著者
倉橋 愛
出版者
日本南アジア学会
雑誌
南アジア研究 (ISSN:09155643)
巻号頁・発行日
vol.2018, no.30, pp.36-52, 2020-03-31 (Released:2020-09-14)
参考文献数
14

インドで統治業務に就く文官の質を高めるべく、1800年にウェルズリー総督(Richard Colley Wellesley, 1760-1842)によって、カルカッタ(現コルカタ)にフォート・ウイリアム・カレッジが設立された。本稿においては、同カレッジにおいて実施された試験と、ディベート大会である公開討論会について取り上げている。試験の実施頻度については、先行研究において、様々な記述がなされてきた。試験の結果を基に、学生のクラス分けが行われ、賞金やメダルを授与する制度も存在していた。1830年代から授業が不開講となり、その代わりに口述と筆記の試験が隔週で実施されることとなったが、このことについては先行研究において殆ど言及されてこなかった。公開討論会は、インド統治に関連した議題について、インド現地語で実施された。この討論会の大きな目的として、イギリスによるインド統治の正当性を示すことが挙げられる。そうした点において、この討論会はディベート大会以上の重要な意味を持つ行事であったと言える。
著者
板倉 和裕
出版者
日本南アジア学会
雑誌
南アジア研究 (ISSN:09155643)
巻号頁・発行日
vol.2014, no.26, pp.46-72, 2014-12-15 (Released:2016-01-08)
参考文献数
40

本稿は、社会的マイノリティに対して、留保議席のような政治的保障措置を世界に先駆けて導入したインドの経験に注目し、インド建国の指導者たちがなぜそのような措置を憲法の中に盛り込むことにしたのかを考察する。インドの制憲過程を扱った研究の多くがムスリムの処遇問題に関心を寄せてきた一方で、指定カーストの指導者たちによる、政治的権利獲得のための主体的な活動を考察に入れた政治過程の分析は十分に進められてこなかった。そこで、本稿では、指定カーストの中心的指導者であったB・R・アンベードカルに焦点を当て、制憲議会を取り巻く政治環境の変化に対するアンベードカルの適応過程と、それと同時に形成された会議派指導者との協力関係に注目し、インドの制憲政治を再検討することにより、指定カースト留保議席がインド憲法にいかにしてもたらされたのかを明らかにする。
著者
杉江 あい
出版者
日本南アジア学会
雑誌
南アジア研究 (ISSN:09155643)
巻号頁・発行日
vol.2016, no.28, pp.7-33, 2016-12-15 (Released:2018-06-18)
参考文献数
54

本稿は、従来個別に扱われてきたバングラデシュのヒンドゥーとムスリムを同一の村落社会空間を共有する主体として捉えなおし、20世紀初頭以降、両者間の関係がいかに構築されてきたのかを、両者が社会的な活動を共同する場であるショマージと青年組合に着目して検討する。事例村では、政治的・社会的な変動に伴うヒンドゥー人口の流出とムスリムの居住空間の拡大により、両者間の物理的・社会的な距離が縮小していった一方で、ヒンドゥーはマイノリティとしての立場を強め、ムスリムがヒンドゥーのショマージの紛争解決や宗教行事に介入することが増えていった。青年組合では、60年以上ヒンドゥーとムスリムが共同してレクリエーション等を実施してきたが、活動の主体や対象は実質的にムスリムに限られるようになり、ヒンドゥーによる参加は形式的なものになっていた。しかし、青年組合はヒンドゥーが村のショマージの一部であることを示す役割を持っていた。
著者
藤田 幸一
出版者
日本南アジア学会
雑誌
南アジア研究 (ISSN:09155643)
巻号頁・発行日
vol.2019, no.31, pp.6-46, 2021-03-31 (Released:2021-09-10)
参考文献数
20

順調な経済成長を遂げてきたバングラデシュでは、農村住民にとって有利な非農業就業機会が確実に増え、労働市場が逼迫し、実質賃金の高騰が農業にも及んでいる。こうした中、従来あまり目立たなかった土地貸借市場の拡大が起こっている。本稿は、ボグラ県とタンガイル県の2つの調査村の1992年と2009年の全世帯データに基づき、土地貸借市場の拡大を確認し、その実態を明らかにし、さらに拡大をもたらした要因分析を行う。土地貸借市場の拡大が、2つの村で異なる形で起こっているにもかかわらず、伝統的富農層の大規模直接経営からの撤退、土地なしや零細土地所有世帯による小作の増加など、共通する現象が確認された。土地貸借市場の拡大は、労働者の雇用経費の高騰により、伝統的富農経営が成り立たなくなりつつあること、ビジネス、給与所得職、海外出稼ぎ等の有利な非農業就業機会が拡大していること、農業機械化による賃耕市場の発展など機能的土地なし層の小作経営を可能にする条件が整ってきたことなどが、その背景要因として重要であること、などが明らかになった。
著者
丹羽 充
出版者
日本南アジア学会
雑誌
南アジア研究 (ISSN:09155643)
巻号頁・発行日
vol.2021, no.33, pp.37-64, 2022-03-30 (Released:2022-05-03)
参考文献数
54

