著者
高橋 信人 岩船 昌起
出版者
東北地理学会
雑誌
季刊地理学 (ISSN:09167889)
巻号頁・発行日
vol.67, no.1, pp.22-38, 2015 (Released:2015-08-01)
参考文献数
6
被引用文献数
1 2

東日本大震災後に建設された岩手県宮古市の仮設住宅の室内で2012年3月以降の約2年間,温湿度の観測をおこなった。この観測結果に基づき,主に夏季と冬季の晴天日における温湿度の平均的な日変化に注目して,仮設住宅の室内気候の建築タイプによる違いと,高齢者が生活する仮設住宅内での室内気候の特徴を調べた。建築タイプによって仮設住宅の室温の日変化は異なり,軽量鉄骨造りで室内にむき出しの鉄柱がある仮設住宅は,木造の仮設住宅に比べて冬季には1.7~3.4°C程度低温に,夏季日中は1°C程度高温になり,冬季,夏季ともに室温の日変化が大きかった。この仮設住宅内では,冬季,夏季ともに室温に比べて日中は鉄柱が高温,床面が低温になっており,夜間は鉄柱が低温になっている様子も認められた。この仮設住宅は相対湿度が他に比べて高く,夏季には熱中症危険度「厳重警戒」以上になる機会が,他の仮設住宅に比べて5割以上高かった。この仮設住宅に高齢者が生活する場合,冬季には室温に暖房の影響が大きく現れ,日最低気温が低い日ほど,室温の日較差や場所(高さ,部屋)による気温差が大きくなり,それらの値は平均的には7°C以上に及んでいることなどが明らかになった。
著者
岩船 昌起
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2016, 2016

<b>【はじめに】</b>2016年熊本地震災害では,九州の県と市町村は,九州地方知事会での決定に基づき「カウンターパート方式」で被災市町村をそれぞれを専属的に支援した。筆者も,鹿児島県担当の宇城市で集中的に支援活動を行い,災害対策本部等に助言している。本発表では,この活動や宇城市提供データに基づき,宇城市での被害や避難者の実態を報告する。<br><b>【地震の概要】</b>2016年4月14日21時26分に熊本県熊本地方を震央とする震源の深さ11kmでM6.5の地震が発生し,益城町では震度7,宇城市では震度6弱が観測された(気象庁)。また,同じく熊本地方を震央とする震源の深さ12kmでM7.3の「本震」が16日1時25分頃に発生し,西原町および益城町で震度7,宇城市で震度6強が観測された。<br> 本震以降,熊本県阿蘇地方や大分県西部および中部でも地震が頻発し,14 日21 時以降6月30日までに震度1 以上を観測する有感地震が1,827 回発生している。これは,平成16年新潟県中越地震(M6.8)など日本で観測された活断層型地震の中で最も多いペースである。<br><b>【熊本地震による被害の概要】</b>熊本地震災害の主要な被災地の熊本県と津波災害が際立った東日本大震災被災地の岩手県とでの被害状況を比較する。人的な被害としては,死者・行方不明者が岩手県の方が桁違いに多いが,負傷者は熊本県が8倍弱多い。地震動による瓦の落下や家具の倒れ込み等で外傷を負った方々が多かったものと思われる。物的被害として,全壊は岩手県の方が7倍程度多いが,一部損壊は熊本県がほぼ倍程度の数となっている。<br> 東日本大震災では,全壊あるいは大規模半壊でも家屋を解体して「滅失」と判定されて応急仮設住宅に入居できた方々が多く,応急対策期の避難所での生活よりも復旧期の仮設住宅での暮らしの中でさまざまな問題が現出した感がある。一方,熊本地震では「一部損壊」認定世帯が被災者の大半を占め,半壊以上ので手厚く施される生活再建支援のさまざまな手立てを熊本地震災害被災者の大半に適用できない可能性が高い。<br> また,熊本地震では,土砂災害で阿蘇地方での大規模崩壊等が注目されているが,ほとんど報道されていない宅地や農地の盛土地等で小規模な崩壊や亀裂が多数生じており,それらの土地所有者の多くがその対処に難儀している。それは,宅地被害でも家屋の破壊に結びつかないと罹災証明で評価され難く,特に私有地の被害が公的支援の対象になり難いからである。盛土地での被害は,1978年宮城県沖地震や2011年東日本大震災でも丘陵地の団地等で繰り返し発生しており,日本列島の造成地では地震動でどこでも生じる可能性が高かい問題であった。<br><b>【避難者の特徴】</b>宇城市提供の避難者数データから, 14日「前震」直後より16日「本震」以降で避難者数が多いことが分かる。17日0時に宇城市内避難所20施設合計で,宇城市人口の2割程度の11,335人が最大の避難者数として記録されている。また,日中には避難者数が減じ,寝泊まりする夜間に増加する傾向がある。<br>&nbsp;一方,約93年間(1923年~2016年4月13日)の宇城市での最大震度は,震度4であった(気象庁)。従って,「前震」までに震度5弱以上の経験者はごくわずかであり,かつ震度5弱以上の地震は宇城市で発生しないと考えていたようであった。そして,地震災害を身近なものと考えていなかったことから,地震にかかわる科学的な知識や地震から身を守る知識や技術も地震が多発する地域の人びとに比べて相対的に低かったと思われる。<br> 「地震に対する備え」が十分でなかった宇城市民は,14日夜の前震と16日未明の地震で「地震の揺れに対する恐怖心」が強化され,家屋の損壊が酷くなくても自宅に入れない人びとが多数出現した。特に夜に地震に遭ったことから家の中で寝られない人びとが多く,それが避難者数の夜間増加の要因となった。<br>&nbsp;避難者が抱く「地震に対する恐怖心」を軽減・解消するためには,地震の発生が収まることが最も重要であるが,活断層が存在する熊本では今後も地震が必ず発生し,再び恐怖心が呼び起される可能性が高い。これに対処するには,ソフト面では,心理的なカウンセリング等と並んで,防災教育を通じて「地震を知り,これへ対処できる」知識と技術を「地震を経験した人びと」が身に付ける必要がある。具体的には①市民が地震に関する科学的知識を身に付けること,②家具の固定など被害に遭い難い居住環境を事前に整えておくこと,③地震発生時には自身の安全にかかわる周囲の状況を見極められること,④これに応じて「身を守る」行動を選択実行できることなどに及ぶ。<br><b>【本発表では】</b>今後の防災教育の立案にかかわり,宇城市提供資料の分析や,実施予定の質問紙調査の結果も交えて,本発表時には,熊本地震災害避難者の詳細な特徴を報告する。
