著者
手代木 功基
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2020年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.129, 2020 (Released:2020-12-01)

1.はじめに淀川水系の安曇川上流域,滋賀県高島市朽木地域には,トチノキ(Aesculus turbinata)の大径木がまとまって生育する「トチノキ巨木林」がみられる.朽木地域のトチノキ巨木林は,全国的にも貴重な植生であるにも関わらず,その立地環境の特徴や,巨木林の成立過程等についてはほとんど研究が行われてこなかった.トチノキの種子であるトチノミは,縄文時代から山村を中心に食用とされてきた.また,材も木地として利用されるなど,山村で暮らす人びととの関わりが深い樹木である.そのため,トチノキの立地環境や成立過程を検討するためには,自然環境(自然地理学的側面)だけでなく,人為の影響等について(人文地理学的側面)も合わせて検討する必要がある.本発表では,朽木地域におけるトチノキ巨木林の立地環境の特徴や成立過程を報告することを通じて,環境—人間関係を考えたい. 2.方法調査地は滋賀県高島市朽木地域である.本研究に関わる調査は2011年から2015年にかけて実施した.巨木林が分布する集水域に出現したトチノキの位置情報,胸高周囲長,谷底からの高さ等を現地調査により記録した.合わせて空中写真やDEM等を利用して地形分類を行い,これらのデータを組み合わせて立地環境を検討した.また,調査対象とした集水域の山林を所有・利用してきた近隣の集落において聞取り調査を実施し,山林やトチノキ・トチノミの利用方法等を記録した. 3.結果と考察調査対象地における植生・地形調査から,トチノキ巨木林は特定の地形面に分布していることが明らかになった.具体的には,地形分類で下部谷壁斜面,上部谷壁斜面と区分された地形面の境界をなす遷急線の直上や,谷頭凹地の上部斜面にトチノキ巨木が数多く分布していた.すなわち,トチノキは渓畔林の主要構成種であり水辺を好むが,本地域におけるトチノキの巨木は,谷底から一定の距離(高さ)を持って生育していることが明らかとなった.また,トチノキの巨木は,小・中径木と比べて谷の上流側に分布が偏って林分を形成していた.これらはいずれも大規模な地形撹乱を受けにくい場所であり,樹齢200年を超えるトチノキ巨木の立地が,地形的な制約を受けている可能性が示唆された.聞取り調査からは,トチノキは実の採取のために伐採が制限されてきたことが明らかになった.また,トチノキは炭焼きに不向きな樹種であるため,周辺の山林が薪炭林として利用されてきたなかで伐採されずに残されることが多かった.実際にトチノキ巨木林の周辺植生は,人為の影響を受けた二次林や人工林であり,里山のなかに立地する特異な植生として位置づけられる.以上から,トチノキ巨木林の成立には,地形面の安定性などの環境要因とともに,トチノキの選択的な保全や他樹種に対する定期的な撹乱といった地域住民の自然資源利用が影響していることが明らかになった.こうした総合的なアプローチを用いて他地域においても植生の立地環境や成立過程を検討していくことで,環境—人間関係の多様性を明らかにすることができると考える.
著者
山崎 孝史
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2020年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.127, 2020 (Released:2020-12-01)

現代世界は生態系・金融・テロなどに関わるグローバルな危険(リスク)にさらされている。そうした危険は、近代化自体の反作用として、新たな政治主体の出現と政治の動態をもたらすと考えられる。現代の「地政学」はこれら危険に触発された主体の対立や連携から多面的かつ重層的に構成されると考えられる。そうした危険の一つがパンデミック(感染症のグローバル化)である。本発表は、COVID-19の世界的拡大によって、近代国家による公衆衛生管理(生政治 biopolitics)と空間や場所をめぐる支配や管理の実践(地政治 geopolitics)がどのように接合され、展開されてきたかについて、日本の対策を軸に考える。
著者
奥山 加蘭
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2020年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.96, 2020 (Released:2020-12-01)

過去の災害状況を復元することは,その地域で同じような災害が発生した際に有益な情報とすることができる.そこで本研究では1944年に発生した東南海地震が諏訪地域でどのような被害をもたらしたのか復元し,諏訪地域内での被害差の要因を地形と関連づけて考察していく.調査方法はまず諏訪地域の地形分類を行い,文献資料と,地震体験者へのヒヤリングから被害データを収集する.データは気象庁の震度階級関連解説表に基づいて震度に直し,GISを用いて分析をする.被害状況を分析すると段丘や扇状地では比較的に被害が小さく,埋め立て地,自然堤防,後背湿地等では震度6程度の大きな被害が明らかになった.
