著者
渡 正
出版者
現代文化人類学会
雑誌
文化人類学研究 (ISSN:1346132X)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.37-53, 2021 (Released:2021-01-21)
参考文献数
16

本稿では、オスカー・ピストリウスやマルクス・レームのパラリンピック/オリンピック秩序への挑戦を事例として、それがどのように問題化されていったかを朝日新聞の記事を追った。記事の変化からは、それまで肯定的な評価をされていた義足が、ピストリウスの越境以降、明確に問題含みのものとされていったことや、それが義足の性能とその公平性への問題と矮小化されていったことが判明した。 このような義足のアスリートを理解するモデルとして、福島真人による身体のモデル1・2を確認した。義足のアスリートの「問題」は近代スポーツの想定する自然な身体=身体0からの「過剰」として捉えることができた。さらにこの問題を乗り越えるモデルとして福島のいうモデル2的な身体、あるいはサイボーグの身体のメタファーを概観した。また、こうしたメタファーが失敗する事例として義手ラケットによるテニス選手を検討した。この事例は、私達が義足に関しては、それを過剰に身体化して議論していることを明らかにしてくれた。 そこで本稿では障害学/社会学における議論を参照し、スポーツにおける障害者アスリート、あるいは義足のアスリートの排除の位相にいくつかの区別があることを確認した。 スポーツにまつわる多くの議論は「義足は身体か」という問いをめぐるが、その前提には、義足が身体として捉えられないという想定があった。義足の問題は、「人工物の装置」が「身体」化することで浮かび上がる、身体の内部にある外部=異質性なのではないか。外部と内部のカテゴリーミステイクが、スポーツにおける議論を不明瞭にしている。身体と外部環境との相互作用システムとしてのアスリートという理解は、陸上のような個人競技ではいまだ想像力の埒外にあるものの、チームスポーツにおいては問題なく成立している現実でもある。
著者
相田 豊
出版者
現代文化人類学会
雑誌
文化人類学研究 (ISSN:1346132X)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.54-76, 2021 (Released:2021-01-21)
参考文献数
46

近年、日本の文化人類学において音楽は急速に重要なテーマとなりつつある。こうした日本の音楽人類学研究においては、アメリカの民族音楽学におけるグルーヴ研究や、文化人類学全般で関心が高まった身体や身体化を巡る議論の影響を受けて、音楽が為されている瞬間の身体的な対面相互行為をミクロに分析しようとする研究が集中的になされてきた。しかし、こうした研究の視角では、音が実際に鳴り響いているわけではない時に行われている音楽家同士の交渉や、音楽に影響を与える過去の出来事の想起といった、単一の対面相互行為の時間的スケールを超えた、音楽実践の伝記的次元を捉えることができない。こうした問題に対し、本論文では、ボリビア・フォルクローレ音楽家の音楽観を「アネクドタ的思考」として取りあげることによって、これまでの音楽人類学とは別の視点から音楽実践のあり方を捉えることを目指す。具体的には、筆者自身もその一部に参加することとなった、あるフォルクローレ音楽のコンサートの開催プロジェクトを取りあげて、その企画から準備、実施に至る一連の過程について、とりわけ二人の中年の音楽家の思いと葛藤に注目して記述を行う。そしてこの記述の分析を通じて、フォルクローレ音楽家にとっての音楽観や社会関係について考察を行い、音楽人類学が取り得る別様の方法について検討を行う。
著者
ゴロウィナ・クセーニヤ
出版者
Japanese Society for Current Anthropology
雑誌
文化人類学研究 (ISSN:1346132X)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.77-102, 2021 (Released:2021-01-21)
参考文献数
58

本稿は、在日ロシア語圏女性移住者を対象として、聞き取りと自宅訪問調査をもとにした研究である。この研究は、対象者が移住先において向き合い形作ってきた、消費財との関係の変化を辿ることを目的としている。1990年代にロシアを始めとするポストソビエトの国々を後にした、多くの在日ロシア語圏女性移住者の移住前の生活は、それらの国々の政治的不穏ないし経済的不確実性によって特徴付けられていた。日本を行き先としてこれらの国々をより遅く離れた人々にとっても、移住者本人や、それらの親、親戚、友人などが経験した消費財の不足は移住前の過去の記憶の中で中心的なものとして語られることが多い。本稿は、移住前のこのような経験の後、受入れ国である日本での「無限」の消費選択肢に伴う幸福感という移住当初の感情が、女性たちが日本での生活に慣れるに従ってどう変わってきたのかを考察する。彼女たちのライフコースの展開に伴う新しい感情や態度は、「謙虚に生きること」や「少ないものでやりくりすること」「地球環境を大事にすること」「ジェンダーや健康の意識を維持すること」などといった、新たな価値観が彼女たちの内面に浸透したことによって引き出されたということがわかった。また、一部の対象者は、消費実践や贈与交換、自宅での商品の存在や配置といったことについての、家族との交渉の不成功などの結果として消費財が身の回りに過剰に存在することに対する不快な感覚について語った。本研究は移住者の人生・暮らしという文脈を背景とした消費的物質性に伴う生の経験が、対象女性らによる消費ライフスタイルの「具象化された批評」や「道徳的自己」の談話的構築をどう導いているのかを明らかにしている。
著者
吉村 竜
出版者
現代文化人類学会
雑誌
文化人類学研究 (ISSN:1346132X)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.103-118, 2021 (Released:2021-01-21)
参考文献数
14

