志末与志 (@shima_126)

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馬部隆弘「山城国人狛氏と一族の地域的展開」『大阪大谷大学紀要』57号、2023年2月 #こんな論文がありました PDF公開されました。山城の狛氏について出自が渡辺党であり、摂津守護代薬師寺氏の与力や六角氏被官の狛氏も同族であると示す、基礎的な研究となります https://t.co/sdDgOtiGnu
RT @nknatane: 小池辰典『戦国期初頭の将軍と大名』(東洋大学博士論文、2022年3月) https://t.co/bN0GMfAUhl
RT @baneon: 10代当主=政春とするのは https://t.co/8VGqNJ7m3m 『和歌山県田辺町誌』106頁など。1971年出版の本だけど1930年の本の復刻版。
RT @yougoha: そんで木沢左衛門大夫という人物の手がかりはあるのかとちょっと調べたらあるじゃん、弓倉先生の本で既に指摘されて、馬部先生の「畠山家における奉書の展開と木沢家の出自」(以下PDF参照)でも触れられている書状が https://t.co/rqieew0g8I
RT @noimago: 伊丹中世史料 https://t.co/PvCfRa0EAk 北河原氏!
RT @nknatane: 馬部隆弘「丹波山国荘の代官設置と三好長尚」https://t.co/B6e7hzXsmN 公開されていた。戦国期の畿内近国における荘園代官の位置づけを考える上でも大変興味深い内容だ。
馬部隆弘「細川晴元内衆の内訌と山城下郡支配」『大坂大谷大学紀要』(56) #こんな論文がありました ブログ記事でも触れられているように早速PDF公開されていますね https://t.co/4vN41vBaDl

7 0 0 0 OA 鹿苑日録

RT @a_ri_no_ri: @shima_126 早速の訂正をありがとうございます。該当の鹿苑日録です。https://t.co/y8VPruezdv この82コマにある誕生祈祷が家康の将軍就任と同年に始まった祈祷となります。
RT @holy_sengoku: ただ、フロイスは永禄5年時点、挙兵に至る前の伊勢貞孝を「公方様自身の後見人を務め、公方様から大いに畏敬され寵愛されている伊勢守殿」などと書き残しているらしいので、義輝と貞孝が一貫して険悪だったという説との整合性が気になるところです。※参考論文…
『今井宗久茶湯日記抜書』偽書説まとめ(神津朝夫「『今井宗久茶湯日記抜書』の正体」『茶書研究』9) ・天正15年の北野大茶会がなぜか天正13年にされている ・『天王寺屋会記』に記される宗久参加茶会で不掲載のものが多い https://t.co/U5Py3zRK3l
@raisoku_123 あっ…(察し)。『今井宗久茶湯日記抜書』は近年偽書という指摘がされているので、史料として用いるのは避けれていますねhttps://t.co/U5Py3zRK3l

2 0 0 0 OA 多聞院日記

@k_koushu https://t.co/iBNOBTFkO3

1 0 0 0 OA 花押譜 7巻

『花押譜』、三好宗渭の正体に普通に気付いてるやんけ!(改名順序を政生→政勝としてるのは間違っているが)https://t.co/T1y0abqAY7
RT @Kozikagami: PDFも解禁されたみたいですね 馬部隆弘「江口合戦への道程―三好長慶と細川晴元の思惑―」(『大阪大谷大学歴史文化研究』21号 2021年) https://t.co/0ij919GrAK
最古の論文が「若狭における封建革命」なのはちょっと笑ってしまった。何を見立ててるのかはわからないが、若狭における封建革命ですか…https://t.co/f5X0CPfpYO
今日TLの一部で話題になっていた綿田氏の聚光院論文の注で宝鏡寺理源の三好義継との結婚を否定されていた話。私もこの件に関しては詳しく調べてはいないので、話半分に聞いてほしいが、私見としては注に述べられている内容は誤読だと思っているhttps://t.co/rgrQlJgUda

12 0 0 0 OA 耳比磨利帖

今日ぼけーっとしてたらたぶんこれまでの三好氏研究では触れられたことがない(戦国遺文でも自治体史でもたぶん未収)文書を見つけたんですけど、これですhttps://t.co/MPXIBjpRIw
@k_koushu 小和田先生の動画のコメントを読む限り、裏書も既出のようです。https://t.co/eeizqznohn
@mysmysmysmysa3 京兆家被官に見える山中氏についてはネット上でも読める論文ありまっせhttps://t.co/dvdIOFMrvJ
RT @QmHSxpgqThzrxfk: 信長と信勝の関係がなぜ破綻していったかをまとめた論文がPDF公開されてるのを見つけました。面白かったので投下します。要求される前提知識は麒麟見てれば補えます。 #麒麟がくる 村岡幹生「今川氏の尾張進出と弘治年間前後の織田信長・織田信勝…
『宇治拾遺』編者論に展望を置くのはなかなか奇特やな(貶しているわけではない)https://t.co/Ecql6oZkZr
RT @washou3956: メモ。阿部匡伯「十河一存の畿内活動と三好権力」(『龍谷大学大学院文学研究科紀要』41、2019年)※「十河一存」の読みは「そごうかずまさ」。なお、同誌はいずれ龍谷大学の機関リポジトリで公開する。https://t.co/sTVl4y2jeQ #こ…