著者
荒堀 智彦
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2020年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.145, 2020 (Released:2020-12-01)

1. はじめに 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミックによって、世界中で健康危機管理情報の配信が行われている.その中で、「インフォデミック(Infodemic)」という現象が発生し、インターネットとSNSの発達によって情報の拡散力が急激に高まっている.インフォデミックは、情報の急速な伝染(Information Epidemic)を短縮した造語で,2003年の重症急性呼吸器症候群(SARS)の流行時に生まれ、正しい情報と不確かな情報が混じり合い、信頼すべき正しい情報を見失った状態を意味する.2009年のインフルエンザAH1N1pdmのパンデミックの際も同様に、インフォデミックによる社会的混乱が発生し、感染症情報のリテラシーに関する問題が指摘された.本発表では、日本における健康危機管理情報の課題を整理し、ポスト・コロナ社会における健康危機管理情報とリスクコミュニケーションに向けた課題を整理する.2. 感染症と健康危機管理情報 これまで、人類は多種多様な感染症のパンデミックを経験し、それらの撲滅や予防のために情報収集と配信を継続してきた.特に2009年のインフルエンザAH1N1pdmのパンデミック以降、リスクマネジメントとリスクコミュニケーションに関する議論が進められており、世界保健機関(WHO)は、2017年にインフルエンザリスクマネジメントに関する基本方針を発表した(WHO 2017).その基本方針の一部には、社会包摂的アプローチの導入が提案され、そこでは、空間スケールに関する言及もされた.感染症を撲滅するのではなく、いかにして予防・制御していくのかに重点が置かれ、日常的な備えとして、地域レベルに応じた効果的な情報配信とリスクコミュニケーション体制の整備が求められている.また、各地域レベルで、経済、交通、エネルギー、福祉などの各分野が協同でリスクマネジメントに取り組むことが明記されている.日本においては、厚生労働省と国立感染症研究所を中心とした感染症発生動向調査(NESID)が国の感染症サーベイランスシステムとして構築され、1週間毎の患者数や病原体検査結果が報告されている.しかし、NESIDで収集される感染症情報は、患者や病原体を報告する医療機関が限られており、速報性に欠ける欠点を持ち、地方レベル以下のローカルスケールにおける詳細な流行状況を知ることには適していない.3. 空間スケールに応じた情報配信体制の構築 NESIDによる感染症の調査監視体制は、各地方の保健所を最初の窓口とし、そこから地方衛生研究所、国立感染症研究所、厚生労働省へ伝達されていくピラミッド型の構造になっている.これは、感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律(感染症法)に基づき、感染症類型や患者把握の手法を問わず実施されているものである.一部地方の臨床現場では、この構造から生じる課題を、2009年のAH1N1pdm後から指摘している.具体的な課題として、「情報配信の迅速性の欠如」、「詳細な流行状況の可視化」、「新しい手法・技術の導入」が挙げられる.これらの課題を克服するために、岐阜県や神奈川県川崎市などにおいて、ローカルスケールを対象としたローカルサーベイランスの導入が進んでいる.NESIDと異なり、上位機関へ情報を通すことなく、各専門機関が独自で住民に情報配信をすることで、上記の課題改善に繋げている.加えて臨床現場における診療対応に直接指示を出せるだけでなく、住民の危機意識を啓発させる効果がある(荒堀 2017).4. ポスト・コロナ社会のリスクコミュニケーション COVID-19を契機として、公的機関による情報配信だけでなく、民間企業や報道機関の参入も増えている.今後は、それらに加えてSNSによる新しい手法や、デジタル疾病地図の整備が進むと考えられる.前者はIndicator Based Surveillance(IBS)、後者はEvent Based Surveillance(EBS)と呼ばれる.IBSは,一定の指標に基づいて報告・評価するサーベイランス、EBSは公衆衛生事象の発生に基づくサーベイランスである.しかし、欠点としてIBSは想定外の発生を捉えることができず、EBSは、臨床診断に基づいていないため、リスク評価基準が定まっていないことが挙げられる(中島 2018).臨床現場においては、EBSの導入に賛同する声もあるが、臨床診断が無いことを問題視する指摘がある.先述のローカルサーベイランスは、専門機関の管轄地域内における臨床診断結果に基づいて、直接地域の医療従事者と住民に情報を還元できる利点を持っている.今後の普及に向けて、科学的根拠に基づくリスクコミュニケーションに向けた対話型地図の導入や制度の整備に向けた議論が求められる.
