著者
高橋 恵子
出版者
聖心女子大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
1995

本研究はわが国における友情概念を検討することを目的とした。Piaget, Selman, Younissなどの欧米の友情概念についての先行研究と比較しながら、友情について、わが国の子どもやおとなが持っている素朴理論を明らかにした。如何なる人間関係を友情と呼び、友人にどのような機能を求めているのか、それはいわゆる西欧流の、いいかえれば、これまでわが国の発達研究が当然としてきた友情概念と同じか否かを明らかにすることをねらいとした。具体的には、友人と呼ぶ人間の範囲、その人々との関係の質(情緒的、道具的な関係)について検討すること、そしてまた、友情概念が実際の友人との関係に直接的に関連しているか否かを明らかにすること、を目的として3種の個別面接調査を実施した。面接を録音し、後にすべて文字化してプロトコルを作成して分析した。調査対象は小学2年生から大学生までの男女、計約300名であった。その結果、主に以下の4点が明らかになった。(1)いわゆる親友の概念(たとえば、どのような関係を親友と呼ぶか、親友はどのような心理的機能を持っているかなど)では、たとえば、ベルリンの子どもと差はなかった。(2)しかし、親友といわゆる友だちとのつきあいについて差をつけるかという質問では、ベルリンの子どもが親友を誰よりも大切にするとしたのに対し、わが国では親友だけではなく誰とも仲良くするのが望ましいとした。(3)それは、わが国では友だちと呼ぶ人間関係の範囲が欧米に比べて広く、ちょっとした知合いでも「友だち」と表現するような、「友だち」と言う言葉の使い方が異なっていることと関連していた。(4)しかし、わが国の子どもがだれとでも同程度に付き合っているのではなく、親しさの程度を区別して、ベルリンの子ども同様、選択的につきあっていることがわかった。
著者
樋田 大二郎 岩木 秀夫 耳塚 寛明 苅谷 剛彦 金子 真理子 大多和 直樹
出版者
聖心女子大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2003

われわれが1979年以来行ってきたデータの再分析、および日本、シンガポールの再調査を行っている。シンガポールは、非常に学歴が重視される国であり、研究者の間ではメリトクラシー(能力と努力の結果が支配する)の国であると考えられている。こうした背景には、シンガポールの国際社会やアジアにおける軍事的、経済的位置づけやさらには多民族の融合というこの国独自の事情がある。しかし、それだけでなく、人々を学習に駆り立て、学習の結果を人材の社会的配分の基準にすることを正当化するような考え方や仕組みが存在する。一昨年度以来のわれわれの調査では、シンガポールは、教育政策においてアファーマティブ・アクション(マイノリティへの優遇:大学入学枠の確保、点数の加算など)や救済重視的な社会的敗者対策はとらずに、競争参加への機会均等をすべての国民に対して保証する/競争の結果に基づいて地位配分を行う/競争の結果に基づいて地位配分が行われるプロセスと基準を明確化し納得させる/競争の内容(学習の内容と方法)を明示化し納得させる/競争の内容(学習の内容と方法)を「学問中心」ではなく、生徒の興味、企業からの要請や国際社会からの要請に応じたものにしている/競争の内容(学習の内容と方法)が卒業後の生活と結びついていることを生徒に認知させ、納得させる/競争の結果に基づいて手厚いエリート教育と手厚い大衆教育を行う/敗者復活の機会を用意する、などの教育政策を採っている。しかし、こうしたシステムのあり方に加えて、授業面で、私たちの知見では、シンガポールは、授業内容が卒業後の進路とレリバンスが高く、それを可能にするために、コース設置、教員採用、カリキュラム、教科書などが、現場裁量に任せられる部分が大きく、ガンバが進路先とコミニュケーションを親密にとっている。