9 0 0 0 OA 大日本古文書

永禄3年10月15日付で観心寺に禁制を出した「右衛門大夫」って誰だ?松永久通とされているようだが、久通は右衛門大夫を名乗ったことがないし、花押も別のものに見えるhttps://t.co/mmx7lJyCPu https://t.co/ftyDHrTWw4
RT @merontomikan: 複雑で何とも形容し難い、この微妙なあり様を、とても繊細に描いてくれるだろうと思っています。 今日の参考文献は「戦国期美濃国における後斎藤氏権力の展開」です▼ 特に第1章・第3節「道三・義龍の二重権力」をご参照ください。 https://t.c…
内容としては「丹波に近衛前久が行ったようなので、申し合わせたように忠節をせよ」。天正元年(1573)義昭が追放される中かつて政敵であった近衛前久との連携を探った文書と推測されているhttps://t.co/hzPSvZFKOy
@raisoku_123 どうも先日からイチャモンおじさんみたいになってて恐縮ですが、元常と藤孝に養子関係はない、ということですね。学術論文になってしまいますけど、山田康弘「細川幽斎の養父について」(『日本歴史』730)をお読みいただければ納得いただけるかとhttps://t.co/TskJMs7VdI
RT @mysmysmysmysa3: 2月1日 長政の乱からの、上京下京での本願寺取次の新旧取次対決。木沢派古津VS高畠。 あとでよむ 「天文期木沢長政の動向」https://t.co/7Hmzkk0cnu #三好長慶周辺今日は何の日
@mysmysmysmysa3 馬部先生の論文読まれました?未読なら是非https://t.co/gNTWrj6Zxm
RT @holy_sengoku: 近衛前久は織田信長と鷹狩を通じて交流したことで有名ですが、こちらの論文によると、前久が著した鷹書でたびたび引用されている『諸木抄』は、細川高国が著した武家故実書だそうです。高国は幼少の頃より将軍の弓馬師範を務めていた小笠原政清・尚清父子に師事…
RT @holy_sengoku: 足利義輝の鎧姿とくれば、まず連想するのは、足利将軍家重代の鎧「御小袖」のこと。『江陽屋形年譜』が永禄の変における義輝の御小袖着用を伝えているそうですが、同時代史料によると、御小袖の唐櫃は伊勢貞助に警固されて禁中に預けられ、その後は三好家が管理…
石川美咲先生については、「戦国期美濃後斎藤氏の外交と家臣団編成」における、義龍死後の家臣団編成の報告も、斎藤・三好同盟の部分や長井隼人佐の登場経緯などものすごく気になるところも多いので、こちらもそのうち論文化されて読めればいいですね https://t.co/KaHn8e0fKP
石川美咲「戦国期土岐・後斎藤氏の美濃支配 : 用水相論を事例に」。真桑用水の相論への土岐氏と後斎藤氏の対処の違いを通して権力体としての支配の違いについて述べられた論考https://t.co/NTqJ2jThRD
RT @holy_sengoku: Webで読める京兆家と摂津国人の関係論文で気になったものをいくつか。森田恭二「摂津国人茨木氏の盛衰」 https://t.co/xnw9WX1uak
@Borodobro 細川人脈で見える山中氏については論文ありますよ。PDF公開もされているので見ておいて損はないかと。すでにご存知ならすみませんがhttps://t.co/SEYVNHN9X5
RT @holy_sengoku: 先の論文で使われている蛸地蔵伝承関連の史料紹介。『天性寺聖地蔵尊縁起』絵巻からの翻刻あり。「天正年中に、松浦肥前守殿此城主たる時、紀州根来雑賀の逆党にはかに軍を起して、当国に馳入城に押寄たり、城主元来軍謀を究め」と、松浦肥前守を称える言葉は一…
RT @holy_sengoku: 『蛸地蔵縁起絵巻』になぜ当時すでに死去していたと思われる「松浦肥前守」が城主として登場するのかを、いくつかの蛸地蔵伝承との異同から考察されている論文がありました。しかし、ここでも松浦肥前守=松浦守との解釈に留まり、松浦光の存在は認識されていな…
馬部隆弘「丹波片山家文書と守護代内藤国貞」https://t.co/mdzlpShuaf いつの間にかPDF公開されてました。 >史料にしばしば登場するも、何者なのかよくわからない人物が畿内の戦国史には非常に多く残されている 冒頭からそれなボタン連打したい勢い
RT @yougoha: 馬部先生の「名物刀剣「義元(宗三)左文字」の虚実」(大阪大谷大学紀要53)、いつの間にか公開されとるやん! https://t.co/za7AwszGW2
松山重治の論文と言えば、文化面からちょっと光を当てたものがあり、若干イメージが変わりますね(機関リポジトリで読めます)https://t.co/max94xJWea
RT @holy_sengoku: 興味深い論文。三好長慶の菩提所である大徳寺聚光院の成立経緯を考察されていますが、永禄の変前後の三好家の状況を把握して丁寧に書かれています。三好家について先行研究だけでなく東大史料編纂所のDBで独自に調査されたとのことで、註での考察も充実してい…
CiNii 論文 -  足利義量<御方衆>考 https://t.co/XpOMZXjfOH #CiNii 義量も論文はあった
CiNii 論文 -  室町前期における足利満詮流の政治的地位 : 武家護持僧化と准后宣下 https://t.co/WJl97I0bpL #CiNii 満詮ですら論文があった
RT @tarareba722: 1936年発行の「就職相談」って本を読んでたら「高等教育を受ける人が増えれば(文系)事務職の就職先は必ず足りなくなる」と断言してて、80年前に分かってたなら何か対策しろよと思ってしまった。 http://t.co/mHdwTtFeZm http…

