著者
梅田 肇
出版者
鈴鹿大学
雑誌
鈴鹿国際大学紀要Campana (ISSN:13428802)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.1-12, 2011-03-20

This paper studies issues facing foreign students in public junior high schools in Mie Prefecture, Japan. A questionnaire was given to these students to find out what issues/problems they face. The results have led the author to introduce some measures to help these students accommodate different educational environments. Moreover, the author states his suggestions for making better "international classroom" atmosphere for both foreign students and their Japanese counterparts. The questionnaire, given to and answered by the students between May and July 2009, includes seven questions. The students were asked: (1) what language(s) they use to talk with their parents/families at home, (2) how much they use Japanese in their daily lives, (3) if they are interested in studying Japanese, (4) if they are interested in studying English, (5) if they are currently studying Japanese in supplementary classes, (6) if they are studying the languages of their own countries, and (7) in what countries/areas they would like to live in the future. The results show multi-nationalization and multi-lingualism without English. They also can give Japanese students good opportunities to recognize how important it is to be familiar with the feelings of their minority classmates in order to create a better international environment for mutual understanding in schools.
著者
大本達也
出版者
鈴鹿大学
雑誌
鈴鹿国際大学紀要Campana (ISSN:13428802)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.27-41, 2010-03-20

In this paper we will examine the publication process and the contents of Shogaku Shoka Shu(Song books for the elementary school, 3vols. 1882-4). The "Shoka", which are songs for schoolchildren, had an impact on the formation of Japanese "poems". In chapter 1 we will assess the publication process of those books. In chapter 2 we will categorize and investigate the words of Shoka into 4 groups:-lyricism, moralism, patriotism and militarism
著者
立松 信孝
出版者
鈴鹿大学
雑誌
鈴鹿国際大学紀要Campana (ISSN:13428802)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.185-211, 2005-03-20

21世紀を迎えた今日,国土が細長く,人口密度の高いわが国にあって,人口,産業,経済,文化等の集積が高い東京〜新大阪間を運行する東海道新幹線は,需要の逼迫,老朽設備の取替え等の課題をかかえている.今後とも,東海道新幹線が国土の主軸として発展していくためには,東海道新幹線に新しい超電導磁気浮上式リニアモーターカーの技術を導入したバイパス路線の役割を果たす高速交通機関として,リニア中央新幹線(以下,リニア新幹線)に期待が高まっている.このリニア新幹線が実現すれば,わが国の広大な市場圏の形成に大きな役割を果たすだけでなく,災害に強く,地球環境に優しい国土形成に大きな影響を及ぼす可能性が高いと思われる.このような視点から,東海道新幹線の果たしてきた役割を通して,リニア新幹線の必要性を明らかにするとともに,わが国の国土形成及び名古屋圏域,三重県,鈴鹿市を中心としてリニア新幹線を活かした受け皿としての地域づくりやまちづくりについての役割について考察する.さらに,リニア新幹線の実現に向けての国家プロジェクトとしての位置づけを明確して,今後の課題について展望する.
著者
仲 律子
出版者
鈴鹿大学
雑誌
鈴鹿国際大学紀要Campana (ISSN:13428802)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.71-87, 2010-03-20

