- 著者
-
埴原 恒彦
- 出版者
- The Anthropological Society of Nippon
- 雑誌
- 人類學雜誌 (ISSN:00035505)
- 巻号頁・発行日
- vol.99, no.3, pp.345-361, 1991 (Released:2008-02-26)
- 参考文献数
- 57
- 被引用文献数
-
5
10
アイヌの起源に関しては,コーカソイド起源説,オーストラロイド起源説,モンゴロイド起源説など,考え得るほとんど全ての説が提出された.しかし,今日では,アイヌが縄文人の直系の子孫であることはほぼ確実視されている.一方,近世アイヌの成立に関しては,一般には,本州の縄文人を主体とし,それに北海道東部の縄文人やサハリン,千島からの外来要素が加わって,その形質的特徴が形成されたと考えられている.このような結果はおそらく,モヨロ貝塚や大岬から出土したオホーツク文化期人骨の北方的な形質的特徴によるものであろう.しかし,筆者は,少なくとも近世アイヌの形質に関しては北方的要素,すなわち寒冷地適応を示す特徴はほとんど見られないのではないか,と考え,アイヌの起源と分化について歯冠形質に基づき,再調査した.分析の結果,北海道南西部,中部,東北部のアイヌ,更に,サハリンアイヌは,続縄文人と共に,本州の縄文人ときわめて類似するが,時代的に続縄文人と近世アイヌの間に位置する大岬人骨は,従来の主張通り,北方アジア人にきわめて近い形質を有することが,歯冠形質にっいても明かとなった.このことは,確かに北海道にも北方からの渡来があったことを示していよう.モヨロ人骨,大岬人骨に代表されるオホーツク文化は12世紀頃に忽然と消えてしまうが,本分析結果から,彼らが先住民であるアイヌにほぼ完全に吸収されてしまったか,あるいは適応に失敗し,事実上は消滅してしまったものと考えられる.以上のことから,近世アイヌの成立にっいては,北方からの外来要素を考慮するよりは,むしろ縄文人の形質を主体とし,その後2千数百年間の,環境と文化の影響下における小進化として説明するのが最も妥当であると考えられる.アリゾナ州立大学の C.G. ターナー教授が,縄文人の源流を,後期更新世にスンダランドで進化してきた集団に求め得るとしていることは,よく知られている.今回得られた結果は,上記の,スンダランドのいわば仮想集団が,形質的には,現在のネグリトに代表されるような,東南アジアにおける最も基層的集団 (generalized Asiatic populations)に類似していたのではないかという筆者の主張と矛盾するものではないと思われる.