著者
岩船 昌起
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2017, 2017

<b>【はじめに】</b>山での遭難事故は,①事故者(本人・集団)の要因(体力,技術,知識,判断力,疲労,人間関係や規約,装備,服装等),②自然環境等の外的要因(地形・地質,気象の季節変動・日変動,登山路面を中心とした事故者近辺の状況,落石・雪崩・噴石・動物襲撃等の突発的な「物理的外力」等),③両方を兼ねる要因があり,複合的に相互作用して発生する(青山2004,小林2015等)。従って,山での遭難事故の発生理由を考察するには,これらの要因にかかわる時空間的に整理された具体的な記録を収集・分析する必要がある。<br>発表者は,遭難事故等の事例収集を2009年から実施している。本研究では,霧島山高千穂峰で2008年8月22日に生じた遭難事故(アクシデント,レベル4,腰椎破裂骨折等)について,聞き取りと現地調査等からその実態をパーソナル・スケールで明らかにする。<br><b>【高千穂峰</b><b>2008</b><b>年</b><b>8</b><b>月</b><b>22</b><b>日遭難事故】</b>事故者(息子)A,父B,母Cに2010年10月18日に会い,2時間弱聞き取り調査した。その証言および現地視察から遭難事故時の行動の前半を,以下に記す。<br>&nbsp;前日21日に,県外から訪れた家族4人(A,B,C,娘D)は霧島市隼人町日当山の温泉旅館Yに宿泊し,当日22日にチェックアウトした。「暖かく,朝には晴れていた」が,「午後の天気予報は雨」。「(家族の)山の経験は,上高地を数時間歩いた経験1回のみ」。Aは「当時高1で,テニスを小5から週5日〔2時間半/日〕」行う運動習慣があり,「中1から片道11~12kmの自転車通学」していた。一方,娘Dは「当時小6で,部活等での運動経験なし」であった。父Bは「韓国岳に登ることも考えたが,(『天逆鉾をみたい』Aの望みを叶えたく,)高千穂峰でも1時間半くらいで行けるだろう」と考え,登山口がある高千穂河原に向った。<br>「11~11時半にビジターセンター脇の鳥居(標高約970m)から登り始めた」。「息子に,リュックを持たせた。中には,お茶〔500ml〕,アメ〔約100包〕,貴重品,帽子,カメラ,ビジターセンターからもらった地図,母Cの携帯電話が入っていた」。(地形的)森林限界(標高約1150m)から上がガレ場となり,CやDが滑って思うように上がれなかったが,Aは「余裕があり,頂上の剣(天逆鉾)をみたいと思っていた」。「12時過ぎ」で(御鉢の火口縁(標高約1330m)まで達しない)「時々滑る」場所にいた。「前を夫婦(BとC)で歩き」,「天候もあやし」かった。「12時15分くらい」に,Aは,家族と別れて先に山頂に向かった。Bは「木がないから見失わないだろう」「背中が見えていたから(大丈夫)」と考えていた。「12時30分頃」に,「急に霧が出てきて,湿気を感じ」,「(Aがみえなくなって)まずい」と思った。<br>「12時35分ころ」に,CとDは登山を諦めて「分かれて先に下山し始め」,Bは「ガレ場を御鉢の方に上がっていった」。しばらくしてAがBの携帯電話に「道に迷った」と連絡する。Bによると「後から聞くと、(Aは頂上に至る前に)御鉢の火口縁を一周したようだった」。「行き過ぎたところで、電話を掛けた様子だった」。BはAに「『分岐(標高約1420m)で戻ってこい』と伝えようと思い,電話をしたがつながらなかった」。そこで「上に息子がいると思い,仕方なく登っていった」。12時50分頃にAは「すべりやすいところで大雨」に遭った。「道を2・3回折れて登り切る」と,「〔山頂付近と思われる〕整備されたところ」に至った。周囲は「息ができないほどの大粒の雨」で「雷がすごく」,「雷というか、白くて光が見えない」状態だった。Bも「雷で、僕(B)も息子(A)も死ぬかもしれない」と思い,「冷静に判断できない状態」だった。そして,電話でAに「おりる。こわい。お前も降りろ」「御鉢の途中、滑るから気をつけろ」と伝えて下山した。途中の御鉢のガレ場では「〔土石流のような〕ものすごい川」で「大雨がすごく,視界があまりなかった」。<br>Aは「(下り)で来た道を戻ろう」と思ったが、「左右(≒方向)が分からなかった」。「視界1m程度」で周りがみえず,「御鉢のガレ場以上に滑る」状態であった。Aの靴はテニスシューズ。「横に大きな岩をみながら、2・3回折れて降りた後、目印がなくなった」が,そのまま下りた。「(草本に覆われた長さ1m強高さ数10cmの高まりが連続する)モコモコとした」斜面を下った。「急いで下って,滑り,走り,滑り,走りを繰り返した」。「前が見えずに走った」。「すべって、滑って、宙を飛んで、ドン」。「1回半回って、左足の踵から着地」した。<br>「(着信履歴から)13時10分」に,高千穂河原にほぼ到着した父Bの携帯電話の留守電に「崖から落ちた」「立てない状態、ちょっと休んでから行く」とメッセージを残した。
著者
高橋 信人 岩船 昌起
出版者
The Tohoku Geographical Association
雑誌
季刊地理学 (ISSN:09167889)
巻号頁・発行日
vol.67, no.1, pp.22-38, 2015
被引用文献数
2

