著者
三原 重行
出版者
島根大学
雑誌
島根大学教育学部紀要. 人文・社会科学 (ISSN:02872501)
巻号頁・発行日
vol.32, pp.55-66, 1998-12-01

「詩人の恋」はシューマンのハイネ歌曲集の中で最も完成度の高い作品であり, 彼の"歌の年"1840年を代表する最高傑作とされる16曲の歌曲集である。13; テキストは現在「歌の本」におさめられている「抒情的間奏曲」からとられた。当時この歌曲集は20曲からなる歌曲集として出版された。1994年10月に録音されたトーマス・ハンプソン(バリトン), ヴォルフガング・サヴァリッシュ(ピアノ)EMI,TOCE-9505 のCDによれば歌の本の抒情挿曲からの20の歌(「詩人の恋」のオリジナル・バージョン)としてきくことができる。すなわち現行版の第4曲と第5曲の間に「おまえの顔はとても可愛くて」作品127の2, 「おまえの頬を寄せよ」作品142の2が現行版の第12曲と第13曲の間に「ぼくの恋は」作品127の3,「ぼくの馬車はゆるやかに」作品142の4曲が挿入されている。現行版の16曲からなる「詩人の恋」の見地からは, もともとハイネの詩の主題は失われた愛の"追憶"なのであって, それにまつわる歓びも悲しみも, いわば過去という単一な時間の中での同時的, 併存的な存在である4曲の削除により, 独自の選択と配列によって時間的, 心理的な秩序を形成し, それぞれの歌にドラマ的な佳格を与えたのである。13; シューマンは文学的能力にもたけており, 詩の改変と字句の変換等を頻繁に行っている。また, もともとピアニストを目指し, 多くのピアノ曲を作曲していたのだが同時代に生きたハイネの詩との出会いは歌曲作曲家としての地位を揺るぎないものにした。シューマンの歌曲の特徴は情感の表出は内的で抑制されている。ピアノ伴奏はアラベスクな描写に終始し, メロディーラインを目立たない様に平行になぞるか, あるいはメロディーの輪郭をくまどる方が多い。ピアノ伴奏つきリードを文学的表現にまで高めようとするところがシューマンとシューベルトの作品の違いである。13; それではここで全16曲の演奏法について触れてみたい。
著者
中山 郁子 藤江 奏
出版者
島根大学教育学部
雑誌
島根大学教育学部紀要 人文・社会科学 (ISSN:02872501)
巻号頁・発行日
no.4, pp.51-67, 1970-12

偏食および極端な好き嫌いなど,食物に対する嗜好の問題が,我々の肉体的健康に直接関連があることはいうまでもないが,それのみではなく,その人の性格形成にも何らかの影響をおよぼしているであろうことは容易に推察される。たとえば、自殺をするような人や偏くつな人には偏食する人が多いといわれるのもそのようなことであろう。 このように食物の嗜好がその人の性格と何らかの関連性があるであろうと考えられているにもかかわらず,この面についての研究はなされていないのが現状である。従って,本報においては,この問題を取り上げ中学生を対象に男女の性別および年令別による嗜好の相異,および食物に対する嗜好傾向を調べ,同時に性格テストを実施してその嗜好との関連性について研究をおこなった。その結果,いくつかの興味ある知見を得たので報告する。
著者
久松 昌範
出版者
島根大学
雑誌
島根大学教育学部紀要. 人文・社会科学 (ISSN:02872501)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.24-39, 1967-12-28

政治意識研究の一環として,日本に於ける各政党の支持層が,いかなる人生観(広い意味での「社会的性格」)をもつかを探索することが本研究の目的である。 日本人の政治的性格(広義の「社会的性格」)をいくつかの類型にわけて考える研究の代表的なものには,日高(1960),塩原(1962),田中(1964),飽戸(1965)などの研究がある。 日高(1960)は,歴史的,社会的な形成過程から,「庶民的」「臣民的」「市民的」「大衆的」「人民的」の5つの性格型を基本的なものと考えた。 塩原(1962)は「庶民的指向」「市民的指向」「大衆的指向」「前衛的指向」の4つの類型をあげている。 田中(1964)は,日高,塩原に類似の5つの基本型を用いて,自民党員,革新党員,創価学会信者,労働学校生徒,進歩派学生,カソリック信者,高校生の各集団に態度調査を行ない,「革新系集団ほどその態度構造には論理的整序が行なわれ,いわゆるイデオロギー的因子とよべるものがみられるのに対して、保守系集団の態度構造には論理的連関性が少なく,イデオロギーとよべるものはみられないであろう」という仮説を因子分析によって検討している。 飽戸(1965)は,「保守−革新」「関心−無関心」「革新批判−保守批判」の3つの次元を組合わせた類型を,多次元解析から導き出している。 一方,政党支持態度を中心に政治意識を分析しようとする研究には,牧田,林,斉藤(1959)池内(1960),山本,久松(1965),加留部(1966),三宅,木下,間場(1967)などの研究がある。 これら2つの流れを統合的に考えようとする筆者は,現実の政党支持と「社会的性格」の基本的要素である「人生観」との関係を,日高(1960),塩原(1962)の類型を参考にしながら探索しようとするものである。
著者
山本 眞一
出版者
島根大学教育学部
雑誌
島根大学教育学部紀要. 人文・社会科学 (ISSN:02872501)
巻号頁・発行日
no.11, pp.23-29, 1977-12-25

