著者
角田 清美
出版者
駒澤大学
雑誌
駒澤地理 (ISSN:0454241X)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.15-41, 1980-03

武蔵野台地西端部の地形は上位から三ツ原面・藤橋面・原今井面・新町面・青梅面・竹ノ屋面・天ケ瀬面・千ケ瀬面・林泉寺面・郷土博物館面に区分され,また霞川低地に沿っては沖積低地が分布している。三ツ原面・藤橋面・原今井面は南関東の下末吉面・小原台面・三崎面にそれぞれ対比され,新町面は立川面に,青梅面は青柳面に,竹ノ屋面は拝島面にそれぞれ相当する。青梅面より上位の段丘は層厚20m以上の厚い段丘礫層からなり,関東ローム層におおわれている。竹ノ屋面より下位の段丘は多摩川に沿って分布し,規模は小さく,また段丘礫層も薄い。調査地域の地下水は霞川低地を涵養源とし,そこから南東方向へ流下し,大塚山から三ツ原へのびる地形の分水嶺を越えて流れている。地表から地下水面までの深度は三ツ原地区や青梅線に沿う地区で深く,霞川低地帯や千ケ瀬面で浅くなっている。地下水面の季節的変化についてみると,台地上では4月の測水時に最も深く,10月に浅くなっている。このような変化は降水量の年変化とほぼ一致している。霞川低地帯や千ケ瀬面では,滞水層の透水性がいいために地下水位の季節的変化は小さく,むしろ降水に伴う短期間の変動が大きい。地下水温にほぼ一致すると考えられる井水温は,関東ローム層におおわれた洪積台地と霞川低地・千ケ瀬面とでは異なっている。洪積台地での井水温は15℃前後となっており,年間を通じて変化が小さく,特に新町面・青梅面での年変化は約1℃以下である。これに比べて千ケ瀬面では12℃から18℃まで,霞川低地帯では10℃から19℃近くまで変化し,季節的変化が大きい。井水面水温と井底面水温とでは,一般に井水面水温の方が高いが,場所によっては4月に井底面水温がわずかに高くなっているところもある。これは気温の影響によるもので,関東地方ではおよそ14〜15℃とされている地中温度よりも気温が低くなり,そのために大気と接する井水面水温が下るためである。井水面水温に比べて井底面水温は気温の影響を受けにくいため季節的変化が小さいが,井戸の総深や湛水深との関係はほとんどないようである。調査地域西端付近の勝沼3丁目・南部氏宅で,1976年3月18日から1977年1月24日までの313日間にわたり,水位・井水面および井底面の水温の測水を行なった。その結果によると,水位の変化は主として数日間における降水量に大きく支配され,1回の降水量が20mm以下の場合には相関関係は認められないが,降水量が20mm以上になると,およそ降水量10mmに対して20cmの割合で水位は上昇している。井水温は井水面で15.5〜16.8℃,井底面で15.5〜16.0℃を示し,調査期間中に大きな変化は認められなかった。この報文を作成するにあたり,調査の機会を与えられた青梅市自然環境調査団(団長・米光秀雄氏),観測器具の使用を快く許可され,また御指導していただいた駒沢大学地理学教室・長沼信夫教授,気象観測資料を提供された東京都水道局水源林事務所,そして約300日間にわたる測水を快く許可された南部昇氏,以上の方々に末筆ながら厚くお礼申し上げます。なお,南部氏宅における日々の測水は,主として妻・達子が行なった。この報文を,故多田文男先生の御霊前に捧げます。
著者
大森 五郎
出版者
駒澤大学
雑誌
駒澤地理 (ISSN:0454241X)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.17-33, 1977-03
著者
矢澤 和宏
出版者
駒澤大学
雑誌
駒澤地理 (ISSN:0454241X)
巻号頁・発行日
vol.25, pp.115-138, 1989-03
著者
清水 善和
出版者
駒澤大学
雑誌
駒澤地理 (ISSN:0454241X)
巻号頁・発行日
vol.30, pp.17-68, 1994-03
被引用文献数
1

(1)小笠原諸島母島列島の主要5属島を対象に調査区(姪島:7ヵ所,妹島:8ヵ所,姉島:7ヵ所,平島:6ヵ所,向島:7ヵ所)を設け,100本法による植生調査を行った。これに母島本島南部丘陵地の既存の10調査区のデータをくわえて,属島部の植物相と植生の特徴について解析した。(2)属島部に記録のある高等植物は158種であり,母島本島の約2分の1,個々の属島では3分の1以下でしかない。母島本島中央部で優勢な湿性高木林や湿性型媛低木林の主要構成種や稀産随伴種を欠いていること,母島本島の二次林の優占種ムニンヒメツバキがないこと,ラン類やシダ植物が質・量ともに貧弱であること,帰化雑草類や帰化樹種の侵入が限られていることなどが特徴として挙げられる。