著者
林崎 涼 鈴木 毅彦
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100171, 2015 (Released:2015-04-13)

長石を用いた新たな光ルミネッセンス(OSL)年代測定法として, post-IR IRSL(pIRIR)年代測定法 (Thomsen et al. 2008) が近年確立された.pIRIR 年代測定法では,それまでの長石を用いた OSL 年代測定の際の Fading という問題が解決され,過去数十万年間の堆積年代を見積もることが可能となった(Thiel et al. 2011 など).しかし,pIRIR 年代測定法では正確な堆積年代を見積もるためには,長時間(数ヶ月)太陽光へ露光し,ブリーチしていることが必要である(Buylaert et al. 2012).そのため,一般に露光しにくい河成堆積物の堆積年代を求めるのに,pIRIR 年代測定法は不向きだと考えられる.しかしながら,時間指標となるテフラなどに覆われていない中期更新世の河成堆積物の堆積年代を求めることは難しく,pIRIR 年代測定法を試みる価値は大きい.本研究では,立川市/武蔵村山市の榎トレンチにおいて,まず年代の明らかな立川面の段丘構成層を対象として,pIRIR 年代測定法により河成堆積物の堆積年代を見積もることが可能か検討した.次に,榎トレンチ底から採掘されたボーリング試料(TC-12-1 コア)から,青梅砂礫層に相当すると考えられる埋没礫層の堆積年代をpIRIR 年代測定法により推定した.トレンチ壁において立川面の段丘構成層中の砂層に塩ビパイプを挿入し,太陽光への露光を防いで試料を採取した.ボーリング試料は暗室において半割し,礫層中に挟まる砂層において,太陽光へ露光していないと考えられるパイプの中央部分から試料を採取した.暗室において,OSL 強度が減衰しにくいとされるオレンジ光源下で試料処理を行い,180〜125μm のカリ長石を抽出した.抽出したカリ長石は,ディスク上へ直径 2 mm の円盤状に接着し,東京大学工学部所有のデンマーク Risø 研究所製 TL / OSL-DA-20 自動測定装置を用いて OSL 測定を行った.pIRIR 年代測定は Theil et al.(2011)と同じ測定手順を用いた.河成堆積物は,運搬・堆積過程において露光が不十分であると考えられる. そこで,pIRIR 年代測定によって求められた各ディスク試料の等価線量から,最もよく露光していたディスク試料を抽出することができると考えられる,Minimum age model(MAM: Galbraith et al. 1999)を適用し,堆積物の等価線量を見積もった.得られた等価線量を試料採取箇所の年間線量で除することにより,扇状地礫層の OSL 年代を求めた.榎トレンチは立川Ⅱ面(山崎1978)に位置しており,段丘構成層の堆積年代はAT (30 ka)降灰以降で,UG(15〜16  ka)降灰以前だと考えられている.pIRIR 年代測定法の結果に,MAM を適用した段丘構成層最上部(OSL-5)の OSL 年代は,22.7 ± 2.4 ka となり,先行研究の年代と矛盾しない.OSL-5 から約 3 mほど下位のOSL-3 において MAM を適用した OSL 年代は30.3 ± 3.1 ka で,立川Ⅰ・Ⅱ面のどちらの段丘構成層とも解釈できる. MAM を適用して見積もられた OSL 年代は,先行研究の堆積年代と整合的であり,運搬・堆積過程で充分に太陽光に露光し,ブリーチしていた鉱物粒子を抽出することができたといえる.以上のことから,pIRIR 測定法の結果に MAM を適用することで,段丘構成層の真の堆積年代を見積もることができる可能性があるといえる.武蔵野台地西部では,古くから段丘構成層の下位に厚い礫層が埋没していることが知られている(寿円 1966 など).これは青梅砂礫層と呼ばれ,堆積開始年代の解釈には下末吉面形成以前(角田 1999 など)と以降(高木 1990;貝塚ほか 2000 など)があるが,正確な堆積年代は明らかでない.pIRIR 年代測定法の結果に,MAM を適用したボーリング試料上部(3.62-3.66 m)の OSL 年代は,65.4 ± 8.2 ka で,武蔵野礫層に相当すると考えられる.ボーリング試料の下部(17.25-17.30 m)では,MAM を適用して 235.7 ± 25.7 ka という MIS7-8 頃の OSL 年代が得られた.本研究の結果から,青梅砂礫層は少なくとも 2 つの堆積時期に分けられる可能性があることが分かった.高木(1990)では,青梅砂礫層中から Hk-TP と考えられるテフラを見出しており,これはボーリング試料の上部で求められた堆積年代と一致する.植木・酒井(2007)では,青梅砂礫層はMIS 6 以前の間氷期に形成された谷を埋積した地層の集合だと考えているが,ボーリング試料の下部の OSL 年代は矛盾していない.
