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179@擁護派
179@擁護派 (
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投稿一覧(最新100件)
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孝明新政府における新選組の位置
RT @okapia_feb01: 新選組がいいオチになってるけど、ベタなことをあえて言うと新選組も「当然」尊皇攘夷のために結成されてその意志を持ち、解散まで主観的には全く変わらないんですよね。京都に残るの決めた時点で、その決意はかなり固い。 #今日の論文 『孝明新政府における…
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山城国人狛氏と一族の地域的展開
RT @shima_126: 馬部隆弘「山城国人狛氏と一族の地域的展開」『大阪大谷大学紀要』57号、2023年2月 #こんな論文がありました PDF公開されました。山城の狛氏について出自が渡辺党であり、摂津守護代薬師寺氏の与力や六角氏被官の狛氏も同族であると示す、基礎的な研究と…
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室町幕府山城国支配の展開と山城守護 南北朝・室町期を中心に
RT @washou3956: J-STAGE Articles - 室町幕府山城国支配の展開と山城守護 https://t.co/9d8d3tz73U
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中世後期讃岐における国人・土豪層の贈答・文化芸能活動と地域社会秩序の形成(上)
RT @washou3956: PDF公開。溝渕利博「中世後期讃岐における国人・土豪層の贈答・文化芸能活動と地域社会秩序の形成(上)」(『高松大学・高松短期大学研究紀要』79、2023年1月)安富・香西・水主・香川氏等と在地寺社・芸能との関係に触れているのが興味深い。https…
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日本武術神妙記
RT @na_mitsuki: ちなみに近デジで読める https://t.co/5Sy6Tezyz3
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中世の讃岐国人香西氏についての研究
RT @holy_sengoku: 香西氏の最新まとめはこちらにありました。勝賀城跡の調査に従事されている、田中健二先生の考察です。2022年9月30日発行! 田中健二「中世の讃岐国人香西氏についての研究」 https://t.co/IpwtYMRdUi
RT @am2nkm_A: これは既出? 中村知裕「筑前秋月氏の文化的事跡と一族の活動」(『筑紫女学園人間文化研究所年報』32、2021) https://t.co/KQioVVtnmV
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戦国期初頭の将軍と大名
戦国期初頭の将軍と大名 https://t.co/PbgoZyHLTK
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戦国期初頭の将軍と大名
RT @nknatane: 小池辰典『戦国期初頭の将軍と大名』(東洋大学博士論文、2022年3月) https://t.co/bN0GMfAUhl
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和歌山県日高郡誌
RT @baneon: 「政岸」、直光の入道名だった(『和歌山県日高郡誌』1166頁 https://t.co/6TzVp7I8tR )。直光の肖像画、坊主から微妙に髪伸びた風だと思ったらそういうことか。というか僧衣着てたわ
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和歌山県田辺町誌
RT @baneon: 10代当主=政春とするのは https://t.co/8VGqNJ7m3m 『和歌山県田辺町誌』106頁など。1971年出版の本だけど1930年の本の復刻版。
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畠山家における奉書の展開と木沢家の出自
そんで木沢左衛門大夫という人物の手がかりはあるのかとちょっと調べたらあるじゃん、弓倉先生の本で既に指摘されて、馬部先生の「畠山家における奉書の展開と木沢家の出自」(以下PDF参照)でも触れられている書状が https://t.co/rqieew0g8I
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和歌山県史
https://t.co/OVVAvi5gyo 今は個人送信で見られるようになった「湯河家文書(東京都)」の平仮名ばかりで読みづらいことでおなじみ(おなじみ?)の2月13日湯河式部少輔宛て畠山稙長書状。腰据えて解読しようとして気づいたことがある
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有田市誌
元はと言えば畠山氏と姻戚結んでたという宮崎氏について知りたかったんだけど、「有田市誌」に昔のことながら詳細に調べたものがあって凄く助かった https://t.co/ThIvYi7Ntp
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石山本願寺日記
今更だけど、国会図書館のインターネット提供によって天文日記(石山本願寺日記)もネットで読めるようになる日が来たんだな https://t.co/T2efO2jhWH
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三春町史
RT @noimago: 三春町史. 第8巻 (近世資料 1 資料編 2) https://t.co/P4xAWMmhp1 ええっ、細川昭元の子孫が!? …これは有名か。
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摂津市史
RT @noimago: 摂津市史. 史料編 1 https://t.co/LpCuq14iDE ええっ、瓦林越後守の子孫が!?
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津軽藩旧記伝類
RT @noimago: 津軽藩旧記伝類 https://t.co/uSsKCHfiAQ ええっ、山中鹿介の子孫が!?
