著者
竹内 啓一
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.69, no.3, pp.145-164, 1996-03-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
50
被引用文献数
1 1

ここで地域問題とは,近代国家において国内の特定の領域が提起する社会的,政治的,経済的問題のことである.それは当該国家の社会体制,すなわち広義の資源配分システムにかかわる問題であるので,国民社会のあり方の議論のかたちをとる.この意味で地域問題の提起は社会思想である.地域問題は国によってきわめて多様なかたちをとるし,現代世界においてその性格は急速に変容しつつある.しかし地域問題としてそれらの比較地誌,比較地理思想史の研究は必要であるので,ここでは地域問題のタイポロジーの基準の提示を,地域問題の内容,地域問題提起の主体,国家権力または体制の地域問題への対応という3っの視点から試みた.最後の視点,すなわち国家と地域の関係に関しては,第三世界諸国,旧ソ連・東欧のもと社会主義体制の諸国,そして西ヨーロッパ諸国の3つにわけて考察した.
著者
竹内 啓一
出版者
The Human Geographical Society of Japan
雑誌
人文地理 (ISSN:00187216)
巻号頁・発行日
vol.32, no.5, pp.428-451, 1980-10-28 (Released:2009-04-28)
参考文献数
135
被引用文献数
6 2
著者
竹内 啓一 野澤 秀樹
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.61, no.1, pp.59-73, 1988-05-31 (Released:2008-12-25)
参考文献数
105
被引用文献数
3 5

近年日本において「地理思想」あるいは「地理思想史」の研究が隆盛をみている。ここでいう「地理思想(史)」とはアカデミズムの世界における地理学に限らず,原始・未開社会における地理的知識やコスモロジー,さらに空間認知の発達やテリトリー意識の形成についても含まれる。すなわち「地理思想」とはアカデミズムのジャーゴンによってしか表現されえない地理学の思想(学説,方法など)に限られるものではなく,さまざまな社会集団がそれぞれの場所において,言語に限らないあらゆる種類の表現手段-絵画的なもの,地図的なもの,記号的なもの,景観に表現された空間計画など-によって表現された地理的知の認識にかかわるものである。 日本においてこのような「地理思想(史)」研究が盛んになってきたのは1970年代末から80年代に入ってからで,理論・計量地理学革命が与えた地理学方法論・認識論への反省によって,「行動主義」,「現象学」,「ラディカル」,あるいは「構造主義」などさまざまな立場の地理学が主張されて来た時期に対応している。つまり理論・計量地理学が拠って立った実証主義の認識論に対する反省から,上述のような「地理思想」を探ることによって,近代地理学の認識方法に対する反省の糸口を見出そうとするものである。そのような反省は,近代的な科学としての地理学成立以前の地理的知の認識だけでなく,アカデミズム成立後における在野の地理学,あるいはアカデミズム内におけるアウトサイダーの地理学にも目を向けさせることにもなる。 本稿では日本の地理学史研究において正統的な位置をしめ,かつ研究業績も多い欧米の地理学,地理学者についての学説史的研究については触れない。従って,本稿では日本の地理思想,あるいは地理学思想を対象とした近年の日本における研究成果について,次の四つの研究テーマに分けて,研究動向を展望するものである。 近代以前の伝統的,あるいは土着(インド,中国を含む)の地理思想, 2) アカデミズム成立以前の,いわゆる明治期の啓蒙思想家の地理思想, 3) アカデミズム地理学の成立に関わった地理学者,およびアカデミズム成立後の,いわゆる在野の地理学者の地理思想, 4) 日本の近代地理学の発達と社会的,イデオロギー的状況についての諸研究である。なお,伝統的地理思想の研究に大きな刺激を与えている絵地図史の研究,並びに民俗学的研究については隣接諸科学と重なり研究成果が膨大になるため,ほとんどふれることができなかった。
著者
竹内 啓一
出版者
一橋大学
雑誌
一橋論叢 (ISSN:00182818)
巻号頁・発行日
vol.114, no.3, pp.515-528, 1995-09-01
被引用文献数
1

論文タイプ||論説
著者
竹内啓一 杉浦芳夫編
出版者
古今書院
巻号頁・発行日
2001
著者
竹内 啓一
出版者
日本島嶼学会
雑誌
島嶼研究 (ISSN:18847013)
巻号頁・発行日
vol.2008, no.8, pp.39-48, 2008 (Released:2010-04-30)
参考文献数
6
被引用文献数
2
著者
山本 健兒 熊谷 圭知 栗原 尚子 竹内 啓一 寺阪 昭信 山田 晴通
出版者
法政大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2002