今日のネパールでは、世俗主義国家化への反発として、ヒンドゥー・ナショナリストの活動が顕在化するようになっている。本稿では、数あるヒンドゥー・ナショナリスト団体の中でも圧倒的に長い歴史と歴代の国王との関係を有する世界ヒンドゥー連盟に着目する。具体的には、世界ヒンドゥー連盟が2016年に開催した国際ヒンドゥー大会議の記念書籍たる『ダルマ』を主たる資料として、それが打ち出すのが「包含的ヒンドゥー・ナショナリズム」であることを示す。その上で本稿の続く部分では、それに対する多様な応答について主に聞き取り調査の結果に基づいて検討する。世界ヒンドゥー連盟の主張は、しばしば、そもそも関心を抱かれなかったり、抱かれたとしてもの厳しい批判の対象とされたりする。それでも世界ヒンドゥー連盟は、ヒンドゥー教徒以外の賛同者をたしかに獲得しており、宗教をまたいだネットワークを形成し始めていること示す。
著者
立川 武蔵
出版者
日本南アジア学会
雑誌
南アジア研究 (ISSN:09155643)
巻号頁・発行日
vol.1990, no.2, pp.58-76, 1990-12-20 (Released:2011-03-16)
参考文献数
4

宗教とは「聖なるもの」と「俗なるもの」との相違を意識した合目的的行為の形態である.いかなる宗教も「聖なるもの」と「俗なるもの」という二つの極の関係をその構造の一つの軸としている.この二つの概念は, エリアーデ, カイヨワ等によって宗教分析の有効な操作概念として育てあげられてきたが, それらは主として未開人の宗教や氏族宗教の考察に用いられてきた.しかし, 「聖なるもの」と「俗なるもの」という二つの観点から仏教あるいはヒンドゥー哲学を考察することも可能と思われる。それはエリアーデが『ヨーガ』の中で企てていることでもあった.本論文は, 大乗仏教に理論的モデルを与えた竜樹 (2世紀頃) の主著『中論』の思想を「俗なるもの」の否定により「聖なるもの」が顕現するという観点より考察するものである.「聖なるもの」と「俗なるもの」の観点は確かに一見相反する内容を指し示すと思われるような二概念による操作なのではあるが, これをいわゆる安易な二元論と考える必要はない.「聖なるもの」と「俗なるもの」の関係に応じて両者はその電荷を変える.聖性の度がゼロになれば, 宗教行為は成立しないことになる.時としては, 「俗なるもの」が聖化されて, 「聖性の度」が強いままに両者が一致することもある.『中論』では, 人間の活動一般が「俗なるもの」として把えられ, その否定の果てに, 「聖なるもの」としての空性が感得される.そして空性は聖化された「俗なるもの」としての「仮りに言葉で表現された世界」としてよみがえるのである.
著者
孝忠 延夫
出版者
日本南アジア学会
雑誌
南アジア研究 (ISSN:09155643)
巻号頁・発行日
vol.2020, no.32, pp.114-119, 2021-09-30 (Released:2021-11-13)
参考文献数
5
著者
倉橋 愛
出版者
日本南アジア学会
雑誌
南アジア研究 (ISSN:09155643)
巻号頁・発行日
vol.2018, no.30, pp.36-52, 2020

<p>インドで統治業務に就く文官の質を高めるべく、1800年にウェルズリー総督(Richard Colley Wellesley, 1760-1842)によって、カルカッタ(現コルカタ)にフォート・ウイリアム・カレッジが設立された。本稿においては、同カレッジにおいて実施された試験と、ディベート大会である公開討論会について取り上げている。試験の実施頻度については、先行研究において、様々な記述がなされてきた。試験の結果を基に、学生のクラス分けが行われ、賞金やメダルを授与する制度も存在していた。1830年代から授業が不開講となり、その代わりに口述と筆記の試験が隔週で実施されることとなったが、このことについては先行研究において殆ど言及されてこなかった。公開討論会は、インド統治に関連した議題について、インド現地語で実施された。この討論会の大きな目的として、イギリスによるインド統治の正当性を示すことが挙げられる。そうした点において、この討論会はディベート大会以上の重要な意味を持つ行事であったと言える。</p>
著者
齋藤 俊輔
出版者
日本南アジア学会
雑誌
南アジア研究 (ISSN:09155643)
巻号頁・発行日
vol.2009, no.21, pp.112-132, 2009-12-15 (Released:2011-08-30)
参考文献数
28

本稿では、ポルトガル領ダマンに導入されたプラゾ制度の運用実態を明らかにし、「カザード」の定義を再検討する。ポルトガル領ゴアやダマンでは、ポルトガル人定住者に土地を与える入植政策が採られていた。彼らは同地で結婚することが義務付けられていたので、「カザード」と呼ばれた。ポルトガル領ダマンの場合、プラゾ制度が導入された。「プラゾ」とはポルトガル国王が家臣に一定期間に限り貸し出した土地を指す。同地では村落がプラゾとしてカザードに与えられた。その際に軍役などの義務が課せられた。ところが、カザードの中にはプラゾを私有財産のように売買したり、譲渡したりする者が現れた。さらに、16世紀末頃から様々な理由で軍役が放棄されたため、プラゾ制度は変質を余儀なくされた。一方で、カザードはそうした状況を利用して、「フィダルゴ(貴族)」と呼ばれるほどの富と地位を確立した。