著者
今井 理雄
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2012, 2012

東日本大震災は鉄道インフラに多大な痕跡を残したが,その復旧にあたっては,ルート選定,資金面をはじめ,様々な課題が指摘されている.被災した全ての鉄道路線において全面復旧が予定されるが,不通時の輸送体系や利用者の逸走,復旧後の持続可能性などに不安要素も残される.被災路線は概ね,過疎高齢化の進む地域にあり,輸送需要の下支えとなってきた高校生をはじめとする通学利用が減少傾向にある.仮に鉄道を復旧したとしても,不通時に逸走した利用者が回帰するとは限らず,維持には相当の困難を伴う.しかしながら多くの地域は鉄道の復旧を望んでおり,早い段階で鉄道復旧を果たした地域の事例は,その後の展開に影響を与えるものと思われる.茨城県ひたちなか市に路線を有するひたちなか海浜鉄道湊線は,市が主導する第三セクター事業者であり,被災によって運休を余儀なくされた鉄道のひとつである.最大の被害は,沿線の溜池決壊による軌道敷流出であり,洞門ひび割れ,軌道湾曲,駅ホーム崩落など,被害総額は約3億円弱に及ぶ.被災後,3月19日から代行バスによる輸送を開始するとともに,4月以降は沿線高校の授業開始とともに運行ダイヤを修正(増便)し,集中的な工事の結果,鉄道は6月下旬から順次復旧し,7月23日には全線復旧した.ひたちなか海浜鉄道においては,2009年8月~11月に実施したアンケート調査,乗降調査などをもとに,土`谷(2010)が旅客流動,鉄道存続についての市民,利用者の意向を明らかにしており,さらに豊田(2010a;2010b)が,第三セクター化の過程と沿線住民の意向,鉄道存続に向けた市民活動などについて分析している.また土`谷(2011)では,市民アンケートなどをもとに鉄道サービスの評価を検討している.以上のような知見をもとに,本研究では被災鉄道復旧の課題について,当鉄道を事例に,その一端を明らかにすることを目的とする.本研究では鉄道不通にともなう旅客流動の変化を明らかにするため,代行バス運行時(6月22日金曜日)および鉄道全線復旧後(11月8日火曜日)において,終日全便全旅客を対象としたOD調査を実施した.両調査とも基本的に,乗車時に調査票を配付し,降車時に回収,利用券種の分類を行った.さらに2009年10月末実施のOD調査のデータと比較することで,一連の旅客流動の変化を明らかにする.
著者
土谷 敏治 井上 学 大島 登志彦 須田 昌弥 田中 健作 田中 耕市 山田 淳一 今井 理雄 中牧 崇 伊藤 慎悟
出版者
駒澤大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2012-04-01

超高齢社会において,モビリティ確保は重要な課題である.自動車依存が進展する中,公共交通維持の困難性が高まっている.本研究では,大都市圏縁辺部を中心に,市民の日常的な移動行動と公共交通機関の利用実績などの分析を通じて,公共交通機関の現状と問題点,公共交通機関利用促進の課題,新たな公共交通機関の可能性などについて検討した.その結果,茨城県ひたちなか市,埼玉県滑川町,徳島県上勝町,北海道函館市の調査によって,公共交通機関の利用者特性や利用実態,公共交通機関に対する市民の評価とその地域差,市民への情報提供の必要性,NPOによる新たな交通サービスの可能性,市民活動の重要性が明らかになった.
著者
今井 理雄
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2010, pp.159, 2010

規制緩和以降の乗合バス市場において,公営バス事業の民営事業者への移管や委託といった動きは,少なからずみられており,それに伴う影響や課題も顕在化している.これらは当初,移管および委託をスムーズに実施するためのプロセスに注意が払われてきたが,数年が経過し,路線や運行水準の維持および効率的な再編といった,サービスの持続可能性を問う課題が指摘されるようになってきた.公営バス事業は,その社会的な意義や民営事業者では運行が難しい不採算路線の維持など,民営バスとは異なる存立基盤にあることが,これまで経営を維持する目的となってきた.しかし一般的に公営バス事業は,おもに経費に占める人件費の割合の高さから,民営事業者に比べ経営環境が悪く,整理の対象となった(今井,2003).札幌市においては2001年12月,公営バス事業としては今後の収支の改善は望めないことを理由として,事業からの撤退を打ち出し,政令指定都市としては初めて市営バス事業すべてを段階的に民営事業者に移管し,2004年3月末をもって事業を廃止した.<br><br> 今井(2009)では,その移管過程,さらにその後生じた路線廃止をめぐる課題について整理,検討した.また地元紙などでは当初から,行政(交通局)と事業者とのあいだでの不協和音が指摘されてきた.その結果,市営バスから北海道中央バスに移譲された,市域東部に位置する白石営業所所管路線の存廃をめぐり,行政と事業者の公的補助についての思惑の違いから,2008年6月,市民や第三者となる別事業者を巻き込んだ混乱へと発展した.既存事業者が廃止届を提出したため,行政は受け皿となる事業者を選定し,さらに運行を委託することで補助金を拠出し,路線の維持を図ろうとした.しかし巨額の補助金に対する批判報道が集中したため,結局,既存事業者が継続運行することに表明し,廃止届を取り下げた.行政は抜本的な路線維持方策の変更が必要であると判断し,公的補助制度の拡大となる改定が行われたうえで,当該地区の路線を効率的に再編するため,行政,事業者,住民,市民団体を構成員とする検討会議を設置した.これにより「白石区・厚別区地域バス交通検討会議」として,2009年6月から5度にわたって会合がもたれ,意見交換がなされた.また従来,行政と事業者との協議内容が市民に開示されず,批判を受けたこともあり,会議は公開とされた.しかし,抜本的な改善をもたらすような議論がされているとはいい難く,目前の課題に対処するのが限界である.<br><br> 本研究では,札幌市における公営バス事業の民営移譲の事例に着目し,それに伴って生じた民営事業者によるサービス提供の限界に対して,行政や事業者,および住民の意思決定の過程を明らかにするとともに,その方策と課題について考察する.<br><br>(参考文献)<br>今井理雄 2003.規制緩和にともなう路線バス事業の変容.日本地理学会発表要旨集64:67.<br>今井理雄 2009.札幌市における公営バス事業の民営移譲による影響と課題.日本地理学会発表要旨集75:140.<br>
著者
今井 理雄
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2005, pp.239, 2005