生活の単位として,家族があり,血縁的・情愛的結合のもとに経済生活上の共同体として世帯を構成しているが,資本主義経済制度の発達に応じ彼等のもつ唯一の方法としての労働力の販売の実現が必要条件であり,それなくしては生活手段を持たないがゆえに飢える自由を意味する。このいわゆる二重の意味での自由な労働者は資本主義のもとにおける窮乏化の進行過程にあって,それは「資本が蓄積されるにつれて,労働者の状態は,彼の給与がどうあろうとも−高かろうと低かろうと−悪化せざるをえないということになる。最後に相対的過剰人口または産業予備軍をたえず蓄積の範囲および精力と均衡させる法則はヘファイストスの楔がプロメテウスを釘づけにしたよりも一層固く労働者を資本に釘づけにする。だから一方の極での富の蓄積は,その対極では,すなわち,自分自身の生産物を資本として生産する階級の側では,同時に貧困、労働苦,奴隷状態,無知,野生化および道徳的堕落,の蓄積である」とマルクス(K.Marx)がのべた窮乏化の貫徹の下におかれている。このいわゆる窮乏化の諸現象形態としての無知に関してみれば,知識の進歩についていけない状態としての相対的無知及び絶対的無知の蓄積があり、クチンスキー(J.Kuczynski)のいう「かってのギルドの徒弟や職人たちはすべて各自の手工業を学ぶほかに手工業の経営術も学んだのであった。ところが資本主義下の労働者たちは,その雇われている経営の内情についてはその全般を知り得る地位におかれていないし,しかもそういう地位からはますます遠ざけられつつある。」という形態での進行がある。それは今日資本の管理体制としての職務給の導入及びその細分,分断化に顕著にみられる所であるが,資本の剰余価値確保追求からなる必然的所産である。又,周知のように特殊な商品としての労働力を販売し,労働力の価格としての賃金をもって生活に要する生活財を購入する以外の方策を持たない彼等の上には相対的過剰人口の増大の下,賃金は労働力の価値以下への切り下げの圧力が貫徹する。現在も続く労働力の下降移動,最近特徴的といわれるパートタイマー,臨時工,日雇等顕著に証明される。それは労働者階級のおかれている以上のような状態にあって各々の家族一世帯間での競争,同様に家族内における,すなわち妻が,子供が「彼の生活時間を労働時間に転化させ,彼の妻子を資本のジャガノートの車輪のもとに投げ入れる」といわれる所の,すなわち夫の労働力と競争を余儀なくされ,一層賃金低下を加速させるということであり,結果として各々の労働者は労働力の販路,有利性を求めて個々的努力を志向する。それは精神的,肉体的諸能力の総体としての労働力を相対的に有利な立場に位置させようとする現象といえるであろう。その労働力の質的向上を促進するために有利な労働力販売条件を確保しようとする。では現実に彼の労働力の価値評価としての学歴が貧困としての賃金及び労働条件の格差とどのようにかかわっているのであろうか。又,一方で教育の機会均等が家計とどのようにかかわり就学保障という社会政策的な現実はどう位置づけられるか以下検討してみたい。 それはとりもなおさず前述した労働者家族の生活状態の経済的側面への考察といえよう。
著者
猿田 量
出版者
島根大学教育学部
雑誌
島根大学教育学部紀要. 人文・社会科学 (ISSN:02872501)
巻号頁・発行日
vol.27, no.2, pp.29-34,

