著者
山村 慎 吉野 秀幸
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要. V, 教科教育 (ISSN:03893480)
巻号頁・発行日
vol.53, no.2, pp.27-43, 2005-02-21

J. L.マーセルは,音楽は感情と深い関係があると述べている。日本の教育課程における音楽科の目標が豊かな情操を養う点にあることからみても,このマーセルの考えは非常に興味深いものである。一方,マーセルはまた音楽における別の視点,つまりその社会性および道徳性についても言及している。マーセルによるこのような音楽の捉え方は, J. C.スマッツの唱えるホーリズムの考え方に相通じる面があるように思われる。なぜなら,感情とは他者および自己自身との社会的,道徳的つながりの中で育まれると言えるからである。そこで,本論文は,音楽教育が感情の教育に有益なものであることを,マーセルの論および音楽美学の考えに基づいて明らかにする。そして同時に,音楽教育が他者とのかかわりを体験する場となり得ることを,マーセルの論とホーリズムにおける「全体性」の概念を統合することによって明らかにする。
著者
久田 雅子 吉野 秀幸
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要 1 人文科学 (ISSN:03893448)
巻号頁・発行日
vol.55, no.2, pp.63-83, 2007-02

「ドビュッシーの〈喜びの島〉はヴァトーの絵画〈シテール島への船出〉から着想を得て作曲された」。この定説は,広く世に知れ渡っている。ところが,両作品を結びつける明確な根拠を記した文献はどこにも見つからない。はたしてこの説は真実なのだろうか。本研究の目的は,様々なドビュッシー研究家による文献を手掛かりに,この通説の出所および真偽を確かめ,これが定説化していった背景について推論的に明らかにすることにある。そのために本研究はまず,〈喜びの島〉と同一視されるシテール島について,フランスの歴史を踏まえつつ考察する。つぎに,〈喜びの島〉作曲当時におけるドビュッシーの私生活に〈喜びの島〉と〈シテール島への船出〉を関連づけるだけの痕跡を探りながら,当時の社会風潮を背景に問題の説が定説化していった経緯を明らかにする。続いて,〈シテール島への船出〉の成立事情についてみた上で,問題の定説にはそもそも学問的,客観的な根拠が存在しないことを論証する。It is said that C.Debussy's L'îsle joyeuse was inspired by J.A.Watteau's L'embarquement pour Cythère. This view has been commonly accepted. But, so far, we have not found any relation between both works, at least from the scholarly point of view. Is this view really true? The purpose of this paper is to find out what originated this view, see if it is true or not, and infer that it is no more than a mistaken conjecture which comes from a rumor or gossip, from many detailed descriptions by several Debussy scholars and others on our subject. Lastly, we arrive at the conclusion that there is no scholarly and objective reason to maintain that common view.
著者
橋本 淳 吉野 秀幸
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要. I, 人文科学 (ISSN:03893448)
巻号頁・発行日
vol.53, no.2, pp.15-39, 2005-02-21

J.S.バッハは敬虔なキリスト教信者であり,特に彼のオルガン作品は教会のための音楽が大部分を占める。彼はそのような楽曲に,ある感情や情念を象徴的に表す方法や言語的ともとれる特徴的な表現方法を用いている。本研究の目的は第1に,バッハのオルガン作品を作品が生まれた時代,文化,慣習など様々な文脈から捉え,特に作品の中の言語的な表現に注目しその具体的表現手法について明らかにすることである。第2に,それらが実際の演奏にどう生かせるかについて検討することを通し,現代におけるバッハ演奏はどうあるべきか,また筆者自身バッハの演奏にどう取り組んだらよいのかについて発展的に考察することである。バッハの言語的表現について本研究は,バッハの著名な研究家であるA.シュヴァイツァーの解釈を拠り所とする。彼はバッハの形象的表現や象徴的表現また言語的表現を「痛みのモチーフ」「喜びのモチーフ」といった「モチーフ(動機)」として抽出している。シュヴァイツァーによるこのような解釈に基づいて本研究では,諸々のモチーフによってバッハのオルガン曲がどのような内容を表現しているかを独自の視点を交えながら分析,考察し,その成果を実際の演奏法に応用してみたい。また,過去に創作された作品と演奏者との現代における相互の関わり方,およびバッハの演奏を現代においてどう響かせるかについて考察することも本研究の主要な課題となる。
著者
吉野 秀幸
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要. I, 人文科学 (ISSN:03893448)
巻号頁・発行日
vol.53, no.2, pp.1-14, 2005-02-21

以前筆者は, N.Goodmanの音楽記号論には「スコアの例示」に関して彼が規定し損なっているシンボルが存在すると指摘したことがある。(S1)と名づけたこのシンボルについて,当時はその考察範囲がLanguages of Artに限られ,またそれが現実の演奏の中でどのように機能するかについては未解決のままであった。本研究の目的は,Languages of Art以外にも射程範囲を拡大し,(S1)に音楽のシンボルとしての明確な地位を与えることにある。このようなところに目的を定めたのも,Languages of Art以降の文脈に(S1)が位置づけられると考える根拠があるからにほかならない。とりわけ本研究は,GoodmanがLanguages of Artとそれ以降とにおいて「作品」概念に変更を加えている点に注目する。この点が(S1)の問題と実によく符合すると思われるからである。したがって,今回の主な仕事は,Goodmanによる作品概念の変更と(S1)のシンボル上の地位との接点を見出すことにある。それによってGoodmanの音楽記号論を再検討し,新しい作品概念と(S1)とを組み入れた形で音楽の例示システムを改めて提示することを試みたい。