ビジュアル再現 村上城 (@vr_murakamijo)

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渡辺 篤史, 岡崎 篤行「新潟県下越地方における横屋-竪屋複合町屋の分布及び外観類型」(2016) 下越地方で歴史的建造物が多く残る集落を抽出→建築特性について分析した論文。平入りが圧倒的多数を占める村上と瀬波は、下越地方の街並みとしてはかなり特殊なことがわかる https://t.co/TIaCYkQ4qx
菅野圭祐・佐藤滋「近世城下町における山当てとヴィスタの実態に関する研究-新潟県村上市を対象として」(2017) https://t.co/xIfUgo0W6I
@geogoolin この辺の背景を記した論考を発見。なんとタイムリー。 https://t.co/K90IJeuwxP
【メモ】木島 孝之「城郭研究『縄張り研究』の独自性を如何に構築するか」2012 https://t.co/5lZbAr3eAu
【メモ】和根崎 剛「上田城CG復元と城郭体験アプリへの活用~VR上田城の成果と課題~」2017 https://t.co/kUMvuSW8Qz
やっつけの割に矢はそれなりに見えるようモデリングしたのだが、この速度で飛ばすとほとんどなんも見えんので若干悲しい。↓によると、和弓で打ち出された矢の飛翔速度は秒速40~60m(144~216km)程度らしい。https://t.co/XXhdMJo2pD https://t.co/2y8u9VshYf

10 0 0 0 OA 群書類従 : 新校

@nouhuhoumei おお。朝倉氏由来の資料だけにさすがです。なお、現代語訳ではないですが、翻刻であれば↓のコマ番号212以降で見られます。 https://t.co/GrjjNyUh3i

33 0 0 0 OA 築城記

適当に作ってても埒があかないので「築城記」で説明が付くように作り直した。ただし、築城記が成立したのは永禄年間なので、その後の鉄砲の普及に伴う形状変更を多少加味した。とはいえ、現物が残らない以上、実態は不明というほかない。https://t.co/lE6ZcpqNBZ https://t.co/6EbK1ks0xW

12 0 0 0 OA 野戦築城教範

@saemonhiguchi @yamamoto_zombie 陸軍が似たような工作物を作ってなかったのか調べてみようと思ったところ、国会図書館のアーカイブで「野戦築城教範」まで見られるんですね@@ 柵は見つけられませんでしたが、まさに逆茂木みたいなものが載ってて驚きました。 https://t.co/sYpdC2FIjc

33 0 0 0 OA 築城記

国会図書館のデジタルアーカイブで「築城記」が見られるんだが、「サク木」の記述を踏まえて立体化すると右側のような感じになる。縦材の密度は「瀬波郡絵図」を参考に作ってるのと同じでいいみたいだが、横材は4本渡すとある。 https://t.co/lE6ZcpqNBZ https://t.co/iKvNNGlY1n

33 0 0 0 OA 築城記

【本日の発見】「築城記」が国会図書館のデジタルアーカイブで読めることを発見した。 https://t.co/lE6ZcpqNBZ
https://t.co/JXd03Uhho6 笠 博義「文化財保全における空間情報の活用について」(2017) お。Fig.2の写真、村上城の出櫓~本丸帯曲輪のあたりじゃないのか?
「住民意見と集団の変容に着目した歴史的市街地における目標都市像の合意形成過程ー新潟県村上市における都市計画道路の見直しを事例として」(2007) https://t.co/OOykS4SCIX
瀬波群絵図に関する知識をアップデートせねば…と、国会図書館で100ページ近くコピーしてきた伊藤・戸田(2018)であるが、さっきWebで見られることに気がついた…。 https://t.co/5tihUN9iqv
岩船郡村上区教員研究会 編「村上郷ニ即シタル直観教授ノ実施案」(1937)。校外学習の参考資料とでもいうべき本。当時の教育者が地域をどう教材化しようとしていたのかが見えて興味深い。この時点でも岩船付近の河川はいずれも「岩船潟」に注いでいる。 https://t.co/n7YyipHuko
村上城の大改修を行った松平直矩は非常に筆まめな大名であった。彼の日記には、村上での日常生活に関する記述も豊富であるが、この論文はうまいことエピソードを拾ってて読みやすい。板垣俊一「松平大和守日記を読む」(新潟県生活文化研究会誌 2001) https://t.co/bM9JBUGAii

