著者
外川 昌彦
出版者
日本南アジア学会
雑誌
南アジア研究 (ISSN:09155643)
巻号頁・発行日
vol.2017, no.29, pp.61-91, 2017

本稿は、近代インドのヒンドゥー教改革運動を主導し、ラーマクリシュナ教団を創設したスワーミー・ヴィヴェーカーナンダの宗教観の変遷を、特に仏教への言及を手掛かりとして検証する。ヴィヴェーカーナンダは、1893年のシカゴ万国宗教会議では、ヒンドゥー教をヴェーダーンタ思想を根幹とする合理的で体系的な宗教として西欧世界に紹介したことで知られ、今日ではグローバル化するインドの国民意識を体現する愛国主義者としても注目されている。そのヴィヴェーカーナンダの仏教への言及を、本稿では、次の4つの時期に区分して検討する。①シカゴ宗教会議における仏教との類縁性を通したヒンドゥー教の紹介、②3年半の欧米での活動を通した仏教を包摂するヒンドゥー教という観点の提示、③1897年のインド帰還後の「仏教的退廃」に関する認識の背景、④最晩年に言及された、仏教とヒンドゥー教との関係についての「全面的革命」という認識の問題である。
著者
石坂 晋哉
出版者
日本南アジア学会
雑誌
南アジア研究 (ISSN:09155643)
巻号頁・発行日
vol.2010, no.22, pp.107-111, 2010-12-15 (Released:2011-09-06)
参考文献数
1
著者
間 永次郎
出版者
日本南アジア学会
雑誌
南アジア研究 (ISSN:09155643)
巻号頁・発行日
vol.2017, no.29, pp.92-123, 2017

本稿では、南アフリカでガーンディーのサッティヤーグラハ闘争が誕生する過程において、ガーンディーの「ブラフマチャリヤ(性的禁欲)」の実験がいかなる役割を果たすものであったのかを探究した。本稿では、第一に、サッティヤーグラハ闘争の開始を告げる1906年の人種差別法案撤廃を訴えるガーンディーの政治集会の演説をグジャラーティー語の原文から分析した。これにより、闘争の誕生を特徴付けていたものは、集会の中で、突如、ガーンディーが体験した内なる「シャクティ(<i>śakti</i>)」の発生にあったことを示した。第二に、1913年にガーンディーがブラフマチャリヤの実験の一つである「精液結集(<i>vīryasaṇgrah</i>)」について記した「秘密の章(Guhya Prakaraṇ)」と題するグジャラーティー語の記事を分析した。そして、先の体験が起こった背景には、この精液結集によってガーンディーの身体内に生命力の源泉である「精液(<i>vīrya</i>)」が蓄積されていたことが関係していたことを明らかにした。
著者
片岡 啓
出版者
日本南アジア学会
雑誌
南アジア研究 (ISSN:09155643)
巻号頁・発行日
vol.2008, no.20, pp.142-159, 2008

日本の「印哲」-東大・京大などにあるインド学・仏教学の研究-は欧米のIndologyとは性格を異にする。歴史を見ても印哲は「仏教学」とくに教理・教学の研究を中心に成立してきた。伝統的・護教論的な仏教漢文の講読から、インド学の文献学的手法を加味した教理・思想研究へと展開し、そこから文献学の手法による客観的・実証的な思想史研究へと方向を定め、対象も方法も多様化してきた。中村以後を見渡すとき、極端な専門化が進行しているのが分かる。そしてそれは資源の集中という形で「学問的」には大きな成功を収めてきた。そこに抜け落ちたのは現代インドへの関心である。結果として、サンスクリット文献と現代を繋ぎ、そのギャップを埋めんとする情熱は低い。国際的な発信という成功の影で、国内一般向けの成果還元や他分野研究者との交流への意欲が減退しているかに映る。「中村元以後」の印哲、日本のインド学をどう方向付けていくのか、これからの課題である。
著者
平野 久仁子
出版者
日本南アジア学会
雑誌
南アジア研究 (ISSN:09155643)
巻号頁・発行日
vol.2009, no.21, pp.87-111, 2009