2006 年に義務教育段階での特別支援教育が本格導入されたが、大学における発達障害学生への支援はまだ始まったばかりである。わが国の約3割の大学に発達障害のある学生が在籍し、学業上の問題や大学生活上の問題を抱えている。米国では法律によってほとんどの大学に障害学生支援システムが整備されるようになったが、日本には大学で障害児・者をどのように支援するのかを規定した法律はない。発達障害をもつ学生が入学前にすべきことは、高校と大学の違いを理解し、将来の夢に学士号が本当に必要かどうかを検討することである。また、支援を求めるために自らの障害を表明するかどうかも考えておくといいかもしれない。しかし、診断を持つ学生の割合が約16%と、生活をする上で困難を抱えていたとしても、医療機関を受診していなかったり、診断名を持っていなかったりする学生が大半という事実がある。したがって、入学時の健康診断の際にメンタルヘルスを測る心理テストを実施している大学もある。入学後の支援については、講義、定期試験、学内生活、安全対策、就職支援など多岐にわたる領域での支援が求められる。さらに、成人生活に必要なスキルを身につけ、インターンシップ等に参加することで、就労に向けて準備できるような支援システムを作っていくによって、発達障害学生の自己実現に近づけるのではないかと考えている。
著者
山中 雅子
出版者
鈴鹿大学
雑誌
鈴鹿国際大学紀要Campana (ISSN:13428802)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.121-137, 2005-03-20

文致6(1823)年8月上旬に蜂起した「桑名藩文政一揆」は、藩主の国替により以前より開講していた助成講の講掛金返還をめぐる事件である。この事件を複数の史料から構築したのが当考察である。各史料が異なった立場から記されていることに着目し、一揆の背景から終息、事後処理をまとめたものである。桑名藩は助成講という講を開いていたが、文政6年幕府から武蔵国忍へと国替を命じられた。講に加入していた農民らは在方の講加入を勧めた役人らに講掛金の返還を要求したが、埓があかず訴願のため城下の役所へ詰めかけた。城下へ詰めかける農民が増長したため、藩では農民らと交渉の用意をしながら一揆の蜂起に備えた。8月6日から7日にかけて打壊しが始まり、一揆へと化した。農民らは武装し近隣村々の庄屋宅を襲撃した。このとき一揆鎮静に導いたのは、本願寺御坊輪番の寺僧・笠松役所及び桑名藩郡奉行らの説諭であった。町屋川原で農民の訴願を聞届ける旨を約束したため一揆は解体するが、一方領主側に召捕らえられた農民に因果を含めて開放し一揆を鎮めるという手段も模索された。一揆終焉後、国替は無事完了し入封してきた松平越中守家と、かつての領分の一部を忍領として残し国替となった松平下総守家との立会によって一揆に関わる吟味が行われた。そして、3名が死罪となる。また、笠松役所によって「聞届」を約束された要求の多くは叶えられなかった。領主側は「聞届」と「聞済」の語意の違いをもって農民らの要求は叶えたと主張する。が、農民らは異議を唱えることなく一件は落着した。以上の動きを複数の史料から紹介したものである。
著者
大本 達也
出版者
鈴鹿大学
雑誌
鈴鹿国際大学紀要Campana (ISSN:13428802)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.103-118, 2015-03-10

In this paper we will examine Shintaishi-sho (Selection of New-style Poems, 1883). The "Shintaishi" had an impact on the formation of Japanese "poetry", and became the mainstream of it. Firstly, we will assess the situation surrounding "poetry" in Japan before the publication of this poetic anthology. Secondly, we will categorize and examine the poems in this book. Thirdly, we will investigate the meaning of the book's publication.
著者
木之内 秀彦
出版者
鈴鹿大学
雑誌
鈴鹿国際大学紀要Campana (ISSN:13428802)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.55-75, 2015-03-10

The purpose of this article is to understand the robustness and resilience of contemporary authoritarian regimes. Since the collapse of Communist regimes in the Soviet Russian region including eastern Europe and the end of the Cold War, most of the democratic theorists and researchers on regime transition have tended to regard today's authoritarianism as inherently fragile, and then often fail to recognize the resilience of authoritarianism. However, many of twenty-first-century authoritarianism continue to exist, even flourish and expand its power in an age of democratization. This article argues what factors contribute to the survival of today's autocracy. Although essentially authoritarian, contemporary authoritarian regimes also adopt democratic institutions such as election, but use (abuse?)these institutions for their authoritarian purposes. This article discusses the new, sophisticated skills and techniques of today's dictators' survival strategies.
著者
笠原 正夫
出版者
鈴鹿大学
雑誌
鈴鹿国際大学紀要Campana (ISSN:13428802)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.43-57, 2010-03-20

