著者
澤田 佳世
出版者
沖縄国際大学社会文化学会
雑誌
沖縄国際大学社会文化研究 (ISSN:13426435)
巻号頁・発行日
vol.11, no.1, pp.1-22, 2008-03

本稿は、米軍統治下におかれた戦後沖縄の人口と生殖をめぐる政治のありようを解明し、ノスタルジックに非政治化された沖縄の生殖の場を再考する。すなわち、戦後沖縄における家族計画の軌跡の詳細な内容解明を行う。具体的には、第一に米軍政下で「過剰人口」が人為的に作られ「問題化」される経緯、第二に優生保護法の是非をめぐるUSCARと琉球政府の交渉プロセスとその真の争点、第三に家族計画普及に関与した諸アクターとそれぞれの論理、利害の交差について分析する。本稿で分析対象とするのは、USCAR文書と琉球政府文書、沖縄家族計画協会刊行物、新聞・雑誌、沖縄家族計画協会や琉球政府関係者へのインタビュー資料である。これらの資料分析を通じ、沖縄は米国が軍政を敷いていたからこそ家族計画をめぐる国際的・国内的潮流の「はざま」/「辺境」に置かれたこと、その一方で、米国・USCAR、琉球政府、沖縄家族計画協会、国際家族計画連盟(IPPF)、日本の家族計画推進団体、受胎調節実地指導員となった助産婦ら、多様なアクターの利害関心が絡み合い一致する中で、国際的・国内的潮流の影響を受けながら、日本から「遅れる」こと15年、家族計画の普及体制が確立されたことを詳述する。
著者
石原 昌家
出版者
沖縄国際大学
雑誌
沖縄国際大学社会文化研究 (ISSN:13426435)
巻号頁・発行日
vol.10, no.1, pp.31-54, 2007-03-31

沖縄戦における住民の集団自決という用語に内在している問題の核心は、日本政府・皇軍(旧日本軍)の戦争責任が免責されるという点にある。すなわち、沖縄戦体験を記録したり、語ったりするとき、住民に集団自決という「援護法」の用語を用いた場合、単なる言葉の表現上の問題ではなく、その意味するところは、沖縄戦が「靖国思想」に立脚した「軍民一体の戦闘」だったという認識に立つことになるのである。つまり、「援護法」適用のための用語である集団自決と「強制集団死」(軍事的他殺)を明確に区別しないと、沖縄戦における住民被害の本質を見誤ることになる。
著者
桃原 一彦
出版者
沖縄国際大学
雑誌
沖縄国際大学社会文化研究 (ISSN:13426435)
巻号頁・発行日
vol.10, no.1, pp.1-29, 2007-03-31

本稿は、沖縄の米軍基地周辺市街地におけるインナーエリアの空洞化から都市下層の問題を呈示し、「二極化」の動向を分析していくことを目的とする。ただし、たんなる「インナーエリアー郊外」という都市社会学の一般的な空間構成の図式で読み解くのではなく、米軍基地を抱える沖縄の社会構造の特質と絡めて問題点を明らかにする。米軍基地周辺市街地のインナーエリア問題に関しては、沖縄市の旧コザ市管内を高齢化率、失業率、生活保護世帯率などの既存統計資料から空洞化の動向を紹介し、いったん都市下層の問題を一般的な指標で提示しておきたい。さらに、米軍基地の問題と深く関連する沖縄社会および沖縄の都市社会の構造の特質を見出すために、嘉手納弾薬庫を「不法」に占拠して400余の店舗群を構築した白川フリーマーケットを手がかりに都市下層の様相を記述しておく。そこに垣間見えてくるのは、圧倒的な暴力主体としてのアメリカ軍、それを優遇し正当化する日本の国家権力、そしてこの両者から私的利権を欲望させられる軍用地主によって強力に規定される、基地周辺の都市空間と都市下層の特殊性である。そこには「黙認」という都市行政の儀礼的態度も複雑に関連している。
著者
波平 勇夫
出版者
沖縄国際大学社会文化学会
雑誌
沖縄国際大学社会文化研究 (ISSN:13426435)
巻号頁・発行日
vol.9, no.1, pp.1-19, 2006-03

本稿は昭和40年以降、離婚率全国1位を続ける沖縄の離婚問題について沖縄の特殊な都市化過程からその社会的要因の析出を試みる。まず沖縄県のなかでもとりわけ米軍基地周辺地域の離婚率が高いことに目をつけ、「基地の町」効果として(1)人口流動化、(2)コミュニティ結合の弛緩、(3)被雇用社会の拡大、(4)分離志向の拡大を取り上げ、高離婚率との関連を考察する。各要因を代表すると思われる変数を取り出し、基地周辺地域とその他の地域を比較すると比較的一定の差異が確認されることから、われわれの前提が作業仮説として有効と言えるかも知れない。
著者
吉浜 忍
出版者
沖縄国際大学社会文化学会
雑誌
沖縄国際大学社会文化研究 (ISSN:13426435)
巻号頁・発行日
vol.11, no.1, pp.43-71, 2008-03
被引用文献数
2