著者
米家 泰作
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2020年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.99, 2020 (Released:2020-12-01)

近代日本の林学は,日本が帝国主義への道を歩み始めた19世紀末に制度化され,ドイツ林学を通じて科学的林業の考えを取り入れた。報告者はこの点に留意して,林学の確立と植民地の拡張,ならびに環境主義の関わりについて検討を重ねてきた(米家2019,米家・竹本2018,Komeie 2020)。本報告では,科学的林業の素養がないまま台湾で草創期の林学の基盤を築いた田代安定に注目し,植民地林学の形成にみる本国と植民地の関係性について考察する。田代安定(1857-1928)は,19世紀末から20世紀初頭にかけて、主として植物学や人類学の分野で活躍した人物であり,八重山諸島や台湾先住民の調査で知られる。また,研究者としての側面と,台湾総督府の植民地統治を支えた技官としての側面があり,その多面的な人物像の検討が進んでいる(呉2008,中生2011)。田代と台湾の関わりは,日清戦争時の澎湖諸島占領に随行し(1895年),自生植物の目録と「植樹意見」を作成したことに始まる。田代は創設された台湾総督府に勤め,主として林政と先住民統治に関わった。前者に関しては,街路樹を含む植林の促進と,熱帯植物殖育場における有用植物の研究が大きい。これらは,田代が植物学の知識を活かして熱帯林学の基盤づくりを進め,植民地の開発を意図したことを示している。ただし,総督府における田代の立場は殖育場主任に止まり,林務課や林業試験場の要職には就かなかった。また、田代の関心はもっぱら植栽すべき種の選定と育苗にあり,伐採林業の促進には関わりが弱かった。一方,東京農林学校が1890年に帝国大学に編入されると,ドイツ林学を学んだ林学士の輩出が始まった。林学教室のスタッフの一人,本多静六(1866-1652)は,植民地となった台湾や朝鮮に関心を広げ,帝国の林学を志向することになる。1896年に台湾の山岳植生を調査した本多は,「植物家」のように植物種を単に記録するのでなく,林学の立場から植生の人為的変化を捉えるべきだと主張した。本多と田代は,澎湖諸島の植生の成因について意見が相違しており,植物種に関心を置く田代と,生態学的な視座から森林管理を志向する本多の立場は,対照的であった。植民地台湾に赴任した帝大卒の林学士として,本多と同期の齋藤音作がいるが,数年で内地に戻っている。より本格的な人材として,林務課長や林業試験場長を務めた賀田直治(1902年卒)と,林業試験場長を務め,後に九州帝大に招聘された金平亮三(1907年卒)が挙げられる。他にも帝大や高等農林学校で林学を修めた人材が,次第に台湾の林政に加わるようになると(呉2009),林学を基盤としない田代の存在意義は次第に弱まったと推測される。田代は1920年代初頭に台湾総督府の仕事から離れた。本国から科学的林業の担い手が送り込まれたことで,世代交代を迫られたといえる。しかし林学者ではない人物が,有用植物の把握や植樹の提起を通じて植民地林学の基礎を築いたことは,帝国日本の林学形成の一端が植民地にあったことを示している。
著者
伊藤 千尋
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2020年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.107, 2020 (Released:2020-12-01)