松江市の平浜八幡宮には興味ある絵馬がいくつか伝わっている。絵馬のより旧い形態を伝えているとみられる木製の馬像や法橋狩野永雲筆の『松に鷹図絵馬』などであるが、なかでも興味深いのは松平直政が寄進したと記録されている『鷹図絵馬(一対)』である。 この一対の絵馬は特異な特色を有する。左右一対をなすよう制作されること自体は、室町時代前後に黒毛の馬と白毛の馬を描いた絵馬を一対として奉納する習慣が成立して以来の通例、むしろ一原型としえるのであるが、左右の各面で横書き文字の列の方向を逆転させてまで対称性を意図するのはあまり類例を見ない。また年月日の記はあるが、絵馬奉納の目的である願い事についての文言は見出だせない。願いがひそかなものであったとしても、その詳細を避け『諸願』として記す、しばしば見られる形態さえとっていない。この絵馬に託された祈願は記す必要のないほど明瞭なのであろうか。あるいは隠されているのであろうか。さらに年記に言う寄進の時期は、寛永十五年の直政の出雲転封の翌々年であり、金箔張りの作品の制作期間を考慮すると松江入府そうそう発注されたと考えなければならない。そのような急ぎの寄進を促した理由があったとすればそれは何か。 以上の画面内部および寄進の時期をめぐる特徴から、この一対の絵馬の奉納動機は考察に値するであろう。以下、造形、記載された文言、顕著な対称性、鷹という画題の選択理由を検討し、できるかぎり奉納動機の推定を試みたい。
著者
稲浪 正充 栗山 智子 安部 美恵子
出版者
島根大学教育学部
雑誌
島根大学教育学部紀要(人文・社会科学) (ISSN:02872501)
巻号頁・発行日
vol.28, pp.35-50, 1994-12-25

われわれは,3年前から色彩と感情のテーマにとり組んできた。本論文では2つの調査を試みた。先行研究(稲浪,野口)で,色の重さ,暗さ,冷たさを追及したが,ここではこれら3種類の感情的意味を含んだ10種類の感情的意味を調べた。また,先行研究(稲浪,小松原)で大学生に行った笑い顔,怒り顔,泣き顔のぬり絵から喜び,怒り,悲しみの色を調査したが,ここでは笑い顔のぬり絵に限り,就学前幼児と老令者を対象に調査した。13;
著者
島畑 斉
出版者
島根大学
雑誌
島根大学教育学部紀要. 人文・社会科学 (ISSN:02872501)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.53-65, 1987-12-25

"Inventionen und Sinfonien"は,1717年から1723年にかけて作曲者のJ.S.Bach(1685−1750)自身によって編集された。その原型といえるものは,彼の"Klavierbuchlein fur Wilhelm Friedemann Bach"(1720)の中に見いだせる。そこには,音名,音部記号,装飾法などの音楽的基礎知識の説明が記され,"Das Wohltemperierte Klavier I"の Praeludium の原曲に相当する11曲の作品などとともに,"Inventionen und Sinfonien"の原曲に相当する30曲が Praeambulum や Fantasia として収められている。"Inventionen und Sinfonien"は,これらの30曲に推敲を加えてまとめられ,その序文には次のような事項が記された。 1)2声部,3声部を美しく正しく処理すること。 2)すぐれた楽想を修得して展開すること。 3)カンタービレ(歌うような)奏法を修得すること。 4)作曲に関する予備知識を修得すること。 これらは,初心者が一般に機械的な練習に陥りやすいことに対する喚起であり,音楽表現に関する基礎的な心構えともいえる。つまり,演奏者(学習者)が小手先だけによって,ただ単に表面的に演奏することに対する警告である。このような意義をもつことによって,"Inventionen und Sinfonien"は,今日まで,J.S.Bach の"Das Wohltemperierte Klavier"の準備段階における,高度の音楽性をそなえたピアノ教材として位置づけられている。 ところで,いわゆる西洋音楽のピアノ作品を演奏する場合,次のような過程をたどらなげれぼならない。まず,作曲者に関して,時代背景とともに,生涯や生き方,全作品を通しての作風などを考察をする。次に,個々の作品に関して,作曲年の時代的な位置づけとともに,作品様式の理解や構造の分析をする。ここでは,音,動機,主題などの楽曲の柱となる素材について,その意味を探求する必要がある。さらに,これらをとらえることによって,作曲者の意図を推察し,演奏における実際の選択をする。つまり,テンポ,フレージング,アーティキュレーション,強弱法,アゴーギク Agogik,音色,運指法,タッチ,自然な運動などの諸要素を選択する。そして,最終的に演奏という行為において,作曲者の意図と自己の意図とを融合し,最大限に表現するのである。 本稿では,「運指法」 という演奏におけるひとつの面に焦点を絞り,2声部からなる"Inventionen BWV772-786"のの個々の作品の中にその問題点を探る。なお,Inventionen の楽譜は現在にいたるまで幾種もの版が出版されているが,ここでは,比較的入手しやすい版を選択し,それらを参照しながら検討をすすめる.
著者
大西 俊江
出版者
島根大学
雑誌
島根大学教育学部紀要. 人文・社会科学 (ISSN:02872501)
巻号頁・発行日
vol.23, no.2, pp.29-34, 1989-12-25

