を背景に、行政管理庁による公文書管理改善運動の最中、決裁権限の委譲と決裁規則の整備が各省庁で進行し、属人的に運用されていた稟議制はよりシステマティックな性格を帯びていった。公文書管理改善運動は、ベテラン下級官僚の力量に依存した属人的行政運営から、一定のマニュアルに基づくシステマティックな行政運営への転換を、文書行政の側面から促進するものであったと言えよう。
著者
西口 正隆
出版者
国文学研究資料館
雑誌
国文学研究資料館紀要 アーカイブズ研究篇 = The Bulletin of The National Institure of Japanese Literature, Archival Studies (ISSN:24363340)
巻号頁・発行日
vol.52, no.17, pp.43-61, 2021-03-29

本稿は、土浦藩土屋家を事例に、大名家が所持する刀剣の管理方法や管理担当者、管理 記録作成の意義を検討するものである。これまで美術史以外の観点から分析されることが 少なかったが刀剣であるが、武器や鑑賞品としてのみならず、贈答品としても重宝された 代物であり、その贈答経緯や管理体制を分析することは重要である。そこで本稿では、土 屋家の腰物帳(刀剣台帳)を分析し、刀剣管理体制や管理者の職掌、刀剣の移動・移管経緯、 記録作成の特徴と意義の解明を試みた。その結果、①土屋家の刀剣は小納戸方道具掛が取 り扱い実務を行い、藩の上層役人である用人が統括していたこと、②腰物帳の作成と刀剣 管理は、代替わりを見据えて行われていたこと、③刀剣の主な移動契機は、α贈答・譲渡、 β姻戚・養子入りによる持参、γ当主・親類の持出しであり、α・βが約半数を占めること、 ④管理時には既存の腰物帳に追記・削除を繰り返すことで刀剣の所在や伝来を受け継いで いたこと、が明らかになった。 In this paper, we examined the significance of the management practice of a sword, the management person in charge and the management record making. Japanese swords were rarely analyzed from the angle besides the art history up to now. But it won't be only as a weapon and enjoyment items, and it's important to be the something who also came in handy as presents and analyze the present process and control system. So we analyzed Japanese swords ledger of Tsuchiya family, and elucidated a control system of swords, administrator's work, movement of swords, the transfer longitude and latitude, the feature of the record making and the significance. As a result, we elucidated the following 4 points. ①"Konando kata dougukakari" treated Japanese swords of Tsuchiya family, "Yonin" supervised it. ②Making of a ledger and Japanese swords management contemplated and did a head of a family change. ③Main movement opportunity of Japanese swords is the following three points:αpresent and transfer, βbringing by inlaw and an adopted child arrive, bringing by a head of a family and a relative. Among these β accounts for about half. ④Addition and elimination were repeated in a ledger of existence and existence of Japanese swords and introduction were inherited.