1 はじめに地理教育の目的のひとつに、異なる文化・社会の学習を通じて世界の多様性を理解することが挙げられる。特に、2022年度から必修化される「地理総合」においては、「国際理解と国際協力」が大項目のひとつとなっており、知識・技能のみならず、グローバルな視点で国内外の諸現象を捉える思考力・想像力を養成することがますます求められている。本発表では、高校地理教科書における「人種」の記述に注目する。「人種」は、学習指導要領には記載されていないが、アフリカや南北アメリカをはじめとした諸地域の成り立ちや特徴を理解するうえで欠かせない概念であり、避けて通ることはできない。高校地理教科書における「人種」の記述については、これまでにも香原(1996)や竹沢(1999; 2014)らにより、その問題性が指摘されてきたが、近年の教科書を網羅的に分析したものはみられない。また、上記の研究は人類学者によって行われたものであり、地理学内部からの批判的検討や提言はほとんどなされていない。「人種」概念に対する誤った認識は、世界で生じている諸問題の理解を矮小化し、差別・偏見を助長する土壌にもなりかねない。そこで本発表では、現行の高校地理教科書における「人種」の記述を分析し、その問題点を検討する。これを通じて、差別・偏見を生まない、助長しない地理教育に貢献することを目指す。なお、本発表は各高校教員による個別の取り組みが存在していることを否定するものではなく、研究者、教科書出版社、高校教員が全体として認識を共有すべきであるとの考えに基づいている。2「人種」の記述について「人種」は、肌の色や目の色などの身体的特徴によってヒトを分類する考え方である。しかし今日の科学では、ヒトは生物学的に明確な境界線を持って区分されるものではないことが明らかにされており、「人種」は社会的につくられ、恣意的に用いられてきた概念であると考えるのが国際的な通説となっている。そのため、「人種」について記述する際には、その背景に言及することなく、「人種」があたかも実体として存在するかのように説明することは避けなければなない。発表では、地理A・Bの教科書における「人種」の用法や文脈、注釈がつけられている場合の説明の仕方、を提示する。その上で、教科書という限られた紙面のなかで、生徒にどのように「人種」概念を説明し、何を伝えていくべきか、について検討したい。また「人種」に関連する用語として、「黒人」「白人」についても分析する。現行の教科書において、「黒人」の使用は避けられており、「アフリカ系アメリカ人」に言い換えられている。他方、「白人」については本文中に多く使用されている。昨今では、Black Lives Matter運動が社会現象となっているアメリカにおいて、主要メディアが当事者のアイデンティに敬意を表す等の文脈で「black」のBを大文字にして表記する動きが広がっている。発表では、これらの動向や関連研究をふまえ、教科書における記述を検討する。報告者の経験では、多くの大学生は「人種」を実体として捉えている傾向があり、その概念が形成されてきた歴史的背景や概念が内包する価値観について理解していないことが多い。竹沢(1999)が大学生に対して行った調査では、このような「人種」観は中学・高校の教育やメディアの影響を受けている。大学に入学し様々な学問分野に触れたり、自ら関心を持って情報を取り入れたりすれば、その知識を更新することができるが、それが可能な人は限られている。そのため、説明が多少煩雑になったとしても、すべての高校生が学ぶ「地理総合」の教科書は「人種」を適切に説明し、多様性への理解を促す必要があると考える。香原志勢. 1996. 「人種の記述について」青柳真智子編『中学・高校教育と文化人類学』pp. 10-26, 大明堂.竹沢泰子. 1999.「人種」: 生物学的概念から排他的世界観へ. 民族學研究, 63(4), 430-450.竹沢泰子. 2014. 創られた「人種」. 学術の動向, 19(7), 80-82.