子どもから大人への移行期にある青年期は,従来から不安と動揺に満ちた「疾風怒涛」の,危機的時期であると言われている。13; Kretschmer,E.(1948)は,青年期精神医学に初めて「思春期危機」という概念を導入した。Kretschmer は「思春期危機というのは,疾病でも神経症でもなく,むしろ思春期と密接な関係をもつ限局された体質的な時間的経過であり,かなり強い社会的な影響を伴う人格的成熟の困難である。」と述べており,思春期という年代それ自体が危機的であると指摘している。13; 精神分析家である Erikson,E.H.(1968)は,青年期の最大の課題として「自我同一性」の概念を提唱した。青年期において自我同一性は確立されていくが,その時に同一性間の葛藤や同一性の拡散に巻き込まれて動揺し,さらに否定的同一性や過剰同一化が介入して同一性の危機に陥ることもあるとしている。13; 清水他(1976)は,「青春期危機」に関する文献的考察を行い,また「青春期危機に関する試論」(清水 1976)として,青年が危機に追い込まれる条件を取り挙げている。それは,(1)若者に特有の思い上がり,(2)内省の乏しさ,あるいは外に向けられていた眼差しを内に方向転換できないこと,(3)連帯感を経験できていないこと,(4)あれかこれかの選択を迫られる二者択一の状況,すなわち「決断」の課題に直面することが青年を危機的状況へ追い込む条件であると述べている。13; 一方で,この思春期危機概念に対する反論もある(清水他 1976,1979,井上 1982,下坂 1984,)。アメリカの Offer,D.らの研究は,一般の健康とされている青年に対する調査を基にして,いわゆる「青年期平穏説」を提起し,「青年の混乱は決して普遍的な現象ではなく,あくまでも青年期を通過するいくつかのルートのひとつに過ぎない。」と結論づけている(村瀬 1984)。村瀬(1976)は,この Offer,D.らの研究,彼と同時期に行われた Masterson,J.F. らの症状的青年研究,Marcia,J.E. の青年の identity の客観的研究なとを展望し,自らの研究結果と照らして,「危機説」と「平穏説」について総合的考察を行っている。それによると,青年期の危機の程度を規定する諸要因は,「不安,葛藤,挫折をもたらし易い内面的状況的な負の要因群とこれに対応しこれを克服する方向に作用する正の要因群の二つに大別できる」とし,「青年期が危機的であるかないかという問題の提示は,少なくとも青年を理解する上で適切とは言いがたい。どのような青年と状況がどのような危機を招きやすいか問われるべき課題である。」と述べている。13; 筆者は,児童期までは順調に成長してきた少女が,青年期の入口で挫折し,以来本人はもとより家族までも危機的混乱に陥ってしまった二つの事例に対して,母親面接を通して関わってきた。本稿では,これらの事例を通して,青年期の危機的状況を具体的に理解し,青年期をめぐる問題について若干の考察をする。13;
著者
石野 眞
出版者
島根大学
雑誌
島根大学教育学部紀要. 人文・社会科学 (ISSN:02872501)
巻号頁・発行日
vol.34, pp.49-53, 2000-12-01

さきに,拙論「パウル・クレーのプリミィティブ」−平成9年12月・島根大学教育学部紀要・第31巻(人文・社会科学編)において・パウル・クレーの造形思考と造形表現における「プリミィティブ」について研究した。先稿では,浜田市世界こども美術館創作活動館の開館ならびに開館記念展『こどもたちのパウル・クレー展』の意義について述べるとともに同展に寄せてアレキサンダー・クレー氏が祖父パウル・クレーの造形表現について述べた講演に基づいて,パウル・クレーの造形思考と造形表現にあるプリミィティブ性「パウル・クレー・プリミィティブ」について研究した。13; 本稿では,武満徹氏のパウル・クレー論,その絵画と音楽について考察する。13; 武満徹氏はパウル・クレーの作品に接して,昭和25年,20歳のとき瀧口修造氏の口添えで美術雑誌『アトリエ』に執筆(月刊誌「アトリエ」1951年/昭和26年6月号)パウル・クレー論を書き,初めて稿料を得た。相前後して初期創作作品の代表となる「二つのレント」が発表されている。13; 本稿では,武満徹氏の創作活動初期に流れるパウル・クレーへの傾倒,作曲と絵画性,その曙光について留意し考察,研究する。13; なお,「パウル・クレー」の表記について,武満徹氏は「パウル・クレエ」と記述しているので武満徹氏の引用文では,そのまま「パウル・クレエ」と記述し,その他については,今までの拙論表記のとおり「パウル・クレー」と表記する。以下敬称を略す。
著者
浅野 裕一
出版者
島根大学教育学部
雑誌
島根大学教育学部紀要 人文・社会科学 (ISSN:02872501)
巻号頁・発行日
no.18, pp.p51-96, 1984-12