著者
西口 正隆
出版者
国文学研究資料館
雑誌
国文学研究資料館紀要 アーカイブズ研究篇 = The Bulletin of The National Institure of Japanese Literature, Archival Studies (ISSN:24363340)
巻号頁・発行日
vol.52, no.17, pp.43-61, 2021-03-29

本稿は、土浦藩土屋家を事例に、大名家が所持する刀剣の管理方法や管理担当者、管理 記録作成の意義を検討するものである。これまで美術史以外の観点から分析されることが 少なかったが刀剣であるが、武器や鑑賞品としてのみならず、贈答品としても重宝された 代物であり、その贈答経緯や管理体制を分析することは重要である。そこで本稿では、土 屋家の腰物帳(刀剣台帳)を分析し、刀剣管理体制や管理者の職掌、刀剣の移動・移管経緯、 記録作成の特徴と意義の解明を試みた。その結果、①土屋家の刀剣は小納戸方道具掛が取 り扱い実務を行い、藩の上層役人である用人が統括していたこと、②腰物帳の作成と刀剣 管理は、代替わりを見据えて行われていたこと、③刀剣の主な移動契機は、α贈答・譲渡、 β姻戚・養子入りによる持参、γ当主・親類の持出しであり、α・βが約半数を占めること、 ④管理時には既存の腰物帳に追記・削除を繰り返すことで刀剣の所在や伝来を受け継いで いたこと、が明らかになった。 In this paper, we examined the significance of the management practice of a sword, the management person in charge and the management record making. Japanese swords were rarely analyzed from the angle besides the art history up to now. But it won't be only as a weapon and enjoyment items, and it's important to be the something who also came in handy as presents and analyze the present process and control system. So we analyzed Japanese swords ledger of Tsuchiya family, and elucidated a control system of swords, administrator's work, movement of swords, the transfer longitude and latitude, the feature of the record making and the significance. As a result, we elucidated the following 4 points. ①"Konando kata dougukakari" treated Japanese swords of Tsuchiya family, "Yonin" supervised it. ②Making of a ledger and Japanese swords management contemplated and did a head of a family change. ③Main movement opportunity of Japanese swords is the following three points:αpresent and transfer, βbringing by inlaw and an adopted child arrive, bringing by a head of a family and a relative. Among these β accounts for about half. ④Addition and elimination were repeated in a ledger of existence and existence of Japanese swords and introduction were inherited.
著者
高見 純
出版者
国文学研究資料館
雑誌
国文学研究資料館紀要 アーカイブズ研究篇 = The Bulletin of The National Institure of Japanese Literature, Archival Studies (ISSN:18802249)
巻号頁・発行日
vol.51, no.16, pp.17-37, 2020-03-16

13世紀以来、イタリア北中部では都市政府による記録文書の保存と管理が本格的に開始された。干潟の大商業都市ヴェネツィアも例外ではなく、15世紀以降に書記局を中心に過去の記録を整理し、文書形成と管理を拡大的に整備・進展させ、現在でも、ヨーロッパで有数の量の記録文書を伝え際だった存在感を示す。 これまで、ヴェネツィアの文書管理については、書記局官僚の形成とともに、主に都市政府による統治・行政の範囲内で解明が進んできた。一方で、都市政府という枠組みの外にある民間実践については、十分な検討が進んでこなかった。 そこで、本稿では、13世紀に成立し、15世紀以降に都市の主要な慈善団体の1つとして近世まで大きな存在感を有し続けた大規模宗教兄弟会を事例にして、同団体による文書管理を検討する。それによって、慣習法の蓄積への対応に追われた都市政府による管理との類似性が指摘されるとともに、15世紀から16世紀前半にかけて多くの遺産管理を担うことになった同団体の事情が文書管理に及ぼした影響も考察される。また、本稿の事例によって、都市ヴェネツィアにおける幅広い<アーカイブズ実践>の社会状況についての一端を明らかにすることも期待される。
著者
澤井 一彰
出版者
国文学研究資料館
雑誌
国文学研究資料館紀要 アーカイブズ研究篇 = The Bulletin of The National Institure of Japanese Literature, Archival Studies (ISSN:24363340)
巻号頁・発行日
vol.53, no.18, pp.3-20, 2022-03-18

トルコ共和国は、日本と同様に地震多発国として知られる。その最大の都市であり、オスマン朝期(c.1300-1922年)には都として栄えたイスタンブルもまた、巨大なものだけでも1509年、1648年、1719年、1766年そして1894年と5度にわたって地震が発生し、そのたびに甚大な被害を受けてきた。 かつて、オスマン朝の宮廷が置かれていたイスタンブルのトプカプ宮殿に付属する文書館には、ひとつの史料が伝世している。D.9567の分類番号をもつ同史料は、ある巨大地震の後に、被災した多くの建築物を修復、再建するために行われた調査の記録である。 近年、公刊されたイスタンブルの災害史料集において、このD.9567はスレイマン1世時代(1520-1566年)の文書として紹介された。しかしD.9567には、スレイマン1世期以降に建設された複数の建物の罹災記録が残されており、また先行研究では、1648年の大地震による史料とする主張と、1766年の大地震によるものとする見解とが対立している。 本稿は、D.9567の全文を翻訳して紹介するとともに、それが作成された経緯について、先行研究で示されてきた史料的根拠を再検証する。さらに、別系統の史料も用いながら、D.9567が上記のいずれでもない、1719年の大地震によって作成されたものである可能性がきわめて高い、という新たな仮説を提示するものである。 