著者
泉 貴人 藤井 琢磨 柳 研介
出版者
日本動物分類学会
雑誌
タクサ:日本動物分類学会誌 (ISSN:13422367)
巻号頁・発行日
vol.46, pp.54-63, 2019-02-28 (Released:2019-03-23)
参考文献数
22

Until recently, Actiniaria had been classified by the classification system organized by Carlgren in 1949. This classification was based on several traditional morphological features such as mesenterial arrangement, basal disc, acontium, and sphincter muscle. Although this classification system had been used for around 60 years, it was recently called into question by several studies utilizing molecular phylogenetic analyses. The most comprehensive phylogenetic analyses clarified that the Carlgren classification system did not reflect the actual phylogenetic relationships, and thus a new classification system from suborder to superfamily was established. At the same time, new common morphological features were proposed as the traditional morphological features of sea anemones in Carlgren’s classification system were proven to not be monophyletic. Here, we introduce the new classification system and propose Japanese names for all taxa higher than family.
著者
新井 葉子
出版者
文化資源学会
雑誌
文化資源学 (ISSN:18807232)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.35-48, 2017 (Released:2018-07-11)
参考文献数
50

本稿は、これまであまり整理されていなかった明治期の軍用空中写真撮影状況について明らかにする試みである。まず、日本初の空中写真撮影について整理するにあたり、「日本で初めて軍用空中写真の撮影が試みられたのはいつか」という問いと、「日本で初めて軍用空中写真の撮影が成功したのはいつか」という問いとに分けて考察する。次に、日本における空中写真画像の普及を検討するために、「日本で初めて空中写真を掲載した一般刊行物はどれか」、「日本で撮影された空中写真画像のうち、現存する最古のものはどれか」、「日本で空中写真が一般国民の関心を引くようになった時期はいつか」との問いを立てて、本稿執筆時点での結論を記述する。以上の5つの問いを通して、明治期に気球から撮影された軍用空中写真の来歴を整理するものである。
巻号頁・発行日
vol.〔伊藤甲子太郎建言書〕, 1868-02
著者
宮本 元 西川 義正
出版者
公益社団法人 日本畜産学会
雑誌
日本畜産学会報 (ISSN:1346907X)
巻号頁・発行日
vol.50, no.9, pp.601-608, 1979-09-25 (Released:2008-03-10)
参考文献数
22

牛射出精子を37°Cでインキュベート,4°Cで液状保存,または凍結•融解したときの精子生存性におよぼすカフェイン添加の影響について検討し,つぎの成績をえた.1. 塩化カルシウムを除去したクレーブスーリンゲルリン酸緩衝液(Ca欠KRP液)に洗浄精子を浮遊させ,37°Cで8時間インキュベートした.外因性基質が存在しない場合も,カフェインを添加した精子は,対照の無添加のものに比べその添加直後に運動性が高まり,2時間後も対照より高い運動性が維持された.しかし,4時間以上のインキューベート後には,カフェインを添加した精子の運動性は対照よりかえって低下した.外因性基質であるぶどう糖,果糖,乳酸塩ピルピン酸塩の存在下でカフェインを添加すると,約5時間にわたって精子の運動性が高められた.2. 牛精子を卵黄クエン酸ソーダ液で希釈し,37°Cで6時間インキュベートまたは4°Cで7日間保存した.いずれの場合も,カフェイン添加によって,対照の無添加のものに比べ精子の運動性が高まり,生存時間が延長された.精液を37°Cでインキュべートまたは4°Cで保存すると,カフェイン濃度がそれぞれ5.4~18mMおよび5.4~13.5mMのとき,比較的高い精子生存性が維持された.3. 卵黄クエン酸ソーダ液で希釈した牛精子を4°Cで保存し,保存3日目にカフェインを添加した後さらに4日間保存した.カフェイン添加直後に精子の運動性が高まり,さらに生存時間の延長が認められた.4. 7%のグリセリン存在下で隼精子を凍結する場合,凍結前にカフェインを添加した精子にグリセリンを加えると,グリセリン添加直後および凍結•融解後の精子の運動性は,カフェイン無添加の対照より低下した.これに対して,凍結•融解後にはじめてカフェインを添加すると,対照に比べ精子の運動性が高まり,生存時間が延長した.10mMのカフェイン添加の精子に各種濃度のグリセリンを加え,4°Cで保存すると,グリセリン濃度が0および2%の精子はカフェイン添加によって対照のカフェイン無添加のものより運動性が優れていたが,7および10%の精子は対照のものより運動性が低下し,牛精子の生存性におよぼすカフェインの影響は,グリセリン濃度と関連のあることが判った.
著者
山口 希世美
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.66, no.2, pp.713-716, 2018

