セキ瀧経 (@seki_server)

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RT @nekonoizumi: PDFあり。 「1549年に毛利元就が大内義隆を訪問した際の6回分の饗応献立」 ⇒渡壁 奈央, 河野 知歩, 石橋 ちなみ, 岡田 玄也, 杉山 寿美 「資料 『元就公山口御下向之節饗応次第』に記された戦国期毛利氏の饗応献立の再現とその活用」…
で国会デジコレで『策彦和尚入明記初渡集』https://t.co/lsMECezNg5 の大内義興十三回忌の記事を確認。ここでの吉見治部丞、確かに「正頼」と書かれていた。…これはお馴染みの石見国衆・吉見正頼ではなく、大内家奉行衆・吉見弘成の別名と解した法が自然かなと。
文字詞について(Ⅰ) : 近世語研究(その二)https://t.co/wYRRkU0yJn 文字詞について(Ⅱ) : 近世語研究(その二)https://t.co/RZrnsZOAee やはり「ひもじ」の元は「ひだるい」だった模様。言われてみれば「しゃもじ」も「ゆもじ」も立派な文字詞であるな。
文字詞について(Ⅰ) : 近世語研究(その二)https://t.co/wYRRkU0yJn 文字詞について(Ⅱ) : 近世語研究(その二)https://t.co/RZrnsZOAee やはり「ひもじ」の元は「ひだるい」だった模様。言われてみれば「しゃもじ」も「ゆもじ」も立派な文字詞であるな。
RT @holy_sengoku: 誕生祈祷といえば、こんな論文もありました。近代以前の日本には誕生日を毎年祝う習慣はない、というのが通説だったそうで。近世が中心ですが、将軍に限らず様々な階層の誕生日にまつわる習慣を検討されています。(戦国期では京兆家以外、他地域での例はあるん…

7 0 0 0 OA 史料綜覧

@kemono_niku 史料綜覧. 巻10 https://t.co/OnTssBGmlL こちらでも弘治元年の九月(210コマ目)は大盡(大の月)で、御湯殿上日記の「三十日」の記事が確認できます。廿八日が庚申というのは武家万代記と一致するところですね。新裁軍記も渡海は丗日としていました。
「長塚孝 北条氏綱の偏諱受領と名字替え」https://t.co/6UOS78VhlO 北条名字替えの理由を、通説化している鎌倉幕府執権北条氏由来説や、氏綱舅の「北条殿」横井相模守に求める説の他に、堀越公方足利政知が「北条御所」と呼ばれたことを意識した説を紹介されていてなかなか興味深かった。
萩藩元文譜録と永田瀬兵衛 - 山崎一郎 https://t.co/kDLUgobz2p 高く評価されがちな永田の『実証主義』は彼特有のものというより享保期の萩藩知識人層に流れるメンタリティだったとか、彼自身は新裁軍記を直接執筆せず同僚や弟子の相談役だったとか、認識を改めさせられる。譜録の編纂過程も興味深い
安国寺不動院案内略記 https://t.co/ab1PA18qfU ここでは恵瓊の首を弔ったのが武田の遺臣で幼い竹若丸(恵瓊)を保護した戸坂入道の役回りにされていた。入道、関ヶ原の時何歳なんだ一体、というのはともかく、親代わりの人に弔われるのはこれまた悲痛な設定だな…。

4 0 0 0 OA 近古禅林叢談

近古禅林叢談、国会デジコレで読めるな…https://t.co/d5BMfacETK 昨夜の逸話は目次の「竜獄和尚/16」で確認。推しの「雲居和尚/93」もあった。ちらほら天皇・将軍・大名・武将に剣豪まで混じってるのも面白い。
戦国大名による流通統制と都市支配 : 安芸国厳島を例に https://t.co/O5V8zgNHQC 厳島の商業権益を巡る大内・陶・毛利氏と海賊村上氏の動向がよくまとまっててよく読み返す論考(pdfで読める)

