曲斎@都流/『数寄の長者〜竹馬之友篇〜』第二章執 (@darkpent)

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RT @shima_126: 馬部隆弘「山城国人狛氏と一族の地域的展開」『大阪大谷大学紀要』57号、2023年2月 #こんな論文がありました PDF公開されました。山城の狛氏について出自が渡辺党であり、摂津守護代薬師寺氏の与力や六角氏被官の狛氏も同族であると示す、基礎的な研究と…
RT @shima_126: 『今井宗久茶湯日記抜書』偽書説まとめ(神津朝夫「『今井宗久茶湯日記抜書』の正体」『茶書研究』9) ・天正15年の北野大茶会がなぜか天正13年にされている ・『天王寺屋会記』に記される宗久参加茶会で不掲載のものが多い https://t.co/U5P…
RT @holy_sengoku: @gutter_ballet_ こちらの論文によると細川政誠は、明応の政変後も文亀3年まで毎年のように近衛家へ年末年始の挨拶に訪れているそうで、註によると子息の誠久は明応2年2月1日に弥五郎、文亀3年7月23日に治部少輔、永正元年12月27日…
RT @holy_sengoku: @gutter_ballet_ であれば、こちらの論文の史料に一色七郎、本郷与三郎と共に近衛家を訪れて遊興したという細川治部少輔も、政誠ではなさそう。一色式部少輔、本郷宮内少輔ら奉公衆の同僚のようで、これが永正年間に比定されている益田治部少輔…
RT @shima_126: 馬部隆弘「細川晴元内衆の内訌と山城下郡支配」『大坂大谷大学紀要』(56) #こんな論文がありました ブログ記事でも触れられているように早速PDF公開されていますね https://t.co/4vN41vBaDl
RT @nknatane: 馬部隆弘「丹波山国荘の代官設置と三好長尚」https://t.co/B6e7hzXsmN 公開されていた。戦国期の畿内近国における荘園代官の位置づけを考える上でも大変興味深い内容だ。