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戦国軍記の新史料 : 「畠山実記」(「高野合戦雑記」)の紹介
RT @baneon: 平三郎左衛門尉で検索したらあった、加地宏江「 戦国軍記の新史料 : 「畠山実記」(「高野合戦雑記」)の紹介」『人文論究』32巻1号、1982年(関西学院大学リポジトリ) https://t.co/IAmV6atUnl なるほど平三郎左衛門尉知茂…
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丹波山国荘の代官設置と三好長尚
RT @nknatane: 馬部隆弘「丹波山国荘の代官設置と三好長尚」https://t.co/B6e7hzXsmN 公開されていた。戦国期の畿内近国における荘園代官の位置づけを考える上でも大変興味深い内容だ。 https://t.co/U6a0D4bfvW
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細川晴元内衆の内訌と山城下郡支配
RT @shima_126: 馬部隆弘「細川晴元内衆の内訌と山城下郡支配」『大坂大谷大学紀要』(56) #こんな論文がありました ブログ記事でも触れられているように早速PDF公開されていますね https://t.co/4vN41vBaDl
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顕証寺蓮淳とその書状--大小一揆研究序説
RT @yada_gaito: 北西先生の「顕証寺蓮淳とその書状」はネットでも読めるのでよろしければ是非(PDF注意) https://t.co/N72SlZpSmA
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鷹書に現れる人々 : 「(徳丸)宗養奥書本鷹書」の固有名詞
鷹書に現れる人々 : 「(徳丸)宗養奥書本鷹書」の固有名詞 https://t.co/wiINBSWqcY こちらの論文では「山本随心「世俗」の永正16年奥書には、垣屋続成の所望によって「てにをはの大概」を印、後に徳丸成長・宇都堅頼両人の所望に記したという」とあるのだけど、活動年代を絞る材料にならないだろうか
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雑史集
RT @holy_sengoku: 大坂冬の陣での振る舞いで悪評を残してしまった本家の南条元忠に対して、小鴨元清は他家に転出してからも勇将として名を残している点が推薦ポイントです! 『老人雑話』にも、加藤清正の宇土城攻めの逸話に「南条玄沢」として登場しています。 https:/…
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寛政重脩諸家譜
RT @baneon: 小さい文字、寛政重修諸家譜にないっぽい https://t.co/2EmsnTpfGq のは、大日本史料の編纂者が付けた部分だからかな
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大日本史料
RT @baneon: 『大日本史料』にあったー。https://t.co/17XiQdV9HH これの前頁から続いてる部分、『寛政重修諸家譜』の「大橋重保」のところにあったらしい
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大阪大谷大学図書館所蔵史料の紹介
RT @nknatane: 梯信暁・竹本晃・苫名悠・馬部隆弘「大阪大谷大学図書館所蔵史料の紹介」(『大阪大谷大学紀要』55、2021)https://t.co/ax59XS3tDT 醍醐寺地蔵院旧蔵文書や足利直義軍勢催促状、足利政氏書状などの文書、聖教、紹巴・毛利輝元・輝元正…
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伊達政宗の絶縁状
RT @nekonoizumi: PDFあり。 ⇒堀越 祐一 「伊達政宗の絶縁状」 『滝川国文』37巻 (2021) https://t.co/ykrBK4Fpdi
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奉行人奉書にみる細川京兆家の政治姿勢 : 勝元期から政元期にかけてを中心に
RT @holy_sengoku: 『奉行人奉書にみる細川京兆家の政治姿勢』は何度も読み返している好きな論文ですが、"幕府の裁定が覆りそうになって初めて受益者が京兆家に追認を求めている"と、まさにそういう内容です。 https://t.co/iFJxbePJft
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江口合戦への道程 : 三好長慶と細川晴元の思惑
RT @Kozikagami: PDFも解禁されたみたいですね 馬部隆弘「江口合戦への道程―三好長慶と細川晴元の思惑―」(『大阪大谷大学歴史文化研究』21号 2021年) https://t.co/0ij919GrAK
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戦国期における鷹狩 : 足利将軍家・細川京兆家・公家を中心として
RT @washou3956: CiNii 論文 - 戦国期における鷹狩 : 足利将軍家・細川京兆家・公家を中心として https://t.co/k67VPQuzFT #CiNii
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室町幕府外様衆の基礎的研究
RT @SquareDeerHorn: @meiou1493 ありがとうございます! その線で論文見返した所、木下聡先生の論文に「山名民部少輔材氏」という人物がいました 「材」が義稙(義材)の偏諱と考えらえる点や、同じ外様衆の宍道秀藤が同列にある点から見ても合点が行きます 室…
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[資料紹介] 永禄六年北国下り遣足帳
RT @kojima_sakura: 「永禄六年北国下り遣足帳」についての拙稿です。 解説:https://t.co/Fvcvzg8G9y 全文と論文:https://t.co/aw8kDACXgs 論文PDF:https://t.co/YdpxXWukQq 当初の山本光正氏と…
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中世後期の旅と消費 : 『永禄六年北国下り遣足帳』の支出と場(3. 流通・消費の場)
RT @kojima_sakura: 「永禄六年北国下り遣足帳」についての拙稿です。 解説:https://t.co/Fvcvzg8G9y 全文と論文:https://t.co/aw8kDACXgs 論文PDF:https://t.co/YdpxXWukQq 当初の山本光正氏と…
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戦国期・延徳年間における小畠氏の動向--『北野社家日記』を通じて
RT @holy_sengoku: 上記論文で参照されていた、中西裕樹先生の論文。延徳年間というと、小畠七郎貞明が丹波国人一揆で討死して以後の動向ということになるのでしょうか。新九郎光明に至るまでの系譜の手掛かりが得られそう?Webでは非公開ですが、気になります。 https:…
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足利義稙にとっての笙と義満先例 : 将軍権威再建への試行錯誤
RT @washou3956: PDF公開。石原比伊呂「足利義稙にとっての笙と義満先例:将軍権威再建への試行錯誤」(『聖心女子大学論叢』136、2020年12月)足利将軍家の故実のひとつ「笙」(雅楽)と足利義稙との関係から、義稙の政治姿勢の変化を読み取ろうとする論文。https…
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十五世紀中葉における伊勢氏権力構造と被官衆 (中・近世における生業と技術・呪術信仰) -- (内海と生業と技術)
RT @holy_sengoku: 『日本史のまめまめしい知識 第1巻』木下聡先生の「室町幕府において将軍直臣に対して将軍以外が名前の一字を与えること」を読んで気になっていた、伊勢氏から「貞」字を授与されている奉公衆や在国被官に関して、興味深い論文。先行研究を辿る道標としても参…
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中世「名を籠める」文書論--宝珠院現蔵文書のなかの籠名札・調伏札の紹介