<p>In this paper, by analyzing diaries from the Heian period, I shed light on the fact that handwritten <i>sūtra</i> transcription by women were not rare.</p><p>The <i>Kechiengyō</i> is one example of women's handwriting. One type of currently existing <i>Kechiengyō</i> is called <i>Kunōji-kyō</i>. <i>Kunōji-kyō</i> is a common name of the <i>Lotus Sūtra</i> introduced to Kunōji temple. Among the existing 25 scrolls, women's names are written on 15.</p><p>Considering these cases, the possibility that <i>Kunōji-kyō</i> was indeed handwritten by women cannot be excluded.</p>
著者
奥窪 朝子
出版者
一般社団法人 日本繊維製品消費科学会
雑誌
繊維製品消費科学 (ISSN:00372072)
巻号頁・発行日
vol.16, no.1, pp.11-16, 1975-01-25 (Released:2010-09-30)
参考文献数
4

家庭における有機溶剤を用いてのしみ抜きについて, 衛生学的見地からの検討を行った.1) アンケートの結果, 使用溶剤はベンジンが圧倒的に多いがCCl4やC6H6の使用もみられた.実施頻度の高い冬期, 換気に配慮して作業を行っている者は31%に過ぎなかった.また, しみ抜き作業時に頭痛, 吐気などを経験したことのある者が26%にみられた.2) 実態に基いて設定した標準的な作業条件で, 冬期, 窓を閉じた室内において, ベンジン, CCl4, C6H6など7種の溶剤を用いて作業した場合の気中溶剤ガス濃度は, C2H5OHを除き, 最高許容濃度 (MAC) を越える場合が多かった.CCl4やC6H6ではMACの約10倍の高濃度ガスが検出された.窓開放時は, ベンジンでは気中ベンジンガス濃度をMAC以下に保つことができたが, CCl4, C6H6ではMAC以下に低下できなかった.3) 自覚症状を, 冬期, 窓を閉じた室内でベンジンを用いてのしみ抜き時について調査した結果, 一過性ではあったが頭痛, 吐気などの訴えが25%の者にみられた.以上の成績から, 溶剤を用いてのしみ抜きに当っては, 衛生上の配慮が必要であるように思われる.毒性の強いCCl4やC6H6などの家庭における使用は, 絶対に避けるべきであると考える.
著者
周作人 鲁迅译
出版者
新星出版社
巻号頁・発行日
2006

15 15 0 0 老人の歴史

著者
パット・セイン編 木下康仁訳
出版者
東洋書林
巻号頁・発行日
2009

39 14 14 2 OA 東区会史

著者
大阪市東区 編
出版者
東区
巻号頁・発行日
1944
著者
森川 洋
出版者
The Human Geographical Society of Japan
雑誌
人文地理 (ISSN:00187216)
巻号頁・発行日
vol.14, no.5, pp.377-395, 1962-10-28 (Released:2009-04-28)
参考文献数
31
被引用文献数
2 1

The purpose of this article is to classify the characteristics of the distribution of Japanese towns before the industrial revolution. To qualify such towns, the author uses “Kyomhseihyo” (1880), the national statistics on population and products, and limits as town the settlements with over 2, 000 persons, but some fishing villages may be exceptionally contained among them.The author thinks that the distribution of those towns is analogous to that “alten Kulturländer” called by G. Schwarz, which roughly speaking is related to the density of rural population (Fig. 1.) There was a dense net of towns with much urban populatin in coastal and basin regions (densely populated), where there were also large towns like Tokyo (725, 000), Osaka (363, 000), Kyoto (136, 000), Nagoya (117, 000), Kanazawa (108, 000) etc. (Fig. 2 and 3). Of course, the agglomeration of towns and urban population in those days were not in so large scale as in the present day.But the distribution of towns in those days can not be explained by population density only. The ratio of urban population per Kuni, regional division in those days (Fig. 4) and the hierarchical structure of towns were related more closely to scale of regional centres than to economic richness of the areas. For example, the large regional centre Toitori (36, 000) and some small towns (2-3, 000) lay in Inaba-Kuni, so that the ratio of urban population per Kuni was raised (exclusively) by the urban population of Tottori.Most of such regional contres were castle towns in feudal age, and their scale was in proportion to that of territories of “Daimyoes”, feudal lords. The origin of small towns was mosily market towns, coaching towns, and port-towns, which had grown in proportion to regional economic development.Therefore, the distribution of towns in early Meiji-era was related to hitstorical conditions in feudal age everywhere.
著者
山村 隆
出版者
一般社団法人 日本内科学会
雑誌
日本内科学会雑誌 (ISSN:00215384)
巻号頁・発行日
vol.106, no.8, pp.1539-1541, 2017-08-10 (Released:2018-08-10)
参考文献数
7
著者
金 釆洙
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要
巻号頁・発行日
vol.28, pp.177-207, 2004-01-31

