著者
桑原 祐子
出版者
佛教大学国語国文学会
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
no.28, pp.29-44, 2020-11-28

正倉院文書に残る「待遇改善要求草稿」に、休暇に関する要望がある。「毎月、一度にまとめて五日間の休暇をもらいたい」という要望である。この要望は、その後叶えられて、「例・法例」という規定のなかに生かされた。そのことを「請暇解(休暇願)」の分析・検討から明らかにした。また、この規定を最大限に生かすために、写経生等は請暇解に、様々な表現の工夫を凝らしていたことを検討した。さらに、工夫の甲斐あって、一回に一〇日間の休暇を獲得した安宿廣成の請暇解や解文に焦点を当て、どのように文書の定型を外しながら、表現の工夫をしていたのかということも分析した。 正倉院文書は、いつ・誰が・誰に対して・どのような場で・どのような目的で・何を・どのように書き記したかが明確な一次資料である。これらの文書を作成した実務官人の言語生活の実態を記述することは、八世紀の日常普段の日本語を解明することに資することになるのである。
著者
黒田 彰
出版者
佛教大学国語国文学会
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
no.21, pp.129-153,5,7-36, 2014-11-29

本誌前号の拙稿「祇園精舎覚書|鐘はいつ誰が鳴らすのか|」において、祇園精舎の無常堂の鐘の鼻には、金の獅子に乗り、手に白払を持った、金の崑崙が造型されていることを明らかにした。さて、その崑崙とは如何なるものなのか、戦前の研究史を参照しつつ、伎楽面の崑崙等を上げ、前稿の末尾部分で、聊か述べる所があったものの、その後、崑崙については二つ、大きな問題があることに気付いた。一つは、第二次世界大戦後、新中国において唐代を中心とする、崑崙の出土が相次ぐなど考古、美術、仏教、音楽(芸能)、文学、歴史等の諸分野にあって、崑崙研究が大きな進展を見たことである。もう一つは、崑崙が祇園精舎無常院(堂)の鐘と深く関わることである。小稿は、その第一の問題に取り組んだものである。近時の上記諸分野における崑崙研究は、目を見張るものがあるが、遺憾なことに、それら各分野の成果を統合し、纏めたものがない。そこで、小稿にあっては現時点における崑崙研究を、図像資料を中心として総合的に纏めてみることとした。小稿の図版(図一|三十五<図三十四を除く> 、参考図一|三)に関しては、巻頭カラー図版を参照されたい。なお第二の問題については、近稿「祇園精舎の鐘|祇洹寺図経覚書|」を予定する
著者
内田 賢德
出版者
佛教大学国語国文学会
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
no.21, pp.37-51, 2014-11-29

語の意味とはどのようなことであるのか。イヌという語があらゆるイヌを含むことができるのはなぜか。それを他との差異という概念で説明する。意味は、その言葉の属する文化史の中で決定されるが、それを解析することは難しい。しかし、方法的な語源学によってある程度は可能である。語源を知るとき、私たちは意味することの始原に立ち返ることになる。意味することの根拠としてあるものは、私たちの言語活動にいつでも立ち会っているものである。
著者
三谷 憲正
出版者
佛教大学国語国文学会
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
no.1, pp.128-149, 1996-10-19

『人間失格』は太宰の自叙伝などではない。葉蔵は不思議なことに〈食欲〉と〈性欲〉がないかのように設定され、また、年上の女性たち(母子家庭が多い)といつも〈二階〉に漂うかのように存在している(中学の下宿、東京の下宿、シズ子のアパート、京橋のバア)。しかし、年下の唯一結婚するヨシ子との生活の場のみ、葉蔵は〈一階〉に降りて来る。その背景には福音書のイエスがいる。この場合、「父」は旧約の「エホバ」に他ならない。「父神」は現実の《リアリズム》を指向するが、「神の子」葉蔵は天上的な《ロマンチシズム》で動く。しかし、この《ロマンチシズム》は《リアリズム》に敗北する。そのような、もう一つの《陰画としてのイエス伝》、つまり昭和という《現代に降り立ったイエスの伝記》が『人間失格』というテキストである。
著者
三宅 えり
出版者
佛教大学国語国文学会
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
no.23, pp.88-102, 2016-11-26