The Republic of Turkey is known as a country where earthquakes occur frequently like Japan.Istanbul, its largest city and prospered as a capital during the Ottoman period (c.1300-1922), was also hit bymany earthquakes and suffered great damage each time. There were five earthquakes in 1509, 1648, 1719,1766 and 1894, even if counting only the huge ones.One historical document is held in the archive attached to the Topkapi Palace in Istanbul, wherethe Ottoman court was once located. This document, with the classification number D.9567, is a recordof investigations conducted to restore and reconstruct many buildings damaged by a major historicalearthquake.Recently, D.9567 was introduced as a document of the Suleyman the Magnificent era (1520-1566) inthe published archives of historical disasters in Istanbul. However, D.9567 contains a record of the damage tobuildings built after his reign. Also, in previous studies, the claim that D.9567 was a historical source of the1648 earthquake and the view that it was due to the 1766 earthquake are at odds with each other.This paper translates the full text of D.9567 and reexamines the historical grounds shown in previousstudies as to how this document was created. In addition, this paper also presents a new hypothesis thatD.9567 is likely to have been created by the 1719 earthquake, which is neither of the above, using othersources.
著者
西口 正隆
出版者
国文学研究資料館
雑誌
国文学研究資料館紀要 アーカイブズ研究篇 = The Bulletin of The National Institure of Japanese Literature, Archival Studies (ISSN:24363340)
巻号頁・発行日
vol.54, no.19, pp.39-62, 2023-03-24

本稿は、アーカイブズと「モノ資料」の関係を通して、土浦藩主を務めた子爵土屋家における刀剣管理と、それに伴う文書実践(記録作成)の事例を検討するものである。アーカイブズ資源研究では、文書の作成・保管・選別に関する分析が進んできたが、「モノ資料」の管理に伴う文書の作成・保管・利活用についても対象にする必要がある。 まず、土屋家における家職の職掌を確認したうえで、彼らの文書作成規定を分析した。これにより、土屋家における文書作成や利活用は家職のうち、主に家令や家扶が掌っていたことが明らかとなった。また土屋家の家宝や道具類の管理と、それに伴う記録の作成・利活用は家扶が担っていた。 次に、土屋家で行われていた宝物等の管理と記録作成について刀剣を事例に検討した。刀剣台帳に記載された刀剣類は刀箪笥に容れて保管されており、各刀剣類の袋には台帳番号が付された木札が据えられていた。この木札の番号を基に刀剣台帳と照合し、移動や紛失の有無を確認していた。照合が済むと、刀剣台帳に確認済みを示す印を記載するという過程を例年繰り返していたことが明らかとなった。刀剣台帳には、後筆で鑑定・評価に関する記載がなされていた。したがって、刀剣台帳は管理台帳としての本来の用途に加え、鑑定・評価といった鑑賞も含めた用途へ変化した可能性も指摘した。 Through the relationship between archives and utensils, this paper examines the case of sword management and the accompanying documentary practice (record making) in the Viscount Tsuchiya family, which served as the lord of the Tsuchiura domain.While archival resource studies have made progress in analyzing the creation, storage, and sorting of documents, it is necessary to also target the creation, storage, and utilization of documents associated with the management of utensils.First, after confirming the duties of the household positions in the Tsuchiya family, we analyzed the regulations for their document production. This reveals that the creation and utilization of documents in the Tsuchiya family was mainly handled by the family orderlies and family support staffs.In addition, the family support staffs were responsible for the management of the Tsuchiya family heirlooms and tools, as well as the creation and utilization of the associated records.Next, the management of treasures and record keeping in the Tsuchiya family were examined using swords as a case study.The swords listed in the sword ledger were stored in sword chests, and a wooden tag with the ledger number was attached to the bag of each sword.Based on the numbers on these wooden tags, the swords were checked against the sword ledger to see if they had been moved or lost.The sword ledger appended a postscript regarding appraisal and evaluation.Therefore, in addition to its original use as a management ledger, the sword ledger may have changed its use to include appreciation, such as appraisal and evaluation.