著者
桐村 喬
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2020年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.62, 2020 (Released:2020-12-01)

I 研究目的・方法日本では2月下旬以降にCOVID-19の感染拡大が進み,3月には「行動変容」が求められるようになり,大都市を含む都道府県を中心に,知事による週末の外出自粛要請が行われた.4月には日本政府による緊急事態宣言が出され,罰則のある外出禁止ではなく,“自粛”という形で,人々の移動が実質的に制限されてきた.5月以降,感染者の増加が弱まってきたことで,5月25日には緊急事態宣言が解除され,6月19日からは政府による都道府県間の移動の自粛要請も撤廃されたが,7月に入って再び感染者が大きく増加してきている.そこで,本報告では,位置情報付きTwitterデータを利用して,2020年1月以降の日本におけるTwitterユーザーの移動状況の時系列変化の実態を明らかにし,それによって「行動変容」をはじめとする人々の日々の移動に関する変化の一端を示すことを目的とする.分析に用いるデータは,米国Twitter社が提供するAPIを通して収集できた,日本国内の位置情報が付与されたTwitterデータのうち,2020年1月6日〜7月26日までのデータである.II 都道府県別のTwitterユーザーの移動状況同一市区町村内でのみ移動するTwitterユーザーに注目し,Twitterユーザーに関する市区町村内移動ユーザー率を1日単位で求める.市区町村内移動ユーザー率は,ある1日において,1つの市区町村内でのみ投稿しているTwitterユーザーの数を,その市区町村内でその日に投稿したことがあるTwitterユーザーの総数で割ることによって算出される.ただし,1日の投稿件数が2件以上のTwitterユーザーを分析対象に絞る.市区町村内移動ユーザー率は,都道府県を含めた複数の市区町村で構成される空間単位で算出することもできる.図1は,2月上・中旬の日曜日である2日・9日・16日の都道府県別の市区町村内移動ユーザー率の平均値を1としたときの,各日の値の比を示したものである.3月29日には,埼玉県,東京都,神奈川県,山梨県,大阪府で1.50を超え,市区町村内移動ユーザー率の上昇が,外出自粛要請が行われた地域を中心に生じていることがわかる.5月6日の時点では,全都道府県で2月上・中旬よりも高い状況は続いている.都道府県間の移動自粛要請の撤廃後の6月21日には1.00を下回る都道府県も増えてきたが,大都市圏の都道府県では依然として高く,7月26日には大阪府で1.44,東京都で1.39となっている.III 東京・京阪神大都市圏でのTwitterユーザーの移動状況東京・京阪神大都市圏における市区町村内移動ユーザー率をみると,特に東京において平日に低く,休日に高いパターンとなっている.2月下旬以降の両大都市圏では,休日を中心とする市区町村内移動ユーザー率の上昇が確認でき,いずれも平日に低く,休日に高いという明瞭なパターンが確認できる.3月29日から5月下旬までは,おおむね京阪神よりも東京のほうが高い傾向にある.5月16・17日を最後に,両大都市圏の市区町村内移動ユーザー率が80%を超えることはなくなっており,平日に低く,休日に高い傾向を維持しつつも,徐々に低下してきている.次に,昼間を11〜16時台,夜間を0時台と19〜23時台として,それぞれの大都市圏全体と,各大都市圏内のうち,2015年の昼夜間人口比率が100以上の市区町村(中心地域)とそれ以外の市区町村(周辺地域)ごとに求めたユーザー数をもとに,夜間ユーザー数に対する昼間ユーザー数の比率を求める.2020年第2週(1月6〜12日)の平日を100とした指数を求めると,東京では第10週(3月2〜8日)に上昇し,周辺地域では中心地域よりも高い値を示した.第14週(3月30日〜4月5日)以降,特に周辺地域において大きく上昇し,昼間のユーザー数が相対的に多くなってきたものと考えられる.第22週(5月25〜31日)以降は低下傾向に転じているが,第30週(7月20〜26日)の時点では,まだ第2週の水準にまでは戻っていない.京阪神については,おおむね似た推移を示しているものの,値の上昇は東京ほどではない.