東日本大震災後に建設された岩手県宮古市の仮設住宅の室内で2012年3月以降の約2年間,温湿度の観測をおこなった。この観測結果に基づき,主に夏季と冬季の晴天日における温湿度の平均的な日変化に注目して,仮設住宅の室内気候の建築タイプによる違いと,高齢者が生活する仮設住宅内での室内気候の特徴を調べた。建築タイプによって仮設住宅の室温の日変化は異なり,軽量鉄骨造りで室内にむき出しの鉄柱がある仮設住宅は,木造の仮設住宅に比べて冬季には1.7~3.4°C程度低温に,夏季日中は1°C程度高温になり,冬季,夏季ともに室温の日変化が大きかった。この仮設住宅内では,冬季,夏季ともに室温に比べて日中は鉄柱が高温,床面が低温になっており,夜間は鉄柱が低温になっている様子も認められた。この仮設住宅は相対湿度が他に比べて高く,夏季には熱中症危険度「厳重警戒」以上になる機会が,他の仮設住宅に比べて5割以上高かった。この仮設住宅に高齢者が生活する場合,冬季には室温に暖房の影響が大きく現れ,日最低気温が低い日ほど,室温の日較差や場所(高さ,部屋)による気温差が大きくなり,それらの値は平均的には7°C以上に及んでいることなどが明らかになった。
著者
岩船 昌起
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2021, 2021

<p><b>【はじめに】</b>災害時の新型コロナウイルス感染症(以下,COVID-19)対策が必要な中,「猛烈な」強さに発達が予報された台風10号が2020年9月6~7日に鹿児島県に強い影響を及ぼし,県内市町村で避難所が多く開設された。本発表では,岩船(2020,2021)を踏まえ,鹿児島県「避難所管理運営マニュアルモデル〜新型コロナウイルス感染症対策指針」(以下「県避難所COVID-19対策指針」)と照合しつつ,市町村での避難所運営実態を再検証する。</p><p><b>【「県避難所新型コロナ対策指針」の概要】</b>2020年6月1日に策定され,①避難所となる施設や敷地を事前にレイアウトして事前に空間利用を計画し,定員数等を定める,②受付での水際対策を徹底する,③「感染疑い者」等を認識する目安として,検温や体調の自己申告の他に,行動歴の任意提示も参考とする,④「感染疑い者」には別室での自主的隔離を基本として,非「感染疑い者」と生活空間を別にする,⑤安全確認できれば自家用車も「自主隔離空間」として活用する, ⑥定員超過の場合でも,感染死亡・重症化リスクが高い高齢者等を除き,リスクが低い者から身体的距離2mを短縮する,⑦またその同意を事前に得ること等の特徴がある。</p><p><b>【避難場運営の実態と今後の課題】</b>鹿児島市では, 2020年10月1日現在での市人口598,481名の0.8%に相当する4,854名が避難所に入所し,205施設中13施設で定員超過した。以前から「避難所が定員超でも入所希望する全員を受け入れる」方針であったため,感染リスクを恐れて避難所以外に「分散避難」した市民が多かったが,洪水浸水想定区域や土砂災害警戒区域等に立地する住家が相対的に多く,避難所となる公的施設も人口比で少ないことから,既存の避難所運営計画では十分に対応できなかった。また,HP「避難所における新型コロナウイルス感染症対策」の「避難者の十分なスペースの確保」を定員超過の避難所で実現できず,「県避難所COVID-19対策指針」上記 ⑥と⑦の対応を行わなかった。</p><p> 暴風圏内の屋外では暴風で人が死傷する恐れがあるが,COVID-19「致死率」は80代以上12%等を踏まえると(厚生労働省2020『新型コロナウイルス感染症COVID-19診療の手引き第4.1版』),特に「ステージⅣ(感染者爆発的拡大)」等の感染拡大の警戒基準時や,居住域が広範囲で被災した場合を見越しての対策が講じられるべきである。</p><p> 一方,瀬戸内町では,台風10号避難所入所者総数は176名であり,2019年4末現在で全人口8,941名の2.0%に止まった。117名の避難者が集まった「きゅら島交流館」では,結果として定員数を上回らなかったこともあり,「県避難所COVID-19指針」を参考に町保健師が事前に計画した避難所レイアウト案に沿って,避難者の空間配置を適切に行えた。しかし,台風進路に近い喜界町では, 2020年10月1日現在での町人口6,606名の14.7%に相当する973名が避難所に避難し,17施設中3施設で定員を超過した。「県避難所COVID-19指針」を参考に喜界町では人口密集地域の避難所レイアウト案を事前に作成したものの,想定超の避難者が押し寄せた避難所では,適切な空間利用に至らなかった。</p><p><b>【課題解決の動き】</b>奄美大島では,日本の諸地域と同様に,標高5m以下の沖積平野に居住域が広がり,スーパー台風時に5m高の高潮が発生すれば,避難所も含めた居住域が広く被災する。演者は,COVID-19対策も含めてこの災害想定時の対策づくりとして,地域コミュニティの住民一人一人の避難手段・経路・場所をパーソナル・スケールで検討するワークショップを行っている。例えば,宇検村では,モデル地区での村民アンケート調査を行い,スーパー台風時の個々の避難計画づくりに着手した。来年度以降に全村に活動を広げて村民2,000人の避難台帳づくりを予定している。</p><p><b>【おわりに】</b>鹿児島県内市町村での台風10号避難所運営では,地域性に応じて多少の混乱があった。これらを踏まえて,「県避難所COVID-19対策指針」改訂や,避難所運営計画も含めたコミュティでの地区防災計画立案にかかわる研修等を市町村で行い,課題解決につなげたい。</p><p><b><参考文献></b>・岩船昌起2020.鹿児島県市町村での2020年台風10号避難所運営の実態−新型コロナウイルス感染症対策も含めて.季刊地理学,72(3),ページ未定.※東北地理学会2020年秋発表要旨.</p><p>・岩船昌起2021.新型コロナ下における自然災害への備え−大規模化する災害へ対処するために.生活協同組合研究,540,11-18.</p><p><b><謝辞></b>本研究は科研費基盤研究(C)(一般)「避難行動のパーソナル・スケールでの時空間情報の整理と防災教育教材の開発」(1 8 K 0 1 1 4 6)の一部である。</p>
著者
岩船 昌起
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2019, 2019

