志末与志 (@shima_126)

投稿一覧(最新100件)

@mysmysmysmysa3 京兆家被官に見える山中氏についてはネット上でも読める論文ありまっせhttps://t.co/dvdIOFMrvJ
RT @QmHSxpgqThzrxfk: 信長と信勝の関係がなぜ破綻していったかをまとめた論文がPDF公開されてるのを見つけました。面白かったので投下します。要求される前提知識は麒麟見てれば補えます。 #麒麟がくる 村岡幹生「今川氏の尾張進出と弘治年間前後の織田信長・織田信勝…
『宇治拾遺』編者論に展望を置くのはなかなか奇特やな(貶しているわけではない)https://t.co/Ecql6oZkZr
RT @washou3956: メモ。阿部匡伯「十河一存の畿内活動と三好権力」(『龍谷大学大学院文学研究科紀要』41、2019年)※「十河一存」の読みは「そごうかずまさ」。なお、同誌はいずれ龍谷大学の機関リポジトリで公開する。https://t.co/sTVl4y2jeQ #こ…

6 0 0 0 OA 大日本古文書

永禄3年10月15日付で観心寺に禁制を出した「右衛門大夫」って誰だ?松永久通とされているようだが、久通は右衛門大夫を名乗ったことがないし、花押も別のものに見えるhttps://t.co/mmx7lJyCPu https://t.co/ftyDHrTWw4
RT @merontomikan: 複雑で何とも形容し難い、この微妙なあり様を、とても繊細に描いてくれるだろうと思っています。 今日の参考文献は「戦国期美濃国における後斎藤氏権力の展開」です▼ 特に第1章・第3節「道三・義龍の二重権力」をご参照ください。 https://t.c…
内容としては「丹波に近衛前久が行ったようなので、申し合わせたように忠節をせよ」。天正元年(1573)義昭が追放される中かつて政敵であった近衛前久との連携を探った文書と推測されているhttps://t.co/hzPSvZFKOy
@raisoku_123 どうも先日からイチャモンおじさんみたいになってて恐縮ですが、元常と藤孝に養子関係はない、ということですね。学術論文になってしまいますけど、山田康弘「細川幽斎の養父について」(『日本歴史』730)をお読みいただければ納得いただけるかとhttps://t.co/TskJMs7VdI
RT @mysmysmysmysa3: 2月1日 長政の乱からの、上京下京での本願寺取次の新旧取次対決。木沢派古津VS高畠。 あとでよむ 「天文期木沢長政の動向」https://t.co/7Hmzkk0cnu #三好長慶周辺今日は何の日
@mysmysmysmysa3 馬部先生の論文読まれました?未読なら是非https://t.co/gNTWrj6Zxm
RT @holy_sengoku: 近衛前久は織田信長と鷹狩を通じて交流したことで有名ですが、こちらの論文によると、前久が著した鷹書でたびたび引用されている『諸木抄』は、細川高国が著した武家故実書だそうです。高国は幼少の頃より将軍の弓馬師範を務めていた小笠原政清・尚清父子に師事…
RT @holy_sengoku: 足利義輝の鎧姿とくれば、まず連想するのは、足利将軍家重代の鎧「御小袖」のこと。『江陽屋形年譜』が永禄の変における義輝の御小袖着用を伝えているそうですが、同時代史料によると、御小袖の唐櫃は伊勢貞助に警固されて禁中に預けられ、その後は三好家が管理…
石川美咲先生については、「戦国期美濃後斎藤氏の外交と家臣団編成」における、義龍死後の家臣団編成の報告も、斎藤・三好同盟の部分や長井隼人佐の登場経緯などものすごく気になるところも多いので、こちらもそのうち論文化されて読めればいいですね https://t.co/KaHn8e0fKP
石川美咲「戦国期土岐・後斎藤氏の美濃支配 : 用水相論を事例に」。真桑用水の相論への土岐氏と後斎藤氏の対処の違いを通して権力体としての支配の違いについて述べられた論考https://t.co/NTqJ2jThRD
RT @holy_sengoku: Webで読める京兆家と摂津国人の関係論文で気になったものをいくつか。森田恭二「摂津国人茨木氏の盛衰」 https://t.co/xnw9WX1uak
RT @quiriu_pino: こんな論文が出てたようです。 飛鳥井 拓「片山文書」と丹波国和知荘片山氏の動向」 丹波 / 丹波史談会 編 (20):2018 p.20-43 https://t.co/PL7Uff2KaL
@Borodobro 細川人脈で見える山中氏については論文ありますよ。PDF公開もされているので見ておいて損はないかと。すでにご存知ならすみませんがhttps://t.co/SEYVNHN9X5
RT @holy_sengoku: 先の論文で使われている蛸地蔵伝承関連の史料紹介。『天性寺聖地蔵尊縁起』絵巻からの翻刻あり。「天正年中に、松浦肥前守殿此城主たる時、紀州根来雑賀の逆党にはかに軍を起して、当国に馳入城に押寄たり、城主元来軍謀を究め」と、松浦肥前守を称える言葉は一…
RT @holy_sengoku: 『蛸地蔵縁起絵巻』になぜ当時すでに死去していたと思われる「松浦肥前守」が城主として登場するのかを、いくつかの蛸地蔵伝承との異同から考察されている論文がありました。しかし、ここでも松浦肥前守=松浦守との解釈に留まり、松浦光の存在は認識されていな…
馬部隆弘「丹波片山家文書と守護代内藤国貞」https://t.co/mdzlpShuaf いつの間にかPDF公開されてました。 >史料にしばしば登場するも、何者なのかよくわからない人物が畿内の戦国史には非常に多く残されている 冒頭からそれなボタン連打したい勢い
RT @yougoha: 馬部先生の「名物刀剣「義元(宗三)左文字」の虚実」(大阪大谷大学紀要53)、いつの間にか公開されとるやん! https://t.co/za7AwszGW2
松山重治の論文と言えば、文化面からちょっと光を当てたものがあり、若干イメージが変わりますね(機関リポジトリで読めます)https://t.co/max94xJWea
RT @holy_sengoku: 興味深い論文。三好長慶の菩提所である大徳寺聚光院の成立経緯を考察されていますが、永禄の変前後の三好家の状況を把握して丁寧に書かれています。三好家について先行研究だけでなく東大史料編纂所のDBで独自に調査されたとのことで、註での考察も充実してい…
CiNii 論文 -  足利義量<御方衆>考 https://t.co/XpOMZXjfOH #CiNii 義量も論文はあった
CiNii 論文 -  室町前期における足利満詮流の政治的地位 : 武家護持僧化と准后宣下 https://t.co/WJl97I0bpL #CiNii 満詮ですら論文があった
RT @tarareba722: 1936年発行の「就職相談」って本を読んでたら「高等教育を受ける人が増えれば(文系)事務職の就職先は必ず足りなくなる」と断言してて、80年前に分かってたなら何か対策しろよと思ってしまった。 http://t.co/mHdwTtFeZm http…