著者
安江 範泰
出版者
国文学研究資料館
雑誌
国文学研究資料館紀要 アーカイブズ研究篇 = The Bulletin of The National Institure of Japanese Literature, Archival Studies (ISSN:24363340)
巻号頁・発行日
vol.53, no.18, pp.149-158, 2022-03-18

本論文は、国重要文化財「京都府行政文書」を検討素材として、地方自治体が残す歴史的行政文書の史料学的な分析方法を提起する。 まず、京都府行政文書を個別文書別・時代別・事務別に分節化し、観点ごとにその構成を把握した。次いで、各府県が保有する同様の文書群との比較を通じて、明治期文書や農林・商工関係文書の構成比が小さい、残存する郡役所文書が少ない、昭和戦前期の文書の残存状況が良好、といった特徴が照射された。その上で、明治から太平洋戦争敗戦に至る京都府における行政活動や行政文書の蓄積・廃棄の歴史的経験を参照すると、以上にみた、京都府行政文書の構成上の諸特徴が形成される経緯を特定することがある程度まで可能であることが判明した。また各府県の事例の比較から、文書管理上の経験の共通性と差異、そしてそれが各府県の行政文書の現状にどのような影響を与えたのかも示唆された。 こうした検討事例を踏まえ、文書の内容構成の分析結果、文書の伝来に関する歴史的情報、文書間の比較から判明する情報を有機的かつ効果的に組み合わせるという方法をとることが、当該歴史的行政文書に対する史料学的理解を深め、従来の見解を乗り越える上で必要であることを問題提起する。 This paper proposes an approach to analysis historical documents of local governments, dealing withKyoto Prefectural Administrative Documents, a national important cultural property as example.First, we grasp the construction of the documents from plural viewpoins of kinds of includeddocuments, era and affairs. Secondly, by comparison with documents of other governments, the feature hasbecome clear that a rate of existing documents made in Meiji period, ones related to affairs of commerce,industry, agriculture and forestry, and ones of the Gun-offices is low, on the other hand a rate of ones made inShowa period is high. In addition, referring to the administrative activities and the record of management ofthe documents from Meiji to the defeat in WW2, we can guess to a certain extent how the above feature hasformed. And we can know community and difference of experiences of the management of documents, andwhat effect they had on present condition of each document.Through the above examination, we can say that it is necessary to effectively combine pieces ofinformation gained from analysis of the construction and transmission about the documents and comparisonwith others in order to develop an understanding on historical materials study.