RT @washou3956: CiNii 論文 - 中世「名を籠める」文書論--宝珠院現蔵文書のなかの籠名札・調伏札の紹介 https://t.co/G3SxYbBtF0 #CiNii
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故実叢書
RT @tjgp_w57: 三条西実隆は学芸にすぐれた公家だったけれど、いかんせん滑舌は悪かったとか。 実隆が「舌足らず」だったせいで、伊勢物語や源氏物語の「大納言」を「ぢゃあなごん」と読む口伝が生まれた、と近世の随筆に書かれてしまっている。(『安斎随筆』巻之十七、『関秘録』八…
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続群書類従
RT @holy_sengoku: 「むらさきしりかい」(紫尻繋?)に関する覚書で、大永元年3月5日の犬追物の際、細川高国へ「公方様よりならの御ひたゝれとむらさきのそめわけの御しりかいを拝領候て」云々とあるけど、改元前なので大永ではなく永正18年、そしてこの日付は義稙出奔の2日…
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続群書類従
RT @holy_sengoku: Twitter検索で、続群書類従武家部に収められている『伊勢貞助雑記』がNDLで読めることを知りました。「大唐の勘合はかり大内義興再興被申。其勘合ハ大内家に被預置訖。是は各別之儀候。」とか書いてる。礼法といっても、結構その時々の細々とした事を…
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中世後期守護権力の構造に関する比較史料学的研究
RT @merontomikan: 詳しくはこちらの科研の報告書「越前朝倉氏」の項目で論じましたので、最寄りの図書館等でご覧になってください▼ https://t.co/VxjLBehLNg
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今川氏の尾張進出と弘治年間前後の織田信長・織田信勝
RT @QmHSxpgqThzrxfk: 信長と信勝の関係がなぜ破綻していったかをまとめた論文がPDF公開されてるのを見つけました。面白かったので投下します。要求される前提知識は麒麟見てれば補えます。 #麒麟がくる 村岡幹生「今川氏の尾張進出と弘治年間前後の織田信長・織田信勝…
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中世後期守護権力の構造に関する比較史料学的研究
RT @tanonaka2: 「各守護家または国別の守護発給・受給データベースを収録したCD-ROMを添付した報告書を作成する。報告書には、守護職の変遷や各データベース作成の方針、データベースから読み取れる特徴、考察や研究の手引きなどを盛り込んだ解説(解題)を掲げ」るとのこと(…
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十河一存の畿内活動と三好権力
RT @washou3956: メモ。阿部匡伯「十河一存の畿内活動と三好権力」(『龍谷大学大学院文学研究科紀要』41、2019年)※「十河一存」の読みは「そごうかずまさ」。なお、同誌はいずれ龍谷大学の機関リポジトリで公開する。https://t.co/sTVl4y2jeQ #こ…
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戦国期美濃国における後斎藤氏権力の展開
RT @merontomikan: 複雑で何とも形容し難い、この微妙なあり様を、とても繊細に描いてくれるだろうと思っています。 今日の参考文献は「戦国期美濃国における後斎藤氏権力の展開」です▼ 特に第1章・第3節「道三・義龍の二重権力」をご参照ください。 https://t.c…
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土岐頼康と斯波義将ー尾張・三河からみた室町幕府ー
RT @washou3956: PDF公開。松島周一「土岐頼康と斯波義将」(『歴史研究』65、愛知教育大学歴史学会、2019年3月)土岐頼康と尾張国大成庄ならびに斯波義将と三河国山中郷という、室町幕府の有力者と庄園領主である東寺の所領との関係を示す2つの事例から、その特徴を探る…
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アテルイの「首塚」と牧野阪古墳
RT @irutaroh: 馬部先生のアテルイ論文のダウンロード数、異例の数なのでは?!https://t.co/iRCPyoG430
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アテルイの「首塚」と牧野阪古墳
RT @nekonoizumi: 以前から馬部氏が「隠蔽」を行っている等、ツイッターで執拗に攻撃していた某アカウントに対する反論論文だった。自らの論文の前提や姿勢について述べつつ、攻撃の論拠を丁寧に潰していっている。 ⇒馬部隆弘 「アテルイの「首塚」と牧野阪古墳」 『志學臺考古…
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戦国期大名聞外交と将軍
RT @unowen1848: 今回のお話の内容については、山田康弘先生のこの研究ノートがジャストミートな解説になるかと思う。誰でも見れますぜ。 https://t.co/takb3xNy7m
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奥羽大名と越前朝倉氏の通好
RT @kotosakikotoko: 奥羽大名と越前朝倉氏の通好 https://t.co/llb14Hk8w0
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近衞前久が継承した鷹の言説 : 『鷹百首』と『皇鷹記』の引用書目の検討を通して
RT @holy_sengoku: 近衛前久は織田信長と鷹狩を通じて交流したことで有名ですが、こちらの論文によると、前久が著した鷹書でたびたび引用されている『諸木抄』は、細川高国が著した武家故実書だそうです。高国は幼少の頃より将軍の弓馬師範を務めていた小笠原政清・尚清父子に師事…
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五 宗教と文化(中世)(日本)
RT @holy_sengoku: CiNiiではこちらの『史学雑誌』の論文紹介で少し触れられていたものがヒットしましたが、「新出の笠袋・鞍覆免許に関する畠山順光書状三点」とのことで、なんと大永元年に出奔中の義稙から実如側近の頼慶に対して出されたもののようです。めっちゃ気になる…
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曹操の辟召 : 事例の基礎的分析
RT @my_birthday0128: https://t.co/m8n1B1PTzD
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護持山朝光院天性寺所蔵『天性寺聖地蔵尊縁起』および「天性寺地蔵菩薩縁起」五種紹介
RT @holy_sengoku: 先の論文で使われている蛸地蔵伝承関連の史料紹介。『天性寺聖地蔵尊縁起』絵巻からの翻刻あり。「天正年中に、松浦肥前守殿此城主たる時、紀州根来雑賀の逆党にはかに軍を起して、当国に馳入城に押寄たり、城主元来軍謀を究め」と、松浦肥前守を称える言葉は一…
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護持山朝光院天性寺所蔵『天性寺聖地蔵尊縁起』の成立過程 : 地蔵菩薩の利生譚から岸和田城史譚へ
RT @holy_sengoku: 『蛸地蔵縁起絵巻』になぜ当時すでに死去していたと思われる「松浦肥前守」が城主として登場するのかを、いくつかの蛸地蔵伝承との異同から考察されている論文がありました。しかし、ここでも松浦肥前守=松浦守との解釈に留まり、松浦光の存在は認識されていな…
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笙器「達智門」にみる足利義材の近江出陣
RT @holy_sengoku: "武衛三位入道"で検索して見つけた、石原比伊呂先生の論文。足利義材と笙始の話は以前に読みましたが、その続きとなる内容のようです。斯波氏は雅楽に造詣が深く、笙師範の豊原氏とも交流があり、義敏は延徳4年に後土御門天皇が催した「逆修御懺法」でも雅楽…