<p><b>【はじめに】</b><b> </b>2019年7月に南九州では,「記録的な大雨」で「がけ崩れ」が多発した。筆者は,住民の避難行動等を現在検証中であり,本稿では,「がけ崩れ」等にかかわる基本的な情報を整理する。</p><p><b>【降水量等の概要】</b>気象庁の降水量データから,後述の2災害現場に最寄りの3観測所では,九州に停滞した梅雨前線との関係で6月26から7月4日に断続的に雨が降り続いていた。日降水量は,6月28日には鹿児島76.5㎜,八重山163㎜,輝北60㎜,7月1日には鹿児島121㎜,八重山327㎜,輝北248.5㎜であり,西南西―東北東に延びる線状降水帯が鹿児島と熊本との県境付近に停滞していたことと関連して,6月28日と7月1日の大雨時には県北部での降水量が相対的に多かった。一方,7月3日には,鹿児島368㎜,八重山206㎜,輝北402㎜であり,薩摩半島や大隅半島で降水量が多かった。</p><p><b>【</b><b>6</b><b>月</b><b>28</b><b>日概要】</b>未明から雨が降り始めて早朝からその強度が高くなった。鹿児島県・鹿児島地方気象台(以下,県・気象台)では,6:50に県土砂災害警戒情報第1号を,7:25に同第2号を共同発表して,土砂災害への警戒を強めた。また,気象台も「県薩摩地方の早期注意情報(警報級の可能性)」を7:00に発表した。これらに応じて,鹿児島市(以下,市)では,7:30に災害警戒本部を設置し,土砂災害への警戒から7:40に「【市内全域(喜入地域を除く)】大雨に係る避難勧告」を,浸水への警戒から同7:40に「【新川・稲荷川流域】避難勧告」を発令した。また,8:30には市内83カ所に避難所を開設している旨を市公式HP上に掲載した。一方,気象台は,「鹿児島市[継続]大雨(土砂災害、浸水害),洪水警報」を8:56に発表した。しかし,人命にかかわる被害が生じることなく,10時過ぎに大雨の恐れがなくなり,県・気象台は10:50に県土砂災害警戒情報第3号を共同発表し,「全警戒解除」を鹿児島市,薩摩川内市,日置市,いちき串木野市,姶良市,さつま町に伝えた。また,気象台は11:20に鹿児島市等に「大雨警報(土砂災害)」を継続しつつも,警報から引き下げる形で「洪水注意報」を発表した。市では「大雨警報(土砂災害)」の継続を受け,土砂災害への警戒から,市南部の喜入を除く市全域に避難勧告を発令し続けた。</p><p><b>【</b><b>7</b><b>月</b><b>1</b><b>日概要】</b>県・気象台では,1:45に県土砂災害警戒情報第1号が鹿児島市に対して発表された。これを受け,市では2:40に市北部「吉田,郡山,吉野,一色,中央,松元」各地区に土砂災害に対する警戒から「避難勧告(警戒レベル4)」を,市中部「桜島,谷山」各地区に「避難準備・高齢者等避難開始(警戒レベル3)」を発令した。前日30日から降雨がほぼ連続し,八重山で5時に時間雨量67.5㎜が記録される等,降雨強度が1日未明から早朝に高くなった。このため,7時過ぎに,比高約40~60mの斜面上部で幅約30mにわたりがけ崩れが生じ,家屋に入り込んだ土砂に70代女性が巻き込まれた。救出搬送されたものの,病院で死亡が確認された。この斜面は,土砂災害警戒区域に指定されており,斜面下部から中部では補強されていたが,斜面上部には"手当て"が及んでいなかった。線状降水帯の南下による「猛烈な大雨」に伴い,市では警戒を強めて7:45に「喜入を除く市内全域」に土砂災害への警戒から「避難勧告(警戒レベル4)」を,喜入地区に「避難準備・高齢者等避難開始」を同7:45に発令した。</p><p><b>【</b><b>7</b><b>月</b><b>3</b><b>日概要】</b>前日2日の気象庁の会見等もあり,「特別警報クラスの大雨」への警戒を強めた。9:35に「市内全域」に「避難指示(警戒レベル4)」を発令し,特に「崖や河川に近い場所など,危険な地域」の居住者の避難を強く意識した。降雨強度は3日未明から4日未明までが高く,大雨警報(土砂災害)の危険度分布が3日19:10には市全域が「極めて危険【警戒レベル4相当】(濃い紫)」に判定される等,薩摩半島と大隅半島で土砂災害の危険性が高まった。曽於市大隅町坂元で80代女性1名が犠牲になった「がけ崩れ」は3日夕方から4日未明までに発生したと思われ,検証中である。がけ崩れが生じた斜面は,土砂災害危険区域に未指定の箇所であり,被災家屋横の車道造成時に掘削したのり面で,比高0~20m弱,幅約20mである。10m間隔の等高線では表現できない小規模の急傾斜地であった。</p><p><b>【おわりに】</b>7月3日9:35の鹿児島市全域への避難指示は,前年2018年7月7日に桜島古里で80代男女2名が犠牲となった土砂災害を顧みての判断であった。崩落土砂が入り込んだ自宅の住民が今回事前に避難する等,避難において一定の効果があったと筆者は考える。発表当日には,避難指示の発令や避難所運営のあり方,住民の避難行動等にも触れる予定である。</p>
著者
岩船 昌起
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2018, 2018

<b>【はじめに】</b>本発表では,気象庁が火山活動を24時間体制で監視している「常時観測火山」の一つである霧島山に注目し,観光の核心地の一つであるえびの高原での「災害危険区域」に相当する地区の設定の可能性と,観光と防災が両立できるための持続的な利用のあり方について検討する。<br><br><b>【調査地域】</b>霧島山は,大小20座以上の火山群の総称である。我が国最初の国立公園の一つとして1934年に指定された霧島国立公園の系譜を受け継ぐ霧島錦江湾国立公園の「霧島地域」と,その範囲がほぼ重なり,多くの観光客等が訪れる。えびの高原では,平成27年度で約70万人の観光客入込数を記録しており,えびの高原で自然散策,周辺の韓国岳や白鳥山等への登山,レストラン等の観光施設への立ち寄り等の利用行動が展開されている。<br><br>えびの高原に位置する硫黄山では,2016年12月6日14時から「噴火警戒レベル」が運用されている。噴火警戒レベルは,火山活動の状況に応じた「警戒が必要な範囲」と防災機関や住民等の「とるべき防災対応」が事前に協議されて,5段階で整理された指標である。