著者
藤實 久美子
出版者
国文学研究資料館
雑誌
国文学研究資料館紀要 アーカイブズ研究篇 = The Bulletin of The National Institure of Japanese Literature, Archival Studies (ISSN:24363340)
巻号頁・発行日
vol.52, no.17, pp.1-42, 2021-03-29

徳川幕府・藩のアーカイブズ研究は、幕府の寺社奉行所研究などに牽引されて大きく進 展してきた。そのうえで、今後に期待されるのは、奉行所内部の各部局の実務者レベルの アーカイブズ研究ではないか。もっともそこには公文書と「家」で作成・蓄積された文書・ 記録との関係という複雑さが含まれているのだが、本論文では開国後に新設された江戸の 町奉行所の外国掛下役(同心)および詰所を中心に据えて考える。 まず、旧幕引継書類の請求番号808-23「日記」を分析する。所蔵館(国立国会図書館) はこれをひとつの「かたまり」とする。だが組織体にもとづいて分析すると、各国総領事 館・公使館・仮旅宿・接遇所詰(宿寺詰)が作成した詰所日記20冊をその階層構造から「ア イテム(単体)の集合体」として捉えることができる。 詰所日記の分析からは宿寺詰の勤務体制が明らかになる。また詰所日記は記主が日々替 わるという近世社会の日記の1類型の特徴をもつことに加えて、修正の痕跡が多くみられ る。修正の痕跡は勤務状況を反映している。 つぎに請求番号808-26「外国人買物」ほかを分析する。宿寺の機能と外国掛下役の職 務は多岐にわたったが、そのうち外国人への江戸での商品売渡管理制度を明らかにする。 また綴り帳「外国人買物」の内的秩序を推察し、届書の出所を各宿寺・町奉行所に大きく 分類する。基礎データとして外国人への商品売渡販売者などを一覧表にまとめて示す。 The structural analysis of the documents and records prepared and stored by the departments of Edo Machi Bugyo’s offices still requires much elucidation. This paper analyzes the documents and records prepared and stored by minor officials in charge of foreign affairs at magistrate’s offices, examining papers inherited from the Tokugawa shogunate that are now held by the National Diet Library. The National Diet Library views call number 808-23 “Diaries” as a single series, but from the perspective of archival science, we found 20 tsumesho nikki for various countries’ consulates general, legations, provisional inns, and reception venues for Ansei 6 (1859)–Mannen 1 (1860). By analyzing the contents of the tsumesho nikki, this paper considers the documents and records in the manner of restoration, and discusses the nature of the duties of minor officials in charge of foreign affairs at shuku-tera-tsume from the tsumesho nikki’s “sense of noise.” Subsequently, in relation to the nature of “Foreigners’ purchases” (call number 808-26) and other documents, we confirm the obligation to submit a “toritsuketou shinasho, regular custom list” (todokesho, notification) borne by the headman of the town where the seller and seller’s store were located and analyze the contents.
著者
岩淵 令治
出版者
国文学研究資料館
雑誌
国文学研究資料館紀要 アーカイブズ研究篇 = The Bulletin of The National Institure of Japanese Literature, Archival Studies (ISSN:24363340)
巻号頁・発行日
vol.53, no.18, pp.49-69, 2022-03-18

前近代の日本において、最も都市が発達したのは江戸時代であり、人々は大規模な火災を頻繁に体験した時代だった。 従来の研究は、火災の頻度と、防火設備や消防の体制を検討してきた。たとえば、政治的な中心都市で、最大の城下町であった江戸については、火災の頻度が非常に高い「火災都市」と名付け、とくに防災政策と町人の消防組織を検討している。しかし、都市住民については、被災することに馴れており、「宵越しの金は持たない」ことなどが美徳とされたというイメージが定着している。 そこで、本稿では、江戸時代に刊行された消防に関する教訓書・マニュアル〈消防教訓書〉に注目し、当時の都市民の消防意識を検討した。まず〈消防教訓書〉の概要をみる。その上で、江戸で刊行された『鎮火用心集』(享保16年〈1731〉初板)を検討し、中心を占めるのは火災の予防と出火後の待避であったことを明らかにした。読者の関心は自身の家財と生命をいかに守るか、という点にあったのである。 さらに、曲亭馬琴の火事体験の叙述を検討し、自身を含む家族の生命と家財の保全にかかわる記載がほとんどであることが確認できた。 支配側からの指導やインフラ整備ではなく、こうした民衆知の蓄積を通して、火災による被災に対応できていたことが、日本の江戸時代の都市住民の達成だと評価したい。 In Edo period saw the development of cities and also numerous city fires. However, while we knowrelatively well about the shogunate’s firefighting measures and also urban firefighting organizations whichdeveloped rapidly in this period, historians have paid little attention to how ordinary urban citizens dealtwith fires. And historians have argued only that Edo citizens (commonly called Edokko) had the habit of notkeeping many household belongings because they were very used to being affected by fires. However, suchcharacterization of Edokko was based on fictional characters in novels to be used to idealize the Edo period.Therefore it requires serious reconsideration.The firefighting textbooks demonstrated that what was most important for Edo citizens was toprotect their lives and household belongings. Furthermore, it was confirmed that most of the descriptionsof Kyokutei Bakin's fire experience were related to the protect his and his famiiys their lives and householdbelongings.Thus, if Edo citizens should get credit for accumulating firefighting knowledge, and achieving a formof ‘self-protection’, they were also displaying much more selfishness than what the idealized vision of Edokkohas suggested so far.