(3)一方で,母島列島の乾性低木林にのみ現れる列島固有種ハハジマトベラは平島以外の各属島に分布し,同じくムニンクロキは小笠原群島中で向島だけにしか生育していない。また,現在野生化ヤギがいないために,父島列島ではほとんど壊滅状態のオオハマギキョウが各属島で群落を形成している。(4)属島部の自然植生を海岸植生(テリハボク・モモタマナ林,クサトベラ群落)と乾性低木林(シマシャリンバイ型低木林,シマイスノキ型低木林,タチテンノウメ型矮低木林)に区分し,シマシャリンバイ型低木林はさらに優占樹種の違いにより10の優勢林(シマシャリンバイ優勢林,アカテツ優勢林,アデク優勢林,モンテンボク優勢林,ムニンアオガンピ優勢林,ヤロード優勢林,オガサワラビロウ優勢林,テリハボク優勢林,オオバシロテツ優勢林,タコノキ優勢林)に細区分した。二次植生としてはリュウキュウマツ・モクマオウ林,アオノリュウゼツラン・サイザルアサ群落,オガサワラススキ・ハチジョウススキ群落の3型を区分した。以上の植生区分に従い,各島の植生図を作成した。(5)各島の植生の特徴は次の通り。姪島:低標高で丘陵状の地形のため全体に乾燥しており,シマシャリンバイ型低木林が広がる。岩場にはタチテンノウメ型矮低木林があり,アオノリュウゼツラン群落が目立つ。戦前の耕作地の周囲にはテリハボク防風林が残る。妹島:属島の中ではもっとも標高が高く,山頂付近には時々雲霧がかかる。シマシャリンバイ型低木林が広がり,岩場にはタチテンノウメ型綾低木林が現れる。主稜線部にはシマイスノキ型低木林も点在する。林床のシマオオタニワタリが目立つ。姉島:全体に平坦な島で,北端には海岸林がある。やや湿性な沢沿いの平坦地にはリュウキュウマツ・モクマオウ林が成立し,尾根筋の岩場にはサイザルアサ群落が目立つ。南部丘陵地にはシマシャリンバイ型低木林が分布する。平島:低平な小島で,テリハボク・モモタマナ海岸林(戦前の植林を含む)とモクマオウ林が広く分布している。シマシャリンバイ型低木林はわずかで,属島部で唯一のアカギ植栽樹がある。向島:属島部最大の島であり,上部丘陵地をハハジマトベラやムニンクロキのあるシマシャリンバイ型低木林が覆う。オガサワラビロウが目立ち,ノヤシの個体も多い。二次植生としてモクマオウ林が見られる。(6)母島本島南部丘陵地と属島部の植生は,その組成・構造からみて共通の乾性低木林(とくにシマシャリンバイ型低木林とシマイスノキ型低木林)で特徴づけられる。両地域は最終氷河期の海水面低下時(100m以上)には地続きであったと考えられ,その植生は一体のものとしてとらえることができる。(7)属島部のシマイスノキ型低木林は,過去により広い分布をもち組成も多様であったが,その後の長期的な乾燥傾向(数万年〜数十万年オーダー)のなかで衰退し,より耐乾性のあるシマシャリンバイ型低木林に置き替わりつつあることを論じた。(8)戦前の人為の影響として,農耕地の開拓や家畜の放牧,野生化家畜類による食害,軍隊の活動などが知られているが,いずれも一時的なものであった。戦後は無人島となって人為の影響から解放されたので,属島部の乾性低木林は本来の姿に近い状態をとどめている。また,ここは小笠原諸島全体の植生の成立過程を考える上でも重要な内容を含んでいるので,このまま人手を加えず自然の推移にまかせるのが望ましい。
著者
中島 義一
出版者
駒澤大学
雑誌
駒澤地理 (ISSN:0454241X)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.83-94, 1984-03
著者
小田 匡保
出版者
駒澤大学
雑誌
駒澤地理 (ISSN:0454241X)
巻号頁・発行日
vol.28, pp.45-74, 1992-03
著者
清水 善和
出版者
駒澤大学
雑誌
駒澤地理 (ISSN:0454241X)
巻号頁・発行日
vol.29, pp.9-58, 1993-03
被引用文献数
5

(1)笠原諸島智島列島の聟島,媒島,嫁島,北之島の植生の現況とその特徴を明らかにし,あわせて野生化ヤギが森林の動態にどのような影響を与えているか解析するたあに調査を行った。(2)調査は1990年7月に行われた。森林植生を対象に聟島の19調査区と媒島の5調査区において,100本法による植生調査を行った。各植生型の代表的な林分では,さらに詳細な毎木調査を行った。草地植生については,聟島の9調査区と北之島の10調査区において出現種の被度・群度を求めた。(3)聟島列島の森林植生をモクタチバナ型低木林,シマイスノキ型低木林,タコノキ・ビロウ型低木林の3型に区分し,聟島と媒島の植生図を作成した。モクタチバナ型:モクタチバナとヤロードが優占する低木林で,媒島ではウドノキの大径木が混生する。聟島列島の残存林のほとんどを占める。シマイスノキ型:シマイスノキといくつかの随伴種の出現で特徴づけられる低木林。