著者
林 茂樹
雑誌
摂南大学教育学研究 = Bulletin of Educational Research of Setsunan University (ISSN:13498118)
巻号頁・発行日
no.12, pp.17-30, 2016-03

本稿は、小学校の「帰りの会」における1 日の反省の場が、個人に対する「吊し上げ」や「責任追及」の場に変化するメカニズムを、教室内の相互行為と秩序形成という視点から明らかにしようとしたものである。現在では、「班・核・討議づくり」の方法論による「学級集団づくり」の影響はほとんどないと考えられる。他方で、班・係・日直等の学級集団内の組織や役割、朝の会・帰りの会という短時間の学級活動は広く定着している。そして、子どもたちは、学級集団内での生き残りをかけ、体験にもとづく、状況依存的な行為選択を日々行っている。戦後の学級活動についての制度史的・実践史的展開に関する社会学的な解釈を踏まえ、1 日の終わりの反省の場が「吊し上げ」、あるいは「責任追及」に変化する場面を教室内の社会現象が構築される過程として捉え直した。そして、教室内の相互行為による秩序形成という視点で具体的な対面場面での子どもたちの振舞いの意味を解釈することにより、意図せざる結果として、「学級裁判」と形容される場面が創り出されることを指摘した。
著者
林 茂樹
雑誌
摂南大学教育学研究 = Bulletin of Educational Research of Setsunan University (ISSN:13498118)
巻号頁・発行日
no.12, pp.17-30, 2016-03

本稿は、小学校の「帰りの会」における1 日の反省の場が、個人に対する「吊し上げ」や「責任追及」の場に変化するメカニズムを、教室内の相互行為と秩序形成という視点から明らかにしようとしたものである。現在では、「班・核・討議づくり」の方法論による「学級集団づくり」の影響はほとんどないと考えられる。他方で、班・係・日直等の学級集団内の組織や役割、朝の会・帰りの会という短時間の学級活動は広く定着している。そして、子どもたちは、学級集団内での生き残りをかけ、体験にもとづく、状況依存的な行為選択を日々行っている。戦後の学級活動についての制度史的・実践史的展開に関する社会学的な解釈を踏まえ、1 日の終わりの反省の場が「吊し上げ」、あるいは「責任追及」に変化する場面を教室内の社会現象が構築される過程として捉え直した。そして、教室内の相互行為による秩序形成という視点で具体的な対面場面での子どもたちの振舞いの意味を解釈することにより、意図せざる結果として、「学級裁判」と形容される場面が創り出されることを指摘した。
著者
吉田 佐治子 薮中 征代
雑誌
摂南大学教育学研究 = Bulletin of Educational Research of Setsunan University
巻号頁・発行日
no.11, pp.33-46, 2015-01

小学校1・2年生を対象に,幼児期における家庭での絵本の読み聞かせの状況,現在の読書に対する態度等を調査した。その結果は以下の通りであった。すなわち,幼児期に絵本の読み聞かせをしてもらったこどもは,絵本の読み聞かせが好きであり,現在も読み聞かせてもらっており,自分でも絵本を読んでいた。現在,絵本以外の本についても読んでもらっており,自分でも読んでいた。さらには,幼児期に絵本の読み聞かせをしてもらったこどもは,現在,本を読むことが好きであると答えており,読書量も多かった。以上のことから,幼児期の絵本の読み聞かせは,就学後の読書に影響を与えていることが示された。
著者
森 均
雑誌
摂南大学教育学研究 = Bulletin of Educational Research of Setsunan University (ISSN:13498118)
巻号頁・発行日
no.15, pp.15-39, 2019-03

近畿高等学校統一応募用紙は、昭和46(1971)年度から使用が始まり、就職差別の防止に大きな役割を果たしてきた。その後、改定が繰り返されてきたがその過程や意義を明らかにした論考はない。そこで、本論考では近畿高等学校統一応募用紙の紹介書と履歴書に着目し、その改定の歴史を明らかにするとともに、それぞれの意義を考察することによって人権意識のさらなる涵養に寄与することを目的とする。
著者
大野 順子
雑誌
摂南大学教育学研究 = Bulletin of Educational Research of Setsunan University (ISSN:13498118)
巻号頁・発行日
no.18, pp.11-24, 2022-03