近年、戦争遺跡が注目されている。戦争遺跡を「戦争の語り部」として活用する取り組みは、戦争体験者が減少するなかでますます重視されている。本稿では、沖縄における戦争遺跡の保存活用の歴史を全国の取り組みと関連して紹介する。さらに戦争遺跡の保存活用の先進的な役割として、沖縄県南風原町の南風原陸軍病院壕の町文化財指定と整備公開の取り組みについて具体的に記述し、あわせて全国や沖縄県における戦争遺跡の文化財指定の現状と課題について言及する。沖縄の戦争遺跡は沖縄戦の「生き証人」であり、体験者に代わって沖縄戦を語ってくれる。そのためには戦争遺跡の保存活用、文化財指定が必要不可欠である。In recent years, the preservation of wartime ruins has received increasing attention. The role of wartime ruins as witnesses to war becomes increasingly important as the numbers of actual war survivors decrease year-by-year. In this paper, the writer discusses the history of efforts nationwide to gain official recognition for war ruins. Further, the efforts to gain recognition for the underground Haebaru Imperial Army Field Hospital in the town of Haebaru in Okinawa, as well as the establishment of a park adjacent to the hospital site are discussed in detail as an example of an advanced case of preservation and use of wartime ruins. Further, the conditions of wartime ruins preservation in Okinawa are placed in a wider national context as preservation efforts increase. Wartime ruins in Okinawa from the Second World War have become "living witnesses"which continue to convey the facts of the war as actual human witnesses slowly disappear. The importance of official recognition for the preservation and use of wartime ruins is, thus, indispensable.
著者
桃原 一彦
出版者
沖縄国際大学
雑誌
沖縄国際大学社会文化研究 (ISSN:13426435)
巻号頁・発行日
vol.8, no.1, pp.51-79, 2005-03-31

In this paper, urban societies of Okinawa, particularly those around U.S. military bases, are viewed as colonial cities, and their special composition and the mobilization and deployment of Okinawa's population after the "reversion to Japanese administration" are examined. Here, Okinawa's society is seen from the viewpoint of postcolonialism study, applying it to the sociological analysis of power relationships in colonial cities. U.S. military bases are an important factor that define the postcolonial characteristics of Okinawa's society. This paper examines how the politics of Okinawa City (Goeku:Koza) blends in with the practices of postcolonialism, and how they exert a synergistic effect in hiding colonial characteristics. Okinawa City is located in central Okinawa where U.S. military bases and urban areas are squeezed together, adjoining to each other. As an example, this paper looks into the Shirakawa Flea Market, which was formed and has been expanding in the forest of Kadena Ammunition Storage Area, and the inner-city issues concerning the city center of Okinawa City. Through these, this paper describes the relationship between postcolonialism and recomposition of urban spaces.
著者
石原 昌家
出版者
沖縄国際大学
雑誌
沖縄国際大学社会文化研究 (ISSN:13426435)
巻号頁・発行日
vol.11, no.1, pp.23-41, 2008-03

2008年、年明け早々、沖縄から「靖国神社合祀取消」が提訴されるということが明るみなった。それは戦後63年も経て、沖縄戦体験研究者に「沖縄戦体験とは何だったのか」とか「沖縄戦体験の認識」を改めて問うものである。1970年から戦争体験の聞き取り調査を実施してきた筆者としては、「靖国神社合祀取消」訴訟にあたって、ただちに沖縄戦体験との係わりを実証的に論理展開できるほどの研究を蓄積しておくべきであった。しかしながら、沖縄戦体験と靖国神社合祀との係わりについては、2005年4月以降、資料収集に着手したに過ぎず、一年前の2006年2月に、「援護法」によって捏造された「沖縄戦認識」-「靖国思想」が凝縮された「援護法用語の集団自決」-を書き上げたにすぎない。そこで本論では、「援護法」が日本の国会でいかなる議論の中で制定されたか、それが制定される過程で日本人が戦争責任を総括する機会を失うことになったことや「援護法」が沖縄にも適用されることによって米軍政下の沖縄が「靖国化」されていったことを明らかにしていく。
著者
漆谷 克秀
出版者
沖縄国際大学
雑誌
沖縄国際大学社会文化研究 (ISSN:13426435)
巻号頁・発行日
vol.2, no.1, pp.1-17, 1998-03-31

1959 schrieb Celan eine Prosa >>Gesprach im Gebirg<<. In der letzten Halfte dieses Werks wurde ein Bild >der herunterbrennenden Kerze< geschildert. Man halt dieses Bild fur einen gemeinsamen Punkt der Zugehorigkeit zu der Judenheit und deren Existenzbestimmung. Angespielt wird, daB die Zugehorigkeit zu der Judenheit den Tod des Einzelnen bedeutet. >Die herunterbrennende Kerze< wird ein Ausdruck des Unsagbaren und eine Metapher fur die Qual Celans, eines iiberlebenden Juden. Als Celan die Realitat, die sich zum Schweigen sammelt, starr ansah, wird das Bild >der herunterbrenneden Kerze< ein Bekanntnis eines judischen Dichters, der ein richtiges Wort finden will. Das ist eins der Momente, die Grundlege seiner Dichtung bilden. In diesem Aufsatz wird der Sinn >der herunterbrennenden Kerze< des Sabbats dargelegt, indem das Problem >des sehens< und >des Gedachtni sses< beriicksichtigt wird.
著者
藤波 潔
出版者
沖縄国際大学
雑誌
沖縄国際大学社会文化研究 (ISSN:13426435)
巻号頁・発行日
vol.6, no.1, pp.27-55, 2003-03-25

Taiwan had many natural resources, espcially sugar, tea, coal and camphor. So the Great Powers started to enter in Taiwan in order to obtain the resources since the middle of 19th century. British anticipated other Great Powers in entering into Taiwan, and got some ports to trade. But, British came into conflict with China over camphor trade in Taiwan. Its comflict depended on difference of interpretation on clauses of Tien-tsin Treaty. British claimed China to stringly apply the clauses of Tien-tsin Treaty, because British, who have much benefited from free trade, intended to establish and enlarge free trade system in China. The political leaders or diplomats thought doing so will ensure the British prosperity in the future. In the other hand, Biritish point of view of Taiwan contained a certain segregative sense. Its sense came from the sense of empire. Therefore, the British policy on Taiwan, consisting of free trade and segregative sense to the mariginal, had features which were inherent in 19th British diplomatic and imperial policy.