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越後享禄・天文の乱と長尾氏・中条氏
この手の話で大分衝撃的だったのは、「中条藤資は天文5年の時点で消息が確認できなくなり、その後の中条氏の当主はその後継者の中条弾正忠」という話ですね…… CiNii 論文 - 越後享禄・天文の乱と長尾氏・中条氏 https://t.co/K7bjoJsyy8 #CiNii
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伏見の津田家とその一族
PDF公開されてる大阪大谷大学の論文、見過ごしてた馬部先生の「伏見の津田家とその一族」を読んだ。細川国慶被官の津田経長の出自とされる津田氏について。 https://t.co/vSzRrAlBHO
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奉行人奉書にみる細川京兆家の政治姿勢 : 勝元期から政元期にかけてを中心に
RT @holy_sengoku: 「寺町太郎左衛門」で検索していて見つけた、馬部隆弘先生の論文。昨年発売の鈍器1号にも収録されていますが、Webでも読めたんですね。浜口誠至先生の「細川京兆家奉行人奉書による幕政の補完と代行」に続く内容のようで、冒頭のまとめも参考になります。安…
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「堺渡唐船」と戦国期の遣明船派遣
RT @holy_sengoku: 三宅国秀は遣明船について調べていて知った人物ですが、遣明船といえばこちらの論文も面白かったです。天文年間の遣明船を推進したのは誰だったのか、とか。畿内戦国史をある程度ご存知の方には、楽しめる内容かと。 https://t.co/cEPkruB…
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両山中氏と甲賀「郡中惣」
近江の山中氏、ちょいちょい名前見かけるので詳しく知れるものがないかと思ってたら、既にこんな論文があったらしい J-STAGE Articles - 両山中氏と甲賀「郡中惣」 https://t.co/9NQ16KBR25
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柳本甚次郎と配下の動向
ってことは……と、こっちも公開されていた 柳本甚次郎と配下の動向 https://t.co/r2bEaEERlX
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丹波片山家文書と守護代内藤国貞
RT @shima_126: 馬部隆弘「丹波片山家文書と守護代内藤国貞」https://t.co/mdzlpShuaf いつの間にかPDF公開されてました。 >史料にしばしば登場するも、何者なのかよくわからない人物が畿内の戦国史には非常に多く残されている 冒頭からそれなボタン連…
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中世名族の末流 忍藩士畠山氏研究(1)新発見の畠山系図とその検討
CiNii 論文 - 中世名族の末流 忍藩士畠山氏研究(1)新発見の畠山系図とその検討 https://t.co/WMCh5dOojv #CiNii 調べたら見つかった、これは探してこないと
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延徳三・四年の織田敏定と細川政元--『朝倉家記』所収文書を通して見る十五世紀末の幕府政治と尾張
RT @holy_sengoku: この延徳3年8月を転機とした情勢変化を踏まえて「延徳三・四年の織田敏定と細川政元」を読む。追い詰められていたのは政元の方で、安富元家が面目を失ったとされる件は、六角討伐に消極的な政元の意向を汲まず奮闘した元家が「御代官」を解任されたことを指す…
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名物刀剣「義元(宗三)左文字」の虚実
馬部先生の「名物刀剣「義元(宗三)左文字」の虚実」(大阪大谷大学紀要53)、いつの間にか公開されとるやん! https://t.co/za7AwszGW2
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歌謡文学と茶の湯--堺文化圏と「わび」の心
RT @shima_126: 松山重治の論文と言えば、文化面からちょっと光を当てたものがあり、若干イメージが変わりますね(機関リポジトリで読めます)https://t.co/max94xJWea
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史籍集覧
この辺に絡む材料として「湯川彦衛門覚書」(https://t.co/ilS7E6bDPO)があります、湯川氏を主体と見た由緒なので畠山氏への言及は少ないけど
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中世後期日本貨幣史の再構築―地方史とアジア史の観点から―
RT @kotosakikotoko: 南部密銭史は基本的に江戸期から明治最初期の話だけれども、それ以前から既に鋳造してた可能性あったんじゃねえの? って『中世後期日本貨幣史の再構築』で推測されてて夢が広がりんぐ。 https://t.co/fzPH9kLc13
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中世南部氏の世界--両南部歴代当主の再検討と北奥の戦国領主について
RT @nanbubot2: ●中世南部氏の世界--両南部歴代当主の再検討と北奥の戦国領主について(1987) https://t.co/Rpo9wsggmP
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『上杉本洛中洛外図屏風』の注文時期とその動機に関するノート ─近年の戦国期畿内政治史研究の成果に学ぶ─
RT @holy_sengoku: 伊勢貞孝の失脚については以前 @peraperavit さんが、三好側の意向が強く働いた可能性が高いのではと考察されていましたが (https://t.co/BoaPqoLYXn) こちらの論文にも同様の意見がありますね。 https://t…
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上杉本洛中洛外図屏風注文者 近衛氏の生涯
CiNii 論文 - 上杉本洛中洛外図屏風注文者 近衛氏の生涯 https://t.co/2GLQTsxMUo #CiNii そういやこの論文では久我晴通が義輝母慶寿院に「世上之儀」を諫言するも受け入れられず遁世した件について、直前に義輝と長慶が決裂したことからこの件に近衛氏が関わっていたのではと推測されてますね
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細川氏関係軍記考(一)書誌篇 : 永正期を中心とする
RT @holy_sengoku: なお、『細川両家記』(下巻)が元亀4年(1573)、『足利季世記』が慶長5年(1600)前後、『重編応仁記』が宝永8年(1711)に成立とのこと。参考 https://t.co/rna6sKYoO7 https://t.co/yU0T89Ce…
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永正期を中心とする細川氏関係軍記考(二) : 諸作品の相関関係考
RT @holy_sengoku: なお、『細川両家記』(下巻)が元亀4年(1573)、『足利季世記』が慶長5年(1600)前後、『重編応仁記』が宝永8年(1711)に成立とのこと。参考 https://t.co/rna6sKYoO7 https://t.co/yU0T89Ce…
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書評 金子拓著『織田信長権力論』
RT @washou3956: これについては池上裕子による書評(『史学雑誌』125‐7、2016年)も参照のこと。https://t.co/0ixJaFT5kj
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符瑞「張掖郡玄石図」の出現と司馬懿の政治的立場
司馬懿がむしろ皇帝に迎合する側だったという説はこの論文ですね。あと「曹真残碑」考釈(國士舘東洋史學 1) CiNii 論文 - 符瑞「張掖郡玄石図」の出現と司馬懿の政治的立場 https://t.co/23lRnV5AzB #CiNii
