著者
福田 正治
出版者
[富山大学杉谷キャンパス一般教育]
雑誌
研究紀要 : 富山大学杉谷キャンパス一般教育 (ISSN:1882045X)
巻号頁・発行日
no.38, pp.39-54, 2010-12-25

近年、癒しという言葉が世の中をにぎわしている。癒しグッズ、癒しの音楽、癒しの空間、癒しの旅、癒しの宿など数えきれない程、さまざまなところで癒しという言葉が使われている。そして多くの人びとがそれを求めてうごめいている。この癒しとは何なのか、これを感情との関係で考えてみたいと思ったのがこの論文である。癒しという言葉が、本格的に市場に現れてきたのは1990年代に入ってきてからである。おりしも日本では、経済的バブルがはじけ、長期の不景気に突入し、人びとの不安が高まってきた時期に相当する。将来への不安、リストラへの不安、就職できない不安とさまざまな不安が社会を取り巻いていった。そのような人びとの不安に便乗して、この癒しという言葉が人びとを引きつけ、それを追い求めるというブームが起ったと考えられる。それ以前では、ストレスに対してリラクゼーションという言葉が学問的にも商業的にも多く使われていた。また新精神世界というスピリチュアルな心の糧を求めるという若者の動きもあったが(2)、世代を超えた動きにはなっていなかった。そのような時代背景の中に、癒しという言葉が突然現れ、多くの人びとの心を捉えた。人びとはこの癒しという言葉の意味をどのように理解し使用しているかを考えたとき、そこに大きな曖昧さがあるように思える。この癒しという言葉が、近年、医療の中にも浸透し、心身医療や全人的医療、代替医療の中でよく使われるようになってきている。そもそも癒しという言葉の英語であるhealingは病気を治すという意味を含んでいるために、古代から医学の中で使われていた。しかしデカルトの心身二元論以来、身体の機械論的見方が医学の中を席巻し、今日の西洋医学といわれる巨大な自然科学的知識の空間が形成されている。その中でhealingは伝統医学の中に閉じ込められ、曖昧さを伴った科学的でない概念であると考えられてきた。しかし人間に対する近代科学の限界と危険性が指摘され、生態系の限界も見え隠れしてきている状況の中で、癒しとは何か、生理学的に、また心理学的に再考しようとしたのがこの論文である。
著者
濱西 和子
出版者
[富山大学杉谷キャンパス一般教育]
雑誌
研究紀要 : 富山大学杉谷キャンパス一般教育 (ISSN:1882045X)
巻号頁・発行日
no.41, pp.19-34, 2013-12-25

『失われた時を求めて』は五感の知覚から喚起される実に様々な連想や記憶に溢れている。何らかの契機に五感で知覚したものが、突如、話者である「私」の意識に上昇してくる。Et tout d’un coup le souvenir m’est apparu. (突如として、そのとき回想が私にあらわれた。)という無意識的記憶が起きるときに発せられるフレーズである。視覚、聴覚、味覚、触角、嗅覚の五感の中で、進化の過程で視覚器官を頂点とし、嗅覚を最も下位な原始的な器官と位置づけるのは一般通念であるが、その位置づけとは逆に、嗅覚で知覚する匂や香りこそ最強で、その記憶は最も強く、記憶の拡がりと定着は永続性があるとする、プルーストの唱える本質(エッセンス)とは何かを、この作品の中で展開し探求したい。また匂や香りから連想する隠喩や表現方法の多様性についても分析していきたい。
著者
Morinaga Shinichiro
出版者
[富山大学杉谷キャンパス一般教育]
雑誌
研究紀要 : 富山大学杉谷キャンパス一般教育 (ISSN:1882045X)
巻号頁・発行日
no.41, pp.1-9, 2013-12-25

