著者
内田 力
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 = NIHON KENKYŪ (ISSN:24343110)
巻号頁・発行日
vol.58, pp.195-213, 2018-11-30

日本中世史家の網野善彦(生没年一九二八~二〇〇四年)は、一九七〇年代ごろから新しい歴史学の潮流(「社会史」)の代表的人物として注目されるようになり、のちに「網野史学」・「網野史観」と称される独自の歴史研究のスタイルを打ち立てた人物である。かれの歴史観は、とくに大衆文化の実作者への影響が大きく、映画監督の宮崎駿や小説家の隆慶一郎、北方謙三の作品にその影響がみられる。
著者
内田 力
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 = NIHON KENKYŪ (ISSN:24343110)
巻号頁・発行日
vol.58, pp.195-213, 2018-11-30

日本中世史家の網野善彦(生没年一九二八~二〇〇四年)は、一九七〇年代ごろから新しい歴史学の潮流(「社会史」)の代表的人物として注目されるようになり、のちに「網野史学」・「網野史観」と称される独自の歴史研究のスタイルを打ち立てた人物である。かれの歴史観は、とくに大衆文化の実作者への影響が大きく、映画監督の宮崎駿や小説家の隆慶一郎、北方謙三の作品にその影響がみられる。 では、網野はなぜこれほどまで個性的な歴史研究者になったのか。そう考えて網野の自伝を読むと、一九五三年の夏に左翼政治運動から離脱したことが重大な転換点として語られている。本論文では、網野自身が研究上の重大な転換点として語っていた一九五〇年代の網野の活動を、同時代の左翼政治運動の潮流とつきあわせて検証した。 本論文ではまず、日本の敗戦直後における網野と共産党の関係について確認した(第一節)。そのうえで、一九五三年以降の共産党分裂期を対象として、網野をとりまく政治的状況を分析するとともに(第二節)、網野が歴史をめぐっていかなる活動を展開していたのかを分析した(第三節)。最後に、一九五〇年代後半、つまり網野が左翼政治運動から離脱したあとに、いかなるかたちで歴史研究を再開したのかを検討した(第四節)。 以上をとおして本論文では、一九五〇年代前半の一時期、国際共産主義運動の一部分に組み込まれて翻弄されていた網野善彦が、左翼運動離脱後に、政治的に否定された学説の検証に向かったことを示した。くわえて、一九五〇年代の段階ですでに、歴史を表象するメディアの問題に接していたことを指摘した。
著者
内田 力
出版者
日本マス・コミュニケーション学会
雑誌
マス・コミュニケーション研究 (ISSN:13411306)
巻号頁・発行日
vol.97, pp.87-104, 2020-07-31 (Released:2020-09-26)
参考文献数
21

In the publishing world in the 1980s, as the number of publicationsincreased, visual expression came to be more pronounced in both magazinesand books. How did this change in publishing media affect the content of thepublications and their authors? By focusing on the case of Amino Yoshihiko(1928-2004)―a historian on the Japanese Middle Ages―this articleexamines the relationship between published media in the 1980s and thevisualization of history. In particular, it explores the extent to which Amino’scommitment to visualizing history was of his own accord. This article analyzes publications by Amino from the 1980s to elucidatehow his history books were connected with visual expression in the process oftheir production. After receiving opportunities to write in a PR magazine published by a company, he began to write on the subject of color and costumein history. Afterward, he acquired knowledge on historical paintings whileproofreading the Pictopedia of Everyday Life in Medieval Japan, New Edition(1984), and he made the best use of this experience to write his own bookThe Grotesque Emperor( 1986), which became one of his primary works.After writing The Grotesque Emperor, he collaborated with a painter toproduce a picture book for children and participated in two large-scaleprojects featuring visual expression. This article reveals that although he wasreluctant to commit to the work of visualizing history initially, he deepenedhis understanding of the subject through various publishing projects.Additionally, the publishing projects that he participated in grew in scale andrequired more initiative. This article also found that Amino collaborated witheditors as well as at times a painter to complete all of his works, as early asthe proposal stage.
著者
蓮田 隆志 内田 力
出版者
立命館アジア太平洋大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2021-04-01

本研究は、1980年代以降の日本の中学・高校の歴史教科書に掲載されている朱印船貿易・日本町関連情報を記した図版を網羅的に収集する。その上で、記載内容の検討に留まらず、図版がどのような経緯をたどって掲載され、現在に至るまで流通しているのか、背景としての学界動向や学説史、教科書出版を取り巻く社会情勢の推移と関連させて明らかにする。