著者
宮川 泰夫
出版者
経済地理学会
雑誌
経済地理学年報 (ISSN:00045683)
巻号頁・発行日
vol.38, no.1, pp.51-66, 1992
被引用文献数
1

東アジアは, 国際政治経済構造の変革が, その国際工業配置体系の変容に如実に示されている地域である. とくに, 自動車産業の展開は, 戦前の日本フォード, 日本GMの生産停止と日本の国産車育成に始まり, 満州・中国への展開と, 国防経済体制の構築と密接に関連して始まった. 第二次大戦後の中国での自動車産業配置も, こうした国防経済体制配置と無縁ではなく, またその配置には, 長春第一汽車製造廠の配置にみられるように直接的には中ソの政治経済構造が, 間接的には戦前の日本の自動車工業配置が生かされている. 日華平和条約, 日韓基本条約の締結による国際工業配置体系の変容は, それぞれの国内の産業育成政策, 国防政策と関連して生じ, 内外の産業構造の変動と都市集積に左右された. 自動車工業の配置変動, 提携関係の変化は, こうした点を良く示している. この提携関係の変化は, 1972年の日中国交回復によって如実に示されはしたが, むしろ石油危機と変動相場制移行を契機とした自動車工業の内に典型的に示された日本工業の国際競争力強化や海外展開と深く関連して基本的には生じてきた. そして, 日米間の政治・経済構造の変革がその大枠を規定したが, 1975年の十堰の第二汽車製造廠設立に示される中ソの政治経済構造の変質もその国際工業配置体系には微妙に影響している. 1978年の中国経済開放政策は, 日本・香港・台湾を含む東アジアの工業配置を変質させ, 1985年からの台湾, 旧ソ連の変革, 88年のオリンピックを契機とした韓国の変質とあいまって, 自動車工業に典型的に表われているように東アジアに新たな錯綜した国際工業配置体系を欧・米をも巻きこんで形成しつつある.
著者
宮川 泰夫
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.71, no.5, pp.351-361, 1998-05-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
28

中部圏開発整備の課題について,地域計画の理念と計画地域の領域との両面から考察した.中央日本,中部圏,中京という計画地域の概念は戦時体制下での地域計画成熟していたが,計画地域として明示されるに至ったのはいずれも高度経済成長期の1960年代である.しかしその後は国土庁大都市圏局や東海旅客鉄道のような中央日本を管理領域とする官民の地域計画主体が誕生しても,1960年代のような三者の関連についての議論は深あられていない.中央日本の要となる計画領域としての中京が中部圏において明瞭に位置付けられ,中京の役割を内外のクロスロードとして明示することが,構造的に中部圏開発整備の一つの課題となってきた.地域計画理念の上では,地域からの発想と地域主体による自主的な工業振興計画が継承されてきている.これに加えて,地域が培ってきた地域住民の生活と地域環境の改善とを重視し,地球の環境と人類の厚生に配慮して,地域自らが自律的に内外の地域と連携してそれらを実現する計画の立案が,中部圏開発整備において今求められてきている.
著者
宮川 泰夫
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.49, no.1, pp.25-42, 1976-01-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
22

大都市零細工業的性格をもった眼鏡枠工業は,今日では,その約80%を地方の町鯖江に於て産出している.この地への導入は,大阪へ出稼者や移住者を出しながら絶えず地場産業を求めていた北陸の一寒村の地域性と東京の名工と大阪の問屋がもつ「都」「市」的機能と地場の低廉な労働力の結合を可能にした増永家の家業性を基礎に置く.明治末に生野に定着した眼鏡枠工業は,大正に入ると同様の地域性をもち帳場の親方の出身地である東部地域に分家的独立の形態をもって展開し,技能と低廉労働力に基礎をもつ村の工業となってゆく.それが昭和になり機械化が進み組立工業的性格を強めながら低廉な技能者の集積によって大阪・東京といった大都市産地との競合に打勝って産地規模を拡大してゆくにつれその生産流通機能の展開に適した新興の町に生産拠点を移し町の工業へと転換していった.戦後は繊維や漆器といった地場産業の展開する町を棲み分けつつ,拡充した町の生産流通機能に主導された町から村へ連らなる一大産地を眼鏡枠工業は形成している.このように眼鏡枠工業の配置は工業がその発展段階に応じて性格を異にする地域を棲み分けることによってもたらされたといえる.
著者
宮川 泰夫
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.49, no.1, pp.25-42, 1976

大都市零細工業的性格をもった眼鏡枠工業は,今日では,その約80%を地方の町鯖江に於て産出している.この地への導入は,大阪へ出稼者や移住者を出しながら絶えず地場産業を求めていた北陸の一寒村の地域性と東京の名工と大阪の問屋がもつ「都」「市」的機能と地場の低廉な労働力の結合を可能にした増永家の家業性を基礎に置く.明治末に生野に定着した眼鏡枠工業は,大正に入ると同様の地域性をもち帳場の親方の出身地である東部地域に分家的独立の形態をもって展開し,技能と低廉労働力に基礎をもつ村の工業となってゆく.それが昭和になり機械化が進み組立工業的性格を強めながら低廉な技能者の集積によって大阪・東京といった大都市産地との競合に打勝って産地規模を拡大してゆくにつれその生産流通機能の展開に適した新興の町に生産拠点を移し町の工業へと転換していった.戦後は繊維や漆器といった地場産業の展開する町を棲み分けつつ,拡充した町の生産流通機能に主導された町から村へ連らなる一大産地を眼鏡枠工業は形成している.このように眼鏡枠工業の配置は工業がその発展段階に応じて性格を異にする地域を棲み分けることによってもたらされたといえる.