Im Nationalsozialismus wurden etwa 70.000 Behinderte als „nicht lebenswert― und Millionen von Juden unter dem Namen der „Endlösung― in die Gaskammern geschickt. Hannah Arendt, die beim Eichmann-Prozess zuhörte und „Eichmann in Jerusalem― schrieb, erwiderte Karl Jaspers, Eichmanns Verbrechen seien nicht nur „Verbrechen gegen die Menschlichkeit―, sondern „Verbrechen gegen die Menschheit― gewesen. Ein „Verbrechen gegen die Menschheit― ist ein Verbrechen gegen den Status des Menschseins, oder ein Verbrechen gegen das Wesen des Menschengeschlechtes selbst; in anderen Worten, ein Angriff gegen die menschliche Mannigfaltigkeit, die eine so wichtige Eigenschaft des menschlichen Status ist, dass ohne sie Wörter wie „Menschheit― und „Menschengeschlecht― ihre Bedeutung verlieren würden. Das heißt, es ist eine Bedrohung des menschlichen Daseins. In diesem Bericht möchte ich die Gedanken der beiden um in Bezug auf den Begriff „Menschheit― behandeln und ihn aufzuklären versuchen.
著者
松井 三枝
出版者
[富山大学杉谷キャンパス一般教育]
雑誌
研究紀要 : 富山大学杉谷キャンパス一般教育 (ISSN:1882045X)
巻号頁・発行日
no.41, pp.115-157, 2013-12-25

医療の分野における心理職のニーズは昨今ますます大きくなってきているといえるが、そのためのコアとなる教育が実際には各大学でどこまでなされているかが必ずしも明らかとはいえない。本研究では、臨床心理専門家養成のための医療実習の実態を明らかにすることを目的として、全国の大学病院にアンケート調査を行なったので、その結果を報告し、大学院における専門家教育のためのカリキュラムの充実に向けての資料を提供したいと考える。
著者
松井 三枝
出版者
[富山大学杉谷キャンパス一般教育]
雑誌
研究紀要 : 富山大学杉谷キャンパス一般教育 (ISSN:1882045X)
巻号頁・発行日
no.40, pp.111-114, 2012-12-25

心理学の応用のひとつとして、医療領域に関わる専門家の育成のための教育システムは重要と考えられる。医療の分野における心理職のニーズは昨今ますます大きくなってきているといえるが、そのためのコアとなる教育が実際には各大学でどこまでなされているかが必ずしも明らかとはいえない。広義の臨床心理学のなかに医療領域に従事する心理学専門家の育成が入ってくると思われる。2008年に日本学術会議の健康・医療と心理学分科会は、医療領域に従事する国家資格法制の確立の提言を行ない、これ以降の討論の中で、現状の問題として、教育カリキュラムの確立が課題とされた。とくに、大きな点は臨床実習を含めたカリキュラムの確立にあるといえる。本研究では、そのために全国の臨床心理系大学での教育システム、とくに臨床実習状況の実態調査を行ない、大学院における専門家教育のためのカリキュラムの充実に向けての資料を提供したいと考える。実際には第1段階として現在ある全国の臨床心理士指定校や専門職大学院165校を対象の中心として調査を行なうこととする。第2に全国の臨床心理士に教育経験等についてアンケート調査を行なうことにする。第3に全国の大学病院に臨床心理専門家の医療実習受け入れ状況についてのアンケート調査をする。本報告では、このうちの第1段階のなかのシラバス調査について示すこととした。
著者
ライター ヨハネス 盛永 審一郎
出版者
富山大学
雑誌
研究紀要 : 富山大学杉谷キャンパス一般教育 (ISSN:03876373)
巻号頁・発行日
vol.35, pp.11-19, 2007-12

移植医療ほど急速に発展した医療分野はないだろう。1954年にアメリカの外科医が、若い男性から彼の病気の双子の兄への腎臓移植をはじめて成功させたのは、まさに53年前のことである。それから今日に至るまで、ドイツにおいては、一日当たり7 つの腎臓が、そして3つの肺、1つの心臓が移植されている。2006年には、ドイツにおいて4646の臓器が移植された。臓器の需要はいまではかつての2 倍近くになっている。2006 年の時点でドイツにおいては、腎臓病の患者は、新しい臓器を5年半待たなくてはならなかった。命を救う臓器提供がなかったために、毎日3人の人間が亡くなっている。臓器不足が発生しているのは、ドイツにおいて臓器提供者が不足しているからというだけではなく、臓器移植はまた、構造的にも引き起こされているのである。つまり、次第に増えているより良い免疫抑制の可能性、臓器移植の事由が拡大し続けていること、そして改善された技術的な可能性によって、より大量の臓器が必要とされている。
著者
松井 三枝
出版者
[富山大学杉谷キャンパス一般教育]
雑誌
研究紀要 : 富山大学杉谷キャンパス一般教育 (ISSN:1882045X)
巻号頁・発行日
no.40, pp.111-114, 2012-12-25