著者
船引 彩子 中村 絵美 田代 崇 林崎 涼 亀田 純孝
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2023年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.251, 2023 (Released:2023-04-06)

1. 北海道の湿原開拓 北海道南部,渡島管内山越郡長万部町に位置する静狩湿原は,太平洋(内浦湾)に面した海岸平野に形成された湿原で,北海道の低地に発達する高層湿原の南限とされている.当地では戦後の食糧増産を目的に進められた開拓により,200ha以上の面積の高層湿原を含む,1950haの湿地が失われた.本稿では静狩湿原の戦後開拓とその後の変化について,静狩湿原の開拓が進められた時代背景や気象条件,具体的な戸数や生業の変化,近隣自治体との比較から,論考を行った. 2. 北海道における戦後開拓と酪農 戦後における北海道の開拓地で,その後の離農や酪農への転換などの過程が調べられた研究例は多い.道東の根釧地区では1932年の大冷害をきっかけとして乳牛飼育が普及し始めた.道北の日本海側に位置する上サロベツ原野では戦後の緊急入植後,1950~1965年に冷害による離農の増加と酪農専業への転換が進み,第二次世界大戦後の酪農振興法(1954)も乳牛頭数を増大させている.3. 静狩湿原の気候 長万部町が面する内浦湾では,夏にオホーツク海高気圧の影響を受け,やませによる冷夏となり,海霧が発生することも多い.気象庁のデータによると、長万部町の夏季(6〜8月)の月平均日照時間は道東で酪農のさかんな別海町よりはわずかに長いが,米作りのさかんな道央の岩見沢市,ジャガイモ生産のさかんな道東の帯広市などより短い. また同じ道南地域においても,長万部町は日本海側に近い自治体より日照時間が少ない傾向がある. 長万部町に隣接し,同じく内浦湾に面する八雲町では,早くに水稲栽培を試みたが失敗しており,その理由の一つに夏季の海霧による日照不足が挙げられている(安田,1964). 冷涼な気候の道東や道北では農地開発が盛んに行われず,湿原面積の減少が道央や南西部ほどではなかったとされる.しかし本研究で対象とする静狩湿原の場合,緯度が低い道南地域の中では比較的冷涼な気候であるが,農地開拓のために湿原の9割以上が失われており,個別のケースとして検討する必要がある.4. 開拓地の集約と酪農への転換 静狩地区では戦後の開拓当初,一戸当たり7.5haの土地をあてがわれ,100戸以上が入植した.当初は稲作やジャガイモの栽培を想定していたが,現在は50ha以上の農地を持つ2戸の農家が酪農に従事している. その理由としては近隣で第一次世界大戦後から酪農先進地域であった八雲の影響も強いが,長万部町の気候が冷涼で稲作や畑作が難しかったこと,開拓地での離農者の増加や農用地転売が一戸当たりの農業経営面積拡大につながり,農家戸数が減少したことなどが挙げられる.