秦帝国は、商鞍・韓非系統の法術思想を統治原理としたが、秦が滅亡して漢帝国が成立するとともに、それまでの法術思想に代り、黄老道が政治思想の主導的地位に躍りでてくる。この時期、黄老道的統治を行った人物としては、曹参・陳平・汲黯などが著名であるが、彼等の政治的手腕は、主に地方の郡国を舞台に発揮されている。 そこで問題となるのは、漢の皇帝と重臣達の黄老道的統治との関係である。もし歴代の皇帝が、帝国の中枢に於て、黄老道とは全く相い容れぬ、秦帝国同様の皇帝観・統治観を保持していたと仮定すれば、皇帝の意向を無視して、臣下の側だけが一方的に黄老道的統治を実施する行為は、到底不可能であったろう。とすれば、漢初に於ける黄老道隆盛の背景には、秦の皇帝観とは異なる、漢独自の皇帝観の存在が予想される。 これまで、秦帝国と漢帝国、及び秦の皇帝支配と漢の皇帝支配とは、秦漢帝国ないしは古代帝国の名の下に一括され、とかく両者の同質性ばかりが強調されてきた。しかしそれでは、前記の時代思潮の転換を、全く説明できぬこととなろう。そこで小論では、黄老道が流行していた、高祖・恵帝・文帝・景帝と連なる時期の漢の皇帝観を、秦の皇帝観と対比することにより、両者の間に存在した本質的差異を明らかにしていきたい。
著者
猪野 郁子
出版者
島根大学教育学部
雑誌
島根大学教育学部紀要 人文・社会科学 (ISSN:02872501)
巻号頁・発行日
no.21, pp.p87-92, 1987-12

山梨県棡原村は日本一の長寿村であったといわれている。この村の食生活がどのように変ったか調査を行った研究班は,現在の彼らの食卓で家族の箸が交叉しないことに気づいている。つまり,食卓の上には幾皿も並んでいるが,老人は若い者向きの皿には箸がいかず,子どもは自分たち向きの皿にしか箸がいかないということである。 かって,粗食でもって長寿を永らえていた棡原村でさえ,食生活が近代化され,家族の嗜好が重んじられる個食化傾向がすすんでいるように,日本のいたる所で(どの家庭においても)こうした傾向は見られる。 このように,家族の好みあるいは年令にあわせた料理を食卓に並べる努力がなされている一方で,以前は,幼児や子どもにはふさわしくないとされていた食品が,案外無造作に与えられている光景に出会うことも多い。 例えぱ,おとなと同じ様に清涼飲料水の缶を1缶だかえていたり,コーヒーが1人前に溶れられたり,成人対象に作られた料理を飲食していたりである。 勿論,以前には,おとなと同じ物を飲食していなかったかと言えばそういうことはない。飲食していたが,塩分,香辛料,あるいは材質,形においての配慮はされていたのである。 つまり,幼児や子どもに与えてよい物と与えてはいけない物,あるいは,成長にあわせて与えていくべき物という配慮がなされていたといえる。 ところが,どうも最近,この配慮が少しずつなくなりつつあるように思われる。 それとともに,飲食をはじめる年齢も早くなってきているように思われる。 そこで,幼児の飲食の機会が増え,飲食をはじめるのも早くなっていると思われるコーヒー,コーラ,紅茶の嗜好飲料,アメ・キャンデー,チョコレート,ガムの菓子,カレーライスとインスタントラーメンの8食品をとりあげ,これらの飲食の実態を把握しようとした。又,今後の食教育のあり方を考える一資料を得たいと考えた。
著者
吉田 功
出版者
島根大学教育学部
雑誌
島根大学教育学部紀要 人文・社会科学 (ISSN:02872501)
巻号頁・発行日
no.3, pp.29-41, 1970-02

「詩は音楽的になり,音楽は詩的になった」とは,ロマン派芸術の特徴として,よくいわれている言葉である。リートは,これらの特徴を端的に表現し,又,これらの特徴を持ち得たロマン主義によって開花した。このリートを分析してみると,今述べてきたような特徴が如何に主な要素として構成されているか,又,これらの要素が詩人や作曲者にどのように把握されているかを知ることができる。又,そうすることによって,ロマン派芸術の一端を見ることができるといえるであろう。この小論は以上のことを中心に,シューマンの歌曲作品,《リーダークライス Op.39》を題材として,詩と音楽を見たものである。又,この小論は前半を,詩人と作曲者の結びつきからみた当作品,後半をこの作品中最も良く知られた《月夜》についての分析という順序で述べることにする。
著者
堤 雅雄
出版者
島根大学教育学部
雑誌
島根大学教育学部紀要 人文・社会科学 (ISSN:02872501)
巻号頁・発行日
no.32, pp.1-6, 1998-12