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西晋武帝と伯父・司馬師
この論文で司馬炎が司馬師の立ち位置を懿・昭より意図して低くしていたことが書かれてるけど、そら頭のおかしいブラコン親父のせいで拗れかねない要素残されたらこうするしかないわと、私としてはむしろ司馬炎に同情する CiNii 論文 - 西晋武帝と伯父・司馬師 https://t.co/9Bz5Hek1hh #CiNii
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細川幽斎の出自について
で、この矛盾を「元常の養子」に変えることで世代的には矛盾を無くしたのが18世紀成立の「御家譜」だったようなのだけど、それで思い出したのがこの藤孝の出自の移り変わり詳細に示してるこの論文 CiNii 論文 - 細川幽斎の出自について https://t.co/nma6aCXcCY #CiNii
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細川高国の切腹と大物・富松・京都(史煙)
CiNii 論文 - 細川高国の切腹と大物・富松・京都(史煙) https://t.co/paHLc9dYbx #CiNii 高国と言えばこれ
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大友宗麟の改宗 : その実態と背景
RT @Fransisco1530: 宗麟公、キリスト教に興味なかった 天正6年10月16日 「…非常に優れた生来の資質の中で、我らが彼(宗麟)に見出す顕著な欠点の一つは、如何なる説得によっても、デウスに関する事柄を彼に自ら傾聴しようとさせることが司祭らにはできず…」 htt…
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『晋書』司馬攸伝小考
CiNii 論文 - 『晋書』司馬攸伝小考 https://t.co/dwDj834OsF #CiNii
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西晋武帝と伯父・司馬師
CiNii 論文 - 西晋武帝と伯父・司馬師 https://t.co/TXCi2PEIiZ #CiNii
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小笠原長時の外交活動と同名氏族間交流
RT @holy_sengoku: @holy_sengoku 将軍義輝は帰京以来、少なくとも永禄5年の教興寺の戦いまでは三好政権と協調関係にあり、三好家と上杉家の関係も決して悪くはありませんでした。永禄4年の小笠原長時・貞虎父子の旧領復帰を巡って両者は提携しています。http…
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松永久秀と京都政局 (史学科開設四十周年記念号)
RT @holy_sengoku: また、松永弾正邸の賑やかな左義長の様子に何らかの意図が込められているとすれば、単純に三好・松永を対抗勢力と捉える将軍義輝が上杉謙信に彼らの排除を要請したと見るのも早計ではないかと。幕臣として久秀を義輝に近い志向とする評価もありますし。http…
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大友宗麟の改宗 : その実態と背景
RT @nekonoizumi: 神田千里「大友宗麟の改宗 : その実態と背景」『東洋大学文学部紀要. 史学科篇』(40), 71-110, 2014 PDFあり。 https://t.co/7kqzAdnnXr
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徳川幕府の大名改易政策を巡る一考察-1-
ただ正則の改易に関しては別に徳川が警戒だとかそういうもんではなく、単に地雷原でタップダンスした結果だと思います。肥後加藤家も同様 こちらの論文を呼んだ印象ですが 徳川幕府の大名改易政策を巡る一考察-1- https://t.co/zk0iRqTBGP
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小笠原長時の外交活動と同名氏族間交流
RT @holy_sengoku: @holy_sengoku 「真田丸」から強引に三好トークに持ち込んでみました。情報源は主にこちらの論文→ 村石正行「小笠原長時の外交活動と同名氏族間交流」https://t.co/R0bjL3gGDO
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「天文期木沢長政の動向―細川京兆家・河内義就流畠山氏・大和国をめぐって―」
「天文期木沢長政の動向―細川京兆家・河内義就流畠山氏・大和国をめぐって―」 https://t.co/Bkxohwul1A
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筒井・松永争覇期における大和国在地武士の動向
http://t.co/hxMf2O6MLh 私のそういう疑問に答えてくれる論文はこれね。既存の筒井・松永の動向を巡る誤解に関して概ね同意です
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筒井・松永争覇期における大和国在地武士の動向
http://t.co/hxMf2O6MLh 私のそういう疑問に答えてくれる論文はこれね。既存の筒井・松永の動向を巡る誤解に関して概ね同意です
お気に入り一覧(最新100件)
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山城国人狛氏と一族の地域的展開
馬部隆弘「山城国人狛氏と一族の地域的展開」『大阪大谷大学紀要』57号、2023年2月 #こんな論文がありました PDF公開されました。山城の狛氏について出自が渡辺党であり、摂津守護代薬師寺氏の与力や六角氏被官の狛氏も同族であると示す、基礎的な研究となります https://t.co/sdDgOtiGnu
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陽明文庫資料からの新発見
メモ。全部は確認できていないけど、末柄豊「天文七年飛鳥井家蹴鞠記」(pp.38-41)「近衛稙家書状案(香取民部丞宛):将軍直臣になった問丸」(pp.42-43)の二編を収録と云々。https://t.co/93qHPlpv4j #こんな論文が出ていたようです
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国人古市氏の馬借・関支配について―南山城を中心にして―
古市氏が南山城に進出した経緯については、川岡勉『山城国一揆と戦国社会』に続き、田中慶治『国人古市氏の馬借・関支配について』も再読中。 https://t.co/YK68b6bpGj
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中世の讃岐国人香西氏についての研究
香西氏の最新まとめはこちらにありました。勝賀城跡の調査に従事されている、田中健二先生の考察です。2022年9月30日発行! 田中健二「中世の讃岐国人香西氏についての研究」 https://t.co/IpwtYMRdUi
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和泉市史
「泉邦四県石高寺社旧跡幷地侍伝」の記述で、『和泉市史 第二巻』317頁掲載。https://t.co/1klMdgzVhW 国立国会図書館の個人送信対象のやつなので登録したら見れます。みんな登録しよう
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和歌山県史
https://t.co/JwzEEMccRU 『和歌山県史 人物』513頁の「湯河太郎五郎」、直春の子で丹波守を名乗るってそのまんま光春(勝春)ですね。https://t.co/bBonejB1Jj 比較的最近wikipediaにも記事できてた人
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和歌山県日高郡誌
『和歌山県田辺町誌』の系図は『和歌山県日高郡誌』(大正12)から引いてきたやつかな https://t.co/QgEJfa4feJ こっちには出典書いてあった
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(研究)戦国期大友氏の加判衆と国衆
