- 著者
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吉田 裕久
大槻 和夫
植山 俊宏
三浦 和尚
位藤 紀美子
山元 隆春
牧戸 章
吉田 裕久
- 出版者
- 広島大学
- 雑誌
- 基盤研究(B)
- 巻号頁・発行日
- 1997
本研究では、3年間にわたって、説明的文章・文学作品・文章表現・音声表現の四つの領域班に分かれて、それぞれ予備調査・本研究を実施しつつ「国語能力の発達」に関する実証的な研究を進め、国語科教育改善への糸口を見出そうとした。本研究で得られた各領域班の研究から導かれた知見を一言で集約することはむずかしい。が、得られた成果を仮に集約してみると、次のようなことを言うことができる。1音声表現領域班が追究した対話能力の研究なかでの、「共同案」を組替えながら話し合いを行っていくことのできる力と、文学作品領域班の調査で得られた小・中学生の「続き物語」のなかに見られた、参加者的スタンスと観察者的スタンスをバランスよく選択していくことのできる力は、どこかでつながりあっているのではないだろうか。これは、文集表現領域班における調査結果についてもあてはまることである。さらに、説明的文章領域班の考察のなかで明らかになった、小学校6年以降の「メタ認知能力」の伸長の問題とも、これはリンクすると言えるのではないだろうか。2.対象や他者に同化・一体化していくということが可能になるかどうかというところに、少なくとも学童期初期の国語能力の発達の「峠」のようなものがあるように思われる。その同化・一体化が果たされた後、再び自己はことばを媒介としながら対象や他者とは異なる、自らの内部の何かを捉えることになる。それを意識しうるか否か、表現しうるか否か、ということがその次の「峠」なり「節目」なりになる。3.このような営みのなかで、その主体が関心を差し向ける「焦点」は移り動き、関心の幅と深さのようなものが、少しずつ少しずつその域を広げていくのではないか。対象や他者に同化・一体化しようとしたときとは異なった意味で、対象や他者をより広いパースペクティヴで捉えることができ、それを理解したり、その理解のもようを報告できるかどうかということが、その次の「節目」となるように思われる。4.対象や他者の包括的な理解と平行して、自己の内部の拡張もおこなわれるはずである。対象や他者の認識が構造化され、さらに自己の内部で追い育った独自な世界を、対象や他者に匹敵するものとして構築することができるか否かということが、おそらくその次にくる発達上の問題である。5.この科研の各領域班の調査研究で、とくに小学校高学年から中学生にかけて観察された、発達上の<停滞>や<ゆるみ>とも解釈される事象は、子どもの内面に目をやれば、そのような内部での葛藤が営まれているものであると考えることもできる。詳細な研究成果は、平成9年度末にまとめた中間報告書に続き、平成11年度末に刊行する最終報告書『国語科教育改善のための国語能力の発達に関する実証的・実践的研究II』(A4版160頁)に集約した。