このうち,特に立ち入り規制範囲を設けない「レベル1(活火山であることに留意)」,硫黄山を中心に概ね1㎞圏内を立ち入り規制とする「レベル2(火口周辺警報)」,概ね2㎞圏内を規制する「レベル3(入山規制)」,概ね4㎞圏内を規制する「レベル4(避難準備)」,4㎞圏を越えて居住域の住民に避難勧告等を行う「レベル5(避難)」に分かれており,実際,硫黄山では,火山性地震の多発や火山ガスの発生等の火山活動が高まりに応じて,レベル1からレベル2の引き上げが2015年以降時折行われている。<br><br><b>【霧島山えびの高原でのホテル誘致計画】</b>環境省では「国立公園満喫プロジェクト」に取り組んでおり,霧島錦江湾国立公園は,その先導的モデルとなる8か所の国立公園のひとつに選定された。これを受けて,宮崎県では,えびの高原の「環境省所管地の旧えびの高原ホテル跡地」に上質な宿泊施設を誘致し,周辺地域を含めたエリア全体の魅力向上を図ることを目的とした事業者の公募を平成30年度中に実施することを予定している。<br><br><b>【「災害危険区域」の火山地域での適用の可能性】</b>「災害危険区域」は, 1950(昭和25)年に公布された建築基準法第39条の規定に基づき,地方公共団体が条例で指定した「津波,高潮,出水等による危険の著しい区域」であり,災害防止上の必要性から,その範囲内では「住居の用に供する建築物の建築の禁止その他建築物の建築に関する制限」が行われる区域である。1945年枕崎台風,1946年昭和南海地震による津波,1947年カスリン台風等によって,低標高の居住地で甚大な被害を受けた経緯から,考案された「災害防止」のための手段の一つであろう。<br><br>一方,火山地域での防災対策の強化に関わり,1973(昭和48)年に「活動火山対策特別措置法」が施行され,これを改正する「活動火山対策特別措置法の一部を改正する法律」が2015(平成27)年12月10日施行されてきた。これによって火山周辺の居住地だけでなく登山者等も対象として,特に「常時観測火山」50火山を中心に活動火山対策の強化が一層進められている。しかしながら,火山は,元々人間の居住地から離れており,「災害危険区域」のように,災害防止のために「住居の用に供する建築物の建築の禁止その他建築物の建築に関する制限」が行われる区域が設定されることはなかった。<br>ここ数十年で火山地質学や火山物理学等の成果が蓄積され,これに基づき,火山地域での災害ハザードが明瞭に示されてきた。これに基づき「噴火警戒レベル」の設定が行われており,基本的に同心円で示された「警戒が必要な範囲」で,より火口に近い場所ほど,災害リスクが高い場所である。これを「災害危険区域」と同じ発想で考えるのであれば,「警戒が必要な範囲」のより火口に近い場所には,火山活動が活発な状況下で人間の立ち入りが規制されることを考えると,住居に準じる宿泊施設等の恒常的な施設を建設することについては,より慎重に,相当の議論が必要であるだろう。
著者
岩船 昌起
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2020, 2020

<p><b>【はじめに】</b>本研究では,球磨郡球磨村を対象地域として,平成 24(2012)年熊本広域大水害を顧みた上で,令和2年7月豪雨災害時の緊急避難の逃げ道に注目し,予測し難い局地的大雨による水害時の住民避難行動を考察する。</p><p></p><p><b>【平成</b><b>24</b><b>年熊本広域大水害を顧みて】</b>2012年7月12日には,球磨村一勝地で日降水量238㎜,時間降水量11〜12時 39.5㎜,20〜21時 46.5㎜が記録された(気象庁)。7月12日7時〜13日7時の積算降水量は240.5㎜に及ぶ。この時,球磨川水系中園川沿いの高沢地区では,数軒が床下浸水し,内1軒では在宅住民が「床上浸水になったら庇をつたって山側に逃げる」つもりで2階に避難していた(岩船,2015)。</p><p></p><p>熊本県では,平成24年熊本広域大水害を顧みて,平成 25 年度から住民避難モデル実証事業等にて「予防的避難」の導入に取り組んだ。これは,「避難準備・高齢者等避難開始」発令以前で一般住民にも「日没前の明るいうちに」事前に避難を促すものである。台風のように数日前から豪雨を明確に予測できる場合には有効な対策であり,全国的にも広がりをみせた。しかし集中豪雨や局地的大雨の強度・頻度が増している昨今,現在の観測技術では突発的な局地的大雨を高い精度で予測し難しく,予防的避難が実現し難い場合での避難計画も事前に準備しておく必要がある。</p><p></p><p>筆者は,国土交通省九州地方整備局「九州地方の大規模土砂災害における警戒避難対策検討委員会(平成 25〜26 年度)」を通じて,モデル地区の球磨村高沢地区で高齢者中心の住民の体力や熊本広域大水害時の避難行動を調べ,予防的避難がなされなかった場合での浸水段階に応じた緊急避難計画を考案した(岩船,2015)。中園川が溢流すると左岸と右岸で行き来できなくなり,両岸それぞれでも地形的行動障害があることから,集落を5区分して,浸水段階と微地形に応じて,避難経路が浸水する前に斜面上方の親類・知人宅等へ移動し,大規模土砂災害が想定される最も危機的な状況下でもヘリコプター救助場所への"逃げ道"が絶たれないようにした。これは,ヘリコプター救助段階を除いて,昭和40年7月豪雨災害時の避難行動の空間的展開に類似しており,「雨が降れば自宅に戻る」日常行動に端を発した緊急避難計画である。</p><p></p><p><b>【令和</b><b>2</b><b>年</b><b>7</b><b>月</b><b>3</b><b>〜</b><b>4</b><b>日球磨村高沢地区での避難行動】</b>一勝地での降水量は,2020年7月3日日降水量 119 ㎜,4日日降水量357㎜が記録され,時間降水量が4日4〜5 時に76 ㎜の最大値であった。3日10時〜4日10時の24時間積算降水量455.5㎜であった。また,気象庁等は,球磨村に,3日21時39分大雨警報(土砂災害),22時20分土砂災害警戒情報,22時52分洪水警報,4日1時34分に大雨警報(浸水害・土砂災害),4時50分大雨特別警報を発表した。