著者
北浦 寛之
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.50, pp.191-207, 2014-09

近年の邦画作品、『ALWAYS 三丁目の夕日』は山崎貴監督により、二〇〇五年のその第一作目から二〇〇七年『ALWAYS 続・三丁目の夕日』、二〇一二年『ALWAYS 三丁目の夕日'64』とあわせて全三作制作、公開されているが、そのどれもが、邦画年間興行収入のベスト・テンに入り、三十億円以上を稼ぐヒット作である。全作通じて昭和三十年代(一九五五年~六四年)の東京の下町の様子が、ノスタルジックに再現されており、特に近所の者が集まってテレビを一緒に見ては、大騒ぎしている様子が、当時を知る多くの人たちの共感を呼んだと指摘されている。ただ、テレビを囲んで展開されるこうした賑やかな光景は、当時の日本映画界では、違った景色として映っていたはずである。 すなわち、「ALWAYS」三部作が描いた昭和三十年代は、日本映画界にとって繁栄から衰退へと向かう転換期にあたる。そして、その転落の要因となったのが、テレビの普及であった。一九五〇年代は映画観客が年々急増し、日本映画の黄金期と呼ばれていた。だが、一九五八年に十一億人を超える動員数を記録するも、この年を境にして減少へと転じ、その後も大衆の映画離れが拡大していく。一方のテレビはというと、一九五九年、皇太子のご成婚パレードの影響もあって、国民のテレビ購買意欲は増大し、五八年に二百万ほどだったテレビ受信契約数が倍以上の四百万超にまで急伸する。以後、着実にテレビは国民の間に浸透していき、それに対して映画の観客数は減少していくことから、テレビは映画の脅威と見なされたのである。 本論文は、そうした当時の映画とテレビの緊張関係の中で、映画製作者たちが「ALWAYS」で見られたようなテレビをめぐる場面とどう対峙したのかを探るものである。昭和三十年代の映画作品を中心に、そこで、テレビないしはテレビ業界など、総体としてテレビ・メディアがどのように表象されていたのかを分析し、いまなお大衆娯楽の中核を担う映画とテレビの攻防の歴史を、本質的な映像の次元から整理していく。
著者
谷川 建司 小川 順子 小川 翔太 ワダ・マルシアーノ ミツヨ 須川 まり 近藤 和都 西村 大志 板倉 史明 長門 洋平 木村 智哉 久保 豊 木下 千花 小川 佐和子 北浦 寛之
出版者
早稲田大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2019-04-01

本研究は、日本映画史上最大の構造的転換期・構造的変革期をなす1960年代末~70年代を対象とし、その社会経済的実態を次に掲げる問題群の解明を通して明らかにし、その歴史的位相を確定する。即ち、①スタジオ・システムの衰退・崩壊の内実とその産業史的意味、②大量宣伝・大量動員手法を確立した角川映画の勃興、③映画各社が試みた経営合理化と新たな作品路線の模索、④「ピンク映画」の隆盛の実態とその影響、⑤異業種からの映画産業界への人材流入の拡大とそのインパクト、である。上記の五つの括りに因んだ映画関係者をインタビュイーとして抽出し、研究会一回につき1名をゲストとして招聘し、精度の高いヒアリングを実施する。