著者
小田 匡保
出版者
駒澤大学
雑誌
駒澤地理 (ISSN:0454241X)
巻号頁・発行日
vol.38, pp.21-51, 2002-03
被引用文献数
2

This paper makes a bibliography of geography of religion in Japan on the basis of Bibliography of Geography edited by the Human Geographical Society of Japan and attempts to analyze it statistically, so that it examines the research trend in the geography of religion in postwar Japan. Bibliography of Geography appeared ten times every five years after the Second World War. It covers extensively most of the geographical literature published in Japan. The number of books and articles related to the geography of religion collected from Bibliography amounts to 390, of which more than 360 items are written by geographers. Main points obtained through the analysis are as follows: 1. The volume of the items has increased steadily after the war. 2. In the second and the third stage (1957-1976) Ogoshi and Uchida wrote many papers. In the fourth stage (1977-1986) Nagano and Iwahana were productive, and in the fifth stage (1987-1996) other geographers such as T. Tanaka, Sekiguchi, Oda and Nakagawa were also active. 3. It is geographers born in the 1950s who published more works than any other. On the contrary there are somehow few scholars in the immediately earlier generations born in the 1930s and 1940s. 4. Mountain religion has often been studied by geographers in spite of its small number of believers and temples, whereas so-called new religions have received little attention. 5. Popular research subjects include religious city and settlement, pilgrimage, cemetery, distribution of religion, rural religious organization, pictorial map, and mountain sacred area. Many of them attract more interest recently, but the literature related to the religious city and settlement has decreased in number.
著者
小田 匡保
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理学会大会 研究発表要旨
巻号頁・発行日
vol.2013, pp.52-53, 2013

小田(2002)に引き続き、『地理学文献目録』第11~12集を利用して、2000年代の宗教地理学の動向を検討する。
著者
平井 松午 鳴海 邦匡 藤田 裕嗣 礒永 和貴 渡邊 秀一 田中 耕市 出田 和久 山村 亜希 小田 匡保 土平 博 天野 太郎 上杉 和央 南出 眞助 川口 洋 堀 健彦 小野寺 淳 塚本 章宏 渡辺 理絵 阿部 俊夫 角屋 由美子 永井 博 渡部 浩二 野積 正吉 額田 雅裕 宮崎 良美 来見田 博基 大矢 幸雄 根津 寿夫 平井 義人 岡村 一幸 富田 紘次 安里 進 崎原 恭子 長谷川 奨悟
出版者
徳島大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2013-10-21

本研究では、城下町絵図や居住者である侍・町人の歴史資料をもとに、近世城下町のGIS図を作成し、城下町の土地利用や居住者の変化を分析した。研究対象としたのは米沢、水戸、新発田、徳島、松江、佐賀など日本の約10ヵ所の城下町である。その結果、侍屋敷や町屋地区の居住者を個別に確定し地図化することで、居住者の異動や土地利用の変化を把握することが可能となった。その点で、GISを用いた本研究は城下町研究に新たな研究手法を提示することができた。
著者
小田 匡保
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2005, pp.63, 2005