</p><p></p><p>7月31日時点で高沢地区を現地調査できていないが,被災後の現地撮影資料(例えば,ピースワンコ・ジャパン,7月11日救助活動動画)から,中園川に直面する家屋では床上・床下浸水程度の被害と認識できた。一方,令和2年7月豪雨による熊本県での死者・行方不明者67名中25名が球磨村住民であり,全てが球磨川本流地区住民{渡(自宅)2名,渡(千寿園)14名,一勝地6名,神瀬3名}であり(熊本県資料),高沢地区を含む山間地域の球磨川支流地区住民の報告はない。</p><p></p><p>従って,床上・床下浸水の被害が及んだ中園川沿いの高沢地区住民は,7月3日から在宅し,大雨による増水で自宅等の浸水の恐れが高まった4日未明から早朝に緊急避難したと思われる。</p><p></p><p><b>【考察】</b>熊本県では「予防的避難」の延長として「熊本県版タイムライン」を2015年4月に策定し,事前予測が可能な大雨への対応策を予め準備してきた(熊本県HP)。しかし,気象庁が予測できない想定外の大雨の発生を否定できないことから,緊急避難的な対応を保険的に準備しておくべきであった。死者・行方不明者が生じた球磨川本流沿いの地区は,元々浸水しやすい地形上にあり,かさ上げで居住地の比高を増したものの,浸水を想定しての緊急避難での逃げ道を確保していない場合が多かった。一方,死者・行方不明者が生じなかった山間地域の球磨川支流地区では,浸水が小規模であったことと,緩斜面上に集落が立地しており,津波立ち退き避難で山麓緩斜面が逃げやすい地形であったことと同様に(岩船,2018),緊急避難しやすかった。</p><p></p><p><b><文献></b></p><p>・岩船昌起2015.水害・土砂災害における高齢者の体力と避難行動−2012年熊本広域大水害時の球磨村での検証.『第14回都市水害に関するシンポジウム講演論文集』,11-18.</p><p>・岩船昌起2018.個人の「避難行動」を記録する意義−パーソナル・スケールでの時空間情報の収集と整理.地理,63(4),22-31.</p>
著者
岩船 昌起
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2011, pp.100153, 2011

新燃岳(1,421m)は,霧島屋久国立公園の核心地である「えびの高原」から東南約6?qに位置する。2011年1月以降の火山活動の活発化で立入規制区域が拡大し,3月後半以降では規制が解除されつつある。しかし,噴火時に噴石から身を隠すシェルターがない韓国岳等では登山者の安全が確実に担保されたとは言い難く,入山規制の解除には至っていない。本研究では,噴火活動の推移とそれに対応した危機管理をまずは概観する。そして,えびの高原の諸施設関係者が構築した「自主防災的な避難行動マニュアル」の検証を行い,避難対象者の体力を想定した実験結果を交えてえびの高原での避難行動の時空間的な展開を検討し,新燃岳周辺地域での危機管理を総合的に考察する。<br> 新燃岳の火山活動が活発化した1月26日以降2月半ばまでの危機管理については,火山活動の実態把握に関わる観測網の未整備,新燃岳周辺地域の人々への噴火情報の周知の遅れ,諸機関での「噴火警戒レベル」や「噴火警戒範囲」の理解の不一致などから,噴火活動に応じた危険域を見極めての立入規制等を迅速に実施する対応が十分であったとは言い難かった。一方,噴火活動が見かけ上沈静化してきた3月半ば以降では,規制解除の方向へと動き,鹿児島県等では立入規制区域を半径3km圏内に縮小した。そして,6月1日に県道等の一部の通行規制が解除され,高千穂河原でも昼間の利用が可能になった。しかし,新燃岳に近い韓国岳等への登山では安全対策が不十分であり,噴石等への対策が講じられるまで規制を継続する意向が示されている。<br> そのような中で,えびの高原では,環境省自然保護官事務所を中心に高原内の諸施設が連携して自主防災的に「避難マニュアル」を作成した。これに沿った防災対応は6月29日の噴火時に実施され,噴火後約10分で施設周辺にいた全ての人々を建物内に避難させた。これは,えびの高原の施設関係者等で連携したほぼ「満点」での避難誘導であった。鹿児島県と宮崎県にまたがり,霧島市やえびの市や小林市などに区分される山岳地域という特性から,霧島山では危機管理を統一して実施する難しさがあるが,両県および各市町,国立公園行政を広く管轄する環境省は,密に連携して一つにまとまり,火山地域の安全体制を構築する必要がある。<br> 当日は,避難対象者の体力を想定した避難行動に関わる実験結果なども交えて総合的に考察します。
著者
岩船 昌起 瀬戸 真之 田村 俊和
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100011, 2016 (Released:2016-04-08)

【はじめに】本稿では,高台への津波からの「立ち退き避難」に係る実歩走行実験と,被災者からの実際の避難行動の聞き取り調査を報告し,避難路の移動環境と避難者の体力との関係等を総合的に考察する。【避難行動にかかわる実走行実験】山田町各地区での「避難のしやすさ」を検証するために,海や川に近い「逃げ難い場所」を避難開始地点,実際に避難した場所等を避難完了地点として歩走行での移動実験を2015年12月30・31日に実施した。被験者は,年齢48歳,身長170㎝,体重66㎏の健常な男性である。ランニング中心の中高強度トレーニングを週5日以上1日約1.5時間実施しており,自転車エルゴメーターでの運動負荷検査で心拍数から推定した最大酸素摂取量が60ml/kg/min程度である。「健常な高齢者の体力」を再現するために,スポーツ心拍計(Polar S710i)で心拍数を1分間約100拍に抑えて歩走行し,「避難場所等」と「浸水域の境界の高さ(浸水高)」までの所要時間等を計測した。  その結果,⑯小谷鳥「ミッサギ」を除いて他の16区間全てで10分より短い時間で「浸水高」に達し,かつ「避難場所等」に到着可能なことが確認できた(表)。