1.はじめに 交通網とそれを取り巻く諸環境の整備は,社会経済の円滑な遂行において必要不可欠である.近代交通機関が発達し,高度経済成長以降のモータリゼーションによって,自家用車の保有が一般化したが,一方,近年では公共交通機関の必要性も再認識されている. 公共交通の必要性が再認識されるなかで,とくに欧州の先進的システムが研究,紹介されているが,我が国の公共交通システムとは本質的な相違も指摘される.また政策的,制度的な背景もさることながら,交通事業者がもたらす営業施策の姿勢も根本的に異なる.我が国における公共交通システムが衰退した要因として,事業者個々のハード整備には積極的であった反面,相互の連携や,ソフト面の整備が重視されてこなかったことが大きいと思われる. とくに複数の交通モードが錯綜し,ネットワークが複雑に入り組む都市部においては,適切な交通システムの構築が重要である.複数の異種公共交通機関の連携は,広範な都市内を有機的に結びつける重要な方策であるが,我が国の大部分の都市では,このようなシステムの構築に視線が向けられることはほとんどなかった.そのなかで北海道札幌市では,戦後日本の都市が試みてこなかった公共交通の連携システムが模索された. 本研究では,我が国の都市公共交通システムにおいて,先進的な役割を果たしたと考えられる札幌市での公共交通ネットワーク形成の過程を対象とし,とくに地下鉄とバスとの連携について,定性的な分析を試みる.2.札幌市における公共交通の整備 北海道札幌市は,人口187万人を有する地方中枢都市のひとつである. 現在に続く公共交通は,1880年に開業した手宮・札幌間の鉄道が嚆矢である.もっとも,札幌市における都市公共交通の機能を拡大させてきたのは,札幌市交通局と民営バス事業者であった.とくに戦前から現在にかけて,市電,市営バス,地下鉄を一体的に運営してきた交通局の位置付けは大きい. 札幌市における公営交通事業は1927年,札幌電気軌道株式会社が運行していた路面電車事業を買収することにより開始された.次いで市営バス事業が1930年,3系統,総系統長14.744kmで開始されている.市電事業は1964年まで拡大され,総延長約25km,1日あたりの輸送人員は約28万人となった.しかし,同年をピークに市電の輸送人員は減少に転じ,市営バスが市電の輸送人員を上回った.1967年には札幌冬季オリンピックの開催を契機として地下鉄建設が決議され,1969年には地下鉄南北線の建設が開始された.これにともなって,地下鉄と重複する区間から市電が順次廃止されており,1971年10月から1974年5月にかけて,4度にわたり廃止・縮小された.また,札幌市における地下鉄の建設・開業にあたっては,市電を廃止するのみならず,市営バス路線の大幅な見直しを実施した.3.地下鉄開業にともなうネットワークの再編成 地下鉄開業以前,札幌市における基幹交通は市電であり,市電が利用できない地域の大部分においては,市営バスがその輸送を担っていた.しかし地下鉄を都市の基幹交通と位置付けるなかで,1971年の地下鉄南北線,北24条・真駒内間の開業にともない,都心から放射状にあった市営バス路線の大部分を,近接の地下鉄駅に短絡させる再編成を行なった.その後7回にわたり,地下鉄の開業にともなって,市営バス路線が再編成されている. これと同時に,地下鉄駅におけるバスターミナル整備と,地下鉄とバスとのあいだで,普通運賃の乗継運賃制度を開始させている.乗継運賃制度は全国初の試みであり,札幌市における軌道系交通とバス交通とのネットワークを形成・維持するうえで,根幹をなす施策であった思われる. また当初は,市営バスのみで再編成および乗継運賃制度が実施されたが,のちに民営バス事業者も対象に組み込まれた.とくに,1994年10月の東豊線福住延伸以降,地下鉄の開業地域周辺におけるバス事業者の主管エリアが,民営バス中心となってきており,これらの大幅な再編成が実施されるようになった.もっとも,これらのバス路線再編が完全に成功しているとはいい難く,わずかに残存した都心直通系統が混雑する傾向も見られる. このようなバス路線の再編成について,地下鉄などの軌道系交通の開業にともなって実施される例が,近年では多くの都市で見られるが,バスターミナルなどのハード面,また乗継運賃制度の導入といったソフト面の双方において,札幌市が先駆的に果たした役割は大きいと思われる.