J-STAGE Articles - (研究)戦国期大友氏の加判衆と国衆 https://t.co/6yat6m60yD
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文科大学史誌叢書
そして今さらながら、『聾盲記』がNDLで読めることに気づきました。書籍名が「文科大学史誌叢書」で出版者が「吉川半七」になっているんですが、この方、吉川弘文館の創業者なんですね。 https://t.co/445TNun914
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丹波山国荘の代官設置と三好長尚
馬部隆弘「丹波山国荘の代官設置と三好長尚」を遅ればせながら一読しました。すでに阿波勢は畿内から退去していたはずの永正10年4月から5月頃の広橋守光の日記に、京兆家領国・丹波山国荘の代官候補として、鳥居重清とともに「三好越後」の名が現れているという話。面白い! https://t.co/tAVXuAPmNE
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高山市史
メモ。『高山市史』第11号(高山市教育委員会、2022年3月)飛騨の中世編。収録内容は、日本の中世史と飛騨/岐阜県の中世史と飛騨/飛騨の中世史年表と系図/飛騨の鎌倉時代/飛騨の室町、南北朝、戦国時代/中世の宗教史、など。要確認。https://t.co/9wYhEfgSx7 #こんな論文が出ていたようです
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武家故実の地方展開に関する一考察(1) : 小笠原家の豊後下向とその景気
武田信也「武家故実の地方展開に関する一考察(1) : 小笠原家の豊後下向とその景気」 大友氏に武家故実を伝授した刑部少輔家を中心に、京都小笠原氏の系譜やそれぞれの動向について検討されています。京都小笠原氏について知りたい方は必読の内容です。 https://t.co/bMhrxu4wKE
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『上杉本洛中洛外図屏風』の注文時期とその動機に関するノート ─近年の戦国期畿内政治史研究の成果に学ぶ─
ただ、フロイスは永禄5年時点、挙兵に至る前の伊勢貞孝を「公方様自身の後見人を務め、公方様から大いに畏敬され寵愛されている伊勢守殿」などと書き残しているらしいので、義輝と貞孝が一貫して険悪だったという説との整合性が気になるところです。※参考論文はこちら https://t.co/8jTRoXywTK
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江口合戦への道程 : 三好長慶と細川晴元の思惑
馬部隆弘『江口合戦への道程』河原林オタ(?)必読の内容でした!三好長慶が離反した理由の一つに挙げられる、牢人であった瓦林対馬守春信が細川晴元に起用された件が採り上げられ、天文の乱以前まで遡って一連の動向を追いつつ、対馬守正頼からの系譜も検討されています。 https://t.co/Ny5CkA5eHx
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国訳禅宗叢書
管領といえば、そろそろ大河ドラマ化も噂されている、細川高国! ぜひ読んでいただきたいのが、『見桃録』に収録されている「三友院殿前右京桓松岳桓公大居士賛」です。あのキュートな肖像画の後ろに書いてあるやつですね。こちらに読み下し文あり。 #室町幕府管領総選挙 https://t.co/54UHGY7pXA
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[資料紹介] 永禄六年北国下り遣足帳
「永禄六年北国下り遣足帳」についての拙稿です。 解説:https://t.co/Fvcvzg8G9y 全文と論文:https://t.co/aw8kDACXgs 論文PDF:https://t.co/YdpxXWukQq 当初の山本光正氏との史料紹介:https://t.co/wLoTJ0QRqE なお、三上喜孝さんの「落書き」の本はこちら。 https://t.co/sDN84klbfm
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中世後期の旅と消費 : 『永禄六年北国下り遣足帳』の支出と場(3. 流通・消費の場)
「永禄六年北国下り遣足帳」についての拙稿です。 解説:https://t.co/Fvcvzg8G9y 全文と論文:https://t.co/aw8kDACXgs 論文PDF:https://t.co/YdpxXWukQq 当初の山本光正氏との史料紹介:https://t.co/wLoTJ0QRqE なお、三上喜孝さんの「落書き」の本はこちら。 https://t.co/sDN84klbfm
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聚光院の成立時期についての一仮説―障壁画作期議論の前提として―
今日TLの一部で話題になっていた綿田氏の聚光院論文の注で宝鏡寺理源の三好義継との結婚を否定されていた話。私もこの件に関しては詳しく調べてはいないので、話半分に聞いてほしいが、私見としては注に述べられている内容は誤読だと思っているhttps://t.co/rgrQlJgUda
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<論説>赤松被官浦上氏についての一考察 : 浦上則宗を中心に
@shima_126 浦上祐宗については、水野恭一郎先生のこちらの論文以来、安富元家の子息という解釈で確定的な状況だと思います。『弘法寺文書』の古系図と『蔭凉軒日録』の記述内容の一致が決め手となっているようです。 https://t.co/8gP2x4rJSg
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五山派禅宗寺院における喝食の編成と動向
こちらの論文には、延徳4年正月、室町殿に近侍する「御前給仕」の補任に際して、蔭凉軒主から披露された書立を見た将軍義材が、天龍寺御前給仕の喝食が細川被官の一族で占められることに不信感を抱いたとあります。義材は近江に在陣中、政元は畠山基家と接近していた時期。 https://t.co/zLKRe2XKMl
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明応年間における足利義澄「政権」の構造に関する一考察 : 山内就綱の六角惣領拝命・近江入部から
ズバリの論文はWebで読めないだけでした。(まさかの論文名でヒット。全文検索しか確認していませんでした…)小池辰典『明応年間における足利義澄「政権」の構造に関する一考察 : 山内就綱の六角惣領拝命・近江入部から』ですが、読めない!掲載誌も在庫なしとのこと。 https://t.co/wF2Qu0O5Gz
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戦国期における守護権力の変質と有力被官 : 近江伊庭氏を事例に
ちなみに山内就綱の動向、義尚期の六角討伐から将軍家分裂期まで尾を引いた六角氏と幕府の微妙な関係、それを一代で大きく変えた六角定頼の功績を理解する上で、重要に感じています。スバリの論文は見つかりませんが、伊庭の乱を扱ったこちらの論文で背景を掴めます。 https://t.co/EHBMwSUQQv
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『桑実寺縁起絵巻』と慶寿院の結婚をめぐって(上)
「飯川山城守国資」で検索していて、小谷量子先生の慶寿院周辺についての新しい論文が公開されていたことに気付きました。上下二部になってますが、こちら上の第一節「桑実寺縁起絵巻』制作時の政治状況」では、大永6年からの情勢が分かりやすくまとめられていました。 https://t.co/Akv98PIQ8E
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戦国期の守護権をめぐって--越前朝倉氏の場合
完全に乗り遅れてますが、朝倉氏が「名門」なのかどうかという話。まず、室町幕府創設期以来の大名の家格ではないのは周知の通りですが、英林孝景の下剋上で越前一国を支配する守護大名(戦国大名?)になったという認識も、たぶん誤り。こちらの論文が参考になります。 https://t.co/sy7kxDjxmy
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耳比磨利帖
