著者
小川 順子 森 伸介 鈴木 正昭
出版者
一般社団法人 日本原子力学会
雑誌
日本原子力学会 年会・大会予稿集 2004年秋の大会
巻号頁・発行日
pp.5, 2004 (Released:2004-11-19)

一般人に原子力発電の理解を求めるために、しばしば原子力発電のリスクが様々な「生活行為のリスク」と比較される。「生活行為のリスク」は、1979年米国ピッツバーグ大学Cohenによって計算された「様々なリスクの比較表」に載っている値が一般によく使われており、原子力の広報にも役立ってきた。しかしながら、これらは25年前のしかも米国のデータで計算されたリスクである。そこで我々は、現代日本の状況に合った日本におけるリスク表に改訂することを目的に、「ガン」、「心臓病」、「自動車事故」、「火事」、「脳卒中」、「肺炎/インフルエンザ」、「エイズ」、「独身(男性)」、「独身(女性)」「喫煙」、「肥満」、「飲酒」、「自殺」、「殺人」、「航空機墜落事故」、「原子力産業」、「自然放射線」、「地層処分」、「大気汚染」、「屋内煙検知器」、「エアバッグ」の21項目のリスクについて損失寿命を算出した。
著者
小川 順子
出版者
学術雑誌目次速報データベース由来
雑誌
日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.24, pp.37-54,v, 2002

本論は、チャンバラ時代劇映画における「殺陣」に焦点を当てて、殺陣のもつ歴史的な展開を新たに構成し、「殺陣史」の類型化を試みたものである。 チャンバラ時代劇映画における「殺陣」は映画がもつ宿命と同じものである。すなわち、ある程度ドミナントになったパターンが続くと、観客は新たなるものを欲望するようになり、そのようにして新たな欲望に応えるように映画は展開してきた。「殺陣」も同様に、歌舞伎の引き写しから様々な要素が加えられ、新たなる刺激を求める観客に応えようとしてきたはずである。しかし残念ながら、「殺陣」そのものを映画作品から独立させ、歴史的なパースペクティブからダイナミックな展開を構成していくというアプローチは見られない。多くは作品論や映画史、または役者の身体論という形において語られてきているのみである。 本論では、これまで流布してきた「殺陣」に関する言説を抽出し、歴史的な時間の流れにそって便宜上、時代配列した上で、映画史が繰り返し語る「黒澤時代劇」を一つの軸として、「殺陣の歴史的展開」のモデル化を試みたい。 歴史的なパースペクティブで「殺陣」を捉えなおしたとき、これまでの「殺陣」を構成してきたいくつかの要素が抽出可能であると考える。そして「殺陣」のもつダイナミックな展開は、これらの要素の導入や組み合わせ、並べ替えや特定の要素の強調、あるいは特定の要素の欠如によって、いくつかの類型に分類できると考える。そこで便宜上、四つの要素を抽出してみた。(1)映像効果的要素(映像技術の発展を指すので、歴史的にずっと変化し導入され続けている要素)。(2)コレオグラフィー的要素(歌舞伎的な舞踊からジャズ・ダンス的な要素まで全て含む「踊る」身体技法。これが当てはまる年代は、映画の草創期から「時代劇映画第二黄金期」と言われる一九六〇年代までを大きく含む。なぜなら、これは歌舞伎関係や舞台出身であるスターたちの身体と切り離せない要素だからである)。(3)スプラッター的要素(手足や首が飛んだり血が噴出するといった演出、いわば人間の身体を「モノ」化した映像表現)。(4)武術的要素(実際の武術の型を取り入れ、また武術家の名前をクレジットに出すことによって、武術的な関心を観客にアピールしたもの)。そしてこのスプラッター的要素と武術的要素は、映画史が繰り返して語る「黒澤時代劇」によってもたらされたものと考えられている。黒澤の『用心棒』『椿三十郎』、でこれらの要素が「殺陣」にもたらした革新は今更強調することもないであろう。 しかし、黒澤が与えた革新後、コレオグラフィー的要素は意識的に回避・否定されるようになり、そののちの「殺陣」は「黒澤時代劇」を一つの定型として仰いで反復を繰り返し、本質的に何ら新しい要素が加えられていないと考えられる。このような否定的状況の中で「殺陣」の未来は、失われたコレオグラフィックな身体技法を身につけたスターの出現か、新たなる要素の導入の他に可能性はないのではないかと考えられる。
著者
小川 順子
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.33, pp.73-92, 2006-10