_I_.はじめに 発表者の所属する駒澤大学文学部地理学科では、2004年度に学科創立75周年を迎え、2005年2月に記念式典や記念誌の発行を行なった。本発表は、この経験をもとに、地理学科の歴史を記念することについて若干の考察を試みるものである。 「記念」や「記憶」については、近年、地理学でも議論が行なわれている。その場合、記念物や特定の場所など具体的な景観が議論の対象とされることが多いが、本発表はそれらとは文脈を異にする(実際のところ、記念の施設を作ってはいない)。 日本の地理学界では、学会組織の創立何周年、あるいは教員の退職に際して記念事業がしばしば見られるが、これらと並んで地理学教室の創立何周年というタイプがある。このような記念行事も、地理学界の出来事である以上、地理学の研究対象となしえよう。本発表では、地理学科創立記念事業を、地理学科の結束を固めるのに貢献したとか、記念誌の発行によって「歴史」を作ったというような結論には持っていかず、記念事業遂行の実際的な面から考察してみたい。_II_.駒澤大学地理学科の歴史 駒澤大学地理学科の淵源は、1929年(昭和4)、駒澤大学専門部に歴史地理科が設置されたことにさかのぼる。1949年には、新制駒澤大学文学部に地理歴史学科地理学専攻・歴史学専攻が設置され、1967年、地理歴史学科は地理学科と歴史学科に分離した。2001年には、地理学科に地域文化研究専攻と地域環境研究専攻を設けている。なお、1966年には、大学院地理学専攻(修士課程・博士課程)も設置されている。_III_.創立75周年記念事業の内容と経緯 地理学科創立75周年記念事業の内容は、記念誌の発行と、記念式典・記念講演会、祝賀懇親会である。記念誌は、「地理学科75年の歩み」、「地理学科の記録」、「地理学科に関する資料」、「思い出の記」の4章から成り、付録として写真集や卒論題目などを収めたCD-ROMを付けている。 2002年に地理学科75周年記念事業委員会を設置し、まず、記念誌に掲載する「思い出の記」の原稿を2003年12月締切で募集した。2004年5月には記念事業の大要を公表し、記念式典・懇親会参加、記念誌購入の受付を開始した(7月締切)。記念式典は2005年2月19日駒澤大学で行なわれ、それに引き続いて中村和郎教授の記念講演会、また同日夕方に渋谷のホテルで祝賀懇親会を行なった。記念誌は、これに間に合うように刊行された。_IV_.若干の考察 資金面から考察すると、収入の約半分が参加費であり、残りの約半分が大学からの補助金である。一方、支出においては、半分近くが祝賀懇親会費で、次に多いのが記念誌発行費である。懇親会参加費・記念誌購入費だけでは不十分であり、大学からの補助金を得られたことが、この記念事業の遂行にとって大きな手助けとなっている。 次に、75周年記念事業に関わる人について考察すると、活動の中心となったのは地理学科専任教員(特に駒澤大学出身者)であり、一方、卒業生は記念式典・懇親会への参加、記念誌の購入、記念誌の原稿執筆という形で関与した。卒業生の参加者数を年代別に見ると、卒業者数の少ない1960年代卒業の参加者数が最も多い。時間的余裕の問題もあろうが、地理学科卒業後、教職など地理学に関わる職業に就いていることが、地理学科の記念事業への参加を促す一因となっているとも考えられる。
著者
小田 匡保
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2011年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.107, 2011 (Released:2011-05-24)

1.はじめに 2004年に刊行された村上春樹『アフターダーク』は、女子大学生の浅井マリが夜の街でいろいろな人に出会う、深夜の数時間の物語である。『アフターダーク』は深夜の都会を舞台にした小説で、都市の具体的描写もあり、地理的な分析が可能である。本発表においては、『アフターダーク』の舞台となる街を主に空間的観点から読み解き、深夜の街における「闇」との出会いについて考察したい。 『アフターダーク』に関しては、これまでにも多くの論考・論評がある。東京文学散歩のサイト「東京紅團」は作品中の施設の現地比定を試みているが、納得のいくものではない。神山(2008)は村上作品の空間的特徴を検討し示唆に富むが、『アフターダーク』については、テレビ画面内の部屋(異界)に関心があり、本稿の分析とは重ならない。 2.登場人物と「色」 「景観」を広く解釈して、「色」についても考察する。登場人物の服装や持ち物の色は、マリ、高橋、エリ、カオル、白川、中国人娼婦、中国人組織の男ら、人物の性格に応じてかなり使い分けがされている。一見対照的に見える白川と主人公マリの共通性はこれまでも別の面で指摘されているが、服装やカバンの色にもうかがえる。 3.場所の設定 作品全体の舞台は渋谷と思われるが、村上(2005)は「架空の街」と述べている。発表者は、渋谷を念頭に置いた架空の場所が設定されていると考える(以下〈渋谷〉と表記)。登場人物の自宅の位置などを地図化すると、人物の性格により、〈渋谷〉と自宅との距離や、〈渋谷〉からの方向性などに違いがあることが明らかになる。街内部の施設の位置についても検討し、ラブホテルやファミレス、公園、コンビニなどの配置について地図化を試みる。 4.「闇」との出会い 他の村上作品と同様、『アフターダーク』も異界との接触がテーマの1つである。中国人組織との6回の接触を分析すると、特定の場所だけでなく、どこでも「闇」の世界と出会う可能性があることが示されている。また、深夜の街全体が異界としても描かれている。 本発表の詳細は、小田(2011)で発表予定である。 文献 小田匡保 2011. 村上春樹『アフターダーク』の空間的読解―「闇」と出会う場所としての深夜の街─. 駒澤大学文学部研究紀要 69(予定). 神山眞理 2008. 物語に表現される空間の図学的考察─村上春樹の小説を示例として─. (日本大学)国際関係学部研究年報 29: 65-82. 東京紅團. 《村上春樹の世界》afterdarkを歩く.(http://www.tokyo-kurenaidan.com/haruki-afterdark.htm) 村上春樹 2005. ロング・インタビュー:「アフターダーク」をめぐって. 文學界 59(4):172-193.
著者
小田 匡保
出版者
The Human Geographical Society of Japan
雑誌
人文地理 (ISSN:00187216)
巻号頁・発行日
vol.36, no.4, pp.347-361, 1984-08-28 (Released:2009-04-28)
参考文献数
61
被引用文献数
1 1