今日ぼけーっとしてたらたぶんこれまでの三好氏研究では触れられたことがない(戦国遺文でも自治体史でもたぶん未収)文書を見つけたんですけど、これですhttps://t.co/MPXIBjpRIw
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緒方家の中世文書
将軍義稙贔屓な僕としては、細川澄賢といえば、永正18年4月3日に藤林氏に宛てた軍勢催促状が熱いです。淡路出奔中の将軍義稙が聡明殿(晴元)の供奉で近いうちに上洛するぞって内容で、当時の澄賢の地位が窺えるもの。こちらの論文史料9に、画像と翻刻が掲載されています。 https://t.co/LOLcBIzP6N
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紀伊国名所図会
逆に杉坊明算は津田算長の弟とは、どの史料に出てくるのかと調べたら、とりあえず『紀伊国名所図会』にあった。https://t.co/DkgKg1xwY5 左頁後ろから7行目
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近衞前久が継承した鷹の言説 : 『鷹百首』と『皇鷹記』の引用書目の検討を通して
『麒麟がくる』で近衛前久に興味を持った方、ぜひその勢いでこちらの論文もどうぞ。前久が著した鷹書で歌書としても流布した『鷹百首』の鷹詞に関する注記において、最も多く引用されているのが、将軍義晴の管領を務めた細川高国による武家故実書『諸木抄』だそうです。 https://t.co/VH4IZ1MzBl
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有馬郡守護について
有馬元家の参考論文です。 https://t.co/prF87JfDsf
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中世における和歌と蹴鞠:―伝授書と作法―
こちらも義稙関連情報を含む論文。飛鳥井家からの『和歌条々』と『蹴鞠条々』の武家への伝授者リスト、飛鳥井雅俊から永正8年2月の義稙に次いで、永正12年2月には畠山順光に『和歌条々』が伝授されているのが個人的ポイント。 https://t.co/BCm3Mfn62p
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将軍足利義稙期の幕府訴訟制度について
最近、こんな論文が公開されているのに気付きました。義晴期の内談衆などはよく知られてますが、その前提となる義稙期の幕府の法と訴訟制度を考察されています。素人には難解な内容ですが、義稙前期と後期、そして義晴期の審理手続きの違いにも注目されていて、興味深いです。 https://t.co/JQcbHkeCuT
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続群書類従
Twitter検索で、続群書類従武家部に収められている『伊勢貞助雑記』がNDLで読めることを知りました。「大唐の勘合はかり大内義興再興被申。其勘合ハ大内家に被預置訖。是は各別之儀候。」とか書いてる。礼法といっても、結構その時々の細々とした事を書き残してるんですね。 https://t.co/w1oBSbsIBn
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武家手猿楽の系譜 : 能が武士の芸能になるまで
赤松関係を検索していて見つけた論文。赤松氏が始めた松囃子が武家による手猿楽を定着させた流れが解説されています。京兆家評定衆の秋庭元重が伊勢貞頼も認める手猿楽の名手だったとか、天文21年の将軍帰洛時の御能では三好内衆も出演したとか、個人的に興味深い話が色々と。 https://t.co/Lur4XKto6N
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中近世移行期における淀川流路の変化 : 岡・禁野・磯島周辺を対象に
もう一つの論文も、メールで馬部氏に対し頑なに自説を主張する人に対する丁寧な反論だった。色々な人に絡まれておられるなあ…… ⇒馬部隆弘 「中近世移行期における淀川流路の変化 : 岡・禁野・磯島周辺を対象に」 『大阪大谷大学歴史文化研究』20 2020/3 https://t.co/fCCk6Iwb4b
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國學院大學図書館所蔵「足利義昭御内書」
内容としては「丹波に近衛前久が行ったようなので、申し合わせたように忠節をせよ」。天正元年(1573)義昭が追放される中かつて政敵であった近衛前久との連携を探った文書と推測されているhttps://t.co/hzPSvZFKOy
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笙器「達智門」にみる足利義材の近江出陣
ただ、六角討伐の初頭で山内政綱を騙し討ちに近いやり方で殺した件や、石原比伊呂先生のこちらの論文を読んで、更に見る目が変わったんですが。あ、天然で煽っちゃうだけじゃないんだって。(←失礼) https://t.co/K3o4bl0vtD
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近衞前久が継承した鷹の言説 : 『鷹百首』と『皇鷹記』の引用書目の検討を通して
近衛前久は織田信長と鷹狩を通じて交流したことで有名ですが、こちらの論文によると、前久が著した鷹書でたびたび引用されている『諸木抄』は、細川高国が著した武家故実書だそうです。高国は幼少の頃より将軍の弓馬師範を務めていた小笠原政清・尚清父子に師事。 https://t.co/VH4IZ1MzBl
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画像賛の語る宇喜多能家と戦国政治史
なお、赤松則実と伊勢貞陸や大内義興のやり取りの件は、こちらの『画像賛の語る宇喜多能家と戦国政治史』でも触れられていました。義興は在国の身でありながら、争いを調停する姿勢を示しているとのことで、事実であれば義興は義稙を見捨てて去った説は妥当ではないことに!? https://t.co/EG8f0hP4lR
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中世史部会 戦国期美濃後斎藤氏の外交と家臣団編成
石川美咲先生については、「戦国期美濃後斎藤氏の外交と家臣団編成」における、義龍死後の家臣団編成の報告も、斎藤・三好同盟の部分や長井隼人佐の登場経緯などものすごく気になるところも多いので、こちらもそのうち論文化されて読めればいいですね https://t.co/KaHn8e0fKP
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戦国期土岐・後斎藤氏の美濃支配 : 用水相論を事例に
石川美咲「戦国期土岐・後斎藤氏の美濃支配 : 用水相論を事例に」。真桑用水の相論への土岐氏と後斎藤氏の対処の違いを通して権力体としての支配の違いについて述べられた論考https://t.co/NTqJ2jThRD
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曹操の辟召 : 事例の基礎的分析
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後漢代における外戚政権と尚書台 : 尚書官人事を中心として
まだ公開されてないが、この辺の論文は面白そうだ。 「漢魏時代における上奏文処理手続きと皇帝裁可」https://t.co/Tu6XEQd2hI 「後漢代における外戚政権と尚書台 : 尚書官人事を中心として」https://t.co/XvxudaPHCL
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漢魏時代における上奏文処理手続きと皇帝裁可
まだ公開されてないが、この辺の論文は面白そうだ。 「漢魏時代における上奏文処理手続きと皇帝裁可」https://t.co/Tu6XEQd2hI 「後漢代における外戚政権と尚書台 : 尚書官人事を中心として」https://t.co/XvxudaPHCL
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宗祗序説 : 出自について
瓦林氏メインではありませんが、検索で見つけた藤原正義先生の『宗祗序説 : 出自について』は、『高代寺日記』等から宗祇・宗長と池田・塩川・能勢氏の交流が解説され、戦国前期の畿内史に興味ある方には面白そうな内容でした。享禄・天文期の争乱に関する記述も。 https://t.co/Pgoe5W7AqD