10 0 0 0 OA 陰徳太平記

@kemono_niku 後太平記に「大嶋海賊・伊加賀十郎左衛門忠重」というのが出てきます。https://t.co/w7F5y5UEdJ 陰徳太平記では「宇賀島十郎左衛門」が。https://t.co/4KOAMAsVU0 おそらく末長左近大夫に討ち取られた伊加賀十郎左衛門尉から名前を拝借して創作されたキャラだと思われます。
盛勝の名はないが、毛利方保持の尼崎城は実際有岡城より先に落城の危機に瀕していたらしい。村重の尼崎入城は逃亡ではなく救援だった、と。/荒木村重の戦いと尼崎城 https://t.co/tyhWGza0aQ

7 0 0 0 OA 国史叢書

@kemono_niku すみません、件の記事は土佐物語でなく同本収録の『四國軍記』の勘違いでした…。国立国会図書館デジコレhttps://t.co/ZwxSeHxfOkで読めますよ~(195コマ目)

お気に入り一覧(最新100件)

PDFあり。 「1549年に毛利元就が大内義隆を訪問した際の6回分の饗応献立」 ⇒渡壁 奈央, 河野 知歩, 石橋 ちなみ, 岡田 玄也, 杉山 寿美 「資料 『元就公山口御下向之節饗応次第』に記された戦国期毛利氏の饗応献立の再現とその活用」 『会誌食文化研究』18 (2022) https://t.co/MJZm91VijI
誕生祈祷といえば、こんな論文もありました。近代以前の日本には誕生日を毎年祝う習慣はない、というのが通説だったそうで。近世が中心ですが、将軍に限らず様々な階層の誕生日にまつわる習慣を検討されています。(戦国期では京兆家以外、他地域での例はあるんでしょうか?) https://t.co/NdJ0lp0bex
三宅国秀は遣明船について調べていて知った人物ですが、遣明船といえばこちらの論文も面白かったです。天文年間の遣明船を推進したのは誰だったのか、とか。畿内戦国史をある程度ご存知の方には、楽しめる内容かと。 https://t.co/cEPkruBPB3
CiNii 論文 -  毛利輝元養女と興正寺門跡の婚姻をめぐる一考察 https://t.co/fp2FmISR7N #CiNii この毛利輝元養女は小早川秀秋の室。離縁は関ヶ原前だったとか、本願寺の東西分立と関係する婚姻などなど。あと、相変わらず、毛利さん家は筆まめだ。
CiNii 論文 -  天正十一年小早川隆景・羽柴秀吉書状にみられる安国寺恵瓊 : 安国寺恵瓊関係資料データベース資料稿(1) https://t.co/xb9bWtglfj #CiNii あとで読む
寺島 隆史「加藤嘉明・大友義統発給文書等について : 上田藩士河合家伝来加藤文書を中心に」 https://t.co/iGzKkVt1HU 加藤嘉明の初名が茂勝ではなく房次では、とある、、、
承前)ちなみに私がこの追悼号に書いたのは、豊臣大名亀井家文書の紹介でしたhttps://t.co/nn0G9E1Yxj。 秀吉がまだ信長の部将だった時代、つまり亀井茲矩と同盟的関係だった時からずっと発給文書があるので、文書様式の変化を追える。というのが、古文書の様式の面白さに目覚めた一つのきっかけです。
【メモ】山内譲「室町時代の伊予:『予章記』の背景」(『中世文学』62、2017年)https://t.co/tTFe6f31gi
【メモ】山内譲「室町時代の伊予:『予章記』の背景」(『中世文学』62、2017年)https://t.co/tTFe6f31gi
PDF公開。柴原直樹「備後国衆宮氏の動向と毛利氏」(『大学教育論叢』2、2016年3月)①備後国東部の地域史に宮氏の果たした役割、②宮氏滅亡の当該地域における影響、③宮氏の動向と滅亡が毛利氏の戦国大名化に及ぼした影響を、それぞれ考察。https://t.co/npvLbO6n3o

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