湾岸戦争以降、世界の情勢はアメリカ中心になりつつある。EC(ヨーロッパ共同体)は、世界の情勢がアメリカ中心になっていくことを防ぐ方法としてEU(ヨーロッパ連合)に転換してきた。しかし、東アジア地域の国々は二十世紀のナショナリズムに縛られ、アメリカやヨーロッパの動きに対応できるような連帯形態を作れないのが現状である。 本研究は、アメリカ、ヨーロッパ連合に対応できる東アジア連帯構築のための雰囲気醸成の一つとして、グローバル的観点から近代日本のナショナリズムがどのように形成され、またどのように展開されてきたのかを考察することを目的とする。 考察は近代化過程における日本人のナショナリズムがどのように形成されたのかという問題を、まずその時代的背景と思想的背景から論じ、次に日本の為政者たちがどのようにそれを啓発していったのかを検討する。そしてそれをどのように国民に注入していったのかを把握する。最後にナショナリズムへと転換していった時の国民がどのようにナショナリズムを発揮していったのかを考察してみることにする。 その考察から筆者は近代日本のナショナリズムの成立とその展開様相について次のような結論を導き出した。第一、日本のナショナリズムは十九世紀初めから東進してきた近代西洋の産業資本主義勢力との接触とその勢力と対決してゆく過程で成立したと言える。すなわち、それは近代西欧勢力と日本との対立構造から生まれたというのである。第二、明治維新を通して政権を握った、幕府時代の外様藩を中核とした藩閥政府が西欧列強諸国から国家的安全と彼らとの平等を追究していきながら彼ら自身の政権を維持していく過程でそれが拡大・強化され、定立されたと言える。第三、日本のナショナリズムは「皇祖皇宗」という観念を基礎とする国体思想が明確に提示され、「大日本帝国憲法」の発布と「教育勅語」の発布を契機として、国体思想が学校教育を通して被教育者に注入されることによって確立されたと考察される。第四、日本のナショナリズムはその後日清戦争、日露戦争、満州事変、日中戦争、太平洋戦争などといった戦争を通して展開していき、敗戦後には占領軍の日本文化の断絶政策に対抗して文化的次元で展開していったのである。第五、近代日本のナショナリズムは神道・皇道思想などの基礎をなす自然思想と深く結ばれており。近代西洋の科学思想とも深く結ばれている。第六、近代日本のナショナリズムは近代西欧勢力との接触とそれとの敵対的関係を通して成立・確立されていったにもかかわらず、日本がその過程で彼らの文物を学んで行かざるを得ない立場であったため、その中には「洋才」思想に基づく「殖産興業」思想や「科学立国」の近代西欧勢力に対する友好的感情なども内包していると言える。第七、近代日本のナショナリズムの目標の一つはアジア主義を実現していくことであり、近代以前徳川幕府との友好関係を結んでいた韓国・中国等の大陸の国々を支配していくことであったと言える。第八、近代日本のナショナリズムは敵対と友好とで特徴づけられる現代日米関係の原型として捉えられる。
著者
安 智史
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.63, no.2, pp.31-43, 2014-02-10 (Released:2019-02-28)

詩人・萩原朔太郎を、関東大震災後の東京郊外に移住し、郊外化現象をテクスト化した文学者として捉え直した。彼にとっての「郊外」は、郷里前橋の郊外、東京東郊(田端)をへて、西郊(馬込、小田急線沿線)へと変遷する。それは遊歩空間であると同時に、都市消費社会の確立にともなう社会状況との緊張関係の渦中に、彼自身を投げ込む場所でもあった。その諸相を朔太郎の散文(散文詩、エッセイ、小説)および詩集『氷島』収録詩篇を中心に検証した。