著者
穂積 謙吾
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2020年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.131, 2020 (Released:2020-12-01)

水産物の安定供給に向け養殖業への期待が高まる中、全国的な養殖生産は縮小傾向にある。しかし一部地域では養殖生産が活発であり、そこでは養殖業者による何らかの特徴的な経営戦略が講じられていると考えられる。 養殖業者の経営戦略について従来の地理学では、養殖業者すなわち生産主体にのみ焦点を当てられてきた(前田2018など)。これに対して、生産主体の動向を流通主体と関連付けて分析する必要性が指摘されている(林2013など)。実際に漁業経済学では、養殖魚を産地で一括集荷し、消費地へと一括出荷する中間流通業者の重要性や、養殖業者と中間流通業者の間の密接な取引関係に注目されている(濱田2003など)。 そこで本研究では、養殖業の主要産地である愛媛県宇和島市のうち宇和島地区を事例に、中間流通業者との取引関係から見た養殖業者の経営戦略を明らかにした。本研究の遂行に際しては、宇和島地区で活動を行う中間流通業者6社および養殖業者16経営体に対してのヒアリング調査を2019年8月〜10月に実施した。 宇和島地区においては、中間流通業者10数社および養殖業者31経営体が活動を行っている。宇和島地区のみならず宇和島市における中間流通業者の基本的な役割は、養殖業者に餌料を販売するとともに、その見返りとして養殖業者の生産した養殖魚を買い取り、主に卸売市場へ出荷することである。また、自社の販売するブランド品の生産(以下、業者ブランド品)を、特定の養殖業者に委託する中間流通業者も見られる(竹ノ内2011など)。 ヒアリング調査の結果、以下の3つの生産・出荷の形態が確認された。 第一に、市場流通で取り扱われる養殖魚を生産し、餌料購入先の中間流通業者に対して出荷する形態である。市場流通向けの養殖魚の買取価格は不安定な市況動向を受け日々変動するため、養殖業者においては事業収入を増加させるための戦略が取られている。具体的には、取引関係のある中間流通業者より市場での養殖魚の売れ行きに関する情報を取得し、それを踏まえた生産・出荷調整を行う養殖業者が見られた。また、中間流通業者と買取価格に関する交渉を行い、養殖魚の供給が不足している場合には市況より高値で養殖魚を販売する養殖業者も見られた。 第二に、中間流通業者による委託を受け業者ブランド品を生産する形態である。中間流通業者より一定の評価を受けた養殖業者は業者ブランド品の生産を委託されているが、業者ブランド品は市場外流通で取り扱われるため、買取価格は市況動向の影響を受けず一定である。従って業者ブランド品の生産により、安定した事業収入を確保できる。 第三に、養殖業者自身で商品開発と販路開拓を行った独自ブランド品を生産する形態である。業者ブランド品と同様に市場外流通で取り扱われる独自ブランド品も価格が一定であるため、独自ブランド品の生産により事業収入の安定化が可能となる。なお、独自ブランド品の生産に際しては自社製造もしくは独自に仕入れた餌料を使用しており、中間流通業者より餌料を殆ど購入していないため、この形態においては中間流通業者との関係性は希薄である。 各々の養殖業者における3つの生産・出荷形態の選択および組み合わせと、養殖業者の労働力規模との間には関連性が確認された。具体的には、市場流通向けの養殖魚のみを生産しているのは12経営体、独自ブランド品も生産しつつも市場流通向けの養殖魚を中心に生産しているのは1経営体である。これらの養殖業者の多くは従業者数が2〜4名と比較的小規模である。そのため、厳格な品質管理や通年の出荷など多大な負担を要するブランド品の生産には消極的であり、生産の負担が比較的少ないものの買取価格が不安定な市場流通向けの養殖魚に特化するとともに、その中で事業収入を高めようとする動きが見られた。一方、他の3経営体は業者ブランド品もしくは独自ブランド品を中心に生産している。これらの養殖業者は、従業者数が5〜10名と比較的大規模であり、品質管理や通年出荷への労働力配分が可能となっている。そこで事業収入の安定化を図るべく、負担は大きいものの価格が安定するブランド品を生産していた。 このように宇和島地区の養殖業者は、自らの経営資源に合わせながら、中間流通業者との取引関係を活用して事業収入を増大もしくは安定化させ、不安定な市況動向への対応を図っていると考えられる。竹ノ内徳人2011.産地流通業者による養殖マダイ価値創造に向けた取り組み.地域漁業研究51(3):67-84.濱田英嗣2003.『ブリ類養殖の産業組織 - 日本型養殖の展望』成山堂書店.林紀代美2013.水産物流通研究における研究動向と今後の課題.金沢大学人間科学系研究紀要5:1-34.前田竜孝2018.愛知県西尾市一色町における養鰻生産者の関係性とその変化.人文地理70(1):73-92.