1893年9月、スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ(1863-1902)はアメリカ・シカゴで開催された万国宗教会議において、インドのヒンドゥー教の代表として演説した。ヒンドゥー教を「受容と寛容の宗教であり、人間の内なる神性を認め、それを悟ることを助ける普遍宗教」として唱えるとともに、インドの民衆の困窮を訴えた。そこには、個人的な魂の救済のみを求める従来のサンニャーシン(出家遊行者)だけではなく、社会的、物質的な救済にも目を向けた新たなサンニャーシンのあり方も示唆される。こうした主張が注目された背景には、ユニテリアンなどの存在に見られるキリスト教の多様性も感じられる。この万国宗教会議での演説は、ヴィヴェーカーナンダ自身にとっても、その後の伝道活動や、インド・カルカッタ(現コルカタ)での布教・教育・奉仕・医療活動を担うラーマクリシュナ・ミッション設立(1897年)へと向かう大きな転換点になったように考える。
著者
田中 鉄也
出版者
日本南アジア学会
雑誌
南アジア研究
巻号頁・発行日
vol.2015, no.27, pp.46-67, 2015

<p>本稿は、ラージャスターン州のラーニー・サティー寺院を事例に、公益団体によるヒンドゥー寺院運営の特徴を分析し、その活動が基礎とする「公益性」を明らかにすることを目的とする。ジャーラーンという親族組織の極めて「私的」な女神信仰は、カルカッタに移住してきたマールワーリー・ジャーラーンが1920年代に自らの財産を「公的なもの」へと読み変えることで、寺院へと姿を変えた。 1957年に慈善協会を組織しこの寺院の占有権を勝ち取ることによって、受託者たちはカルカッタを拠点とした寺院の遠隔地経営を確立した。彼らの寺院運営は特定のコミュニティに限定した共助的活動に終始しているように見える。しかしそれは「公共の財」としての寺院をいかに運営し、何をするべきかを熟知した上で行われた「公益活動」と解釈できる。彼らは自らの活動が受託者に(血縁や地縁などの意味で)直接的に関わりのある範囲に限定された「私的なもの」でないことを証明するために、活動の恩恵を得る対象を具体的な大きさをもったコミュニティとして策定することで、彼らなりの「公益活動」を実現してきたのである。</p>
著者
吉次 通泰
出版者
日本南アジア学会
雑誌
南アジア研究 (ISSN:09155643)
巻号頁・発行日
vol.2009, no.21, pp.133-151, 2009

世尊の死因については定説がない。80歳の高齢になっていた世尊は、最後の旅の途中、チュンダの調理したスーカラ・マッダヴァを食べた後、短期間で激しい苦痛(腹痛?)と血性下痢を生じた。頻繁に飲水と休息をとりながら旅を続け、クシナガラで入滅した。史実と異なる内容も多いと思われるが、最後の旅の途中に現れた死因解析に必要な臨床症状を最も詳細に述べている文献の一つはパーリ語によるMahaparinibbanasuttanta(MPS)である。死因に関する先行研究は、スーカラ・マッダヴァの性質(豚肉、キノコなど)に関するものが大部分であった。血性下痢をもたらす疾患には、感染性腸炎、腸間膜動脈閉塞症、虚血性腸炎、大腸癌、潰瘍性大腸炎、クローン病、大腸憩室症などがあるが、患者の年齢、症状、経過、糞便の性状などより、細菌(とくに赤痢菌)あるいは赤痢アメーバに汚染された食物ないし飲料水による重症の感染性腸炎であったと推測する。
著者
杉原 薫
出版者
日本南アジア学会
雑誌
南アジア研究 (ISSN:09155643)
巻号頁・発行日
vol.2010, no.22, pp.170-184, 2010-12-15 (Released:2011-09-06)
参考文献数
39