お気に入り一覧(最新100件)

ただ、フロイスは永禄5年時点、挙兵に至る前の伊勢貞孝を「公方様自身の後見人を務め、公方様から大いに畏敬され寵愛されている伊勢守殿」などと書き残しているらしいので、義輝と貞孝が一貫して険悪だったという説との整合性が気になるところです。※参考論文はこちら https://t.co/8jTRoXywTK
馬部隆弘『江口合戦への道程』河原林オタ(?)必読の内容でした!三好長慶が離反した理由の一つに挙げられる、牢人であった瓦林対馬守春信が細川晴元に起用された件が採り上げられ、天文の乱以前まで遡って一連の動向を追いつつ、対馬守正頼からの系譜も検討されています。 https://t.co/Ny5CkA5eHx
宇津が山国荘民の生活安定のためにがんばってるとこ見てて… J-STAGE Articles - 中近世移行期における村落と領主の関係https://t.co/sCd9D1VBPD
桑田郡の市原氏所蔵の「土岐一流一原氏本伝」に頼顕から頼重まで宇津4代の活躍書かれてるのが元らしい 無茶苦茶なんだけど史実に沿ってるとこもまぁまぁある… https://t.co/mKgABH6pLE
@shima_126 浦上祐宗については、水野恭一郎先生のこちらの論文以来、安富元家の子息という解釈で確定的な状況だと思います。『弘法寺文書』の古系図と『蔭凉軒日録』の記述内容の一致が決め手となっているようです。 https://t.co/8gP2x4rJSg

125 0 0 0 OA 寛政重脩諸家譜

本多正信が松永久秀に仕えたって話、ソースはなんじゃろか。 『藩翰譜』には「正信松永が許に仕へたりしにや詳ならぞ(ず?)」とあるので、仕えたかどうか不明。 https://t.co/9zyEPA8mwc 『寛政重修諸家譜』だと正信が京都に行ったパート自体ない。 https://t.co/iE8F9h5As9

9 0 0 0 OA 藩翰譜

本多正信が松永久秀に仕えたって話、ソースはなんじゃろか。 『藩翰譜』には「正信松永が許に仕へたりしにや詳ならぞ(ず?)」とあるので、仕えたかどうか不明。 https://t.co/9zyEPA8mwc 『寛政重修諸家譜』だと正信が京都に行ったパート自体ない。 https://t.co/iE8F9h5As9
1937年とか古い本だなーと思って検索したら普通にデジタルコレクションにあった、、、 田村左源太『阿波大西氏研究』 https://t.co/btuxka0JoI
中平氏は高森も今村紀伊守についても比定されていないけれど、 田村左源太『阿波大西氏研究』 https://t.co/2izEmkM9XG が高森を覚用弟、今村紀伊守を伊予宇摩郡の今村氏とみていることを紹介している
政基下向については拙論「戦国期の荘園領主と請文 : 九条政基帰京後の日根荘」 https://t.co/03dJeHQrJV を書いたのですが、志賀節子先生の著作『中世荘園制社会の地域構造』 https://t.co/JVTUe0PbkP #CiNii も詳しいと思います。 ひょっとしたら近々何かしらご案内できるかも知れません。
政基下向については拙論「戦国期の荘園領主と請文 : 九条政基帰京後の日根荘」 https://t.co/03dJeHQrJV を書いたのですが、志賀節子先生の著作『中世荘園制社会の地域構造』 https://t.co/JVTUe0PbkP #CiNii も詳しいと思います。 ひょっとしたら近々何かしらご案内できるかも知れません。
近江の山中氏、ちょいちょい名前見かけるので詳しく知れるものがないかと思ってたら、既にこんな論文があったらしい J-STAGE Articles - 両山中氏と甲賀「郡中惣」 https://t.co/9NQ16KBR25

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