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笙器「達智門」にみる足利義材の近江出陣
松島周一先生の『延徳三・四年の織田敏定と細川政元』(https://t.co/vnTPF3s8oQ)や、石原比伊呂先生の『笙器「達智門」にみる足利義材の近江出陣』(https://t.co/K3o4bl0vtD)を読んだ上で、今のところは明応の政変に至る義材と政元の関係をそんな風に捉えています。
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延徳三・四年の織田敏定と細川政元--『朝倉家記』所収文書を通して見る十五世紀末の幕府政治と尾張
松島周一先生の『延徳三・四年の織田敏定と細川政元』(https://t.co/vnTPF3s8oQ)や、石原比伊呂先生の『笙器「達智門」にみる足利義材の近江出陣』(https://t.co/K3o4bl0vtD)を読んだ上で、今のところは明応の政変に至る義材と政元の関係をそんな風に捉えています。
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年報中世史研究
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護持山朝光院天性寺所蔵『天性寺聖地蔵尊縁起』の成立過程 : 地蔵菩薩の利生譚から岸和田城史譚へ
『蛸地蔵縁起絵巻』になぜ当時すでに死去していたと思われる「松浦肥前守」が城主として登場するのかを、いくつかの蛸地蔵伝承との異同から考察されている論文がありました。しかし、ここでも松浦肥前守=松浦守との解釈に留まり、松浦光の存在は認識されていないようです。 https://t.co/0umYTNitun
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笙器「達智門」にみる足利義材の近江出陣
"武衛三位入道"で検索して見つけた、石原比伊呂先生の論文。足利義材と笙始の話は以前に読みましたが、その続きとなる内容のようです。斯波氏は雅楽に造詣が深く、笙師範の豊原氏とも交流があり、義敏は延徳4年に後土御門天皇が催した「逆修御懺法」でも雅楽を聴聞しに現れた。https://t.co/K3o4bl0vtD
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「堺渡唐船」と戦国期の遣明船派遣
三宅国秀は遣明船について調べていて知った人物ですが、遣明船といえばこちらの論文も面白かったです。天文年間の遣明船を推進したのは誰だったのか、とか。畿内戦国史をある程度ご存知の方には、楽しめる内容かと。 https://t.co/cEPkruBPB3
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笙器「達智門」にみる足利義材の近江出陣
石原比伊呂「笙器「達智門」にみる足利義材の近江出陣」(『聖心女子大学論叢』132、2018・12)https://t.co/VYqnkTdIPG PDFで読めます。
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室町期摂津国西成郡における細川氏の在地掌握 : 嘉吉・文安年間の崇禅寺との関係を通して
最近、室町後期と戦国時代の畿内史が自分の中でようやく繋がってきた実感がありますが、こちらの論文も面白かったです。摂津西成郡、中島城といえば典厩家ですが、嘉吉の乱で分郡守護が赤松家から没収され御料所となり、細川持賢が代官に任命されたのが始まりだったという話。 https://t.co/tjQbCbU2WM
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聚光院の成立時期についての一仮説―障壁画作期議論の前提として―
それにしても聚光院論文の註、論旨の補足だけでなく様々な推測や疑問がそのまま書かれていて面白い。普通は省略されるような情報かもしれませんが、素人としては学びが多くて嬉しい。綿田稔先生、美術史専門だからこそ想定読者に向けて丁寧に説明されているのかな? https://t.co/5MNmrZZkEi
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聚光院の成立時期についての一仮説―障壁画作期議論の前提として―
興味深い論文。三好長慶の菩提所である大徳寺聚光院の成立経緯を考察されていますが、永禄の変前後の三好家の状況を把握して丁寧に書かれています。三好家について先行研究だけでなく東大史料編纂所のDBで独自に調査されたとのことで、註での考察も充実していて学びが多い。 https://t.co/5MNmrZZkEi
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室町幕府の軍事親裁制度 : 義政期を中心に
嘉吉の乱から赤松家再興の流れを改めて追って今更ながら知りましたが、管領執政から将軍義政親政に移行し、伊勢守の権限拡大と反比例して管領の役割が形骸化したとの見方があるんですね。そこに文正の政変で伊勢貞親が失脚、応仁の大乱で義政は傍観者の立場に追い込まれたと。 https://t.co/asBaNDYrKs
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常陸小田氏治の基礎的研究 : 発給文書の検討を中心として
CiNii 論文 - 常陸小田氏治の基礎的研究 : 発給文書の検討を中心として https://t.co/QG7b25kVoe #CiNii
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中国古代賵賻制度研究
読んでる。→劉可維「中国古代賵賻制度研究」 https://t.co/O3iMnFqTTc
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松永久秀と京都政局 (史学科開設四十周年記念号)
また、松永弾正邸の賑やかな左義長の様子に何らかの意図が込められているとすれば、単純に三好・松永を対抗勢力と捉える将軍義輝が上杉謙信に彼らの排除を要請したと見るのも早計ではないかと。幕臣として久秀を義輝に近い志向とする評価もありますし。https://t.co/wBFleBVzrB https://t.co/SE8NKmKbi8
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『上杉本洛中洛外図屏風』の注文時期とその動機に関するノート ─近年の戦国期畿内政治史研究の成果に学ぶ─
永禄年間の三好・松永と将軍義輝の関係に興味ある方に良いまとめ。法華宗寺院や弾正邸の描写に義輝と久秀の信頼関係を読み取っていて、別方向からの久秀忠臣説と言えるかも。戦国時代展の予習にも最適? / “CiNii 論文 - 『上杉本…” https://t.co/L2B1b0O3Qj
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執事の機能からみた戦国期地域権力 : 奥州大崎氏における執事氏家氏の事例をめぐって
執事の機能からみた戦国期地域権力 : 奥州大崎氏における執事氏家氏の事例をめぐって https://t.co/kn39efj2Rb 大崎氏と伊達氏の和睦の破綻についてはこれが手っ取り早いかな?
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徳川幕府の大名改易政策を巡る一考察(二)
@buqimingri ソース: 徳川幕府の大名改易政策を巡る一考察(一) http://t.co/H3pyw6HK1p 徳川幕府の大名改易政策を巡る一考察(二) http://t.co/nYEPuWvjFH
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徳川幕府の大名改易政策を巡る一考察(一)
@buqimingri ソース: 徳川幕府の大名改易政策を巡る一考察(一) http://t.co/H3pyw6HK1p 徳川幕府の大名改易政策を巡る一考察(二) http://t.co/nYEPuWvjFH
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『眞誥』譯注稿(一)
三国志好きなら『真誥』は読むべき。ここにしか出てこない道教的に祀られてる三国関係者もいるし、何より翻訳がネットで無料! http://t.co/K8xmKDy9 ありがとう京都大学!
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