聟島に小林分がわずかに残るのみ。タコノキ・ビロウ型:ほとんどタコノキまたはオガサワラビロウの純林状をなす低木林。各地の乾燥した立地に分布する。(4)父島や母島の森林植生との比較から,モクタチバナ型,シマイスノキ型,タコノキ・ビロウ型低木林は,それぞれ清水(1989)のシマホルトノキ型高木林,シマイスノキ型低木林,シマシャリンバイ型低木林に対応すると考えられる。ただし,モクタチバナ型低木林は,組成的には父島や母島の湿性高木林に類似しながら,立地条件や林分構造は乾性低木林にちかいという特異な性格を有している。(5)聟島の面積の約80%,媒島の約90%は草地あるいは裸地と化している。とくに,媒島では赤色土の流亡が著しい。嫁島と北之島は全島が草地となっている。聟島ではオキナワミチシバ・フタシベネズミノオ群落,媒島ではコウライシバ群落,嫁島ではスズメノヒエ・シマチカラシバ群落,北之島ではソナレシバ群落がそれぞれ優占している。北之島には小笠原最大のオガサワラアザミ群落がある。(6)智島と媒島の残存森林は,野生化ヤギの食害のため,低木類と林床の樹木の実生・稚樹個体をまったく欠いている。林床の草本類もエダウチチジミザサが散生するのみで非常に貧弱である。(7)野生化ヤギの影響による森林後退のメカニズムは次のように推定される:ヤギの食害により森林は次世代個体を欠く;森林に林冠ギャップができると,これを埋めることができない;ギャップが多くなると林内の乾燥化が進み樹木が弱体化する;常襲する台風の強風により林縁やギャップ周辺の個体の崩壊が起こり疎開林となる;周囲の草地より疎開林の林床に草本が侵入する;最後まで残るオガサワラビロウの孤立木が枯死して完全な草地と化す;草地面積が増えると島全体がいっそう乾燥化し,このプロセスを加速する。(8)空中写真より聟島の草地に点在するオガサワラビロウの孤立木を判読して植生図上に記入し,草地化する以前の森林の広がりを求めたところ,ほぼ全域が森林で覆われていたことが推定された。(9)小笠原島庁(1914),東京営林局(1939),豊田(1981),市河(1992)による1914年,1935年,1968年,1978年,1991年の植生図を並べることにより聟島と媒島の植生の変遷がうかがわれる:かつてこれらの島々はほぼ全域が森林で覆われていた;戦前の開拓(山火事を含む)により森林の3分の1から半分程度が破壊された;終戦から返還までの20年余の空白期に野生化ヤギの影響でさらに大幅に森林が後退し,島の大部分が草地化した;返還後からは土壌の侵食が顕在化し,とくに最近10年間はいっそう激しくなった。返還後の小笠原の気候の乾燥化がこの変化を促進している可能性が高い。(10)土壌侵食にみられるように,野生化ヤギの環境に対する影響は限界にきておりこれ以上放置できない。緊急にヤギの駆除や積極的な緑化等の措置をとる必要がある。
著者
小田 匡保
出版者
駒澤大学
雑誌
駒澤地理 (ISSN:0454241X)
巻号頁・発行日
vol.37, pp.37-64, 2001-03
被引用文献数
1

In 1998 a kokumin shukusha (people's inn) in Yoshinoyama, Nara Prefecture, discontinued its business, though the number of tourists there has not decreased so much. The kokumin shukusha is one of the Japanese local public enterprises. This paper makes clear details of its establishment and business closure, and searches for reasons why it had to give up its business. The "Yoshino-sanso" Inn was established in 1970. During about ten years since the establishment it went well, but after about 1975, especially after 1994, the management became worse. Three reasons can be pointed out; the high rate of personnel expenses, the decrease of the guests and the decrease of the usage by local residents as a wedding parlor and a banquet room.