本稿は、第二次世界大戦後、軍国主義から民主主義へ社会状況が変化する中で、アメリカより「経験主義」が教育課程に導入された状況を概観し、さらに、それが1958年の教育課程改訂において排除された教育課程改訂のプロセスについて、改めて整理しなおし、検討したものである。特に、「経験主義」が当時の教育課程から排除された理由には、その無計画性や系統的でないこと。内容が個人的であり、人間性重視で普遍的知識の学習を軽視していることなどが指摘され、「はいまわる経験主義」として批判された。しかしながら、実は、経験主義的な学びは知識軽視の学びではなく、むしろ知識を経験学習に加えていくことでより子どもたちの学びが深まること。そして、個人的な学びと言われがちではあるが、個人の経験を通して導き出される普遍的知識が存在すること。さらには、そもそも「経験」をともなわない学びは真の学びとならないという指摘があることから、「経験と知識をつないだ学び」が本来教育課程には重要であり、「経験主義」こそ学力と人間性の両者をつなぐものとなることを指摘した。また、こうした学習理論は、近年の教育課程改訂においても「アクティブラーニング」の導入や「社会に開かれた教育課程」などのように注目されている点についても述べた。
著者
森 均
雑誌
摂南大学教育学研究 = Bulletin of Educational Research of Setsunan University (ISSN:13498118)
巻号頁・発行日
no.18, pp.69-77, 2022-03

各学校の校長は、少子化の進行だけではなく社会が大きく変化する中、日々さまざまなストレスにさらされながら業務を遂行しているが、中でも電話、携帯電話に届くメール、突然の来訪者等の対応もストレスを高める一因になっていると考える。本論考ではこの点に着目し、筆者が高等学校の校長として自らの行動を記録した日誌をもとに5分以内で対応した事柄を1年間にわたって分析し、校長の業務の一端を明らかにするとともにストレスを軽減する方法について考察している。
著者
山本 圭三 樋口 友紀
雑誌
摂南大学教育学研究 = Bulletin of Educational Research of Setsunan University (ISSN:13498118)
巻号頁・発行日
no.18, pp.37-58, 2022-03

コロナ禍での生活が人々にとって苦しいものであるのは言うまでもないが、その中でも問題なく学習を進められている学生もいれば、学びを十分に進められない学生がいるのも事実である。本稿では、主として学生の生活状況や意識のありように注目し、コロナ禍に対する学生のかような適応形態の違いを探ることを目的とする。具体的には、学生の遠隔授業に対する適応度、およびコロナ禍により大きく変化した学生生活への受容度の2 つからなる類型を作成し、各類型の生活態度や意識についての特徴の違いが検討される。本稿の分析によって、遠隔授業への適応度とコロナ禍生活の受容度からなる類型が一定程度有効であり、各類型はそれぞれ独自の特徴をもつことが示された。ただ、確認された傾向の違いは類型の優劣を示すものではなく、むしろそれぞれがもちうる特性を示すものだと筆者らは考える。昨今の状況下で学生たちが困難を抱え支援を要する事態に至った場合、本稿の分析によって把握された特徴の違いを前提としたうえでのアプローチが試みられる必要のあることを筆者らは主張する。
著者
森 均
雑誌
摂南大学教育学研究 = Bulletin of Educational Research of Setsunan University
巻号頁・発行日
no.11, pp.57-79, 2015-01

近畿高等学校統一応募用紙は、高校生が就職試験を受験するために求人事業所に提出する用紙であり、紹介書、履歴書、調査書からなる。近畿高等学校統一応募用紙が昭和46(1971)年2月に制定され使用されるまで、求人事業所は就職差別を温存助長する恐れのある思想、信条、宗教、尊敬する人物、支持政党、家族の資産、住居環境、家族の学歴などの記入項目のある独自の応募用紙<社用紙>の提出を求めていたが、そのことによって適性と能力以外のことで社会的差別を受けてきた多くの同和地区出身生徒等、非差別の状態におかれた生徒の苦しみは計り知れないものがあった。そこで、こうした差別を生み出す社用紙を撤廃するために制定されたのが近畿高等学校統一応募用紙である。しかしながら、近畿高等学校統一応募用紙が制定されてから40年以上が経過し、制定の趣旨が教育関係者等に徹底されていないだけでなく制定の経過を正確に記録にとどめることも難しくなりつつあることから、本論考では資料をもとに制定の経過を明らかにして後世に残すとともに、近畿高等学校統一応募用紙制定の趣旨を再認識することを目的とする。