著者
藤實 久美子
出版者
国文学研究資料館
雑誌
国文学研究資料館紀要 アーカイブズ研究篇 = The Bulletin of The National Institure of Japanese Literature, Archival Studies (ISSN:24363340)
巻号頁・発行日
vol.52, no.17, pp.1-42, 2021-03-29

徳川幕府・藩のアーカイブズ研究は、幕府の寺社奉行所研究などに牽引されて大きく進 展してきた。そのうえで、今後に期待されるのは、奉行所内部の各部局の実務者レベルの アーカイブズ研究ではないか。もっともそこには公文書と「家」で作成・蓄積された文書・ 記録との関係という複雑さが含まれているのだが、本論文では開国後に新設された江戸の 町奉行所の外国掛下役(同心)および詰所を中心に据えて考える。 まず、旧幕引継書類の請求番号808-23「日記」を分析する。所蔵館(国立国会図書館) はこれをひとつの「かたまり」とする。だが組織体にもとづいて分析すると、各国総領事 館・公使館・仮旅宿・接遇所詰(宿寺詰)が作成した詰所日記20冊をその階層構造から「ア イテム(単体)の集合体」として捉えることができる。 詰所日記の分析からは宿寺詰の勤務体制が明らかになる。また詰所日記は記主が日々替 わるという近世社会の日記の1類型の特徴をもつことに加えて、修正の痕跡が多くみられ る。修正の痕跡は勤務状況を反映している。 つぎに請求番号808-26「外国人買物」ほかを分析する。宿寺の機能と外国掛下役の職 務は多岐にわたったが、そのうち外国人への江戸での商品売渡管理制度を明らかにする。 また綴り帳「外国人買物」の内的秩序を推察し、届書の出所を各宿寺・町奉行所に大きく 分類する。基礎データとして外国人への商品売渡販売者などを一覧表にまとめて示す。 The structural analysis of the documents and records prepared and stored by the departments of Edo Machi Bugyo's offices still requires much elucidation. This paper analyzes the documents and records prepared and stored by minor officials in charge of foreign affairs at magistrate's offices, examining papers inherited from the Tokugawa shogunate that are now held by the National Diet Library. The National Diet Library views call number 808-23 "Diaries" as a single series, but from the perspective of archival science, we found 20 tsumesho nikki for various countries' consulates general, legations, provisional inns, and reception venues for Ansei 6 (1859)–Mannen 1 (1860). By analyzing the contents of the tsumesho nikki, this paper considers the documents and records in the manner of restoration, and discusses the nature of the duties of minor officials in charge of foreign affairs at shuku-tera-tsume from the tsumesho nikki's "sense of noise." Subsequently, in relation to the nature of "Foreigners' purchases" (call number 808-26) and other documents, we confirm the obligation to submit a "toritsuketou shinasho, regular custom list" (todokesho, notification) borne by the headman of the town where the seller and seller's store were located and analyze the contents.
