著者
三井 宏隆
出版者
慶應義塾大学
雑誌
哲學 (ISSN:05632099)
巻号頁・発行日
vol.95, pp.211-240, 1993-07

中絶論争 場外で加熱 共和党大会 '92米大統領選「中絶問題」とキリスト教各派 原理主義者 問題の経緯 米,中絶制限を撤廃 大統領命令 少女の中絶 国揺るがす アイルランドでレイプ妊娠論議紛糾 中絶法実施,一時停止 ドイツ連邦憲法裁 ポーランド 中絶規制法成立 中絶容認をバチカン紙非難中絶法の成立とその改正Roe vs. Wade 最高裁判決 中絶の自由,制限 米最高裁「規制措置の州法は合憲」 「中絶」に玉虫色判決 米連邦最高裁中絶問題と社会科学 「赤ちゃん殺すな」と医師射殺,中絶反対派の活動家This paper reviews the controversy over abortion in the United States. The Supreme Court's decision in Roe vs. Wade in 1973 changed the issue from a private one to a public one. Antiabortion groups were reorganized and a counterattack was launched. The activists involved (both prolife and prochoice groups) represent extreme and opposite ends of the issue and therefore offer little hope of compromise. The questions arise : Is abortion legal or not? When does life begin? Who can make a decision about life and death? It is not easy to resolve these questions or the issue as a whole, without looking at the underlying issues. These include the role of traditional values (including moral, sexual and familial values), which are in turn influenced by a male dominated society.
著者
三井 宏隆
出版者
慶應義塾大学
雑誌
哲學 (ISSN:05632099)
巻号頁・発行日
vol.84, pp.243-266, 1987-05

譲る,譲らない,譲れないシルバーシートここは私の席 : 着席権とは何か少し待て,早過ぎるのでは : 電話口での礼儀,作法割り勘,おごる,おごられる : レジの前の社会心理学要約In this paper, some kinds of behavior occurring in the daily life are taken up as examples of the rule-following behavior. If we take a casual glance at them, they seem to be unsystematic and confused. But a close investigation of them will reveal the rules which people follow implicitly to smooth the human relations and to reduce the conflict among them. If it were not for such rules, the strain of human relations would tire people out, because the difficult decision-making is required at any moment in the social situation. People are unaware of them in many cases, but if they are broken, people feel insulted and get angry. For that reason, they are called the implicit rule of social behavior.
著者
三井 宏隆
出版者
慶應義塾大学
雑誌
哲學 (ISSN:05632099)
巻号頁・発行日
vol.91, pp.567-590, 1990-12
被引用文献数
1

本稿ではAttorney General's Commission on Pornography (Meese Commission)の答申を取りあげることにより,社会科学(行動科学,社会心理学など)がポルノグラフィーの法的規制という問題に対して,如何なる処方箋を提示し,それがどのような形で社会政策に活かされたのかということについて,社会科学と社会政策といった観点から検討を加えることにする.Attorney General's Commission on Pornographyとは1985年5月20日,Reagan大統領の支持のもとに,司法長官Edwin Meese IIIが設置した諮問委員会のことである.この委員会は一年間の審議を経て,「暴力による性関係の強要といった内容のポルノグラフィー(sexually violent materials)を見たり,読んだりすることと,女性に対する攻撃行動の増進との間には明らかに因果関係が見出される」との結論に到達し,それに基づいて「ポルノに対して,より厳しい法的手段を講ずるように」と答申したのである.この答申は内容的には1970年9月30日に提出されたPresidential Commission on Obscenity & Pornography (Lockhart Report)の結論を否定するものであったが,政治的にはmoral majority conservativesとanti-pornography feministsが新に手を結んだ妥協の産物とも解釈されたのである(Williams, L. 1990).一方,Meese Commissionの理論的な裏付けてとして引用されたのがNeil, M. MalamuthやEdward Donnersteinらの研究であった.彼らは主としてsexually violent materialsが与える影響について精力的な研究を重ねてきたが,その知見の解釈をめぐって,Meese Commissionとの間に対立が生じることになったのである.所謂,「実験結果や調査結果を現実の社会問題に適用しようとする場合,その限界をどこに求めるべきか」という妥当性の問題を巡っての対立である.この古くて,新しい問題に対して一般論を云々してもあまり益する所はないと思われることから,本稿ではMeese Commissionの活動を通して,社会科学と社会政策の接点はどこに求めるべきかを論ずることにする.
著者
三井 宏隆
出版者
日本グループ・ダイナミックス学会
雑誌
実験社会心理学研究 (ISSN:03877973)
巻号頁・発行日
vol.16, no.2, pp.163-169, 1977-02-01 (Released:2010-11-26)
参考文献数
10