2011年3月11日には14:46の地震発生から約30分後の15:15以降で山田町各地区に津波の押し波が到達した事実にも基づくと,発災時に海沿いの「避難し難い場所」に居ても,地震が収まってから直ちに出発して適切な避難場所等に向かえば,「歩ける」高齢者を主体として考えれば,時間的体力的に余裕を持って「津波浸水域」外に脱出できる「避難環境」であることが分かった。【避難行動の聞き取り調査】発災当日の避難行動について,2014年10月~2015年11月に地区ごと数名に1人当たり1~2時間の聞き取り調査を行い,山田町全体で39事例54人(40~80歳代)の結果を得た。行動空間については「住宅地図レベル」で訪問場所や移動経路を逐一確認して,その場での時刻に係る情報をできる限り収集した。 1つの事例の「一部」を紹介する。  …(前略)…一方,妻IKさん(当時73歳)は,FI宅前(地点⑤)で地震を感じた。自宅(①)を自転車で出てしばらく走行した直後であり,地震の揺れで転んだのか,自転車を降りたか分からないが,「ひっくり返った」状態で我に返ったという。そこから立ち上がり,自転車を引いて約220mの道のりを経て自宅に戻った。その間「ずっと揺れていた」という。自宅(①)に戻ると,休日に車で出かける直前だった娘IM(当時46歳)が居た。そして「津波が来っから逃げびす!」と言われ,「1週間前に起ぎた地震で準備していだリュックサック」と毛布を車に積んで,「家に戻ってから5分くらい」で出て,「大沢林道」の駐車場(⑥)に車でたどり着いた。…(後略)… 年齢や性別等から話者の体力を推定し,このような聞き取り結果で分かった避難経路の道のりや傾斜も考慮して歩走行速度等を区間ごとに算出し,経過時間ごとの「滞在・移動」場所を検証した。また,避難行動は,本稿執筆時点で取りまとめ中であるが, A「浸水の恐れがある自宅等からできる限り早く立ち退く」,B「自宅等に長く残り,浸水の直前に避難行動に移る」,C「『津波がここまで来ない』と考えて自宅等に残る」,D「『津波で浸水する恐れがない場所』で地震に遭っても『浸水する恐れがある場所』にわざわざ降りる」,E「『津波で浸水する恐れがない場所』で地震に遭ってそのまま安全な場所に滞在または移動する」等に類型化できる。特に浸水域に残る/向かう理由として,「人間的な事情」に起因して (1)高齢者や乳幼児等の肉親の安否確認・救出,(2)貴重品等の確保,(3)店や自宅の戸締り,(4)船の沖出し,(5)海を見に行く等が挙げられる。【総合考察の一例】表の⑫船越「家族旅行村」は,「健常な高齢者」が避難する際には,「浸水高/秒」0.090で,時間的に効率よく「高さ」を得られる避難路であるが,道のり約500m高低差約40mの傾斜路(平均傾斜約4.57°)で,車イス移動では屋外基準1/15(傾斜約3.81°)を超える「移動できない道」と判断できる。この避難路の途中には,震災当日に約9mの津波で利用者74人と職員14人が死者・行方不明となった介護老人保健施設SKがあった。震災以前の想定ではSKは「予想される津波浸水域のギリギリ範囲外」にあり,有事にはスロープを通過して標高約7mの避難場所に移動する避難マニュアルが準備されていた。 シンポジウムでは,このような避難路の移動環境と避難者の体力との関係や「人間的な事情」も加えて避難行動を総合的に考察したい。
著者
黒木 貴一 岩船 昌起
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2020年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.19, 2020 (Released:2020-03-30)

指定避難所は,基礎自治体が所有する既存施設が利用されることが多く,立地の安全性,特に地形条件については,十分に考慮されているとは言い難い.このため危険な場所の施設が避難所に指定された場合,発災時に,避難行動に障害が生じることがある.避難所と避難経路に関しての地形条件が評価され,かつ災害想定が的確になされれば,各施設の安全性が事前に確認でき,防災・減災に繋げることができる。筆者らは,2019年に鹿児島市での避難所の安全性評価に関わった.そこでの地形及び地形量指標を評価の根拠として重視した事例を紹介する.
著者
岩船 昌起
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2014, 2014

<b>【はじめに】</b>東日本大震災では、岩手県宮古市でも津波襲来直前まで防潮堤門扉の閉鎖や警戒活動等に携わっていた消防団員16名が殉職された。現在、被災地だけでなく日本各地で地域防災計画の見直しが行われており、命を優先した避難体制の強化が求められている。 本発表では、2012年12月7日に三陸沖で発生したマグニチュード7.3の地震に対応した消防団員の行動を考察し、岩手県宮古市で現在進められている「津波避難計画」の中の「緊急避難(レベル)」を紹介する。また、命を優先した避難体制との係りから防潮堤の門扉や乗り越し道路等のハード面についても若干の考察を加えたい。<b>【被災地区消防団員の津波警戒時の対応行動】</b>2012年12月7日17時18分頃に三陸沖(牡鹿半島の東、約240km付近)でマグニチュード7.3(速報値)の地震が発生し、盛岡市と滝沢村で震度5弱、また久慈市、宮古市、陸前高田市等で震度4が観測された。この地震による強い揺れを受けて、宮古市では17時18分に災害警戒本部が設置された。一方、気象庁では17時22分に青森県太平洋沿岸、岩手県、福島県、茨城県に津波注意報が発表され、宮古市での津波到達予想時刻が17時50分とされた。消防団員は、地震による揺れを感じた場合には、取り決めとして、防潮堤の門扉の閉鎖や地域住民の避難誘導等に当たるために、災害本部等からの指示を待たずにまずはそれぞれ屯所に向かう。例えば、東日本大震災の津波被災地区の宮古市新川町に立地する第一分団の分団員Aは、地震発生時17時18分に屯所と同じに町内の職場におり、道のり約130mを歩いて17時21分に屯所に到着し、屯所から道のり約50mにある「第三水門」を「1分で閉めた」という。