人間の心理が単純に割り切れるものでなく,時に相矛盾する精神力動を併せ持つことがあるのは,我々の日常経験,とりわけ対人関係を振り返れば自明であろう。人が孤独を恐れ,他者を求めるのはごく自然な心情であるが,その一方でなぜか他者を避け,引きこもろうともする(堤,1995)。かつてショーペンハウアー(1973)が「山あらしジレンマ」として描いた接近・回避葛藤はその典型であり,人が同一の対象に対して肯定,否定の両価的感情を有することがあるとの認識は,広く臨床に携わる者にとっての要諦でもある。 他者に対する両価性(ambivalence)は次の3つの位相において成立可能である。まず,自己に対する我の両価性。自己に対する嫌悪と自己愛の併存は境界例をもちだすまでもなく,特に青年期では一般的,かつ顕著である(Beebe,1988)。次に親密な他者(汝)に対する両価性。愛する者に対する愛と憎しみの二重の感情は永遠の文学的テーマである。そして他者一般(彼ら)に対する両価性。初対面の他者との出会いや,公的な場面での自己提示などでは,多くの人が緊張や羞恥を経験するが,そこにも他者に対する両価的感情が内在する(Asendorpf,1989)。 近年,ボールビィに端を発する愛着理論において,密接な関係にある他者に対する愛と憎しみの両価的愛着タイプは,乳児期の母子関係から成人期の異性関係に至るまで,生涯を通して普遍であるという議論が盛んである(Bowlby,1973,1977,Bretherton,1985,Simpson,Rholes&Phillips,1996)。 現代の若者たちの,おとなから見れぱ一見不可解な対人行動のスタイルに対しても,その基底に他者に対する接近−回避葛藤を見る視点からの議論がある。一時期新聞紙上で「ふれあい恐怖症」なる語題が喧伝されたのもその一例である。ふれあい恐怖症とは,授業やクラブ活動などの浅い付き合いは無難にこなすものの,その後の雑談や会食などの深い付き合いになると不安感が高まり,逃げ出してしまうというものである(朝日新聞,1989)。 彼らの行動の根底に,果たしてそのような相反する志向性が実際に存在するのだろうか。残念ながらこれに関する実証的検証は意外に少ない。例えば最近の対人不安心性に関する国内の幾つかの研究論文(堀井・卯月・小川,1994,堀井・小川,1995,岡田・永井,1990,内田,1995)でも,他者に対する両価性についての言及には乏しい。 本研究では大学生を対象に,人と人とのふれあいに対する肯定,否定の二重の志向性の存在を検証するとともに,いまだおとなになれない後期青年期の,他者に対する微妙で複雑な心理の分析を試みる。
著者
稲浪 正充 野口 明紀
出版者
島根大学
雑誌
島根大学教育学部紀要. 人文・社会科学 (ISSN:02872501)
巻号頁・発行日
vol.27, no.1, pp.11-26, 1993-12-25
被引用文献数
1

A. We made a questionnaire consisting of 5 questions and asked 304 students (mal ; 140, female : 164) to choose one color from about 13 colors (white, red, yellow green, blue, purple, pink, brown, orange, yellow-green, water color, gray, black). We calculated the percentage of each of the 13 colors for each question, and determined the no. 1 and no. 2 color, using Chi-square. (1) Walls and curtains of a dwelling house : white and brown. (2) Seasons : spring was pink ; summer, blue ; autumn, brown and orange ; winter, white and gray. (3) Words : happiness ; pink, unhappiness ; gray and black, eternity ; white, death ; gray and black, life ; red, sin ; gray and black, loneliness ; gray and black, home ; orange, dream ; pink, excitement ; red, fear ; black, love ; red and pink, future ; white, home sickness ; brown and orange, birth ; white, anxiety ; gray, despaire ; black and gray, anger ; red, hope ; yellow (female), dissatisfaction ; gray (male), remembrance ; water color (female). (4) Picture of faces 1. normal : face ; white. 2. laughing : face ; pink. 3. anger : face ; red, background ; red. 4. sorrow : clothing ; black, background : gray and black. (5) The most liked color varied, and the most disliked color was purple (female).B. We asked them to arrange the 13 colors from heavy to light, dark to bright, and warm to cool And, divided each color by heaviness (heavy, medium, light), darkness (dark, medium, bright), and warmth (warm, medium, cool). 1. white : light, bright, not warm. 2. red : medium (heaviness, darkness), warm. 3. yellow : not heavy, bright, warm. 4. green : medium (heaviness, darkness, warmth). 5. blue : medium (heaviness, darkness), cool. 6. violet : heavy, dark, not warm. 7. pink : light, bright, warm. 8. brown : heavy, dark, medium (warmth). 9. orange : medium (heaviness), not dark, warm. 10. yellow-green : not heavy, medium (darkness), warm. 11. watercolor : light, not dark, not warm. 12. gray : heavy, dark, cool. 13. black : heavy dark, cool.
著者
湯浅 邦弘
出版者
島根大学教育学部
雑誌
島根大学教育学部紀要(人文・社会科学) (ISSN:02872501)
巻号頁・発行日
vol.27, no.1, pp.1-24, 1993-12-25