著者
高見 純
出版者
国文学研究資料館
雑誌
国文学研究資料館紀要 アーカイブズ研究篇 = The Bulletin of The National Institure of Japanese Literature, Archival Studies (ISSN:18802249)
巻号頁・発行日
vol.51, no.16, pp.17-37, 2020-03-16

13世紀以来、イタリア北中部では都市政府による記録文書の保存と管理が本格的に開始された。干潟の大商業都市ヴェネツィアも例外ではなく、15世紀以降に書記局を中心に過去の記録を整理し、文書形成と管理を拡大的に整備・進展させ、現在でも、ヨーロッパで有数の量の記録文書を伝え際だった存在感を示す。 これまで、ヴェネツィアの文書管理については、書記局官僚の形成とともに、主に都市政府による統治・行政の範囲内で解明が進んできた。一方で、都市政府という枠組みの外にある民間実践については、十分な検討が進んでこなかった。 そこで、本稿では、13世紀に成立し、15世紀以降に都市の主要な慈善団体の1つとして近世まで大きな存在感を有し続けた大規模宗教兄弟会を事例にして、同団体による文書管理を検討する。それによって、慣習法の蓄積への対応に追われた都市政府による管理との類似性が指摘されるとともに、15世紀から16世紀前半にかけて多くの遺産管理を担うことになった同団体の事情が文書管理に及ぼした影響も考察される。また、本稿の事例によって、都市ヴェネツィアにおける幅広い<アーカイブズ実践>の社会状況についての一端を明らかにすることも期待される。
著者
細谷 篤志
出版者
国文学研究資料館
雑誌
国文学研究資料館紀要 アーカイブズ研究篇 = The Bulletin of The National Institure of Japanese Literature, Archival Studies (ISSN:24363340)
巻号頁・発行日
vol.52, no.17, pp.81-111, 2021-03-29

本稿では、近世朝廷における組織的な記録管理の実態について、口向を事例に検討した。 口向とは、近世において御所の日常業務を管掌した組織・空間のことで、そこに勤仕し た実務担当者を口向役人という。彼らは、朝廷内での広範な実務や雑務に対応した役職に 就き、朝廷の円滑な運営に貢献した。また、江戸幕府から派遣された旗本の禁裏付武家が 実質的に口向役人の任免を司ったことから、口向は幕府による朝廷統制の末端に位置づい ていたといえる。 その役人集団のなかに、文書・記録管理に専従する役職として「日記役」があった。正 徳5年(1715)の設置以来、幕末まで計64名の就任が確認される。同役が筆録した記録 には「禁裏執次所日記」があり、その一部である計71冊が宮内庁書陵部に現存している。 収載内容は、口向役人に関する事柄のほか、朝廷の年中行事や、天皇・公家らの相続、幕府・ 諸大名による朝廷献上物など、きわめて多岐にわたる。 同記録は、口向の筆頭職「取次」が職務上の必要から利用したものと思われるが、その作成や簡便な利用のために、日記役を中心として口向の諸職が組織的に動員された。さら に記録の情報源は、朝廷の各部署などから取次にもたらされた文書類が中心であったと みられる。したがって、朝廷全体での出来事を総括した公的記録たる「禁裏執次所日記」 の管理は、口向の組織的基盤と取次の情報集積機能によって存立していたと考えられる。The example of “Kuchimuki” is used in this paper to examine the actual circumstances of systematic records management in the early modern imperial court. “Kuchimuki” refers to the organization responsible for the daily work of the early modern imperial palace. The persons in charge of the organization’s business are known as “Kuchimuki-yakunin”. These individuals hold positions that correspond to various businesses in the imperial court and contribute to its smooth operation. Among these groups of officials, there is a position known as “Nikki-yaku” that is dedicated to records management. These individuals write the Kinri-Toritsugisho-Nikki, in which various events of the imperial court have been recorded. Seventy-one books still exist in the archives and the Mausolea Department of the Imperial Household Agency. These records were thought to be used by “Toritsugi”, the primary profession of “Kuchimuki”, because of its duties. The various “Kuchimuki” professions were systematically mobilized for its creation and simplified use centering on “Nikki-yaku”. The information sources for these records were also thought to center on the documents brought to “Toritsugi” by each department of the imperial court.