著者
林崎 涼 白井 正明
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.88, no.4, pp.327-340, 2015-07-01 (Released:2019-10-05)
参考文献数
50
被引用文献数
2 3

石英や長石などの鉱物粒子は,光を浴びることで自身も発光する光ルミネッセンス(OSL)という性質をもつ.OSLの発光強度は放射線の被曝量に比例して増加し,露光により急減する.本研究では,アルカリ長石粒子の露光状態の違いに起因する残存OSL強度と,残存OSL強度がほぼ0,すなわち最近露光した粒子の含有率を示す露光率の変化傾向から,信濃川大河津分水路河口周辺の海岸における砂質粒子の運搬過程を推定した.その結果,分水路河口付近の野積海岸から北東に約17kmの角田浜まで,残存OSL強度の減少および露光率の増加が見られることから,この区間で北東方向へ砂質粒子が運搬されていることが推定された.一方で,野積海岸周辺では単純な変化傾向は見られず,近年の海岸侵食による残存OSL強度の大きい粒子の混入が示唆された.ごく最近の砂質粒子の運搬過程を推定する手法として,残存OSL強度と露光率は有効であり,より正確な運搬過程を把握できる可能性がある.
著者
船引 彩子 田代 崇 林崎 涼 中村 絵美
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2020年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.190, 2020 (Released:2020-12-01)

1. 北海道,静狩湿原 北海道南部,渡島支庁管内山越郡長万部町に位置する静狩湿原は,太平洋(内浦湾)に面した海岸平野に形成された湿原で,北海道の低地に発達する高層湿原の南限とされている. 1922年に「静狩泥炭形成植物群落」として国の天然記念物に指定されたが,1951年の指定解除後は大規模な排水路が湿原内に掘削され,農地化が進んだ.現在でも一部に湿原が残るが,その面積は221ha(1953年)から6ha(1990年)と大幅に縮小している(富士田・橘,1998). 本発表では,空中写真の判読や現地での聞き取り,絵地図などの歴史資料を用い,静狩湿原の地形と歴史の関係を調査した結果について報告する.2. 浜堤列と湿原 1948,1976年撮影の空中写真を用いて静狩湿原周辺の地形分類図を作成したところ,海岸線に沿って南北にのびる3列の浜堤列が確認された.海側の2列の浜堤は標高4〜5m程度で,後背湿地には1951年頃まで浮島が存在しており,静狩湿原の範囲はこの海側の浜堤まであったとされる(富士田・橘,1998).明治初期の絵地図では,浜堤上にアイヌの人々の住居も確認された. 現在の静狩湿原は最も内陸側の浜堤より,さらに西側の地域に限定される.林崎ほか(2020)によると,残存する静狩湿原の泥炭の下位に位置する砂層やテフラからはおよそ3-1kaの年代が得られており,この時期に湿原が形成されたことがわかる. 内陸側の浜堤は3列のうち最も大きなものだったが,1951年以降は砂利採取のため地形改変が進んでいる.隣接する道路面は標高約6m,かつての浜堤内部と思われる地点はそれより約3m掘り下られ,現在は農地に転用されている. また,残存する湿原部分でドローン撮影を行ったところ,開拓当時の暗渠と思われる地形が検出された.長万部町には開拓当時の設計図や暗渠の分布を示す資料が残っておらず,乾燥化が進む湿原をモニタリングしていく中で重要なデータと言える.3.戦後の開拓 静狩湿原では農地転換後,もち米やジャガイモの生産も試みられたが,現在は大部分が牧草地となり,酪農がおこなわれている.経済的効果を期待して行われた戦後の開拓であったが,現在では初期の開拓者の9割以上が静狩湿原を離れている. 湿原の復活・保護を望む声もあったが,1960年代以降の原野商法によって所有者がさらに細かく分かれるなど問題も多く,湿原の復活に向けた動きは道半ばである.引用・参考文献富士田裕子・橘ヒサ子(1998)本国指定天然記念物静狩湿原の変遷家庭と現存植生.植生学会誌,15,7-17.林崎 涼・田代 崇・船引彩子(2020)北海道南部静狩湿原より採取した堆積物中の火山灰と基底砂層の年代に関して.日本地理学会2020年秋季学術大会.