心理学の応用のひとつとして、医療領域に関わる専門家の育成のための教育システムは重要と考えられる。医療の分野における心理職のニーズは昨今ますます大きくなってきているといえるが、そのためのコアとなる教育が実際には各大学でどこまでなされているかが必ずしも明らかとはいえない。広義の臨床心理学のなかに医療領域に従事する心理学専門家の育成が入ってくると思われる。2008年に日本学術会議の健康・医療と心理学分科会は、医療領域に従事する国家資格法制の確立の提言を行ない、これ以降の討論の中で、現状の問題として、教育カリキュラムの確立が課題とされた。とくに、大きな点は臨床実習を含めたカリキュラムの確立にあるといえる。本研究では、そのために全国の臨床心理系大学での教育システム、とくに臨床実習状況の実態調査を行ない、大学院における専門家教育のためのカリキュラムの充実に向けての資料を提供したいと考える。実際には第1段階として現在ある全国の臨床心理士指定校や専門職大学院165校を対象の中心として調査を行なうこととする。第2に全国の臨床心理士に教育経験等についてアンケート調査を行なうことにする。第3に全国の大学病院に臨床心理専門家の医療実習受け入れ状況についてのアンケート調査をする。本報告では、このうちの第1段階のなかのシラバス調査について示すこととした。
著者
笹野 一洋
出版者
[富山大学杉谷キャンパス一般教育]
雑誌
研究紀要 : 富山大学杉谷キャンパス一般教育 (ISSN:1882045X)
巻号頁・発行日
no.38, pp.29-38, 2010-12-25

習熟度別(能力別)クラス編成は,これまで小・中・高等学校レベルにおいて数多く試みられ,その結果・効果についても,いくつかの研究報告がなされている。大学,とくに教養教育・共通教育においても,主として私立大学の理工系学部において,数学・物理・化学・英語などで習熟度別クラス編成を(時として,リメディアル教育やeLearningとも関連付けて)実施するケースが数多く見られる。例えば,北里大学(薬学部,医療衛生学部の一部,海洋生命科学部,獣医学部全学科の数学において習熟度別クラス編成),明治大学理工学部(数学,物理学,化学において能力別クラス編成),近畿大学(「リメディアル数学・物理」において5段階の習熟度別クラス編成),東京電機大学未来科学部(数学において習熟度別指導体制),千葉工業大学(英語,数学,物理学,化学においてプレースメントテストの結果に基づいて習熟度別クラス編成。加えて,必要に応じて補習授業),山口理科大学(数学,物理学,英語で習熟度別クラス編成。また,リメディアルとして「基礎数学」を開講)などが挙げられる。私立大学と較べると,国立大学においてはこれまで積極的に習熟度別クラス編成を行う事例は少なかったようである。しかし,近年の入学生の学力低下,特に所謂「ゆとり世代」の入学という現実に直面し,習熟度別クラス編成に踏み切らざるを得ないところが出てきている。例えば,九州工業大学(平成21年度「大学教育・学生支援推進事業【テーマA】大学教育推進プログラム:自学自習力育成による学習意欲と学力の向上」:数学,物理,英語,情報において習熟度別学習とリメディアル教育)などが挙げられよう。これらの動向の結果,全体としては,国公私立大学中471大学(約66%:平成18年度)が何らかの形で習熟度別クラス編成を実施しているとしている。このように,大学においても習熟度別クラス編成が一般化して来ているにも関わらず,その効果や問題点に関する研究は情報処理教育における報告が見られる以外には殆ど見つけることはできない。特に,筆者の知る限り,http://kindai.jp/highschool/remedial.htmlにおいて簡単に触れられている以外には,数学における報告はない。そこで本稿では,筆者の担当する「解析学」において実施している習熟度別クラス編成の状況について,学生の高等学校での数学の履修状況,成績状況,授業アンケートの結果などを用いて分析を行い,その効果や問題点を探求する。
著者
笹野 一洋
出版者
[富山大学杉谷キャンパス一般教育]
雑誌
研究紀要 : 富山大学杉谷キャンパス一般教育 (ISSN:1882045X)
巻号頁・発行日
no.40, pp.33-44, 2012-12-25

