著者
廣瀬 宗孝 助永 憲比古 岡野 一郎 岡野 紫 中野 範 恒遠 剛示 棚田 大輔 佐藤 和美 乾 貴絵
出版者
一般社団法人 日本ペインクリニック学会
雑誌
日本ペインクリニック学会誌 (ISSN:13404903)
巻号頁・発行日
pp.15-0039, (Released:2016-09-06)
参考文献数
43

慢性疼痛の発症とその持続には,中枢神経系の神経可塑性が重要であるが,血液における自然免疫の役割も注目されている.このため慢性疼痛の血液マーカーを見つける研究が行われており,脳由来神経栄養因子(brain-derived neurotrophic factor:BDNF)もその候補の一つである.末梢神経が損傷されると,炎症誘発期では中枢神経系のBDNFは増加し,抗炎症期になると低下すると考えられている.中枢神経系のBDNFは血液中に漏出するため,このような中枢神経系におけるBDNFの変化は血液中のBDNF濃度に反映するとの考えがある.しかし,われわれが行った慢性腰痛症患者の臨床研究では,抗炎症反応が増加すると血液細胞のBDNF遺伝子におけるエピジェネティックな変化で血清BDNF値は低下することが明らかとなり,BDNF値の低下と痛み症状の数の増加に相関関係が認められた.慢性疼痛患者の血中BDNF濃度は,その時々の自然免疫状態など他の因子との関係も鑑みることで血液マーカーとなる可能性がある.
著者
廣瀬 宗孝 助永 憲比古 岡野 一郎 岡野 紫 中野 範 恒遠 剛示 棚田 大輔 佐藤 和美 乾 貴絵
出版者
一般社団法人 日本ペインクリニック学会
雑誌
日本ペインクリニック学会誌 (ISSN:13404903)
巻号頁・発行日
vol.23, no.4, pp.507-515, 2016 (Released:2016-11-04)
参考文献数
43

慢性疼痛の発症とその持続には,中枢神経系の神経可塑性が重要であるが,血液における自然免疫の役割も注目されている.このため慢性疼痛の血液マーカーを見つける研究が行われており,脳由来神経栄養因子(brain-derived neurotrophic factor:BDNF)もその候補の一つである.末梢神経が損傷されると,炎症誘発期では中枢神経系のBDNFは増加し,抗炎症期になると低下すると考えられている.中枢神経系のBDNFは血液中に漏出するため,このような中枢神経系におけるBDNFの変化は血液中のBDNF濃度に反映するとの考えがある.しかし,われわれが行った慢性腰痛症患者の臨床研究では,抗炎症反応が増加すると血液細胞のBDNF遺伝子におけるエピジェネティックな変化で血清BDNF値は低下することが明らかとなり,BDNF値の低下と痛み症状の数の増加に相関関係が認められた.慢性疼痛患者の血中BDNF濃度は,その時々の自然免疫状態など他の因子との関係も鑑みることで血液マーカーとなる可能性がある.
著者
岡野 一郎
出版者
一般社団法人 社会情報学会
雑誌
社会情報学 (ISSN:21872775)
巻号頁・発行日
vol.5, no.2, pp.37-51, 2016 (Released:2017-02-03)
参考文献数
26

本稿の目的は, 情報化と呼ばれる現象を, 「情報の消費化」及び「情報の個人化」という観点から捉え直すことである。Websterが批判しているように, 情報化という要因によって社会に何か質的な変化が生じたことを示すのは困難であるし, そもそもBellらの言う物質中心の社会から情報中心の社会へという変化自体が疑わしい。むしろ検討するべきなのは, 情報に関して何が変化したのかである。本稿ではそのような変化として, 「情報の消費化」及び「情報の個人化」を検討する。まず, 情報の消費化とは, 資本主義市場がますます情報関連に広がっていくことを指す。製造業中心からサービス産業中心の社会への移行は, 市場が覆う生活の範囲の拡大として理解できる。しかし, 情報化と見える現象のすべてが「情報の消費化」で説明できるわけではない。Castellsらの言う「ネットワークされた個人主義」は, 「ネットワークの個人化」ないし「情報の個人化」として捉えることができる。Beckらは個人化を, リスク管理の責任がますます個人に課せられるようになる現象として描き出している。情報という観点からは, これは期待効用の最大化を目指すゲーム理論的人間観となる。これは「情報の消費化」と「情報の個人化」が重なることで生じたと言えるが, 進化ゲームの知見は, 私たちがゲーム理論的人間観になじまないことを示している。Beckらの示唆するシステム理論的観点からすれば, 私たちは市場のみに巻き込まれるのではなく, 多元的自己を持った存在として, 個人化の時代を生きていく必要がある。
著者
岡野 一郎
出版者
東京農工大学
雑誌
東京農工大学人間と社会 (ISSN:13410946)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.109-128, 2004-03-26

