著者
又吉 弘那
出版者
日本橋学館大学
雑誌
紀要 (ISSN:13480154)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.155-177, 2016-03-01

Switzerland is well known for being the founding father of the International Baccalaureate but it is also well known for the educational mentality of solidarity. We can embrace the power of their solidarity from reading their motto,"Unus pro omnibus, omnes pro uno", can be translated from Latin to English as "One for All, All for One" (Le News. 2015). Switzerland is also extremely famous for having four national or official languages which represents their respect for diversity. It was because of this motto or mentality they survived World War II. They demonstrated Effective Evidence - Based Control and Defense in "warfare" by not allowing any war planes fly over their country. In other words, during World War II they decided they had "no Allies" but "all enemies" so without discrimination they shot at every plane that flew over their sky including both the German and the United States Air Forces (Helmreich, 2000). The neutrality of Switzerland was assured by an Effective Evidence - Based Strategy of evolutional and progressive mentality. They found that in a materialistic and capitalistic world, they needed to collect and guard the world's finance by establishing the Swiss Bank. They learned that the strongest religion on earth is "money" and "greed". They learned that money has a tendency to quench our thirst for greed and banks have become humanity's churches to worship the accumulating digits in our bank accounts. They learned that protecting the wealth of the rich was the best way to defend their country. In other words, it would be literally insane to go after the Swiss because they have the bank accounts as an ultimate "hostage". They proved this in World War II and their effective evidence based strategy continues today. What is even more unique is that in 2013, Switzerland announced their next Effective Evidence - Based Strategy in "welfare" instead. They surprisingly announced, "Switzerland's Proposal to Pay People for Being Alive" in the "The New York Times". The life style of Switzerland triggered other governments to rethink their education policies under the concept of civics (Lowrey, 2013). Last year, in November 2014, the United States Department of Education published their new education policy. The policy title was "Effective Professional Learning Strategies and Their Use in Future Ready Districts" (Duncan, 2014). The policy was published to encourage researchers to be effective professionals teaching students within the realm of civic education. The purpose was to establish educational readiness for educators to use in the future. This policy was originally established for all the districts and states within the United States but the policy has now taken a wider turn. The policy now includes countries abroad. The Switzerland's motto,"Unus pro omnibus, omnes pro uno", has influenced UNESCO, the UN, and the EU, especially Oxford University, to adopt this educational policy (Sylva, Retrieved: July 1, 2015). The policy discusses about Effective Learning or Evidence-Based Practices that can be used in reflective learning to foster citizen education both locally and internationally. This paper will discuss about the historical evolution from Civil Education, to Citizen Education, to Active Learning, and to the Effective Learning Strategies that has just begun, in 2015, which is also known as Evidence-Based Practices. The paper will also discuss about curriculum design and the future endeavors of the language curriculum in Japan.
著者
菅原 祥
出版者
日本橋学館大学
雑誌
紀要 (ISSN:13480154)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.5-17, 2016-03-01

20世紀後半のポーランドを代表する作家スタニスワフ・レムは、自身の作品の中で一貫して人間の認知の問題、とりわけ理解不能な「他者」を前にしたコンタクトの可能性について考察してきた作家である。こうしたレムの問題関心は、現代の多くの社会学的問題、例えば認知症患者のケアの現場などにおける介護者-被介護者の相互理解の問題などを考える際に多くの示唆を与えてくれるものである。本稿はこうした観点から、スタニスワフ・レムの短編『テルミヌス』を取り上げ、理解不可能な存在を「受容する」ということの可能性について考える。『テルミヌス』において特徴的なのは、そこに登場するロボットがまるで老衰した、認知症を患った老人であるかのように描かれているということであり、主人公であるピルクスは、そうしたロボットの「ままならない」身体に対して何らかの応答を余儀なくされる。本稿は、こうしたレム作品における不自由な他者の身体を前にした人間の責任-応答可能性について考えることで、介護に内在する希望と困難を指摘する。
著者
杉木 恒彦
出版者
日本橋学館大学
雑誌
紀要 (ISSN:13480154)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.47-69, 2014-03-01