Koyasan surrendered to Hideyoshi TOYOTOMI's invasion of Kishu in Tenshou 13 (1583).However, it was deprived of a wide range of Kishu's territory.Ogo MOKUJIKI is said to have played a great role in this event. Thereafter, Hideyoshi continued to rule Koyasan. Koyasan as a feudal lord governed and administered Kishu's territory, and survived into the early modern society until the Meiji Restoration
著者
笠原 正夫
出版者
鈴鹿大学
雑誌
鈴鹿国際大学紀要Campana (ISSN:13428802)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.71-85, 2007-03-20

徳川幕府は,将軍が代替りすると全国へ諸国巡見使を派遣した.各藩主の統治の実態を幕府(公儀)権力は掌握することをねらったのである.紀伊国へは大和国から入国して南下し,熊野地方を通って,伊勢国へ抜けていく場合と,逆に伊勢国から熊野地方へ入り,北上して大和国へ抜けていく場合の二通りがあった.巡見使が途中で領民に質問があったときの回答書を紀州藩が作成し,「手鑑」として村々へ配布している.藩側にとって不都合な発言をさせないためである.幕藩制下の藩というもう一方の分権的権力を把握しようとする公儀権力の目的は妨げられている.本稿は,宝暦10年(1760)の巡見使の来訪時の熊野地方のうちの付家老水野氏の所領(新宮領3万5000石)の状況を考察するが,領内に布達した巡見使に関する一切の触はすべて紀州藩から出されており,水野氏はそれに従うのみで独自な判断はできなかった.巡見使の来訪が近づくと,通行が予想される道路の点検と修復,新宮川の危険箇所の整備,それに伴う出人足や川舟と水主の村々への割り当てなど任務は多岐にわたったが,それを処理するのに地域の実状に最も熟知している大庄屋を駆使して行なった.本稿で利用した「万覚留帳」は,新宮領請川組大庄屋須川善六が書き留めた記録であるが,巡見使の通行に際し多岐にわたる任務に領民をどう徴発するのか,その状況を明らかにしながら領主権力が領内の村や領民支配が貫徹していく実状を解明する.
著者
大本 達也
出版者
鈴鹿大学
雑誌
鈴鹿国際大学紀要Campana (ISSN:13428802)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.95-106, 2013-03-01

This paper aims to clarify the activities of novelists (Gesakusha) in the early Meiji era. First, we will assesstheir actions before and after the proclamation of the three educational constitution articles (Sanjou no kyouken).Next, we will discuss the social situation of Gesakusha during this time. Third, we will determine the causes of thechanges in their activities that were accompanied by the publication of newspapers aimed towards the general public(Ko-shinbun). Fourth, we will interpret their understanding of imagination and fact in their writings. Fifth, wewill examine the meaning of the appearance of their serials (Tsuzuki-mono) in Ko-shinbun.
著者
富田 寿代 水谷 令子
出版者
鈴鹿大学
雑誌
鈴鹿国際大学紀要Campana (ISSN:13428802)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.213-226, 2005-03-20