お気に入り一覧(最新100件)

やっぱ御本人が反論されたよな(今更知った)諫早書評だけ書評じゃなかったけど、近年こういう同業者多いから、こういう本気の反論は勉強になる。とても厳しく学者としての在り方を示した名文です。 https://t.co/m1i4JeY1es
1937年とか古い本だなーと思って検索したら普通にデジタルコレクションにあった、、、 田村左源太『阿波大西氏研究』 https://t.co/btuxka0JoI
中平氏は高森も今村紀伊守についても比定されていないけれど、 田村左源太『阿波大西氏研究』 https://t.co/2izEmkM9XG が高森を覚用弟、今村紀伊守を伊予宇摩郡の今村氏とみていることを紹介している
メモ。阿部匡伯「十河一存の畿内活動と三好権力」(『龍谷大学大学院文学研究科紀要』41、2019年)※「十河一存」の読みは「そごうかずまさ」。なお、同誌はいずれ龍谷大学の機関リポジトリで公開する。https://t.co/sTVl4y2jeQ #こんな論文が出ていたようです
政基下向については拙論「戦国期の荘園領主と請文 : 九条政基帰京後の日根荘」 https://t.co/03dJeHQrJV を書いたのですが、志賀節子先生の著作『中世荘園制社会の地域構造』 https://t.co/JVTUe0PbkP #CiNii も詳しいと思います。 ひょっとしたら近々何かしらご案内できるかも知れません。
政基下向については拙論「戦国期の荘園領主と請文 : 九条政基帰京後の日根荘」 https://t.co/03dJeHQrJV を書いたのですが、志賀節子先生の著作『中世荘園制社会の地域構造』 https://t.co/JVTUe0PbkP #CiNii も詳しいと思います。 ひょっとしたら近々何かしらご案内できるかも知れません。

フォロー(442ユーザ)の投稿一覧(直近7日間)