春の花が咲き乱れる美しさや、紅葉の美しさを「錦」にたとえることは、古く『万葉集』や『懐風藻』の詩歌にもみられ、『古今集』や『文華秀麗集』等、平安朝の詩歌にも受け継がれている定型的な比喩である。『源氏物語』には、自然の美しさを「錦」にたとえる表現もみられるが、宴に集った錦を纏う人々の様子を自然の美景にたとえる表現もみられる。「澪標」、「若菜下」の住吉社頭での宴の場面、「初音」の六条院での男踏歌の場面、そして「胡蝶」における六条院での船楽の場面である。これらの場面は光源氏が権力を掌握していることを示す重要な場面である。光源氏の周囲に集う人々を自然の美景にたとえることは光源氏に天の造化と同等のものを生み出す力があることを示すのだろう。また、「錦」にたとえられる明石上の存在についても考察する。
著者
権田 浩美
出版者
佛教大学国語国文学会
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
no.27, pp.67-91, 2019-11-30

<異界>を描く作家として定評のある川上弘美にとって、『水声』は異色の作であろう。川上と同じ年齢の語り手・都の語る、弟・陵との近親相姦という一見閉ざされた愛の物語は、時代を揺るがした実際の事件や災害を後景化することにより、奇妙なリアリティと共に神話にも遡及する男女の愛の原型としても読めるからだ。とりわけ、<ママ>と奈穂子に重ねられる<白>のイマージュは興味深い。『水声』という題名につながる<水>の流れる処として都が想い描く<白い野>はモダン都市文化と戦時下の緊張が交錯する時代に成った新興俳句からきているが、その時代はそのまま<ママ>の幼少期と重なる。<白>は戦争のみならずチェルノブイリ原発事故、地下鉄サリン事件、そして東日本大震災という、人という種が科学への過信や傲りの果てに引き起こした、あるいはどれほど科学が発展しても避けられぬ破壊の跡に晒される虚無や空無の色彩とも読める。近代的自我の描出に拘泥しない川上による人という種の盛衰と愛の原型として、都と陵の愛の物語が、<白い野>を流れる<水>という悠久の時間の中で浮かび上がってくる。
著者
中村 潔
出版者
佛教大学国語国文学会
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
vol.25, pp.247-269, 2017-11-25

明治二十七年七月二十五日、夏目金之助は伊香保温泉松葉屋旅館で小屋保治と対談。その直後、松島・瑞巌寺漂泊の旅があり、深い厭世に苦しんでいたことは周知のこととされる。帝国大学寄宿舎を出て、学友菅虎雄宅に寄食したが再び放浪。小石川区表町の尼寺法蔵院に下宿。菅虎雄の紹介で、鎌倉円覚寺塔頭帰源院で参禅。然し齋藤阿具宛書簡に、「遂に本来の面目を撥出し来たらず」とある。翌二十八年四月に、帝大での研究生活から離れ、高等師範学校・東京専門学校を辞職して愛媛県尋常中学校に赴任。すべてを捨てての松山行きとして、これまた周知の事実。こうした事に関連して、昨秋本学「国語国文学会」に報告した。以後書簡の順序を整理し、小屋保治の人物像に触れることにより、金之助の失意を理解する一助とした。その理由は、漱石作品の多数に失意を主題とするものが見られ、それらの原点として小屋保治と楠緒子の存在は無視することが出来ない。本稿は、これを裏付けるために金之助書簡の検討に加え、礒部草丘の一文にも触れることにした。
著者
増田 繁夫
出版者
佛教大学国語国文学会
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
no.23, pp.34-49, 2016-11-26

六条御息所が物の怪となり葵上に取り憑くほどの忿怒をおぼえたのは、葵上が車の所争いで御息所の存在を無視してふるまい、誇り高い御息所の自尊心を打ち砕いたことによる。十世紀に入ったころから貴族社会に物の怪が広く跳梁するようになるが、それはこの時期になって人々が内面世界を深くしてきたことによるものである。その結果、人々は理と非理、善と悪などの倫理的観念を発達深化させてきた。物の怪の顕現には、物の怪を見る側の人の「おびえ」や「後ろめたさ」の感覚がの発達が不可欠である。そしてこの「後ろめたさ」は「良心」の萌芽と考えられる。