水環境の現状と保全について検討することを目的として,トルコの黒海沿岸,中部アナトリアおよびイスタンブールとその周辺の生活用水を調査した.黒海沿岸地域は温暖でトルコで最も雨が多い.この地方の水は,Na^+,Cl^-含有量,電気伝導度ともに低く,ほとんどは総硬度100 mg/L 以下の軟水であった.パイプで導水された湧水は,同様の軟水で,細菌学的にも問題はなかった.中部アナトリア地方は乾燥ステップ気候で,年間を通して降水量が少ない.この地方で使われている水は,pH値,総硬度,電気伝導度が高く, Na^+,Cl^-含有量も多い.これは,石灰岩質の土壌の影響によるものであろう.一部のレストランやドライブインでは井戸水を利用していると推測される結果が得られた.イスタンブール近郊は降雨量が少なく,季節により寒暖の差が大きい.この地方では,Na^+,Cl^-含有量が幾分多く,総硬度が200 mg/L以下の中硬水が使われている.トルコの水道水は,細菌学的に問題はなく,CODや遊離炭酸の含有量は日本の快適水質項目の基準値を満たしていることから,通常の浄水処理がおこなわれていることがわかる.いずれの水道の蛇口でも残留塩素は認められなかった.また,いくつかの試料のDOは幾分低い.以上の結果から,使われている消毒剤の量は多くなく,浄水処理過程において硬度調整等の高度処理はなされていないと思われる.イスタンブールの大手ホテルでは独自にイオン交換による軟水化処理がおこなわれていた.
著者
立松 信孝
出版者
鈴鹿大学
雑誌
鈴鹿国際大学紀要Campana (ISSN:13428802)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.45-69, 2006-03-20

観光は日常生活圏を離れて一時的に別の場所に移動して,また日常生活圏に戻ってくることで,非日常的な体験や行動をすることである.このためには,必ず居住地から観光地までの移動を伴うことから,観光が成立するためには交通手段すなわち交通機関が必要となる.日常生活を離れた行動であるため,人の移動が存在し,ここに交通需要が発生する.交通は観光を支える重要な社会システムとしての役割をもち,今日ある観光の姿は交通手段の発達によって可能となったと言っても過言ではない.これまでの我が国の状況を振り返ると,観光地が発達してきた背景には交通機関の中でも,鉄道がその中心的な役割を果たし,観光地の発展に大きな貢献をしてきた.このような視点から,観光面からみた鉄道の役割,さらには今後鉄道が厳しい競走条件の中でどのような観光分野で役割が期待できるのかを展望し,鉄道の活性化への道を検証する.
著者
山中 雅子
出版者
鈴鹿大学
雑誌
鈴鹿国際大学紀要Campana (ISSN:13428802)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.47-60, 2004-03-20

南町奉行矢部駿河守定謙は北町奉行遠山左衛門尉景元とならび天保改革に携わった江戸町奉行であったが、間もなく町奉行を罷免され、桑名藩預けという重い処罰を受けることになった。その直接的な原因は、天保七(一八三六)年江戸市中御救米取扱掛買付不正事件の筋違い調査、町奉行就任後の調査放棄、刃傷事件の事実隠蔽、吟味中の供述態度・行動を問われたものである。しかし、彼を失脚に向けた事件は、天保改革推進者水野忠邦との市中政策をめぐる対立、天保一一(一八四〇)年に発令された三方領知替を再審に持込み水野との確執を深めたこと、あるいは、幕閣で大塩平八郎の理解者であったはずの矢部だが、その大塩の告発対象者であったことなどが失脚の一因ともされている。罪人として、江戸桑名藩邸から伊勢国桑名へ移送された矢部定謙は、桑名城吉之丸御用屋敷内御囲座敷で御預人としての一生を終える。桑名博物館に所蔵されている「桑名藩矢部駿河守預り関係史料」と題される史料は、矢部の桑名到着直前と死去後の二回にわたり作成されたものを書き写して纏めた可能性が強い史料である。この史料からは、矢部定謙が憤死をしたと伝えられる事柄からほど遠い記録が残されている。史料内容は、矢部が佐屋(現愛知県海部郡佐屋町)から桑名へ船で移送され御囲座敷へ入ったであろう経路、矢部死去後に作成された生前の御囲座敷における制限や日常生活、また、矢部の持病が悪化して死去にいたる経過、矢部死去後の公儀検使に対するマニュアルが記録されている。また、矢部定謙の死去が一般に流布されているような憤死によるものかどうか、史料から読みとることはできない。しかし、この史料から窺われるのは、御囲座敷の生活が逃亡・自刃防止のための警備のなか罪人として制限され監視を受ける日常であり、持病との闘いであったこと、また、御懸医師の口書が彼の最期を知る手がかりとなろうことである。御預人矢部定謙の最期の、そのほんの部分を「桑名藩矢部駿河守預り関係史料」によって紹介したいと思う。
著者
梅田 肇
出版者
鈴鹿大学
雑誌
鈴鹿国際大学紀要Campana (ISSN:13428802)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.219-232, 2009-03-20