しかし、非被災地区の仮設住宅に住んでいる分団員Bは、地震発生時17時18分に仮設住宅で夕食の準備をしており、多少片付けてから道のり約1.5㎞を歩いて22分かかり17時40分に「既に閉じられていた第三水門」に到着した。そして、屯所から道のり約290mの中央公民館まで歩いて到着し、津波到達予想時刻の17時50分に「高台避難」を完了させた。このように津波被災地区では、東日本大震災以降、被災者である消防団員の多くが非被災地区の仮設住宅等に移り住んだために、地震発生直後数分で津波警戒行動に従事できる「被災地区で生活する分団員」の人数が極めて少なくなり、被災地区に立地する消防分団の緊急時の活動が極限られた分団員で何とか維持されている。これは、消防団員の高齢化と共に看過できない問題である。<b>【宮古市津波避難計画における緊急避難】</b>宮古市では、地域防災計画で「消防団員は津波到達予測時刻10分前には高台に避難していなければならない」という「10分ルール」を定めた。そして、これを完了させるために20分前には防災行政無線で消防団員の避難を呼びかけることとしている。従って、宮古市では津波到達予想時刻の20分前からは浸水の恐れがある地区での消防団等による公助が基本的一時的に終了し、それ以降から津波到達予想時刻までは共助と自助で住民個々の避難が行われなければならないこととなる。2014年1月現在策定中の宮古市各地区での「津波避難計画」では、消防団の「10分ルール」に呼応する形で、地域住民の避難行動も津波到達予想時刻の20分前から「緊急避難(レベル)」に移行することが提示されている。「緊急避難」とは「津波到達予想時刻の20分前になった時点で初動避難の目標の避難場所に到達していない場合の避難行動の様式」である。約20分後に津波が到達することと、自分の体力との関係を考慮した上で、現在位置から「目標の避難場所」に到達できるかできないかを判断して、できると考えた場合にはそのままの徒歩等を続けて、できないと考えた場合には現在位置から一番近い避難ビル等の高所に逃げ込む。これは、堤防を越えた津波の動きの解析と人びとの体力に応じた避難行動の様式に基づいている(岩船 2012)。<b>【防潮堤門扉の手動閉鎖の問題】</b>宮古市の消防団の「10分ルール」および「緊急避難」の実施を考えた場合、漁港等と市街地との間に設置された防潮堤門扉の閉鎖はそれらを妨げる可能性が高い。例えば、津波襲来前に「船出し」を行うために港に急行したい漁業関係の「懇願」等によって、ギリギリまで門扉を閉鎖できないからだ。安全性を考慮して遠隔操作できる門扉等が開発されているが、津波襲来直前まで堤外にいる人々の「自助」での避難行動を阻害しないためにも「乗り越し道路」が少なくとも要所に一つは必要であろう。地面との比高が大きい堤防であるほど、設置に必要な用地も広くなるが、生死が懸かった究極の場面でのトラブルを未然に防ぐためにも、各自の判断で避難行動が自由に選択できる施設環境が整備されることが望ましいだろう。
著者
岩船 昌起 田村 俊和
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.13, no.1, pp.184-201, 2018 (Released:2018-05-31)
参考文献数
34
被引用文献数
5

自然災害の認識の向上に関する地理学的な「アウトリーチ」の一環として,岩手県山田町で『東日本大震災記録誌』の制作に携わった.筆者らが構成・執筆した『津波の来襲と避難』の節では,次を試みた.避難行動については,的確な時空間の表現に不慣れな被災者から聞き取った経路や時間推移の情報を鍵に,地図に表し,津波高の推移と重ねた時間–位置図表に整理した.そこには,移動経路がパーソナル・スケールで時空間的に復元されており,避難者の思いや判断を地点ごとに対照できる.一方,日常生活が営まれ,避難行動が具体的に展開された各地区で,避難に関わる“地域性”あるいは“環境特性”を整理して記載した.このような,いわば地理学的な手法で体系化された情報は,後世や他地域の人が避難行動を追体験し,学校や地域社会で防災・減災教育を進めるために,さらには集落移転を含む長期的な地域計画を考える際にも,有用な資料となることが期待される.
著者
岩船 昌起 鈴木 雄清 境 洋泉 木下 昌也
出版者
志學館大学
雑誌
萌芽研究
巻号頁・発行日
2004

体育学・医学等での身体活動に関する成果をスポーツ環境の評価に展開するため,"拍速"という運動効率の新指標を提唱した。拍速は,1拍当たりの移動距離(meter/beat)を示し,酸素脈や一回拍出量と関連する。本研究では,拍速を用いて自転車ロードレースでの"坂"の評価を試みた。実験道路(比高約200m平均勾配0.056)を上る場合,被験者の持久力に応じて約12〜30分かかる。拍速は,スタート直後に急激に減少し,約1〜2分で安定化する。拍速の平均値は,運動強度ごとに若干異なるが,被験者の持久力をほぼ反映する。また道路を急勾配と認める度合やペダルを踏み込む意識との相関が高く,坂の知覚の一面を指標する。一方,約5〜8分かかる下りでは,拍速は,カーブや急勾配でのブレーキによる速度制御のため,持久力よりも技術力と関連し,急勾配の認識や爽快・恐怖感との相関も高い。このように坂の知覚の過程は上りと下りで異なり,道路のアフォーダンスに起因すると思われる。また,上り下りだけでなく,コースの勾配・曲率や被験者の能力に応じた違いも拍速は定量化できる。「ツールドおきなわ市民200km」のコースで,移動地点ごとの拍速は,その地点と約30秒前の地点との相対比高と相関が高い。30秒での移動距離は,勾配や速度との関係から一般に上りで約50m,下りで約400mとなる。200kmコースでは,約70km以降の区間で上記の規模を超える上り下りが連続するため,上りで約50m,下りで約400m先までの勾配・曲率の変化を見越して走行を効率化することが持久力温存の鍵となる。また,約80〜90km区間と約145〜165km区間では,数100m規模の上り下りが周期的に繰り返すため,精神・技術的な素早い切り替えも要求される。ArcGISで上記の成果を基に,霧島市のサイクリングマップなどを作成した。近く大学のWebで公開する。