This paper investigates changes undergone by self-definition in Japanese-Brazilian (Nikkei) society. After World War II, the first generation of immigrants sought social integration of Japanese immigrants and an affirmation of their place in Brazil with the formation of the Cultural Association (Bunkyo). Later, identity consciousness in the Nikkei society changed due to an increase in temporary labor migration to Japan.   For Nikkei of Pilar do Sul, an exclusive identity is recently appearing that is distinct from “race-based identity.” Bunkyo has revised membership regulations limiting membership to people of Japanese descent due to non-Nikkei Brazilians’ involvement in the association. These revisions have caused emergent changes to Bunkyo’s organizational “order and regulation”, which were shared by the group’s members. Accordingly, members have begun to differentiate themselves and others according to Bunkyo’s “order and regulation”. Therefore, I examine the grounds for local Nikkei identity irreducible to the conventional frameworks of Nikkei studies.
著者
小木曽 航平
出版者
現代文化人類学会
雑誌
文化人類学研究 (ISSN:1346132X)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.12-36, 2021 (Released:2021-01-21)
参考文献数
45

20世紀以降、マラソンのような長距離走は人間の持久力の限界を見極めようとする科学的実験の対象となり、人間にとっての走ることの意味にそれまでとは異なる地位を与えてきた。 本稿の目的は、マラソンのような長距離走を通じて人間の身体がスポーツ科学や種々のテクノロジーと協働しながら、いかにして走るという運動形態を変容させてきたのかについて検討することである。なかでもナイキが2017年以来、世に送り出してきた「Nike Zoom Vaporfly 4%」や「Nike Air Zoom Alphafly Next%」などのレース用ランニングシューズと、やはりそのナイキが主催した「Breaking 2」及びその後に続いた「INEOS 1:59 Challenge」というフルマラソン2時間切りを目指した2つの世界記録更新プロジェクトに着目し、そこにおけるアスリートとスポーツ科学の異種協働関係に焦点を当てた。 結果として、スポーツにおける運動形態は身体の適切な使用によって、アスリートの身体から自ずと生まれるわけではなく、むしろ、道具やスポーツ科学との相互作用の中で共-身体的に発生してくると考えることができた。こうした考察から、現在のスポーツがeスポーツやデジタルテクノロジーの介入によってその在り様を変容させているとしても、それが示唆することは身体観や人間観の変容ではなく、異種協働による共-身体化によって、私たちがこれまで見たことのなかった運動形態がそこに発生してきているからであると示唆された。したがって,現在のスポーツを理解する上で必要なのは、身体観や人間観の概念的更新というよりは、スポーツする身体が見せる運動形態の生成過程に、人間の身体とそれ以外のどんな他者が関係しているのかをつぶさに観察していくことであるといえる。スポーツする身体の人類学を試みるとき、本稿の主たる主張はここにある。
著者
小木曽 航平
出版者
現代文化人類学会
雑誌
文化人類学研究 (ISSN:1346132X)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.12-36, 2021

<p> 20世紀以降、マラソンのような長距離走は人間の持久力の限界を見極めようとする科学的実験の対象となり、人間にとっての走ることの意味にそれまでとは異なる地位を与えてきた。</p><p> 本稿の目的は、マラソンのような長距離走を通じて人間の身体がスポーツ科学や種々のテクノロジーと協働しながら、いかにして走るという運動形態を変容させてきたのかについて検討することである。なかでもナイキが2017年以来、世に送り出してきた「Nike Zoom Vaporfly 4%」や「Nike Air Zoom Alphafly Next%」などのレース用ランニングシューズと、やはりそのナイキが主催した「Breaking 2」及びその後に続いた「INEOS 1:59 Challenge」というフルマラソン2時間切りを目指した2つの世界記録更新プロジェクトに着目し、そこにおけるアスリートとスポーツ科学の異種協働関係に焦点を当てた。</p><p> 結果として、スポーツにおける運動形態は身体の適切な使用によって、アスリートの身体から自ずと生まれるわけではなく、むしろ、道具やスポーツ科学との相互作用の中で共-身体的に発生してくると考えることができた。こうした考察から、現在のスポーツがeスポーツやデジタルテクノロジーの介入によってその在り様を変容させているとしても、それが示唆することは身体観や人間観の変容ではなく、異種協働による共-身体化によって、私たちがこれまで見たことのなかった運動形態がそこに発生してきているからであると示唆された。したがって,現在のスポーツを理解する上で必要なのは、身体観や人間観の概念的更新というよりは、スポーツする身体が見せる運動形態の生成過程に、人間の身体とそれ以外のどんな他者が関係しているのかをつぶさに観察していくことであるといえる。スポーツする身体の人類学を試みるとき、本稿の主たる主張はここにある。</p>