対面事態での相互作用は一種のコミュニケーション・メディアの形態であると考えて, その特性を他のメディアと比較することによって検討した。第1実験では「学生生活」をテーマとするインタビュー事態が設定され, 面接者は対面, TV電話, 電話の各メディアを用いて未知の被験者と面接した。実験結果からは, 対面の場合面接者が必要とする情報を集めるまでの時間が他のメディアと比べて有意に長かった。また, TV電話・電話を用いた場合にはインタビーへの乗りの悪さがみられた。第2実験ではディセプションの巧拙に関わる問題をメディアの点から検討した。被験者は作業中に入室してきたサクラ (対面条件), またはかかってきた電話 (電話条件) によって実験目的を知らされる状況に置かれ, その影響は実験者が現われるまでの待ち時間として操作された。従属変数は第1回目と第2回目の作業量の差であった。実験結果からは, メディアの相違は作業量の増減の方向として示された。また, 対面条件ではディセプションに疑惑を示す被験者が多かったが, その影響は電話条件にのみ有意であった。
著者
三井 宏隆
出版者
慶應義塾大学
雑誌
哲學 (ISSN:05632099)
巻号頁・発行日
vol.81, pp.99-120, 1985-12

問題提起スティグマが相互作用活動に及ぼす影響 Kleck, Ono Hastorfの研究 手続 結果 Comer Piliavinの研究 手続 結果 Carver, Glass Katzの研究 手続 結果社会的ハンディキャップとしてのスティグマ Farina, Sherman Allenの研究 手続 結果 Mills, Belgrave Boyerの研究 手続 結果 Bullman Wortmanの研究 手続 結果スティグマを生みだす心理過程In this paper, the phenomena of social stigma, particularly the interaction between physically disabled persons and the nondisabled, were discussed in terms of experimental studies. The, main point of the discussion is that stigma is seen as a product of definitional processes arising out of social interaction, and not as an attribute that people automatically have when they acquire a trait or quality that may be discrediting. That is, stigmatization is regarded as a process in which particular social meanings come to be attached to categories of behavior and to individuals. The following things were found through the review of experimental studies which were conducted in different situations. (1) The reactions of the normals to the stigmatized are ambivalent. They can be either hostile and rejecting or sympathetic and helpful, depending on the circumstances of contact. (2) Physically disabled persons not only have the problems of coping with their physical handicaps, but are likely to experience social handicaps as well. One social handicap disabled persons face is that, in initial encounters, nondisabled persons tend to avoid social interaction with them. In this situation, one technique available to the disabled person is voluntarily to mention his handicap.
著者
三井 宏隆
出版者
慶應義塾大学
雑誌
哲學 (ISSN:05632099)
巻号頁・発行日
vol.90, pp.165-197, 1990

自分が見たいものを見る,読みたいものを読むといった個人の自由が社会の安寧,秩序に反するとの理由で制限,制約をうけることがある.「個人の自由といっても,それは無制限に許されるものではない」というのが,制限論者の主張である.この主張の是非はともかくとして,一応それを受け入れるとするならば,次に問題となることは,その線引きをどのようにするのか,ということである.特に人びとが「黒か,白か」をめぐって厳しく対立しているような場合には,線引きは難航する.その一例として,ポルノグラフィー(porunography)の問題があげられる.ポルノグラフィーをめぐっては,規制の強化を主張する人たちと,表現の自由,思想の自由を盾にして規制反対を唱える人たちの間で激しい論争が繰り返されてきた.そこに社会科学者が関与することになったのは,ジョンソン大統領のときに大統領諮問委員会(Commission on Obscenity & Pornography)が設置され,委託研究という形で専門家の意見が求められたことによる.その後この委員会は「ポルノグラフィーは成人にとって無害である」との結論を導き出し,それに基づく答申案をまとめて(Lockhart Report),大統領と議会に提出することになった.しかしながら,それを受けた当時のニクソン大統領及び議会は,「この内容はアメリカ国民の道徳心を堕落させるものである」と手厳しく批判したうえで,答申の受諾を拒否してしまったのである.こうして200万ドルの予算と2年間の歳月を費した委員会の報告は(1巻の要約と9巻からなる研究報告書),悪評のうちに世間から葬り去られてしまったのである.それと同時に,社会科学者(心理学者,行動科学者)はその研究成果に基づいて社会政策の立案に参画するというまたとないチャンスをフイにしてしまったのである.本稿では,大統領諮問委員会の答申が何故このような結末を迎えることになったのか,この種の社会的争点の解決に心理学の手法を適用することが果して妥当であったのか,そこから得られた知見は一般の人たちにどのように受けとめられたのか,といった問題について,この諮問委員会(Lockhart Report)の活動を辿りながら考えていくことにする.