著者
白井 正明 渡辺 万葉 宇津川 喬子 林崎 涼 高橋 尚志 小尾 亮 加藤 裕真
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2015年大会
巻号頁・発行日
2015-05-01

静岡平野から駿河湾に注ぐ安倍川の源流域には,大規模崩壊地である大谷崩れが存在する.大谷崩れ周辺は過去幾度も大規模な崩壊を繰り返し,18世紀初頭の宝永東海地震の際の大崩壊では,崩壊土砂が土石流となって大谷川と安倍川上流の谷を埋めたとされる(例えば,土屋,2000).町田(1959)は,大谷崩れ起源の崩壊堆積物量の見積もり値を1.2×108 m3 と推定すると共に,崩壊堆積物に関連する地形を河成段丘発達史の視点から解釈している.安倍川本流において大きな落差をもつ赤水の滝については,安倍川が土石流堆積物を下刻しつつ形成した,崩壊による土砂で谷が埋まり尾根筋からの越流により滝が形成された,などの記述が見られるが,いずれも十分な根拠を示しているとは言い難い.赤水の滝周辺の「土石流」堆積物と基盤の古第三系頁岩の分布を調査すると,赤水の滝は実際には土石流堆積物上を流れ下っておらず,基盤岩上を流れ下っていること,土石流堆積物の分布は赤水の滝のすぐ上流から東側を通り,滝のすぐ下流で再び現在の安倍川に合流することは容易に見てとれる.さらに赤水の滝周辺の土石流堆積物露頭において,土石流堆積物の礫の配列から堆積物形成時の古流向を推定した.赤水の滝の下流側(南側)では,土石流堆積物は安倍川左岸の赤水の滝展望台周辺に比較的良く露出する.礫のインブリケーションから古流向は概ね西への流れであったと解釈される.また長軸は古流向にほぼ平行であり,転動とは別のプロセスにより礫が運搬されていたことを示す.岩相としては礫支持であり,一般的な土石流堆積物(基質支持)と比べて礫の濃度が高いが,基質には泥分も多く含まれており,土石流の一種として差し支えないと思われる.一方赤水の滝上流側では植生が繁茂し,巨礫の直下にかろうじて露出している中礫のインブリケーションから推定される古流向は概ね東への流れを示した.以上より,赤水の滝は大谷崩れの崩壊に端を発した土石流堆積物によって安倍川の谷が埋められた際に,水流が元々の尾根を越流し,蛇行した谷をショートカットして流れ落ちることにより形成され,現在も基盤の頁岩を下刻しつつある,と考えるのが妥当であると結論づけられる.
著者
林崎 涼 白井 正明
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2015年大会
巻号頁・発行日
2015-05-01

石英や長石などの鉱物粒子から年代を推定できる光ルミネッセンス (OSL) 年代測定法は,津波堆積物自体から堆積年代を見積もる手法として有効と考えられている.また,OSL 年代測定で鉱物粒子の露光状態を見積もることにより,堆積物の運搬・堆積過程を推定する研究もなされており,その手法は津波堆積物にも適用できる可能性がある.しかしながら,津波堆積物の OSL 年代測定例は少なく,正確な堆積年代を見積もれるのか,また露光状態を見積もることで運搬・堆積過程を推定できるのかは明らかでない.本研究では,福島県相馬市と南相馬市における東北地方太平洋沖地震の津波堆積物を対象としてOSL 年代測定を行い,堆積年代と運搬・堆積過程の推定についての有効性を明らかにした.アルカリ長石の単粒子を用いた OSL 年代測定の結果, 11 地点,26 試料全てにおいて,東北地方太平洋沖地震の津波堆積物の堆積年代である現世の堆積年代を示す粒子を見出すことができた.単粒子を用いた OSL 年代測定を行うことにより,津波堆積物の堆積年代を見積もることができると考えられる.一方で,著しく古い堆積年代を示す粒子の混入も確認できたことから,複数粒子を同時に測定する一般的な測定方法では,津波堆積物の正確な堆積年代を見積もることは難しいといえる.また,津波堆積物に含まれる砂質の鉱物粒子は,運搬過程でほとんど露光していないことが明らかになった.すなわち,津波堆積物中の砂質の鉱物粒子は,供給源となる堆積物の堆積環境の露光状態を反映していると考えられる.津波堆積物に含まれる鉱物粒子の露光状態を OSL 年代測定により見積もることで,津波堆積物の堆積年代だけでなく,供給源となった堆積物の堆積環境の推定にも有効だと考えられる.