著者
佐藤 隆之
出版者
東北大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2003

わが国では、被疑者取調べをめぐって、これまで、被疑者の黙秘権に焦点を当て、その侵害の有無によって、その適否を判定する方法が採用されてきた。しかしながら、どのような場合に被疑者の意思が圧迫され、また、緊張・疲労の結果、供述に関する意思決定が歪められたといえるか自体、必ずしも判断が容易ではなく、他方で、裁判例に対しては、明示的に取調べを拒否しなければ、被疑者の同意があるとされているのではないか、という批判も向けられるなど、被疑者の権利・自由の現実的な侵害のみに基づく従来のアプローチが、十分機能していない状況にあったといえるように思われる。本研究は、そのような状況を踏まえ、被疑者取調べの適正さを確保するために、取調べの方法・条件を客観的な準則として明確化し、それからの逸脱の有無・程度を基準にして、その適法性を判定する手法を採用する可能性を探ることを目的とするものである。この点、本年度の研究では、在宅被疑者の取調べに着目して、被疑者の同意がある場合にも、その取調べに応ずるか否か、供述をするか否かを決定する自由に対する配慮という観点から、その限界が導かれ得ることを示した。従来、宿泊を伴う取調べや徹夜の取調べに関する最高裁判例は、被疑者の供述の自由を、捜査上の必要と比較可能な利益と捉えていると批判されてきたが、取調べに応じるという被疑者の同意が有効である場合にも、なお取調べを規律する余地があることを認めているという新たな理解を提示できたことは、取調べ準則制定の可能性を拓く重要な基礎と位置づけることが可能だと思われる(被疑者の意思の自由に対する配慮という観点は、逮捕・勾留されている被疑者の取調べの場合にも同様に妥当すると考えられる)。
著者
平田 光男 佐藤 隆之 劉 康志 美多 勉
出版者
The Society of Instrument and Control Engineers
雑誌
計測自動制御学会論文集 (ISSN:04534654)
巻号頁・発行日
vol.34, no.7, pp.741-748, 1998-07-31 (Released:2009-03-27)
参考文献数
12

In this paper, we consider an H∞ problem with unstable weighting functions. Such weightings are used to achieve asymptotically disturbance attenuation and/or asymptotically tracking to reference input. Such problems cannot be handled by the standardH∞ control theory. To this problem, we present a necessary and sufficient condition for the existence of a solution by using Riccati inequalities. This condition needs no assumptions on the jω invariant zeros of G12 and G21.
著者
佐藤 隆之
出版者
教育哲学会
雑誌
教育哲学研究 (ISSN:03873153)
巻号頁・発行日
vol.2006, no.94, pp.114-121, 2006-11-10 (Released:2009-09-04)

批判も少なくないなか、それでも廃れることなく、いまなお個性教育をめぐる主張や解釈が連綿と繰り出されている。この現状をみるにつけ、「今日、 “個性” という言葉は麻薬のような働きをもっている」 (iii頁) という本書の冒頭を飾る一文に、共感を覚える読者も少なくないだろう。そのような状況において、「教育における個性尊重は何を意味するか」という問いに答えることは容易ではない。それでは、過去についてはどうか。とくにわが国に直接間接に影響を与えてきたアメリカの進歩主義教育における個性教育の遺産について、私たちはどこまで理解しているのだろうか。過去を清算しきれないままに新たな言説を上積みすることにより、個性教育をめぐる理解や事態をますます混乱させ、生産的な議論を難しくしてはいないか。その遺産から個性教育について示唆をえようとすることそれ自体は目新しい試みではないにせよ、多種多様なその改革の思想、目的、方法、実践、結果などを検討し、それらを総括して進歩主義教育ならではの特徴を解明することは、今なお課題として残されているといってよいだろう。本書の副題に掲げられる「教育における個性尊重は何を意味してきたか」という問いに答えることは、それが個性という「麻薬」に対する解毒剤を手にするうえでの鍵を握ることは重々承知していても、その対象の大きさやとらえ難さゆえに、やはり容易ではないのである。著者の宮本氏はこれまで、「個性尊重の教育」というテーマに、アメリカ進歩主義教育を主たる対象として一貫して取り組んでこられた。その研究成果の集大成として、二〇〇三年一二月、京都大学に提出された学位論文である本書は、その難問に真正面から挑んだ労作である。本研究の直接の課題は、「個性概念」の明確化と、「一斉授業の改革としての個別化・個性化の思想と実践の系譜」の解明にある (四頁) 。ここに示されるとおり、浩潮な本書の考察を貫く視点であり対象となっているのは、教育の個別化・個性化である。詳しくいえばそれは、「学年と学級を定め、一人の教師が多数の生徒を対象に、同一の教材を一斉に教授するという一斉教授の方法」 (=「学級一斉教授」) の画一性や受動性を批判し、個々の個人差や自発性に応えることをめざして開発が進められた方法である (五-六頁) 。そのうち、個別化とは、「ひとりひとりの個人差に応ずるために教育方法の画一性を打破する」方法であり、個性化とは、「子どもひとりひとりの能動性を保障する」方法と定義される (七頁) 。本書の内容やその特徴について解説をくわえる前にまず、課題とされる「個別化・個性化の思想と実践」について簡単にふれておきたい。それは長年の研究の蓄積から導出された著者ならではの着想に支えられており、本書のねらいや意義を体現していると考えられるからである。第一に、この簡にして要を得た独自の視点に考察全体が貫かれていることにより、多彩であるがゆえに錯綜している進歩主義教育における個性教育の理論や展開が、包括的に論じられている。第二に、個別化・個性化の「思想と実践」を考察の対象とするとあるとおり、教授理論の基底にある「思想」にまで踏み込む精緻な検討が展開されている。それにより、個性教育のルーツをひもとき、整理しながら、その原理や特質が照射されている。第三に、その「思想」とならんで重点がおかれている「実践」とは、授業実践ではなく、教育に関わる行政、政策、制度、理論などを包括している (v頁) 。本研究はこの広義の実践に注視した「教育実践学」の成果であり、教育現場を強く意識しながら、個性教育の実態について多面的に切り込む論考となっている。そのため、著者は安易に過去を現代に結びつけることはしないが、現代の教育実践にきわめて示唆的な内容となっている。最後に、その思想と実践の分析にあたっては、著作・論文以外に、統計、報告書、時間割、授業案などを含む膨大な史料が収集されている。それに基づいた実証的考察は、説得力に富んでいる。 (その一端をなす貴重な写真や雑誌は二〇頁にわたって巻末に掲載され、本書の論考を補完するとともに興趣を添えている。本文と併せてご覧いただきたい。) 以上の諸点に特徴が認められる課題について、次のような構成で考察が展開されている。紙幅の関係から節以下は省略して示す。
著者
佐藤 隆之
出版者
教育哲学会
雑誌
教育哲学研究 (ISSN:03873153)
巻号頁・発行日
vol.1997, no.76, pp.138-151, 1997-11-10 (Released:2009-09-04)
参考文献数
57