授業への出席を確実なものとするためには,何らかの意味での出席管理,すなわち出席状況を検知・記録し,学修の到達状況のチェックの一助とする一連の作業が必要不可欠であり,旧来より「毎回の授業中に学生氏名を読み上げて返事を確認する」,「毎回の授業中に出席カードを配布し,誌名などを書かせて回収する」などの手法がとられてきた。しかしながら,これらの手法には欠点が多く,出席記録が不完全なものになってしまったり,大人数クラスでは本来授業の質的向上に費やすべき時間を出席管理という機械的な仕事に食いつぶされてしまうという本末転倒な状況に陥ってしまうことが度々あった。そこで本稿では,QRコードを用いた新しい出席管理の方法を提案すると共に,筆者による実践の結果について報告する。
著者
松倉 茂
出版者
富山大学
雑誌
研究紀要 : 富山大学杉谷キャンパス一般教育 (ISSN:03876373)
巻号頁・発行日
vol.35, pp.85-86, 2007-12

ヒトの認知構造は発達することが知られている。生まれたての乳児は聴覚や視覚などは別にしても、ほとんど認知能力が無に等しいにもかかわらず成人するまでの間にはその認知能力は著しく発達する。このように急激に認知能力が発達すること自体はよく知られた事実であるが、それがどのようなメカニズムで起きるのかはまだよく分かっていない。本研究の目標は言語の認知能力のメカニズムの解明である。
著者
福田 正治
出版者
富山大学
雑誌
研究紀要 : 富山大学杉谷キャンパス一般教育 (ISSN:03876373)
巻号頁・発行日
vol.35, pp.21-34, 2007-12

基本情動の発生、および進化を考えたとき、系統進化の中にその証拠と見つけることは不可能に近く、形態と機能や行動制御の詳細を化石の証拠から見つけるのは難しい。その点から情動の進化は推定を含めた物語になる危険性を含んでいる。しかし情動の進化の紐を辿っていくと、生物の発生や動物の発生までに至り、動物が食性として肉食に至るまでの時間をさかのぼらなければならなかった。そして情動が運動と連動し、運動と別々に論じられないことを見てきた。情動とは何か、という問題を考えていったとき、動物の動物たる所以のところに突き当たってしまった。おそらく、動かない植物に情動が備わっていないことを考えると、動くものと最低限定義できる動物の特性として情動を脳の機能として設定せざるをえなかった。生物は自己保持の機能を根本的に持っていると考えなければ、地球上の生物は今日ここに存在しないであろう。この自己保持機能の中に、生きていくための捕食者―被食者の関係を持たざるを得ない。その関係の中で、情動という機能が生まれ、恐れが第一なのか、報酬に関係した喜びが初めてなのか不明であるが、そのような判断がすばやくできることが生き残る第一の選択であった。有性生殖もまた、複雑な機能を要求してきた。自己の遺伝子をいかに効果的に伝えていくかの機能の中に受容・愛情の原型が作られた。種が生き残る判断として、この受容・愛情の原型は役立ったに違いない。ここではヒトの感情の大部分は動物が群れや集団を作ってしか生きていけないことから発生していることを指摘した。社会的感情は集団の中で生きていくための選択であり、その集団を離れることが死を意味するために、この感情の能力は何千万年かけて幾世代超えて脳の中を書き換えていった。ところが新人類が出現したとき、食料問題か環境問題が緊急になり、自己のテリトリーだけでは満足せず、集団間の軍拡競争にその活路を見出した。時を同じくして、新人類はそれを実行できる大脳皮質の能力が拡大し特殊能力を身に付けた。そして今日地球上を席巻し、いまだに軍拡競争に明け暮れている。
著者
松井 三枝 中坪 太久郎
出版者
富山大学
雑誌
研究紀要 : 富山大学杉谷キャンパス一般教育 (ISSN:03876373)
巻号頁・発行日
vol.35, pp.61-84, 2007-12

