著者
吉田 京子
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.78, no.2, pp.423-444, 2004-09-30 (Released:2017-07-14)

イスラーム世界全般に見られる(聖者)廟参詣は、これまで専ら文化人類学的研究の対象とされてきた。それらは、廟参詣を「公的」イスラームとは異なるものとして捉え、一般信者による「民衆的」行為として語ることが多い。しかしながら、イスラームには廟参詣を教義的イスラームと深く関わるものとして捉える事例も存在している。その一例として本論が採りあげるのが、十二イマーム・シーア派のイマーム廟参詣理論である。同派のイマーム廟参詣は、単なる墓参りではなく、「原初的過去からの伝統の継承」であり、「イマーム性の原理の確認行為」であり、そこから得られる報酬は、シーア派信者としての義務を果たした結果得られる正当な権利と理解されている。同派のイマーム廟参詣は、民衆による自発的実践行為であると同時に、「イマーム」に関わる点において、知識人側からも綿密な理論化を受けたものであり、正式なイスラームの信仰行為として展開されているものである。
著者
竹下 政孝 柳橋 博之 鎌田 繁 青柳 かおる 吉田 京子
出版者
東京大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2009

中東三地域(アラブ・イラン・トルコ地域)全般について、竹下がイスラーム神秘思想(イブン・アラビーおよびその系統)のテキスト、オスマン帝国領域について、柳橋が法学分野のシャイバーニーのテキストおよびスンナ派四法学派の権威的テキスト、イラン・シーア派地域について、鎌田が神秘思想に関するモッラー・サドラーのテキスト、吉田が伝承学のマジュリスィーのテキスト、エジプト、アラブ地域について、青柳がガザーリーの神学テキスト、これらの主要なテキストに関し現代における受容と影響を考察する論文、著作を成果としてまとめた。
著者
吉田 京子
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.78, no.2, pp.423-444, 2004-09-30

イスラーム世界全般に見られる(聖者)廟参詣は、これまで専ら文化人類学的研究の対象とされてきた。それらは、廟参詣を「公的」イスラームとは異なるものとして捉え、一般信者による「民衆的」行為として語ることが多い。しかしながら、イスラームには廟参詣を教義的イスラームと深く関わるものとして捉える事例も存在している。その一例として本論が採りあげるのが、十二イマーム・シーア派のイマーム廟参詣理論である。同派のイマーム廟参詣は、単なる墓参りではなく、「原初的過去からの伝統の継承」であり、「イマーム性の原理の確認行為」であり、そこから得られる報酬は、シーア派信者としての義務を果たした結果得られる正当な権利と理解されている。同派のイマーム廟参詣は、民衆による自発的実践行為であると同時に、「イマーム」に関わる点において、知識人側からも綿密な理論化を受けたものであり、正式なイスラームの信仰行為として展開されているものである。
著者
河崎 道夫 権部 良子 浅田 美知子 藤本 尚 井本 賢治 吉田 京子
出版者
三重大学
雑誌
三重大学教育学部附属教育実践総合センター紀要 (ISSN:13466542)
巻号頁・発行日
vol.25, pp.9-16, 2005-03
被引用文献数
1

本研究会(幼小連携接続問題研究協議会)は、幼小連携問題について、(1)児童間交流と教員間交流、(2)教育課程の再編、(3)養成課程の改革を三つの課題として取り組んでいる。これまでは(1)全体の取り組みの計画を構造化するとともに、児童間交流の問題を中心とした実践的研究を報告してきた。今回は、(1)3年間にわたり継続的に児童間交流を進めてきた実践の成果と課題を総括すること、(2)2年目となる教育課程の改訂への取り組みの中間報告と今後の展望をまとめた。
著者
吉田 京子
出版者
一般社団法人 日本オリエント学会
雑誌
オリエント (ISSN:00305219)
巻号頁・発行日
vol.43, no.1, pp.89-102, 2000-09-30 (Released:2010-03-12)

Muhammad b. 'Ali b. Husayn b. Babuyah al-Qummi (d. 381/991-2), known as Ibn Babuyah or al-Shaykh al-Saduq, is the author of the Man la yahdurh al-faqih, one of the four canonical collections of Shi'ite hadith, and regarded as one of the foremost traditionists among the Twelver Shi'a. However, in the early rijal works, Ibn Babuyah had been authorized merely as “jalil”, that is, important. On the other hand, two other compillers of the four canonical collections, al-Kulayni and al-Shaykh al-Ta'ifah al-Tusi (d. 460/1067-8), enjoyed the highest esteem “thiqah” which means fully trustworthy in the transmission of hadith.To find the reason of his appparently lower evalutaion, the present study focuses on the question of ghaybah, comparing Ibn Babuyah's approach to traditions in Kamal al-din wa-tamam al-ni'mah with that of al-Shaykh al-Ta'ifah al-Tusi in Kitab al-ghaybah, who himself appreciated Ibn Babuyah “jalil” in his Fihrist.Ibn Babuyah made the best use of traditions to define, clarify and verify the twelfth Imam's ghaybah as a corporeal incident, claiming that only through ‘hearing’ traditions, the words of the Prophet and Imams, man can obtain true knowledge with the help of Divine grace.On the other hand, al-Tusi had much less confidence in traditions and made them supplementary. Following the rational method of his teachers such as al-Shaykh al-Mufid and al-Murtada, he tried to solve the problems caused by Imam's ghaybah by using mainly human reason.Considering the differece of their approaches to traditions, it can be said that the split between pre-Akhbaris and Usulis had already started since then, and that this caused the judgement of Ibn Babuyah as jalil.