William Heard Kilpatrick's educational concept of 'cooperation' has been harshly criticized for the alleged effect of reinforcing conformity to industrial society and to 'other-directedness.' However, by claiming that education must be based, not on individualization, but on the 'cooperative purpose activity, ' Kilpatrick in fact criticized individualized methods of instruction and exerted influence on Helen Parkhurst. Parkhurst, originator of the Dalton Plan, argued for the necessity for each student to share the minimal essentials to live a cooperative community life. She proposed an individualized method of instruction in which she gave students assignments individually in view of greater attention to social efficiency. Kilpatrick has warned that, by presupposing that the basic knowledge thus taught by the individualized instruction had priority over social activities, Parkhurst unintentionally made 'cooperation' so static and exclusive that it could even be seen as a form of conformity or social control. In Parkhurst's scheme, the individual was treated as a passive organism. Being partly based on George Herbert Mead, Kilpatrick's theory claimed that 'cooperation' cannot be established simply by a unified linguistic community, but only by locating 'common ways of cooperating, ' which emerge from diverse points of view in which the self and others interact reciprocal ly, or, the 'self-other process.' According to Mead, Kilpatrick had asserted that 'cooperation' was the reciprocal relationship of the individual and society.
著者
田中 開 大澤 裕 川出 敏裕 寺崎 嘉博 井上 正仁 佐藤 隆之
出版者
法政大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
1999

本研究において、我々は、近時問題化している銃器犯罪に関する諸問題につき、実地調査、資料収集、研究会などを行い、その成果のいくつかを公表した。研究した項目は、(1)少年犯罪と銃器、(2)銃器犯罪と民間ボランティア活動、(3)銃器犯罪について今後導入・活用されるべき捜査手法(4)情報提供者や証人の保護、(5)被害者や被害関係者の保護、(6)警察官による銃の使用、(7)諸外国における銃器情勢、であった。とりわけ、少年犯罪と銃器という問題を研究したきっかけは、本研究を開始した1999年4月に、アメリカ、コロラド州にあるコロンバイン・ハイスクールにおいて、少年が銃を乱射して多数の生徒や教師を殺傷するという事件が発生したことであった。少年による銃器を使用した凶悪犯罪は、近年における銃器の一般人への拡散傾向に照らすと、わが国においても、将来的には起こりうる重大な問題である。また、研究の過程で、(a)銃器犯罪の撲滅に向けて、民間ボランティア活動などの各種防犯・啓発活動との連携などによる銃器犯罪対策を考えていくべきこと、(b)おとり捜査、コントロールド・デリバリー、通信傍受をはじめとする捜査手法の活用や工夫が重要であること(捜査手法のなかには、とりわけ薬物犯罪と共通するものが少なくない。外国の例においても、薬物の不法取引と銃器は密接な関連を有している)、(c)情報提供者や証人の保護が肝要であること、(d)被害者・被害関係者の保護を進めるべきこと、(e)警察官による銃の使用の許否・限界につき再検討すべきこと、などの課題が認識された。また、諸外国における銃器情勢については、従来研究していなかったドイツの銃器情勢について調査研究ができたことが、一つの成果である。