In Japan there have been many utsushi-reijô (imitative pilgrimage courses) patterned after Shikoku-hachijûhakkasho-reijô (Shikoku's 88 pilgrimage sites) and they are called shin-shikoku (‘new shikoku’pilgrimage courses) or mini-shikoku (miniature shikoku pilgrimage courses). These shin-shikoku can be regarded as pilgrim courses in which the Honshikoku (Shikoku pilgrimage course) model spread to various parts of the country and were transformed under local conditions. Meanwhile shin-shikoku have been transformed historically since their establishment. In this paper the author focuses on the former regional transformation.The area of the case study is Shôdoshima-hachijûhakkasho-reijô (Shodoshima's 88 pilgrimage sites) on Shodoshima Island in Kagawa Prefecture. The procedure is first to compare Shima-shikoku (the Shodoshima course) with Hon-shikoku at the time of its establishment and find out what was imitated; next to determine how points differing from Hon-shikoku originated in Shima-shikoku. Results are as follows:1. Similarities between Shima-shikoku and Hon-shikoku are that fudasho (each pilgrim place) were placed at the periphery of the island so that pilgrims could go around it, and the direction of numbering from 1 to 88 was clockwise.2. Fudasho in Shima-shikoku included all the Shingon-shû (Shingon sect of Buddhism) temples in Shodoshima Island and all the highest-status shrines which later became gôsha (district shrines). The rests were selected from priests' meeting halls, oku-no-in (inner temples), wayside small temples, small temples at cemeteries, historic small temples, small temples at strange site features, and so on.3. Fudasho in Shima-shikoku were placed in every village in Shodoshima. The number 1 is supposed to have been assigned to the nearest fudasho to Koyasan-Temple.Historical transformations include allocations of fudasho, changes of fudasho-numbers, rise and fall of bangai-fudasho (extra pilgrimage places) and so forth. Even during these transformations Shima-shikoku have tended to copy Hon-shikoku in that the former have adopted the sekisho (spritual barrier to sinners) found in the latter at an earler time.
著者
小田 匡保
出版者
駒澤大学
雑誌
駒澤地理 (ISSN:0454241X)
巻号頁・発行日
vol.28, pp.45-74, 1992-03
著者
小田 匡保
出版者
日本山岳修験学会
雑誌
山岳修験 (ISSN:09150978)
巻号頁・発行日
no.45, pp.1-13, 2010-03
著者
小野寺 淳 出田 和久 平井 松午 藤田 裕嗣 小田 匡保 礒永 和貴 大島 規江 川村 博忠 倉地 克直 杉本 史子 三好 唯義 小野田 一幸 種田 祐司 野積 正吉 青木 充子 尾崎 久美子 中尾 千明 橋本 暁子 横山 貴史
出版者
茨城大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2007

オランダ、ライデン大学図書館にはシーボルトが収集した21鋪の手書き彩色の国絵図が所蔵されている。21鋪の国絵図を高精細画像で撮影し、国内の類似の国絵図と詳細に比較分析した結果、21鋪の基図は慶長図1鋪、寛永図6鋪、正保図と寛文図14鋪であることが明らかになった。対となる国絵図がある一方で、基図の作成年代も個々に異なる例が多く、シーボルトの手書き彩色国絵図の入手先は複数あったと想定される。
著者
小田 匡保
出版者
駒澤大学
雑誌
駒澤地理 (ISSN:0454241X)
巻号頁・発行日
vol.37, pp.37-64, 2001-03
被引用文献数
1

In 1998 a kokumin shukusha (people's inn) in Yoshinoyama, Nara Prefecture, discontinued its business, though the number of tourists there has not decreased so much. The kokumin shukusha is one of the Japanese local public enterprises. This paper makes clear details of its establishment and business closure, and searches for reasons why it had to give up its business. The "Yoshino-sanso" Inn was established in 1970. During about ten years since the establishment it went well, but after about 1975, especially after 1994, the management became worse. Three reasons can be pointed out; the high rate of personnel expenses, the decrease of the guests and the decrease of the usage by local residents as a wedding parlor and a banquet room.