聖王黄帝と車神蚩尤とは、中国の戦争起源神話に登場する二大神格である。史上初めて武器を作り黄帝に戦いを挑んだ蚩尤は、大暴風雨を興して黄帝を苦戦に陥れるが、應龍・玄女の助力を得た黄帝によって、最後はタク鹿の野に誅殺された。一方、黄帝は、この勝利によって世界の統一を果たし、以後、中国文明の始祖として聖王伝説の上に君臨することとなった。13; この黄帝・蚩尤神話について、筆者は先に、蚩尤が武器や戦争を創始したという蚩尤作兵説、蚩尤が黄帝に匹敵する身分・力量を備えていたという種々の伝説について、多くの関係資料を分類しつつ考察を加えた。13; その結果、『呂氏春秋』蕩兵篇、『大戴礼記』用兵篇のみは、そうした通説の中で極めて特異な蚩尤像を提示していることが明らかとなった。13; 『呂氏春秋』蕩兵篇は、多くの資料が大前提とする蚩尤作兵説を明確に否定する。また『大戴礼記』用兵篇も、蚩尤作兵説を否定し、更に、蚩尤の地位についても、通説に反して蚩尤庶人説を主張していた。13; そこで、引き続き本稿では、『呂氏春秋』『大戴礼記』がこうした特異な蚩尤像を提示する理由について考察を進めて行くこととする。
著者
相良 英輔
出版者
島根大学
雑誌
島根大学教育学部紀要. 人文・社会科学 (ISSN:02872501)
巻号頁・発行日
vol.33, pp.1-10, 1999-12-01

本稿は1997~'98年に国際学術研究として「環日本海における過疎問題の比較調査−韓国・中国・日本を中心に−」のテーマに基づいた科学研究費による研究報告の一部である。本研究は北川泉島根大学名誉教授を研究代表者とする研究グループの2回にわたる調査によって得られた成果を基に,筆者の担当部分を報告するものである。13; 本稿の分析対象とした地域は,韓国南東部の慶尚北道と慶尚南道の中山間地域である。過疎・中山間地域問題は,日本のみならず韓国,中国にも共通してある。本調査研究の目的は,(1)韓国,中国,日本の三国に共通する過疎・山村問題の克服と環境維持機能や資源利用を満足に実現しうる均衡ある各国国土の発展方策を明らかにすること,(2)その成果を日本のあるべき政策に反映させることによって,我が国の過疎・山村問題解決に貢献すること,である。これに対し,筆者は,1960年代以降の韓国農村の変化を歴史的に分析することによって,問題点に接近していき,目的の一端を果たしたいと思う。
著者
吉名 重美
出版者
島根大学
雑誌
島根大学教育学部紀要. 人文・社会科学 (ISSN:02872501)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.89-95, 1976-12-25

音楽史上(西洋),特にバロック時代の器楽における最大の表現形式としては,フーガと組曲をあげることができる。そのうちの組曲は,古典派時代においてソナタ形式の発達と共に衰退したかのようにみえたが,近代になりまた新しい衣をきて発展してきた。13; このめまぐるしい変遷を遂げてきた組曲を,今回の演秦会にとりあげることにした。曲目には,古典組曲であるバッハ Bach,J.S.(1685−1750)の「フランス組曲 Franzosische Suiten」と,近代組曲であるムソルグスキー Mussorgsky, M.R.(1839−1881)の「展覧会の絵 Bilder einer Ausstellung」とを選んだ。いうまでもなく両者は,古典,近代の組曲において共に代表的な作品であり,両時代の各々の特徴をよくとらえている作品であると認められているという根拠にもとづく。13; 技術的要素と精神的要素(内面的要素)との双方が結合して,1つの演秦が出来上っていく。その内面的要素を知るうえにおいて必要なことは,すなわち組曲の源流,変遷を探ることではないかと思う(もちろん,Bach,J.S. や Mussorgsky,M.P. らの作品のスタイルを知ったうえで)。13; 組曲の源流を探り,変遷を辿ることにより,なぜ近代において一時期の衰退から組曲が復活してきたのかを究明し,そのことによって,自己の演奏や音楽教育にどのような効果をもたらすかを,研究してみたいと思う。
著者
小林 定義
出版者
島根大学
雑誌
島根大学教育学部紀要. 人文・社会科学 (ISSN:02872501)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.45-55, 1972-12-20