著者
福武 亨
出版者
国文学研究資料館
雑誌
国文学研究資料館紀要 アーカイブズ研究篇 = The Bulletin of The National Institure of Japanese Literature, Archival Studies (ISSN:18802249)
巻号頁・発行日
vol.51, no.16, pp.93-109, 2020-03-16

本稿では、愛知医科大学の事例を中心に実務的な立場から私立医科大学の現状と課題を把握し、今後の私立医科大学における大学アーカイブズの展望を示すため,アンケート調査と取材を行い他大学との比較を通して考察を試みる。私立医科大学アーカイブズは,機関アーカイブズと収集アーカイブズの側面から課題がある。機関アーカイブズにおける課題は、アーカイブズが法人文書の廃棄、移管について関わっている大学が少ないことである。そこには大学アーカイブズ側と文書を流入させる側の課題がある。大学アーカイブズ側の課題は、大学アーカイブズが法人文書の評価選別を行う際の課題であり,大学内の特定の個人や集団に由来した偏りのある判断を避け,学内外に説得的であることが重要である。文書を流入させる側の課題は,各部署による大学アーカイブズへの移管がうまくいかず廃棄されるという課題であり、大学アーカイブズは、各部署に出向いて現物をみる、現況等を聞くといった各部署とのやりとりが重要である。次に、収集アーカイブズにおける課題は、所蔵点数が少ないことである。愛知医科大学アーカイブズの事例に加え、聖路加国際大学の事例では,学生への広報を取り上げ,金沢医科大学の事例では,所蔵点数の多さを裏付ける出版物、写真等の自動的収集について取り上げる。今後の展望として医科大学においてはカルテ等も大学アーカイブズの収集対象になりえることも触れる。
著者
白山 友里恵
出版者
国文学研究資料館
雑誌
国文学研究資料館紀要 アーカイブズ研究篇 = The Bulletin of The National Institure of Japanese Literature, Archival Studies (ISSN:18802249)
巻号頁・発行日
vol.51, no.16, pp.75-91, 2020-03-16

本論文は、民間病院におけるアーカイブズ構築のために、記録のおかれている情況や特性を整理し、そのモデルを提示することを目的とする。私たちの多くが病院で誕生し、亡くなる今日の社会において、そこで生み出される記録は私たちの生活や人生に密接に関わる。しかし、医療アーカイブズのなかでも病院の記録はアーカイブズ構築が未発達な分野であることが指摘されているが、医療関係者の側に立ったプランの提案がなされてこなかった。よって本論文では、医療アーカイブズのなかでも病院の記録に焦点を当て、アーカイブズ構築のために何が必要であるのかを検討した。 具体的には、関連する法律やガイドラインから病院における管理の現状を確認し、併せて病院の記録の特性を整理する。次に個人情報保護法と密接に関連する点に着目し、それゆえ医療関係者との協力が他分野よりも必要とされることを指摘する。このときアーキビストと連携する存在として、診療情報管理士に注目する。この役職は病院の記録のなかで扱いに慎重さが要請される診療記録を管理する存在であり、病院における一種のレコードマネージャーの役割を担っている。最後にアーキビストと診療情報管理士との連携を前提とした民間病院におけるアーカイブズ構築のモデルプランを検討することで、病院アーカイブズ構築に向けた展望としたい。
著者
藤本 貴子
出版者
国文学研究資料館
雑誌
国文学研究資料館紀要 アーカイブズ研究篇 = The Bulletin of The National Institure of Japanese Literature, Archival Studies (ISSN:18802249)
巻号頁・発行日
vol.51, no.16, pp.57-73, 2020-03-16

本稿では、文化庁国立近現代建築資料館(以下、建築資料館)で収蔵している大髙正人建築設計資料群を事例に、近現代建築資料の編成記述について検討する。大髙正人(1923−2010)は、建築のみならず都市計画の分野でも活躍した建築家である。当該資料群はその活動の幅広さを反映しており、建築設計図面に加えて、大判の都市計画図や大量の報告書等も含まれている。建築資料館は2013年の開館以来、近現代建築資料の収集や展覧会開催を通じての活用とともに、資料整理の方法についても検討を行ってきた。その過程を振り返り、整理方法の再検討を行ったうえで、早期の閲覧公開を実現することを目指す観点から、近現代建築資料の編成記述方法について考察し、今後の課題について述べる。