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馬部隆弘「山城国人狛氏と一族の地域的展開」『大阪大谷大学紀要』57号、2023年2月 #こんな論文がありました PDF公開されました。山城の狛氏について出自が渡辺党であり、摂津守護代薬師寺氏の与力や六角氏被官の狛氏も同族であると示す、基礎的な研究となります https://t.co/sdDgOtiGnu
J-STAGE Articles - 室町幕府山城国支配の展開と山城守護 https://t.co/9d8d3tz73U
弓倉弘年「紀伊守護と紀南の水軍領主」https://t.co/iExBnh9cfe 畠山尚順の改名時期に関連して。三好一族となった淡路安宅氏が著名ですが、こちらではその本家・熊野水軍の安宅氏や小山氏が、南北朝期から戦国期にかけて国人領主化し、紀伊守護・畠山氏に取り込まれるに至った経緯が説明されています。
禅宗関係史料頻出語彙リストのようなものがあると助かるなぁと思うことがあるが、PDF公開されてるものだと古賀英彦「禅語録を読むための基本語彙 初稿 」(『禅学研究』64、1985年)が目に入った。 花園大学学術リポジトリからDL可。 https://t.co/Dk0yfGjysX 続編もあり。 https://t.co/MdNsrym6rB
禅宗関係史料頻出語彙リストのようなものがあると助かるなぁと思うことがあるが、PDF公開されてるものだと古賀英彦「禅語録を読むための基本語彙 初稿 」(『禅学研究』64、1985年)が目に入った。 花園大学学術リポジトリからDL可。 https://t.co/Dk0yfGjysX 続編もあり。 https://t.co/MdNsrym6rB
J-STAGE Articles - 足利将軍家子弟・室町殿猶子の門寺院入室とその意義 https://t.co/4ZMpsmFkd5
J-STAGE Articles - 中世後期の猶子入室と門主・出身家門・室町殿 https://t.co/upDDeDkBZT
小池辰典『戦国期初頭の将軍と大名』ですが、要約に目を通しただけでもワクワクしますね!時代の範囲は鈎の陣から義尹の復帰まででしょうか?個人的には、赤松政則に関する内容が多くて嬉しいです。特に、政則が山内就綱の近江守護就任を後押しした、という話が興味深いです。 https://t.co/F2WcVLrRvb
戦国期初頭の将軍と大名 https://t.co/PbgoZyHLTK
J-STAGE Articles - (研究)戦国期大友氏の加判衆と国衆 https://t.co/6yat6m60yD
J-STAGE Articles - (研究)中世後期における武士の京都在住の構造 https://t.co/9vq1wgmgCE
血友病について調べてたら面白い話があった。 血友病っていうのは出血時に血が止まらなくなる遺伝疾患なんだけど、ユダヤ教のタルムードには「兄二人が割礼時に死亡したら、三子には割礼を施してはならない」って記述があるらしい。 割礼についての説明は省かせていただく! https://t.co/sfKA3ydmcG
『聾盲記』永正17年2月17日条。細川高国勢が摂津から撤退して京都へ戻る途上、西岡衆の襲撃を受け、柳本宗雄父子が討死した件。謎の「波多野孫三郎」討死を記すのはこの日記だけ? https://t.co/Mp6WMUSX0H
メモ。『『室町遺文』の基礎的研究』(佐伯弘次編、2018~2021年度科学研究費補助金・基礎研究(C)研究成果報告書、2022年3月)。https://t.co/BsFyLhPLgy
馬部隆弘「丹波山国荘の代官設置と三好長尚」https://t.co/B6e7hzXsmN 公開されていた。戦国期の畿内近国における荘園代官の位置づけを考える上でも大変興味深い内容だ。 https://t.co/U6a0D4bfvW
馬部隆弘「細川晴元内衆の内訌と山城下郡支配」『大坂大谷大学紀要』(56) #こんな論文がありました ブログ記事でも触れられているように早速PDF公開されていますね https://t.co/4vN41vBaDl
PDF公開。格和賢「南北朝期における土岐氏の在京活動」(『大正大学大学院研究論集』46、2022年3月)頼康期における土岐氏の在京活動を貞治年間から応安3年まで検討。舎弟・被官についても着目し、将軍への奉仕および京都代官を中心に考察する。https://t.co/w1T5gpLfvg #こんな論文がありました
武田信也「武家故実の地方展開に関する一考察(1) : 小笠原家の豊後下向とその景気」 大友氏に武家故実を伝授した刑部少輔家を中心に、京都小笠原氏の系譜やそれぞれの動向について検討されています。京都小笠原氏について知りたい方は必読の内容です。 https://t.co/bMhrxu4wKE
参考論文をいくつか挙げておきます。まずは、大坪舞「近衞前久が継承した鷹の言説 : 『鷹百首』と『皇鷹記』の引用書目の検討を通して」 細川高国が小笠原流弓馬故実および鷹狩の伝承に果たした役割の大きさがよく分かる内容です。 https://t.co/VH4IZ1uYJN
『今井宗久茶湯日記抜書』偽書説まとめ(神津朝夫「『今井宗久茶湯日記抜書』の正体」『茶書研究』9) ・天正15年の北野大茶会がなぜか天正13年にされている ・『天王寺屋会記』に記される宗久参加茶会で不掲載のものが多い https://t.co/U5Py3zRK3l
@gutter_ballet_ こちらの論文によると細川政誠は、明応の政変後も文亀3年まで毎年のように近衛家へ年末年始の挨拶に訪れているそうで、註によると子息の誠久は明応2年2月1日に弥五郎、文亀3年7月23日に治部少輔、永正元年12月27日に伊豆守を名乗っていたとあります。が、これも…。 https://t.co/mPj5cK5FSD
@gutter_ballet_ であれば、こちらの論文の史料に一色七郎、本郷与三郎と共に近衛家を訪れて遊興したという細川治部少輔も、政誠ではなさそう。一色式部少輔、本郷宮内少輔ら奉公衆の同僚のようで、これが永正年間に比定されている益田治部少輔(宗兼)宛書状の細川治部少輔誠久でしょうか。 https://t.co/B0kIvEqbkz

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