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なるほど,その限りの意味で,確かに信仰は "実際に表明されるか否かにかかわらず",「当人の社会的もしくは政治的意思表明と考えられるべきである」http://t.co/mcqbQxvkCc という言い方が為されるべきだろう.
なるほど,その限りの意味で,確かに信仰は "実際に表明されるか否かにかかわらず",「当人の社会的もしくは政治的意思表明と考えられるべきである」http://t.co/mcqbQxvkCc という言い方が為されるべきだろう.
「迷信にまみれた妖怪の招待をあばいていく.これが円了妖怪学の目標とするところである」「柳田は『迷信』とは言わない.『民間信仰』という言葉を使う.人々が溶解を信じて恐れるという思いを切り捨てるのではなくなぜそんなものを信じたのかを考える」http://t.co/2o0E6JhKUO
「迷信にまみれた妖怪の招待をあばいていく.これが円了妖怪学の目標とするところである」「柳田は『迷信』とは言わない.『民間信仰』という言葉を使う.人々が溶解を信じて恐れるという思いを切り捨てるのではなくなぜそんなものを信じたのかを考える」http://t.co/2o0E6JhKUO
「信仰の有無の表明は,客観性に欠く,当人の主観的判断にすぎないというよりは,むしろ,当人の社会的環境と,彼の置かれたその価値体系の影響下での,当人の社会的もしくは政治的意思表明と考えられるべきである」http://t.co/mcqbQxvkCc
「信仰の有無の表明は,客観性に欠く,当人の主観的判断にすぎないというよりは,むしろ,当人の社会的環境と,彼の置かれたその価値体系の影響下での,当人の社会的もしくは政治的意思表明と考えられるべきである」http://t.co/mcqbQxvkCc

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こんな論文どうですか? ディグナーガによるavita批判およびprasangaについて(渡辺 俊和),2013 http://t.co/puIB5jJ1bu
『因明正理門論』には、インドに注釈書(Nyāyamukhaṭīkā)があった(かもしれない)のか(『梵語仏典の研究III』404頁)。とりあえず http://t.co/5j6d2wCTVk とか http://t.co/rztUbSxUWH をチェックするか。
『因明正理門論』には、インドに注釈書(Nyāyamukhaṭīkā)があった(かもしれない)のか(『梵語仏典の研究III』404頁)。とりあえず http://t.co/5j6d2wCTVk とか http://t.co/rztUbSxUWH をチェックするか。
平野克典(2005):『ヴィヨーマヴァティー』におけるrupa, svarupa, svabhavaの用法(駒澤大学における第五十五回学術大会紀要(二))、印度學佛教學研究 53(2), p.911-906。 http://t.co/9j3fwT7KDJ
ヴィクトリア・ルイセンコ(2008):インド正統派哲学の発展における仏教の影響―ヴァイシェーシカ学派のプラシャスタパーダを例として―、佐藤裕子訳、東洋学術研究 47巻2号、p.65-82。 http://t.co/FzFkoqpxAZ http://t.co/OAR7NwL4k9
狩野恭(2008):インドにおける主宰神存在論証論争史(Abstract_要旨)、 http://t.co/1UdAyXV5ra http://t.co/xouTTY24OL
狩野恭(2008):インドにおける主宰神存在論証論争史(Abstract_要旨)、 http://t.co/1UdAyXV5ra http://t.co/xouTTY24OL
安達俊英(1985):ヴァイシェーシカ・スートラにおけるアートマン、待兼山論叢.哲学篇 19、p.5-21。 http://t.co/PqHnJlW0Ko http://t.co/k7JPeVOKMV
安達俊英(1985):ヴァイシェーシカ・スートラにおけるアートマン、待兼山論叢.哲学篇 19、p.5-21。 http://t.co/PqHnJlW0Ko http://t.co/k7JPeVOKMV
おぉー⇒『楞伽経』の文献学的研究 ―「羅婆那王勧請品」梵蔵漢校訂テキスト(その1)http://t.co/WKTzRgSLO5
那須円照(1997):アビダルマの極微論(1)、龍谷大学佛教學研究 53, p.1-27。 http://t.co/eAO34vrbSr 那須円照(1997):アビダルマの極微論(2):、インド学チベット学研究2、p.60-86。 http://t.co/boJJaqEQvD
森山清徹(2013):ダルマキールティのVadanyayaにおけるヴァイシェーシカ批判と後期中観派 :全体性(avayavin)の無の確定、佛教大学仏教学部論集 97, p.1-27。 http://t.co/cBUBh6L51u
三浦宏文(2001):自我と意識の相関性(上)『プラシャスタパーダ・バーシュヤ』におけるatmanとmanasの定義、東洋大学東洋学研究所 東洋学研究 (38), p.218-204。 http://t.co/eZO2Ju9q4O
室屋安孝さんの博士論文要旨:  『Nyayasutra2.2におけるsabdaの無常について』 http://t.co/r0kqmY7Fph
片岡啓(2008):「印哲」は何を目指してきたのか? http://t.co/ev6D48wn5B https://t.co/soVTQhnkqk
井上ウィマラさんのこの論文、あらためて読み返したけど、大乗仏教(もしくは大乗仏教文化)発生の説明としてけっこう説得力あると思った。http://t.co/9ygjySstCs
坂本 幸男(1953):原子論と仏教、身延山短期大学学会 棲神 (29)。 http://t.co/GcLslNE7Zo

