- 著者
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山口 哲由
- 出版者
- 公益社団法人 日本地理学会
- 雑誌
- 日本地理学会発表要旨集
- 巻号頁・発行日
- vol.2012, 2012
ラダーク管区は,インドの北西部のジャンムー・カシミール州に属する。集中豪雨被害は2010年の8月にラダーク管区の中心地であるレー県で発生した。政府発表では死者265人,うち132人が現地住人であったとされる。最も大きな被害を受けたのが県中心部に近いチョクラムサル新興区であり,43人の死者数を数えた。チョクラムサル新興区は,ラダック中心部を流れるインダス川に注ぐサブー川の扇状地に位置しており,上流には伝統的な村落であるサブー村,インダス川との合流点付近にはチョクラムサル村が位置している。 集中豪雨が発生した8月5日,チョクラムサル新興区では,午後7時過ぎから小雨と雷が続き,11時過ぎから突如として猛烈な豪雨となり,15分ほどで土石流がチョクラムサル新興区を襲った。扇状地より上流に位置するサブー村でも河川沿いの家屋などが崩壊し,7人の死者があった。土石流はチョクラムサル新興区を直撃し,サブー川両側に密集していた家屋が押し流された。土石流の岩石は扇状地中心部に堆積したため,扇端部に位置するチョクラムサル村まで到達したのは砂礫や小石のみであり,人命や家屋への被害は比較的少なかった。 ラダーク管区は極度の乾燥地であり,それ故に伝統的な村落は扇状地より上部に位置して支流からの灌漑をおこなうか,あるいは扇状地の末端に位置してインダス川の水を利用して灌漑農業を実践してきた。扇状地中心部は灌漑用水が得られないためほとんど利用されない空白地であった。一般的に扇状地は浸食による土砂が堆積する地形であり,土石流発生時の危険性はこれまでも指摘されてきた。サブー村やチョクラムサル村の立地は,災害対策としても合理的であったといえる。 しかしながら1950年代以降は,地域の中心部に近いサブー川扇状地は便利で平坦な空白地として,カシミール紛争に伴う国境軍の駐屯地や,チベット動乱で流入した難民キャンプなどの大型施設がされた。また,都市化の進展に伴って学校や公共施設,これらの施設関係者の住居が建設されることで,サブー川扇状地は発展してきたのである。このように地域の環境と切り離され,近年のラダック地域の社会状況の変化とともに開発されてきた扇状地で暮らす人びとが大きな被害を受けたのが今回の集中豪雨であり,山地社会における社会変化と密接に関わっていた災害であったと考えられる。