アッサムの女神カーマーキャーは、毎年雨季の頃、生理になると信じられている。この女神の生理の開始と終了に合わせて行われるアンヴァーチー祭は、インドにおけるタントラの伝統の主要な大祭である。2013年のアンブヴァーチー祭は、6月22日から6月26日にかけて開催された。祭りそのものは公式には26日で終わりだが、翌日27日まで祭りの内容の一部は続いていた。南アジア地域におけるタントラの思想・文化研究の一環として、筆者は2013年6月22日から6月27日までアンブヴァーチー祭の第1回現地調査を行った。主たる調査方法は、参与観察(祭りに参加した人々への聞き取りを含む)である。その後、同年9月4日から9月8日まで再び現地を訪れ、祭りの期間に調べることのできなかった要素の補足的な調査を行った。本稿は、自身の今後の調査の礎とすることと、日本ではほとんど知られていないこの大祭の内実を紹介することを目的として、途中経過的ではあるが、調査の際に作成したフィールドノーツのいくつかをまとめ、調査報告とするものである。
著者
勝野 まり子
出版者
日本橋学館大学
雑誌
紀要 (ISSN:13480154)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.3-18, 2012-03-01

この小論では、D. H. Lawrence の出世作となった、彼の生活体験を基として語られる短編小説"Odour of Chrysanthemums"について、二つのキーワード、"red"と"chrysanthemum"を取り上げて、次の3 点について考察する。(1)それら二つの言葉のリアリズムにおける働きとシンボリズムにおける働き(2)それらの言葉とこの作品のテーマとのかかわり(3)リアリズムがシンボリズムを超えて伝えるところである。この小説では、"red"は、初冬の寒くて薄暗い、無彩色の町に、昼夜燃える炭鉱の火の色、そこに生きる炭坑夫の妻の台所で燃える炎の色、彼女の娘が美しいと魅了されるかまどの火の色、その家族が使用した古いテーブルクロスの色として登場し、"chrysanthemum"は、その町の道端にピンクに咲く花、炭坑夫の妻に折り取られてエプロンに挿まれ、彼女の家に持ち込まれる花であり、彼女の小さな客間に持ち込まれ飾られる花であり、彼女の娘が美しいと感激する花であり、その花瓶を炭坑夫に割られて主人公によって処分される花として登場する。その二つの言葉は、どちらも読者の視覚、嗅覚、肌感覚といった五感に訴えながら、それ自体を、そして、舞台となっている、初冬の英国ノッティンガムにある作者の故郷である炭鉱の町と、そこで生きる人々の姿を読者の目の前に現存するかのように生き生きと描き、この作品のリアリズムの世界を作り上げている。その一方では、"red"と"chrysanthemums"という言葉が一致して象徴するものは、炭坑夫の妻である主人公の「所有欲」、その「所有欲」や自らの考えに囚われた主人公の意のままにならない子等や夫との死んだような家庭生活であり、彼女の夫の落盤事故による「死」であり、彼女の「所有欲」に占められた結婚生活と家庭生活の終焉である。主人公は、夫の「死」に遭遇することによって、それまでの自らの「所有欲」によって生じた誤り、自分を取り巻く生命体、つまり、夫や子やその他もろもろの生命体をありのままに見つめていなかったこと、そして、それら他の生命体を自分の意のままに支配しようとしてきた誤りを悟り、「死」ではなく、自らの新たなる「生」に向かうのである。それぞれの生命体はそれぞれの「生」を営み、他のどんな「生」をも所有できないという彼女の悟り、それがこの短編小説のテーマとなっている。主人公が新たなる「生」に目覚める以前の世界は、"red"と"chrysanthemums"の生むシンボリズムが提示するものである。その世界では、人々は己の考えや所有欲に囚われ死んだような生活を送っているのである。言い換えれば、作者は、人間心理に対する鋭い洞察力と巧みな言葉の使用によって生み出すシンボリズムによって、「死」に向かう世界観を伝えている。そして、それは、この短編小説の主人公Elizabeth のみならず、100 年以上も前にD.H.Lawrence が見た当時の多くの心悩める人々の世界であり、この現在に生きる多くの心悩める人々の世界にも繋がるように思わる。そして、主人公が、新たに求めることになる「生」を営む場は、二つのキーワード"red"と"chrysanthemums"という言葉が生き生きと描写し、彼女を取り巻いてすでに存在していた世界であり、それらの言葉のリアリズムにおける働きが伝えていた世界である。そこでは、それぞれの生命体がそれぞれの「生」を営み、他のどんな「生」をも所有できない世界である。言い換えれば、作者は、彼自身を取り巻く世界に対する優れた観察力と生き生きとした言葉による写実力によって生み出すリアリズムによって、自らの「生」に向かう世界観を伝えているのである。そのようなリアリズムとシンボリズムは、相矛盾することなく、この作品のプロットを運びテーマを提示しながら、作者が自らの周囲に見る両義的な世界を語り、作者と読者の豊かな対話をも生じさせている。さらに、そのリアリズムはシンボリズムを超えて、以前にも増して「死」に向かいがちな現代の読者に、自らを取り巻くあらゆる生命体を見つめ、自らの真の「生」に向かう知恵を伝えているのである。
著者
宮入小夜子
出版者
日本橋学館大学
雑誌
紀要 (ISSN:13480154)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.17-31, 2013-03-01