著者
清水 善和 矢原 徹一 杉村 乾
出版者
駒澤大学
雑誌
駒澤地理 (ISSN:0454241X)
巻号頁・発行日
vol.24, pp.31-56, 1988-03
被引用文献数
2

奄美大島の中央部に位置する金作原国有林とその周辺地域で,スダジイを中心とした照葉樹林の伐採後の植物相の変化と森林の回復過程を解析した。標高260〜280mの尾根に近い南西斜面という共通条件のもとで,以下のように調査方形区を設け,樹高50cm以上のすべての木本個体について毎木調査を行った。Q1:天然林;植生遷移上の極相段階にあると考えられるもの。Q2:壮齢二次林;択伐後49年の林分。Q3:若齢二次林;皆伐後29年の林分。Q4:伐採跡ブッシュ;皆伐後8年の,木本の萌芽と草本の混生したブッシュ。(方形区の大きさはQ1〜3が20×20m,Q4が10×20m)伐採後の森林の回復過程として,次のような結果が得られた。(1)方形区に出現した全82種の木本のうち32種は伐採直後から天然林にまで連続して存在しており,森林の回復は切株からの萌芽個体を中心に行われる。(2)なかでも,スダジイの萌芽再生能力とその後の伸長成長は著しいので,伐採直後を除いてスダジイはどの発達段階においても常に材冠の優占種となり,初めからシイ林として回復するよう方向づけられている。(3)伐採直後には種子由来のアオモジ,ノボタン,ゴンズイ,リュウキュウイチゴなどの陽樹が現れるが,自己間引き現象の著しい若齢二次林では消滅する。一方,天然林を中心に出現する種としてイヌマキが特徴的である。(4)草本は木本に比べて,森林の発達段階ごとの種の置き替わりの傾向が顕著である。(5)伐採後3,4年でススキとコシダの群落が地表面を覆うため,皆伐後の大規模な表土流出と森林の後退から免れていると考えられる。(6)胸高断面積の値では皆伐後30年で天然林の80%にまで回復しており,総植物体量の回復は比較的速やかに行われるが,大径木資源の回復にはかなり時間がかかると考えられる。Q1を択伐してQ3の状態になるという仮定をおいて計算すると,調査地のシイ林は皆伐後約110年,択伐後約80年でほぼ元の天然林に近い状態まで回復すると推定される。以上のような奄美大島でみられるシイ林の伐採後の回復過程は,四手井(1977)のいう照葉樹林の萌芽再生による森林の回復の典型的なケースであり,温暖多雨な暖温帯から亜熱帯の照葉樹林を伐採後放置した場合にみられる一般的な現象であると結論づけられる。調査対象のスダジイの天然林はかつて島の全面積の85%を覆っていたとされるが,近年の伐採でわずか1,2%にまで激減し,アマミノクロウサギをはじめ,この森林を生息地とする多くの動植物の存続が危ぶまれる状態となっている。そこで,これ以上の天然林の伐採は即刻中止し,早急に基礎的かつ総合的な調査を行ったうえで積極的にこれを保護していくべきであると考える。