欧州の大都市自治体はEUROCITIESを通じてEUに都市政策を推進させる行動や、相互の経験交流を進めてきた。これを受けて、EUも当初、文化遺産の保全や環境問題に焦点をあてる都市政策を、社会的排除、失業、移民の統合、経済的活力などを重視する都市政策を1990年代半ば以降推進している。EU主要都市によるグローバリゼーションとEU統合への文化的対応に関して2つの論点が浮かび上がる。第1は移民マイノリティの生活実態とこれに対するホスト社会の対応、第2は都市の建造環境の整備保全という論点である。第1については、オランダへのモルッカ移民の統合、スペインへの移民のラテンアメリカ化、同じドイツ都市といえどもベルリンとミュンヘンでは移民比率の高い街区の様相に大きな違いがあることが明らかとなった。移民とホスト社会との間で対立が激しいというわけではなく、移民たちはドイツ都市を故郷と認識する傾向にある。しかし、移民は失業などでより厳しい立場にある。また中国を含む世界各地からの移民がパリ、ローマ、バルセロナでも可視的存在となっている。第2の論点について、イタリアでは都市政府の政権交代が建造環境の変化に大きく影響すること、フランスでは文化遺産としての建造物の保全に中央政府の力がより大きく働くことが判明した。ロンドンの影におかれやすいイギリスのその他の主要都市は、欧州文化首都として指定を受けることによって大陸部のEU主要都市との競争に対応しようしている。2つの論点のいずれに主眼をおこうとも、都市住民あるいは訪問外国人に対して都市の物理的な構成は大きな意味を持つ。欧州各国主要都市の動向を総括するならば、外的圧力に対する文化的対応は政治的対応とならざるを得ず、中央政府の力が強いフランスと地方政府の力が強いドイツを両極として、各都市を位置づけうる。その際に鍵をなすのは、参加と自治のありようである。
著者
水内 俊雄 吉原 直樹 高木 彰彦 山野 正彦 野澤 秀樹 竹内 啓一 久武 哲也 水岡 不二雄
出版者
大阪市立大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
1995

本研究グループのテーマは次の3つに設定されていた。(1)地理思想、(2)地政学、(3)最近の地理学の理論的動向のキャッチアップであり、こうした成果を直ちに公刊するという課題を掲げていた。この、成果の公刊という点では、3年間の研究助成を通じ、『空間・社会・地理思想』を1号から3号まで刊行し、論説3本、フォーラム5本、翻訳22本を掲載したことを指摘しておきたい。本雑誌が人文地理学会に与えた影響は大きく、良書、良論文の翻訳が根づかないといわれた中で、欧米の地理学会を代表するハ-ヴェイ、ソジャ、グレゴリーを始め、多くの地理学者の近年の成果を翻訳し、他の諸学問において空間論へのまなざしが強くなっている中、地理学での理論的議論を深める基礎を提供したと考えている。特に、2号ではハ-ヴェイ特集、3号ではジェンダー地理学特集を組んだ。こうした翻訳のみならず、政治地理学と唯物論の関係、批判的地理学とは、社会問題に対する地理学の貢献、フ-コ-の空間論の地理学への影響、地政学研究の課題といった理論的研究動向が整理された。日本の地理思想での貢献として、福沢諭吉の地理的研究の書誌学的系譜が明らかにされ、日本の経済地理学の思想的動向と批判的地理学との関係も学史的に明らかにされた。海外に関してもIGUの地理思想史研究委員会の活動も学史的に明らかにされた。こうした本研究グループの活動を通じて、研究分担者によって『ドイツ景観論の生成』、『空間から場所へ』という2つの著書が公刊されたことも、その貢献として強調しておきたい。
著者
竹内 啓一
出版者
イタリア学会
雑誌
イタリア学会誌 (ISSN:03872947)
巻号頁・発行日
no.11, pp.104-120, 1962-12-30

In questo saggio, l'autore esamina i significati sociali del briga-n taggio nell'Italia meridionale, con particolare riguardo alla sua origine e alla sua storia. Anzitutto si notano i residui del sistema feudale nel Mezzogiorno, dove i briganti erano stati molte una forza politica di cui i sovrani ed i baroni si erano serviti ; basta ricordare che la mafia fu organizzata all'inizio del XIX secolo dalla corte borbonica che, scacciata dai napoleonici, si trovava in Sicilia. Anche economicamente, tali societa segrete a delinquere dipendevano dalle caratteristiche delle proprieta agricole del Mezzogiorno, dove il feudalesimo fu formalmente abolito solo 150 anni fa e dove rimangono potenti(almeno rimanevano fino alla riforma agraria in questi ultimi anni)gli aristocratici rurali che si servivano di gabellotti. L'autore si riferisca al fatto che in Sicilia, i gabellotti si servivano dei mafiosi nello sfruttamento piuttosto ladresco dei loro padroni e, in maggior misura, dei contadini e che, molto spesso, i mafiosi stessi si occupavano di questo mestiere di gabellotto. Se, a distanza d'un secolo circa dall'unificazione d'Italia, rimangono ancora queste incancrenite piaghe, cioe mafia, camorra, banditismo, ecc., costituendo sempre una delle cosiddette "questioni meridionali", i caratteri del brigantaggio meridionale sono cambiati in questi cento anni ; mentre il brigantaggio post-unitario(1860-1864)aveva carattere di rivolta della massa dei poveri contadini, spinta pure dalla reazione palitica borbonica-pontificia(la cui situazione molto complicata viene analizzata in questo articolo), ora le organizzazioni brigantesche esercitano attivita economicamente parassitarie e politicamente reazionarie. Benche ancor lungi dall'aver avuto piena e totale applicazione, la legge per la riforma agraria ha gia dato un primo serio colpo alla mafia ciassica :quella del fondo. L'autore, esaminando i vari dati gionalistici, vede che i briganti meridonali si sono prontamente adattati ai tempi ed alle esigenze, trasformandosi dal subaffitto politico e costituendo quindi non piu una minaccia al solo ordine economico e sociale, ma anche a quello politico, quindi al movimento democratico e rinnovatore nel Mezzogiorno.