著者
船引 彩子 田代 崇 林崎 涼 中村 絵美
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2020年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.190, 2020 (Released:2020-12-01)

1. 北海道,静狩湿原 北海道南部,渡島支庁管内山越郡長万部町に位置する静狩湿原は,太平洋(内浦湾)に面した海岸平野に形成された湿原で,北海道の低地に発達する高層湿原の南限とされている. 1922年に「静狩泥炭形成植物群落」として国の天然記念物に指定されたが,1951年の指定解除後は大規模な排水路が湿原内に掘削され,農地化が進んだ.現在でも一部に湿原が残るが,その面積は221ha(1953年)から6ha(1990年)と大幅に縮小している(富士田・橘,1998). 本発表では,空中写真の判読や現地での聞き取り,絵地図などの歴史資料を用い,静狩湿原の地形と歴史の関係を調査した結果について報告する.2. 浜堤列と湿原 1948,1976年撮影の空中写真を用いて静狩湿原周辺の地形分類図を作成したところ,海岸線に沿って南北にのびる3列の浜堤列が確認された.海側の2列の浜堤は標高4〜5m程度で,後背湿地には1951年頃まで浮島が存在しており,静狩湿原の範囲はこの海側の浜堤まであったとされる(富士田・橘,1998).明治初期の絵地図では,浜堤上にアイヌの人々の住居も確認された. 現在の静狩湿原は最も内陸側の浜堤より,さらに西側の地域に限定される.林崎ほか(2020)によると,残存する静狩湿原の泥炭の下位に位置する砂層やテフラからはおよそ3-1kaの年代が得られており,この時期に湿原が形成されたことがわかる. 内陸側の浜堤は3列のうち最も大きなものだったが,1951年以降は砂利採取のため地形改変が進んでいる.隣接する道路面は標高約6m,かつての浜堤内部と思われる地点はそれより約3m掘り下られ,現在は農地に転用されている. また,残存する湿原部分でドローン撮影を行ったところ,開拓当時の暗渠と思われる地形が検出された.長万部町には開拓当時の設計図や暗渠の分布を示す資料が残っておらず,乾燥化が進む湿原をモニタリングしていく中で重要なデータと言える.3.戦後の開拓 静狩湿原では農地転換後,もち米やジャガイモの生産も試みられたが,現在は大部分が牧草地となり,酪農がおこなわれている.経済的効果を期待して行われた戦後の開拓であったが,現在では初期の開拓者の9割以上が静狩湿原を離れている. 湿原の復活・保護を望む声もあったが,1960年代以降の原野商法によって所有者がさらに細かく分かれるなど問題も多く,湿原の復活に向けた動きは道半ばである.引用・参考文献富士田裕子・橘ヒサ子(1998)本国指定天然記念物静狩湿原の変遷家庭と現存植生.植生学会誌,15,7-17.林崎 涼・田代 崇・船引彩子(2020)北海道南部静狩湿原より採取した堆積物中の火山灰と基底砂層の年代に関して.日本地理学会2020年秋季学術大会.