2 0 0 0 OA 村上郷土史

@hisagintyaku 桜ケ丘高校のあたりから飯野~長井町裏らへんにかけて、良く堀跡地形が見えますよね。で、この工場(?)ですが、昭和6年の「村上郷土誌」収録の地図(コマ番216)にも載ってません。https://t.co/JgtJ4p2udM 古い人に聞いてみないとちょっとわからないかもです。
https://t.co/Fe8Ht5u6Ib お。絵図が追加されとる。書誌情報に「江戸中後期」とあるが、建物の残存状況から、元図は1778年以前と考えられる。全体のフォルムは宝永年間の絵図に非常に似ているが、注目すべきは居館北西隅の三重櫓の描写。1F部分に大入母屋らしきものが描かれている。
「城下町都市における堀の再生に関する研究」(2015)。村上で可能性があるとすれば下渡門付近だな。 https://t.co/HPoF5ZCBsy
面白い。北陸の町屋と宮島の町屋の類似性について。総二階ではなく、前からツシ二階→吹き抜けになってるタイプは中世由来か? 厳島神社門前町における 町家の14C年代調査とその意義 https://t.co/Nz1hVGpL5O

4 0 0 0 OA 郷土読本

https://t.co/UI66ryJzGm … 国会図書館デジタルアーカイブより昭和12年の村上小学校「郷土読本」。P.11に登場する「鐘楼」は、藩政期に三ノ丸土塁上にあったものがそのまま残っていたと思われるが現在は跡形もない。破却が惜しまれる。 #村上市 #村上城

お気に入り一覧(最新100件)

PDFあり。 先行研究だと概算しかされていなかった、松尾芭蕉の歩行能力の詳細な検証。さすが江戸時代の歩行距離研究の谷釜先生。 ⇒谷釜尋徳 「松尾芭蕉の歩行能力の検証 ::『曾良旅日記』の分析を中心として」 『体育学研究』(2021) https://t.co/wGV3kIyjBa
荘園を「私的大土地所有」として理解するのは間違い!という記事。歴史学ではとっくに覆された見解が今も生き残っている理由に関する考察もされている。大変勉強になりました。 岡野 友彦「日本の荘園はなぜ教えにくいか」 https://t.co/ZoB0NQwCbK https://t.co/jp5DgF5tfR
出典は『図説 城下町都市』の著者の一人である菅野氏の博士論文。webで全文読めます。 菅野圭祐「山当ての景観構造解析に基づく近世城下町の構成原理の解読」早稲田大学博士論文, 2017 https://t.co/9cieALEW5v https://t.co/QatUFLs89Z

9 0 0 0 OA 官報

昨日講義をして気づいたが、都市計画法と市街地建築物法は100年前の1919年に制定され、1920年1月1日に施行だった。土地区画整理事業、用途地域などの制度化。内閣は原敬。 官報 1919年04月05日 https://t.co/8H4JzcA5pp https://t.co/Kn47Tjmpq5

37 0 0 0 OA 史籍集覧

誰得軍記「長倉追罰記」。佐竹氏の家中をめぐっての対立から挙兵した長倉義成の長倉城を足利持氏が攻める話。これだけでもローカルすぎて誰得なんだけど、軍記として調子がいいのは前半ちょこっとで、あとは参陣した諸将の幔幕の紋が延々と記されているだけ。https://t.co/D2Etu90EP1

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