グレゴリー・ベイトソンのダブルバインド理論が話題になったのは,かれこれ20年ほど前になろうか。当時,ベイトソンの議論は二種類の方向で受容されていたように思われる。一つはニュー・サイエンス的な方向性であり,ベイトソンの議論を悟りや宗教的な体験と結びつけて捉えるものだった。そしてもう一つは,ポスト構造主義的な方向性であり,ここではダブルバインドの持つ破壊的な側面が重視されることになる。いずれにせよ,ダブルバインドそのものは人間同士のコミュニケーションに亀裂をもたらすものであり,およそ共生といったこととは正反対の意味合いで捉えられていた。宗教的な方向性で見る場合でも,ダブルバインドを乗り越えたところに新しいものが見つかる,という話になっていた。しかし,むしろダブルバインドそのものの中にこそ共生の可能性がはらまれているという見方はできないだろうか。ダブルバインド理論が持つ含みは,共生と葛藤の契機が,基本的に同じものに根ざしているという点にあったのではないか。本稿においては,このようなダブルバインドの「可能性」を,コミュニケーションの流れを見ていく中で探っていきたいと思う。ダブルバインド理論は精神分裂病(統合失調症)研究の中から生まれてきたものだ。しかし,その応用範囲はかなり広いと思われる。すべてのコミュニケ-ションにはダブルバインドがはらまれていると考えられるからである。本稿ではまず,ベイトソンの基本的なスタンスを復習しておく。そして,ダブルバインドの状況を概観した後,ベイトソンの議論が持つ限界点を考える。その上で最後に,コミュニケーションを捉える視点としての,ダブルバインドの可能性を見ていくことにしたい。
著者
岡野 一郎
出版者
国立循環器病センター(研究所)
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2003

α-ラトロトキシンはセアカゴケグモ(Latrodectus mactans)の毒腺より単離された神経毒である。その作用機序は。哺乳類の神経シナプス前膜に局在する、リガンドが未知の細胞膜7回貫通型受容体CL1(calcium independent latrotoxin receptor (CIRL)/Latophilin 1)に特異的に結合し、神経終末より神経伝達物質の異常放出を促す。その結果、痛み,発汗,呼吸不全などの自律神経の失調をもたらす。α-ラトロトキシンによりもたらされる細胞内分泌顆粒放出のメカニズムは、細胞内外のカルシウムイオンに非依存的に生じることから、この放出がこれまで知られている経路とは異なる、未知の細胞内シグナル伝達系を介している可能性が強く示唆されている。本研究では、CL1の内在性リガンドを単離することにより、神経伝達を含めた細胞内分泌顆粒の放出の新たなメカニズムを明らかにし、神経系,内分泌系における生理的な機能と意義の解明を目的とする。これまでの研究では、細胞内サイクリックAMP(cAMP)濃度の増減をルシフェラーゼ活性でモニターできるよう、cAMP応答配列の下流にルシフェラーゼ遺伝子を繋いだレポーター遺伝子を開発した。更にHEK293細胞とCHO細胞について、このレポーター遺伝子とCL1遺伝子を恒常的に発現する細胞株を樹立し、これらにラットの組織より抽出した生理活性ペプチド画分にて刺激を加えた。複数の画分において細胞株のcAMPを上昇させるものが認められたが、アミノ酸配列を解析したところ、既知のもの若しくは蛋白質が部分分解したものであった。そこで、これら偽陽性を早い段階で排除する目的と、受容体が似ているのならそのリガンドも相同性を持つであろうという予測のもとに、CL1と相同性のあるオーファン受容体CL2,CL3について同様の手法により細胞株を樹立した。これらに共通して反応する画分が最も可能性があるものではないかと考えていたが、検索の結果はこれまでと同様、既知蛋白質が分解したものが大部分であった。また未知のものについても、予想される塩基配列をもとにcDNAクローニングまで行ったが、分泌配列が見当たらず、生理活性ペプチドというよりも何らかの構成蛋白質と考えられるものであった。CL1,2,3が生理活性ペプチドの受容体であることはその構造から十分に予測できることから、恐らくこの結果はリガンドの組織含量が低いことが考えれる。そこで今後は、上記の細胞株を用いた検索を行うと共に、ラットの脳より単離した神経細胞にCL1,2,3とレポーター遺伝子を導入して検索を行うことを予定している。これら受容体は生体内では神経細胞に特異的に発現していることから、通常の細胞株よりも神経細胞を用いた場合の方が、より高感度で反応を検出できる可能性が考えられる。
著者
岡野 一郎
出版者
東京農工大学
雑誌
東京農工大学人間と社会 (ISSN:13410946)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.55-64, 2005-03-26

今日の環境問題を「共生」という視点と結びつけるとき,まず思い浮かぶのは,「人間と自然との共生」ということであろう。人間が自然を管理・支配しようとすることが問題なのであり,自分たち人間と自然とが同じ存在価値を持つことを認め,両者が両立するような関係を構築していくべきだということになる。人間と自然が「共に生きられる」条件を見いだすことが急務であることは歴然たる事実である。だが,それは,人間と自然が「共に生きよう」とすることで実現できるものであろうか?つまり,人間と自然の共生を阻むものは,自然と「共生」しようとしない人間の意識や文化の問題なのだろうか?本稿では,環境破壊の要因として,人間の側での文化なり意識なりを措定することが可能かどうか,主に加藤尚武の議論(加藤 1991)を追いつつ検証していきたい。
著者
岡野 一郎
出版者
東京農工大学
雑誌
東京農工大学人間と社会 (ISSN:13410946)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.25-39, 2003-08-29

Anonymity, once a notable feature of cyberspace, is now threatened by technology and politics of surveillance. We are now entering the post-anonymity era of cyberspace, where our personal information can be easily exploited by other people or institutions. We always think of interactivity of the Internet as beneficial to us. We must be aware, however, that electronic interactive communication can be sometimes very dangerous because governmental agencies or businesses can easily collect our personal information through such interactivity. Most of our personal information is in a sense not personal. It is shared and supported by friends, families and many other communities around us. We need an equivalent of such layered network in the cyberspace to protect our personal information in the era of post-anonymity.