1 0 0 0 IR 原子論と仏教

坂本 幸男(1953):原子論と仏教、身延山短期大学学会 棲神 (29)。 http://t.co/GcLslNE7Zo
五島清隆(2002):『十二門論』に見る主宰神否定論-苦の由来をめぐって-、基督教研究 第64 巻 第1 号、p.46-72。 http://t.co/jHtY1miHiH
鷲尾倭文(1988):インド人の生命観(2) :アーユル・ヴェーダの生命観、跡見学園短期大学紀要24、pp.A13-A24。 http://t.co/ddrx974QEd
鷲尾倭文(1983):インド人の生命観(1) : ジャイナ教の生命観、跡見学園短期大学紀要 19、pp.A1-A13。 http://t.co/Gvaxr2daXa
狩野恭(2008):インドにおける主宰神の存在論証論争史(Abstract)。  http://t.co/1UdAyXV5ra http://t.co/xouTTY24OL
狩野恭(2008):インドにおける主宰神の存在論証論争史(Abstract)。  http://t.co/1UdAyXV5ra http://t.co/xouTTY24OL
何 歓歓(2011):『思択炎論』におけるヴァイシェーシカ派の解脱論に対するバヴィヤの批判、インド哲学仏教学研究 18、p. 23-37。 http://t.co/0NeZEsVwfW  http://t.co/5JDMHpzowJ
何 歓歓(2011):『思択炎論』におけるヴァイシェーシカ派の解脱論に対するバヴィヤの批判、インド哲学仏教学研究 18、p. 23-37。 http://t.co/0NeZEsVwfW  http://t.co/5JDMHpzowJ
安達俊英(1985):ヴァイシェーシカ・スートラにおけるアートマン、待兼山論叢. 哲学篇. 19、 p.5-21。 http://t.co/k7JPeVOKMV
新井俊一(1990):法蔵説話の神話学的考察、相愛女子短期大学研究論集 37、p.56-51。 https://t.co/iF7JINm4h5
渡辺 研二(2012):ジャイナ教白衣派古聖典におけるsamjama : 意味と本文の伝承、印度學佛教學研究 60(2), p.859-851。 http://t.co/i1dUjzT7pS
真鍋 智裕(2010):極微において方位の区別と単一性は両立するか : カマラシーラとシュバグプタの対論、印度學佛教學研究 59(1), p.422-419。 http://t.co/DyERkB2Yft

1 0 0 0 OA 有部の極微説

佐々木 閑(2009):有部の極微説、印度學佛教學研究 57(2), p.932-926。 http://t.co/gtUmtMOUel
今頃気づいたが(前にも気づいていたような気もするが)、自分の科研費 https://t.co/oQaosdIRDi の「研究分野」が「印度哲学・仏教学」じゃなくて「中国哲学・印度哲学・仏教学」になってる。申請件数が減ったから統合されるって、もしやこれか?
これに関連して、玄奘がインド因明の諸学説をふまえながら翻訳をしていた可能性を指摘する上田昇先生の「遍是宗法性について」https://t.co/aX9EGoKHJN が注目される。東アジアの因明研究は、このような可能性を念頭に置きながら進めていく必要があるんじゃないかと思う。
ちょっと遅くなりましたが機関リポジトリに載せておきました。「人文学分野とサイバーインフラストラクチャ : デジタル・ヒューマニティーズにおける現状と課題」 http://t.co/SlvIjagvdx
「研究者市場における文科系博士院生の就職要件―JREC-INによる公募情報の分析」(『東京大学大学院教育学研究科紀要』52、2012)→http://t.co/2piUeRHDWU(PDF) 人文社会科学系の若手研究者の就職状況を分析。要求される能力や勤務形態などの観点から。
出口先生の吉蔵・三論教学解釈の一端は、「空の思想のロゴス:西谷啓治『空と即』再訪」(『理想』No.689 (2012) http://t.co/3S4FFX2E87 )で読める。http://t.co/CnQXhAszuq
橘川智昭氏によれば、『解深密経』の三転法輪説については、単なる釈尊の説法一代記としてではなく、「特定の菩薩における、低い階梯から高い階梯へのひとすじの修習次第とみる捉え方」、言わば修行者の「自分史」として捉える見方も多かったらしい。http://t.co/CbcdBKGG

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