本調査は、小川(1972)と秋田(1980)の報告から約30 年の年月を経て実施されたものである。そこで、今回の結果を用いて、小川(1972)および秋田(1980)との比較の上で、本結果の考察を行うこととする。まず、全体的な結果を見ると、時代の変化の影響を受けたカテゴリーと、比較的時代の変化を受けていない事例をもつカテゴリーが存在することが明らかとなった。例えば、有名人や雑誌などは、小川(1972)および秋田(1980)の報告と大きく変化している。しかし、これらのカテゴリーにおいては、各事例の出現率が低くなっている。つまり、それだけ多くの種類の回答が示されており、これらのカテゴリーには、万人に共通する事例というものがみつかりにくいことが推測される。一方で、色や顔のパーツなどは、小川(1972)と秋田(1980)の報告とそれほど差がない。しかも、各事例がかなりの高率(「色」の第一反応が88.6%、「顔のパーツ」の第一反応が98.1%)で出現していることから、これらのようなカテゴリーは、ある程度多くの者に共通する事例というものが存在していることがうかがわれる。また、調査の実施場所や研究協力者の偏りによるデータの違いも見て取ることができる。例えば、「山の名前」や「川の名前」などは、小川(1972)と秋田(1980)の報告、本結果のすべてにおいて、その土地の土地柄を反映した事例が多数出現していることが分かる。さらに、秋田(1980)において「学科」のカテゴリーの第2位が、「心理学」であるように、研究協力者の持つ背景が事例となって出現していることも見出せる。本結果においても、「職業」のカテゴリーにおいて、「医師」「看護師」「薬剤師」が上位に並んでいるが、これは本調査における研究協力者の専攻とも関係があると考えられる。このように、小川(1972)および秋田(1980)の報告と、本調査の結果を比較したことによって、時代の変化や研究協力者の偏りの影響を受けるカテゴリーと、影響を受けないカテゴリーが存在することが明らかとなった。このような差は、今回得られたデータを用いて、実験や調査のための刺激を作成する際にも考慮することが必要である。つまり、時代の変化や、研究協力者の偏りの影響を受けていないカテゴリーについては、安定した実験用の刺激として用いることが可能といえる。一方で、影響を受けているカテゴリーについては、そのことを考慮した上で使用する必要があることから、実験目的に見合った使用を考えるべきであろう。
著者
濱西 和子
出版者
富山大学
雑誌
研究紀要 : 富山大学杉谷キャンパス一般教育 (ISSN:03876373)
巻号頁・発行日
vol.34, pp.1-22, 2006-12

この小説は第一次大戦が終わってから5 年後の1923年の6月のロンドンを舞台に、主人公であるダロウェイ夫人や他の登場人物たちの意識の継起を通じて14時間以内の出来事が展開される。ダロウェイ夫人の「戦争も終わった」という独白にあるように、まだ戦争の傷跡は深く人々の間に影を落としていた時代であるが、長期にわたるヴィクトリア王朝以来の伝統や慣習も少しずつ崩壊が顕著になり、イギリス小説に於いてもウェルズやゴ-ルズワ-ジ-などの大作家達の時代は終わり、ジョイスなどの出現により新しい時代の波の兆候が現れ始めていた。この小説の大きな特徴は二組の登場人物の物語が平行して進行していくことである。この小説の主人公クラリッサ. ダロウェイを中心としたグループとクラリッサの分身ともいえるセプティマスの人物群である。この両者のグループの人物達の相互の関わりはなく、また物語の筋に関しても何の関連性もない。ただセプティマスを診療する精神科医のサー・ウィリアム・ブラッドショ-だけが両方のグループに登場する唯一の人物である。ここでウルフは何故に二組の関連性のないグル-プと、異なった筋の二つの物語を平行して設定したのか。またクラリッサの身代わりの如くセプティマスを死に追いやり、逆にクラリッサを死から救済し生への回帰をなし得たのか。この疑問について分析し考察をしたい。