著者
山口 菜穂子
出版者
お茶の水女子大学21世紀COEプログラムジェンダー研究のフロンティア
雑誌
F-GENSジャーナル
巻号頁・発行日
no.8, pp.47-57, 2007-07

ビリー・ワイルダー監督の『サンセット大通り』(1950年)は、ハリウッド映画製作の歴史を批判的に描いたフィルム・ノワール作品である。20 世紀前半、ハリウッドは「フォーディズム」(効率的な大量生産様式)に基づいた「スタジオ・システム」を発明し、米国における文化表象を覇権的に生産し始めた。この文化生産装置が完成するにつれて、ハリウッド映画は固定化されたジェンダー・イメージを産出し、またそれに裏打ちされた規範的異性愛の欲望を〈正しい〉ものとしてコード化し、表象するに至った。『サンセット大通り』はフィルム・ノワールという批判的形式を用いつつ、第二次大戦後のハリウッド産業の内側で、撹乱的な欲望/ジェンダー表象の生産を企てる映画人たちの姿を描き出している。本稿は、この作品をクイア批評および文化史的観点から分析し、50 年代のハリウッドにおいて〈表象不可能〉な欲望を表出しようと試みた物語として解読する。
著者
倉田 容子
出版者
お茶の水女子大学21世紀COEプログラムジェンダー研究のフロンティア
雑誌
F-GENSジャーナル
巻号頁・発行日
no.8, pp.37-45, 2007-07

芥川龍之介『羅生門』(1915)に登場する老婆は、「死骸」の臭気が充溢する場で、「死骸」の中に蹲りながら、「死骸」と向き合う形で登場し、さらに「肉食鳥」「鴉」「蟇」といったネガティブな比喩表現によって造形されている。このような老婆表象は、従来、下人の心理を中心とするストーリーとの整合性において意味づけられてきた。しかし本稿では、むしろその整合性を脱自然化すること、すなわち妖怪や魔物を連想させるネガティブな視覚的・聴覚的表現と、老婆に対する下人の「憎悪」や「侮蔑」といった感情、さらに下人の老婆に対する加害行為という三つの要素を結びつける暴力的なレトリックの回路を、同時代的なインターテクスチュアリティの観点から解体することを試みる。それにより、これまで古典文学に起源を求められてきた老婆表象が、同時代的なジェンダー/エイジング規範と響き合うものであり、下人の心理もまたそうした規範性と不可分なものであることを明らかにした。
著者
徐 阿貴
出版者
お茶の水女子大学21世紀COEプログラムジェンダー研究のフロンティア
雑誌
F-GENSジャーナル
巻号頁・発行日
no.4, pp.93-101, 2005-09-01

本稿では、1990 年代に展開された、「従軍慰安婦」の真相解明と問題解決を目的とする在日朝鮮人女性を担い手とする運動について、女性の主体形成という局面から考察する。当初、韓国における「従軍慰安婦」をめぐる女性運動に触発された形で始まったこの運動は、「従軍慰安婦」という植民地支配に起因する性暴力の問題を扱いながら、現在も継続している、在日朝鮮人女性が直面する民族とジェンダーの交差における抑圧の問題を提起した。その意味で、この運動は、従来の男性中心的な在日朝鮮人の民族運動や、一国主義的な日本の女性運動の限界を可視化するものであった。本稿では、「従軍慰安婦」を焦点とした在日朝鮮人女性による自律的な運動体が生成した前提条件を探るために、まず、この運動における人的資源動員について分析する。さらに、運動の生成・展開・終結の局面を通じて形成された集合的アイデンティティを析出し、在日朝鮮人女性の新しい主体について考察する。
著者
波戸 愛美
出版者
お茶の水女子大学21世紀COEプログラムジェンダー研究のフロンティア
雑誌
F-GENSジャーナル
巻号頁・発行日
no.9, pp.23-30, 2007-09

これまでのイスラム史における歴史研究では、女性に関するものは非常に少ない。なぜなら、女性の記述は通常の歴史史料には現れないためである。特に、記述の非常に稀な女奴隷に焦点を当てられることはほぼなかった。本稿は、その女奴隷に着目し、イスラム世界の女奴隷の姿の一端を明らかにすることを目的とする。史料として、他史料には記述の稀な女奴隷の仕事、売買、解放、死の豊富な記録が含まれるアラビア語の説話集『千夜一夜物語』Alf Layla wa Layla、ウラマー(知識人階層)の旅行記である『大旅行記』Tuhfa al-Nuzzar fi Ghara'ib al-Amsar wa Aja'ib al-Asfar、年代記『日録』al-Ta'liq を用いる。結論としては、まず女奴隷が非常に広範な範囲でイスラム社会に浸透し、多様な仕事を担っていたことがあげられる。特に女奴隷にしかできない仕事の存在は、奴隷が自由人には不可能な社会的職能を担い、性差を跨ぐボーダレスな役割を果たしていたことの現れであるといえよう。
著者
尹 鳳先
出版者
お茶の水女子大学21世紀COEプログラムジェンダー研究のフロンティア
雑誌
F-GENSジャーナル
巻号頁・発行日
no.2, pp.13-20, 2004-09

本論文では中国現代歴史上で行われた四回の「女は家に帰れ」キャンペーンが行われた背景、論争のきっかけ、論争の内容及び社会に与えた影響などを分析し、このキャンペーンがたびたび起こる背景には女性の社会活動や労働を単なる補助とみなし、これらがその時々の為政者の都合で重視されたり、排除されたりするという、本質的な問題が存在していることを指摘した。また中国では家事、育児、老人介護などの家庭責任は女性の責任だと考えている性別役割分担意識がまだ確固として人々の意識の中に残っており、中国女性は仕事と家庭の両立にる二重負担に疲れきっていて、この二重負担を解決しないかぎり、女性の労働問題は解決できない。しかし従来のキャンペーンではこの二重負担に関する視点が欠けていた。そこで本論はこの点に言及すると共にこの二重負担の問題を解決するためには男性も女性も意識の改革が必要であろうということを提言したい。