本論の目的は、美空ひばりが銀幕で果たした役割を考察することによって、チャンバラ映画と大衆演劇の密接な関係を確認することである。戦後一九五〇年代から六〇年代にかけて、日本映画は黄金期を迎える。当時は週替わり二本立て興行が行われており、組み合わせとして、現代劇映画と時代劇映画をセットにするケースが多かった。そのように大量生産されたチャンバラ映画を中心とした時代劇映画のほとんどは、大衆娯楽映画として位置づけられ、連続上映することから「プログラム・ピクチャア」とも呼ばれている。映画産業を支え、発展させ、もっとも観客を動員したこれらの映画群を考察することには意義があると考える。そして、これらの映画群で重要なのが「スター」であった。そのようなスターの果たした役割を看過することはできないであろう。本論では、戦後のスターとして、あるいは戦後に光り輝いた女優として活躍した一人であるにもかかわらず、「映画スター」としての側面をほとんど語られることがない「美空ひばり」に焦点を当てた。そして、彼女によってどのように演劇と映画の関係が象徴されたのかを検証することを試みた。
著者
小川 順子
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.33, pp.73-92, 2006-10-31

本論の目的は、美空ひばりが銀幕で果たした役割を考察することによって、チャンバラ映画と大衆演劇の密接な関係を確認することである。戦後一九五〇年代から六〇年代にかけて、日本映画は黄金期を迎える。当時は週替わり二本立て興行が行われており、組み合わせとして、現代劇映画と時代劇映画をセットにするケースが多かった。そのように大量生産されたチャンバラ映画を中心とした時代劇映画のほとんどは、大衆娯楽映画として位置づけられ、連続上映することから「プログラム・ピクチャア」とも呼ばれている。映画産業を支え、発展させ、もっとも観客を動員したこれらの映画群を考察することには意義があると考える。そして、これらの映画群で重要なのが「スター」であった。そのようなスターの果たした役割を看過することはできないであろう。本論では、戦後のスターとして、あるいは戦後に光り輝いた女優として活躍した一人であるにもかかわらず、「映画スター」としての側面をほとんど語られることがない「美空ひばり」に焦点を当てた。そして、彼女によってどのように演劇と映画の関係が象徴されたのかを検証することを試みた。
著者
谷川 建司 小川 順子 小川 翔太 ワダ・マルシアーノ ミツヨ 須川 まり 近藤 和都 西村 大志 板倉 史明 長門 洋平 木村 智哉 久保 豊 木下 千花 小川 佐和子 北浦 寛之
出版者
早稲田大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2019-04-01

本研究は、日本映画史上最大の構造的転換期・構造的変革期をなす1960年代末~70年代を対象とし、その社会経済的実態を次に掲げる問題群の解明を通して明らかにし、その歴史的位相を確定する。即ち、①スタジオ・システムの衰退・崩壊の内実とその産業史的意味、②大量宣伝・大量動員手法を確立した角川映画の勃興、③映画各社が試みた経営合理化と新たな作品路線の模索、④「ピンク映画」の隆盛の実態とその影響、⑤異業種からの映画産業界への人材流入の拡大とそのインパクト、である。上記の五つの括りに因んだ映画関係者をインタビュイーとして抽出し、研究会一回につき1名をゲストとして招聘し、精度の高いヒアリングを実施する。
著者
小川 順子
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要
巻号頁・発行日
vol.33, pp.73-92, 2006-10-31

本論の目的は、美空ひばりが銀幕で果たした役割を考察することによって、チャンバラ映画と大衆演劇の密接な関係を確認することである。戦後一九五〇年代から六〇年代にかけて、日本映画は黄金期を迎える。当時は週替わり二本立て興行が行われており、組み合わせとして、現代劇映画と時代劇映画をセットにするケースが多かった。そのように大量生産されたチャンバラ映画を中心とした時代劇映画のほとんどは、大衆娯楽映画として位置づけられ、連続上映することから「プログラム・ピクチャア」とも呼ばれている。映画産業を支え、発展させ、もっとも観客を動員したこれらの映画群を考察することには意義があると考える。そして、これらの映画群で重要なのが「スター」であった。そのようなスターの果たした役割を看過することはできないであろう。本論では、戦後のスターとして、あるいは戦後に光り輝いた女優として活躍した一人であるにもかかわらず、「映画スター」としての側面をほとんど語られることがない「美空ひばり」に焦点を当てた。そして、彼女によってどのように演劇と映画の関係が象徴されたのかを検証することを試みた。
著者
小川 順子
出版者
総合研究大学院大学
巻号頁・発行日
2004

博士論文