出奔した前将軍義稙と大内義興の連携を見出すとともに、永正13年とされてきた島津氏による三宅国秀の殺害事件を義稙vs義晴の構図で捉え、義稙政権が崩壊した永正18年から、大内義隆と義晴政権の和睦が成立する享禄3年までの間に起きた事件と推測されている方もいます。 https://t.co/iRrL8WsPTW
RT @truetrueno111: 堺の解説にあった「大内氏の滅亡により、遣明船貿易が断絶する」 大内氏と遣明船…こんな研究が。勘合の意味が良くわかります。遣明船と言えば一条氏も。 CiNii 論文 -  「堺渡唐船」と戦国期の遣明船派遣 https://t.co/5ebu…
RT @holy_sengoku: 最近、こんな論文が公開されているのに気付きました。義晴期の内談衆などはよく知られてますが、その前提となる義稙期の幕府の法と訴訟制度を考察されています。素人には難解な内容ですが、義稙前期と後期、そして義晴期の審理手続きの違いにも注目されていて、…
こちらも義稙関連情報を含む論文。飛鳥井家からの『和歌条々』と『蹴鞠条々』の武家への伝授者リスト、飛鳥井雅俊から永正8年2月の義稙に次いで、永正12年2月には畠山順光に『和歌条々』が伝授されているのが個人的ポイント。 https://t.co/BCm3Mfn62p
最近、こんな論文が公開されているのに気付きました。義晴期の内談衆などはよく知られてますが、その前提となる義稙期の幕府の法と訴訟制度を考察されています。素人には難解な内容ですが、義稙前期と後期、そして義晴期の審理手続きの違いにも注目されていて、興味深いです。 https://t.co/JQcbHkeCuT
TLでも何度か話題に上っていた論文ですが、室町期から戦国期にかけての家格意識を考える上で必読の内容でした。戦国期に至ってもなお足利一門と非足利一門間の格差が認識されていた事実を提示されています。それが、将軍自身の実力者優遇によって結果的に壊されたという流れ。 https://t.co/a4rDexOnrd

フォロワー(702ユーザ)の投稿一覧(直近7日間)

出奔した前将軍義稙と大内義興の連携を見出すとともに、永正13年とされてきた島津氏による三宅国秀の殺害事件を義稙vs義晴の構図で捉え、義稙政権が崩壊した永正18年から、大内義隆と義晴政権の和睦が成立する享禄3年までの間に起きた事件と推測されている方もいます。 https://t.co/iRrL8WsPTW
RT @truetrueno111: 堺の解説にあった「大内氏の滅亡により、遣明船貿易が断絶する」 大内氏と遣明船…こんな研究が。勘合の意味が良くわかります。遣明船と言えば一条氏も。 CiNii 論文 -  「堺渡唐船」と戦国期の遣明船派遣 https://t.co/5ebu…
RT @holy_sengoku: 最近、こんな論文が公開されているのに気付きました。義晴期の内談衆などはよく知られてますが、その前提となる義稙期の幕府の法と訴訟制度を考察されています。素人には難解な内容ですが、義稙前期と後期、そして義晴期の審理手続きの違いにも注目されていて、…
RT @holy_sengoku: こちらも義稙関連情報を含む論文。飛鳥井家からの『和歌条々』と『蹴鞠条々』の武家への伝授者リスト、飛鳥井雅俊から永正8年2月の義稙に次いで、永正12年2月には畠山順光に『和歌条々』が伝授されているのが個人的ポイント。 https://t.co/…
こちらも義稙関連情報を含む論文。飛鳥井家からの『和歌条々』と『蹴鞠条々』の武家への伝授者リスト、飛鳥井雅俊から永正8年2月の義稙に次いで、永正12年2月には畠山順光に『和歌条々』が伝授されているのが個人的ポイント。 https://t.co/BCm3Mfn62p
最近、こんな論文が公開されているのに気付きました。義晴期の内談衆などはよく知られてますが、その前提となる義稙期の幕府の法と訴訟制度を考察されています。素人には難解な内容ですが、義稙前期と後期、そして義晴期の審理手続きの違いにも注目されていて、興味深いです。 https://t.co/JQcbHkeCuT
TLでも何度か話題に上っていた論文ですが、室町期から戦国期にかけての家格意識を考える上で必読の内容でした。戦国期に至ってもなお足利一門と非足利一門間の格差が認識されていた事実を提示されています。それが、将軍自身の実力者優遇によって結果的に壊されたという流れ。 https://t.co/a4rDexOnrd