ウォルター・ペイター(Walter Horatio Pater, 1839-94)がそれによって文名を得た「ルネッサンス研究」(The Studies in the History of the Renaissance, 1873)が世に出てから百年、彼が世を去ってから八十年に近い歳月がたつが、この間、さまざまの毀誉褒貶とともに、さまざまのペイター像がわれわれの前に提出されてきている。初期の哲学、ないし人生観を中心に描かれた「唯美主義者」という像は現在もなお生きており、その批評態度から「印象批評家」というレッテルもあたえられている。一生文体の問題に腐心し、独特の文体をつくったことから、「スタイリスト」の評も得ている。道徳的なヴィクトリア朝の思想的風土の中では「快楽主義者」という悪評も得た。また、著作の多岐にわたる内容から、ある時は「文芸評論家」、あるときは「美術評論家」またあるときは「創作家」として論じられもした。13; このようにさまざまの角度からのペイター像が存在すること自体は、彼の多才性を物語っているようで、その限りでは問題はないかに見える。だが、「スタイリスト」としてのペイターが「印象批評家」と無関係に論じられたり、「創作家」のペイターが他のペイター像と無縁にとり扱われているという事実は否めない。その結果われわれが知っているのは、相互に関連のない「唯美主義者ペイター」であったり、「美術評論家ペイター」であったりする。言いかえれば、右にあげたようなさまざまの像の背後にあって、それらを統一するペイターその人の像が欠けているわけである。13; ある時は印象批評家、あるときはスタイリスト、またある時は唯美主義者と、いろいろな衣裳をつけてわれわれの前に登場してみせるペイターの奥にある「ペイター原像」といったもの−社交界から戻って、また大学の講義を終えて、書斉に独りとなったときのペイターの胸のうち−を明らかにすることが、ペイター研究に残された重要な問題の一つではないだろうか。13; 「ペイター原像」の探究の一つの試みが、本稿のねらいである。
著者
斎藤 重徳
出版者
島根大学
雑誌
島根大学教育学部紀要. 人文・社会科学 (ISSN:02872501)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.1-6, 1981-12-25

三段跳は,走幅跳と同じように水平方向の跳躍距離を競う種目であり,基本となる力学的諸原理も同じである。これらは,助走によって得られた水平方向の力(運動量)を最大限に利用し,より多くの水平方向への距離を跳ぶ競技で,基礎体力や運動能力のほかに踏み切りでの動きが重要なポイントである。三段跳が走幅跳と大きく異なるところは、走幅跳が1回の踏み切り(跳躍)から成り立っているのに対し,三段跳にはホップ,ステップ、ジャンプの3つの局面の踏み切り(跳躍)があることである。13; 三段跳は,跳躍種目の中でも自然発生的な源をもっている種目(走幅跳,走高跳,棒高跳)とは異なり,発生に特異な性格をもっている。記録によれば,古くからケルト人らによってお祭りなどで行われていたが,近代競技としての三段跳は,アイルランドやスコットランドの競技に源を発し,ホップを2度つづけるホップ−ホップ−ジャンプという片足跳びであった。一方別の跳躍方法としては,ステップ−ステップ−ジャンプの方法を用いるドイツ式三段跳もあったようである。その後,今世紀にはいる直前に現行の跳躍方法に統一がなされたようである。13; このように,三段跳の跳躍方法は歴史的にも変遷を繰り返し,ホップ−ステップ−ジャンプといった跳躍方法は,他人のまねや教えられることで初めて経験するといった特異なものである。13; それでは,三段跳はどのような性格をもっているのだろうか。一般的に,三段跳は筋力が,走幅跳にはスピードがポイントである,といわれている。三段跳では3回の踏み切り(跳躍)が行われ,その中でもホップとステップの跳躍のあとは片足で着地し,それぞれの着地からステップとジャンプの踏み切りが行われる。このため三段跳は,この着地の局面において自分の体重を十分支えられるパワーを必要とすると考えられる。13; そこで本研究では,三段跳の未経験者に学習を行い,その学習の結果と三段跳の体力の機能的な指標として考えられる各種のパーフォーマンス・テストの結果をもとに,三段跳に必要な運動機能的な要素を究明しようとした。