学生と社会人で「何のために働くのか」について対話を通して考える「ハタモク」のワークショップ(3時間)を2回実施し、事前、1回後、2回後の変化について、準実験的な方法による調査を行った。その結果、学生の社会人に対するイメージは、事前のネガティブなものが43.0%、ポジティブなものが18.5%だったのが、2回目終了時にはそれぞれ、24.6%と43.8%と逆転し、「実際に見た社会人」が大きな影響を与えている事がわかった。分散分析の結果、「職業進路成熟」「話し方」「特性的自己効力感」の各因子について調査時点の主効果が認められ、多重比較の結果、これらの各因子は事前の時点よりも1回後、および2回後の時点において有意に高かった。社会人との直接的な相互作用を通じて「気づき」を促進させるハタモクは、ポジティブな社会人イメージを形成し、自分の将来について考え、自分の言葉で話し、自信を持てるようになることが示唆された。大学のキャリア教育におけるプログラムとして、社会人との対話が学生の意識(社会人イメージ、キャリア成熟、対人スキルに関する自己認知、および特性的自己効力感)に影響を与え、学生たちの進路選択行動の遂行可能感を高めるのに有効であると考えられる。
著者
塩月 亮子
出版者
日本橋学館大学
雑誌
紀要 (ISSN:13480154)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.49-66, 2008-03-01

本稿では、沖縄における死の変容を、火葬の普及、葬儀社の出現、葬儀時の僧侶への依頼という3つのファクターから考察することを試みた。その結果、沖縄では近代化が進むなか、特に1972年の本土復帰以降、火葬場が多数設置されて火葬が広まり、土葬や洗骨の風習が廃れていったこと、および、今ではその多くが入棺が済むとすぐ火葬場へ行き、そこに隣接する葬祭場で告別式をおこなうという順番に変わったことを明らかにした。また、葬儀社の出現が、葬儀の均一化・商品化、仏教との提携をもたらしたことを指摘した。さらに、このような変化は、伝統的に死の世界を扱い、憑依などを通して人々に生々しい死を提示してきた民間巫者であるユタと、それらの慣習を否定し、新たに死の領域に介入し始めた僧侶との深刻なコンフリクトを生じさせていることも示した。沖縄におけるこのような葬儀の本土化・近代化は、すべて生者の側からの利便性・効率性の追求、換言すれば、死者や死の世界の軽視にほかならない。そのため、沖縄でも、これまでみられた生者と死者の密接な関係が失われ、今後は日本本土と同様、死の隠蔽・拒否が強まるのではないかということを論じた。
著者
長澤 泰子 太田 真紀
出版者
日本橋学館大学
雑誌
紀要 (ISSN:13480154)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.3-13, 2004-03-30

ことばの教室における教師と子どもの相互交渉を分析した先行研究において,われわれは,つらい経験を原因とする吃音への感情を理解するために,顔の向きや表情あるいは沈黙のような子どもの非言語的表現を受けとめることの重要性を報告した。本研究は臨床における教師のより好ましい行動を明らかにするために,引き続き,別の2人のコミュニケーション分析を行なう。教師と子どもが話し合う相互交渉2セッションをVTRに録画し,子どもと教師の発話,体・顔の向き,表情,視線,その他の行動を指標として分析を行った。教師は40代女性,子どもは吃音のある3年男児だった。2人は子どもの吃音にかかわる経験について話し合った。そのとき,教師はタイトル「どもってもいいんだよね」という吃音に関する教材を用いた。1週目の話し合いにおいて,絵本に関する子どものコメントの後,教師は吃音をからかわれたことがあるかを質問した。このとき,教師は子どもを見ていたが,子どもに体を向けてはいなかった。教師は子どもの返事を確認することなく,いじめに関する新たな質問をした。子どもは教師の質問に答えようとしたが,体や顔を教師に向けずに,今はいじめられていないと繰り返し述べた。2週目の話し合いにおいて,教師と子どもの相互交渉は改善されていた。教師は体と顔を子どもに向けながら話をしていた。子どもは,今はいじめられていないと繰り返すことはなかった。このとき,子どもは体と顔を教師に向けていた。教師は子どものつらさを思いやるような声で,いじめ経験の詳細について確認し,質問していった。知見は以下の通りである。(1)教師が子どもの気持ちを受け止めるとき,子どもは自分の経験や気持ちを語る。(2)教師の気持ちは,体や声の調子などの非言語的行動に表れる。(3)教師の行動は子どもの行動によって影響され,子どもの行動は教師の行動によって影響されている。
著者
小林 大二 高橋 祐一 山本 栄
出版者
日本橋学館大学
雑誌
紀要 (ISSN:13480154)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.15-29, 2006-03-30
被引用文献数
4