This paper focuses on issues facing foreign students currently studying in a junior high school in Japan. A questionnaire was given to these students to determine what issues they face and the results are discussed below. The author introduces some measures to support the students by the school. In addition, the author makes some suggestions for creating a better environment of the "internationalized classrooms" and how it can be maintained.This questionnaire, as a pilot study, was conducted in a junior -*high school of Mie Prefecture in February through March 2007. The questions the subjects were asked are (1) what language(s) they use to talk with their parents/families at home, (2) how much they use Japanese daily, (3) how much they usually understand the contents in social studies class, (4) how much they usually understand the contents in mathematics class, (5) if they are interested in studying Japanese, (6) if they are studying Japanese in a supplementary class, (7) if they are interested in studying English, and (8) if they are studying the languages of their own countries.The results demonstrate the students' multi-nationalization with a variety of their native languages. They also imply the necessity of comprehensive educational measures to help these students acquire/study Japanese as the instructional medium at school.
著者
汪[テイ]
出版者
鈴鹿大学
雑誌
鈴鹿国際大学紀要Campana (ISSN:13428802)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.135-148, 2009-03-20

In December, 2007, the Revised Act of the National Holidays in China was published by the Government. This was a result of heated discussions about the slighted traditional holidays in the bustle of Western ones in many Chinese cities, which occurred on websites and in newspapers in the past two years. These discussions are a reflex of the problem on the recipience and conflict of foreign cultures brought in China in recent years. This paper shows the recent flow of those discussions and topics including exploration of young people's positive feelings to Western cultures.
著者
クマーラ アーナンダ
出版者
鈴鹿大学
雑誌
鈴鹿国際大学紀要Campana (ISSN:13428802)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.19-34, 2006-03-20

Poverty has been a main developing issue in Sri Lanka for decades, and the government had been introducing various programs to respond to this issue. However, the poverty remains as a significant social problem in many parts of the country. Poverty is also related to the high unemployment rate of the youth. This paper has identified education as one of the main reasons for the poverty in this country. The unemployment rate of the youth who have completed the higher secondary level has been on increase in the recent years. The general education up to the secondary level in Sri Lanka has shown a satisfactory situation within the country and, this situation is superior to many other developing countries in Asia. However, the situation of tertiary level of education has been extremely weak. In addition, vocational education also has been poor, both in terms of "quantity" and "quality". The higher level of achievement in the secondary education has not geared to the development of the country as the number of jobs available for the educated youth is insufficient. Likewise, the youth are unable to start their-own business enterprises due to the lack of "applied knowledge" required to manage a business. In addition, it seems that the issue of poverty has been misused by the politicians to gain and maintain the power, without showing a keen interest to resolve this problem of the country. The author conducted an empirical survey in several "least developed villages" in the North Western Province, which represents the 3rd largest provincial poverty population, for searching an effective mean for addressing the poverty problem. Vocational training programs conducted by a Japanese NGO were focused for this survey. It was found that those training programs organized according to the real requirements and the demands of the rural youth had been successfully contributed to the empowerment of the youth in the both economical and social aspects. The author suggests that the empowerment of the youth can be more effective for solving the poverty problem than introducing income- or food-supplementary assistance programs linked with the short-sighted political objectives and, more attention is needed to introduce suitable vocational and higher learning programs for the youth who have completed the secondary education. International cooperation activities, both by foreign governments and NGOs, can be considered very significant in the solving of poverty problem in this country.