著者
堤 雅雄
出版者
島根大学教育学部
雑誌
島根大学教育学部紀要 人文・社会科学 (ISSN:02872501)
巻号頁・発行日
no.32, pp.1-6, 1998-12

人間の心理が単純に割り切れるものでなく,時に相矛盾する精神力動を併せ持つことがあるのは,我々の日常経験,とりわけ対人関係を振り返れば自明であろう。人が孤独を恐れ,他者を求めるのはごく自然な心情であるが,その一方でなぜか他者を避け,引きこもろうともする(堤,1995)。かつてショーペンハウアー(1973)が「山あらしジレンマ」として描いた接近・回避葛藤はその典型であり,人が同一の対象に対して肯定,否定の両価的感情を有することがあるとの認識は,広く臨床に携わる者にとっての要諦でもある。 他者に対する両価性(ambivalence)は次の3つの位相において成立可能である。まず,自己に対する我の両価性。自己に対する嫌悪と自己愛の併存は境界例をもちだすまでもなく,特に青年期では一般的,かつ顕著である(Beebe,1988)。次に親密な他者(汝)に対する両価性。愛する者に対する愛と憎しみの二重の感情は永遠の文学的テーマである。そして他者一般(彼ら)に対する両価性。初対面の他者との出会いや,公的な場面での自己提示などでは,多くの人が緊張や羞恥を経験するが,そこにも他者に対する両価的感情が内在する(Asendorpf,1989)。 近年,ボールビィに端を発する愛着理論において,密接な関係にある他者に対する愛と憎しみの両価的愛着タイプは,乳児期の母子関係から成人期の異性関係に至るまで,生涯を通して普遍であるという議論が盛んである(Bowlby,1973,1977,Bretherton,1985,Simpson,Rholes&Phillips,1996)。 現代の若者たちの,おとなから見れぱ一見不可解な対人行動のスタイルに対しても,その基底に他者に対する接近−回避葛藤を見る視点からの議論がある。一時期新聞紙上で「ふれあい恐怖症」なる語題が喧伝されたのもその一例である。ふれあい恐怖症とは,授業やクラブ活動などの浅い付き合いは無難にこなすものの,その後の雑談や会食などの深い付き合いになると不安感が高まり,逃げ出してしまうというものである(朝日新聞,1989)。 彼らの行動の根底に,果たしてそのような相反する志向性が実際に存在するのだろうか。残念ながらこれに関する実証的検証は意外に少ない。例えば最近の対人不安心性に関する国内の幾つかの研究論文(堀井・卯月・小川,1994,堀井・小川,1995,岡田・永井,1990,内田,1995)でも,他者に対する両価性についての言及には乏しい。 本研究では大学生を対象に,人と人とのふれあいに対する肯定,否定の二重の志向性の存在を検証するとともに,いまだおとなになれない後期青年期の,他者に対する微妙で複雑な心理の分析を試みる。
著者
福田 景道
出版者
島根大学教育学部
雑誌
島根大学教育学部紀要 (ISSN:18808581)
巻号頁・発行日
vol.49, pp.114-126, 2015-12-22

東宮保明親王早世の悲劇は、皇統の行く末を揺るがし、『後撰集』や『大和物語』の素材となって流布し、夭折した東宮を意味する「先坊(前坊)」は保明の別称として定着していった。その流れを承けて『源氏物語』の六条御息所の物語や『大鏡』の先坊と大后の物語が形成されたのである。『源氏』『大鏡』両作の影響は後世に広く及び、先坊像を発展させ、『今鏡』の先坊を生み出し、中世新時代に至るまで途絶することはなかった。十三世紀初頭には先坊は明確な形象を獲得し、『浅茅が露』『いはでしのぶ』などの中世王朝物語の世界で安定した存在感をもって多出するようになったと思われる。同時に、歴史物語の系統では皇位継承史の要諦として枢要な役割を果たし続ける。『大鏡』では先坊の母后として「大后」穏子が皇位継承を主導し、『今鏡』では立坊していない敦文親王が先坊として機能し、『六代勝事記』でも仲恭帝が先坊の扱いを受けて皇統変更を象徴する。これらの伝流を継受して、『増鏡』の先坊邦良親王が造型されたのである。和歌文学、歌物語、作り物語、歴史物語で醸成された先坊が『増鏡』の邦良親王像に結実したとも言える。
著者
高瀬 彰典
出版者
島根大学教育学部
雑誌
島根大学教育学部紀要 (ISSN:18808581)
巻号頁・発行日
vol.39, pp.69-83, 2006-02
著者
竹田 健二
出版者
島根大学教育学部
雑誌
島根大学教育学部紀要 (ISSN:18808581)
巻号頁・発行日
vol.48別冊, pp.77-84, 2015-02-27

台湾フェローシップへの申請が採択された筆者は、2013年3月から8月までの半年間、国立台湾大学哲学系において海外研修を行った。台湾フェローシップ採択者には、国立台湾師範大学国語教学中心において3ヶ月間中国語を学習する機会が与えられることから、筆者はこの機会を利用してあらためて中国語を学習した。本稿は、その体験についての報告である。
著者
湯浅 邦弘
出版者
島根大学教育学部
雑誌
島根大学教育学部紀要(人文・社会科学) (ISSN:02872501)
巻号頁・発行日
vol.27, no.1, pp.1-24, 1993-12-25

聖王黄帝と車神蚩尤とは、中国の戦争起源神話に登場する二大神格である。史上初めて武器を作り黄帝に戦いを挑んだ蚩尤は、大暴風雨を興して黄帝を苦戦に陥れるが、應龍・玄女の助力を得た黄帝によって、最後はタク鹿の野に誅殺された。一方、黄帝は、この勝利によって世界の統一を果たし、以後、中国文明の始祖として聖王伝説の上に君臨することとなった。13; この黄帝・蚩尤神話について、筆者は先に、蚩尤が武器や戦争を創始したという蚩尤作兵説、蚩尤が黄帝に匹敵する身分・力量を備えていたという種々の伝説について、多くの関係資料を分類しつつ考察を加えた。13; その結果、『呂氏春秋』蕩兵篇、『大戴礼記』用兵篇のみは、そうした通説の中で極めて特異な蚩尤像を提示していることが明らかとなった。13; 『呂氏春秋』蕩兵篇は、多くの資料が大前提とする蚩尤作兵説を明確に否定する。また『大戴礼記』用兵篇も、蚩尤作兵説を否定し、更に、蚩尤の地位についても、通説に反して蚩尤庶人説を主張していた。13; そこで、引き続き本稿では、『呂氏春秋』『大戴礼記』がこうした特異な蚩尤像を提示する理由について考察を進めて行くこととする。
著者
深田 博己
出版者
島根大学教育学部
雑誌
島根大学教育学部紀要 教育科学 (ISSN:0287251X)
巻号頁・発行日
no.21, pp.p71-79, 1987-12

本研究では,恐怖喚起コミュニケーションの説得効果を予測あるいは説明するために提出された既存の理論・モデルの特徴と限界を考察し,試案段階であるが,認知−情緒統合モデルを提案する。