日本は65歳以上の高齢者が人口に占める割合が高い高齢社会である.政府や地方自治体では,高齢者が公共サービスを自宅で受けられるようにするために,インターネット主体の情報ネットワークを整備しているが,依然として多くの高齢者が生活に必要な公共サービスや年金などの情報を入手することが難しいのが現状である.例えば,高齢者の20%以上はインターネットに接続できる環境にあるが,ウェブページなどから情報を取得することが難しいと感じている.この理由として,非英語圏に住む日本の高齢者がパソコンのキーボード操作に慣れていない点や,高齢者の心的特性やウェブページのアクセシビリティが確保されていない点などが挙げられる.本研究では,高齢者がウェブページを通して情報を収集する際のアクセシビリティに着目し,現在の高齢者が抱えるウェブ閲覧における難点を明らかにした上で,その改善案を提案した.まずは高齢者がノートパソコンとマウスを用いてウェブを閲覧した際に経験するマウス操作の問題点を明らかにした.次に,ウェブページにあるリンク対象にマウスカーソルを合わせることが難しい問題の要因を探った.さらに,高齢者に画面内の9箇所をクリックさせる実験を行い,リンク位置とリンク対象の大きさがマウス操作に与える影響を探った.これらの実験では,独自に開発したソフトウェアを用いて高齢者のマウス操作を記録した.以上の実験を通して,ウェブ閲覧を難しくする高齢者のマウス操作の実態が明らかになった.そこで,高齢者のマウス操作を,より確実にするためのアクセシビリティ・ツールを開発した.このツールは,マウスカーソルを正しいリンク位置へ戻す機能,クリックするリンク対象を拡大表示する機能,クリックに必要なマウスの左ボタン以外のボタンを無効化する機能によって構成した.アクセシビリティ・ツールの有効性を検証した結果,このツールによってウェブ閲覧の難点が取り除かれる可能性が高いことが判った.
著者
勝野 まり子
出版者
日本橋学館大学
雑誌
紀要 (ISSN:13480154)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.71-80, 2006-03-30

この小論は英国短編小説家として最も有名と言えるKatherine Mansfield(1888-1923)の「アイロニー」の世界に関するものである。彼女はNew Zealandに生まれ,勉学のために渡ったロンドンでの生活とヨーロッパ各地での旅を経て,Fontainebleauで結核で没するまでの間,彼女の「アイロニー」の世界が美しく描かれている数多くの短編小説を世に出した。この小論では,故郷を舞台に書かれた "How Pearl Button Was Kidnapped" を取り上げ,彼女の「アイロニー」の世界を考察する。その世界は美しい自然に恵まれた彼女の故郷を母胎に生まれた。西洋文学思想史と東洋思想史の「アイロニー」論を参考にして,「言葉」,「美的体験」,「常識の覆り」という三つの観点から論じる。「言葉」と「常識の覆り」は東西問わずに「アイロニー」考察に不可欠とされるが,「美的体験」は西谷が指摘するように東洋の禅にのみ強調されている。"How Pearl Button Was Kidnapped" においては,"blue," "the House of Boxes," "big," "little"という「言葉」が繰り返し用いられて,「アイロニー」の世界を展開するために重要なことを伝えている。"Pearl Button" という主人公の氏名も同様の象徴的な働きを持つ。それらの「言葉」が繰り返し用いられる中で,主人公は生まれて初めて原住民の優しさや大自然の海の美しさを見て感じて認識する。主人公の「美的体験」は,自分の帰属する社会とは全く異なる世界,大自然と原住民の優しく美しい世界との感情的な接触である。そのような「美的体験」を通して,彼女は徐々に自分が属する社会の「常識の覆り」を知るのである。その体験によって,彼女は自分の属する社会とは全く異なる価値観を持つ別の世界があることを見出す。そのようなKatherine Mansfieldの「アイロニー」の世界は,「美的体験」を強調する禅の「アイロニー」の世界に共通するものであり,東洋人である著者にとって魅力的な世界となっている。