著者
平野 聖 石村 眞一
出版者
日本デザイン学会
雑誌
デザイン学研究 (ISSN:09108173)
巻号頁・発行日
vol.54, no.3, pp.55-64, 2007-09-30
被引用文献数
2

本論では,扇風機のデザインの歴史を研究することを通じ,我が国家庭電化製品のデザイン開発における特徴を解明する一助としたい。明治,大正時代の史料を調査することにより,以下のことが判明した。明治時代には,先進国から我が国へ輸入された製品が,扇風機を普及させる中心的役割を果たした。欧米では,天井扇の需要が大いにあったが,我が国においてはほとんどなく,卓上扇風機を中心に開発が進められた。我が国における職人の能力は高度であった為,欧米から導入された技術を受容できる余地があった。当初は町工場も扇風機を製造していたが,やがて財閥系の大企業が製造を独占するようになる。大正時代に入ると多くの大企業が扇風機製造に進出し,各社の宣伝活動が盛んになった。大正時代前半には,扇風機のデザインにおける基本的な4つの要素が出揃った。すなわち,黒色,4枚羽根,ガード,首振り機能である。扇風機は高価であったので,大半の人々は扇風機の貸付制度を利用していた。その結果,扇風機はステイタスシンボルとして機能した。
著者
平野 聖
出版者
川崎医療福祉大学
雑誌
川崎医療福祉学会誌 (ISSN:09174605)
巻号頁・発行日
vol.20, no.2, pp.481-493, 2011

昭和後期は我が国扇風機の成熟期に相当し,普及率が伸び悩む状態となった時代である.三菱電機において市場を喚起する役割を担ったのが,「扇風機のコンパクト化」に関する提案であった.扇風機を分解梱包し,使用しない時にはコンパクトに保管できるアイデアを「コンパック」とネーミングし消費者に大いにアピールした.扇風機本体の形状を変化させる工夫を施しさらにコンパクトにするアイデアは継続的に研究され,「オレオレ」として花開く.他社がスイッチ部の電子コントロール等の開発に血道を上げている間に,同社はダイナミックな外観の変化を優先することにより差異化を図った.昭和末期には頭部後半部に突出部を持たない「バックレスファン」を登場させ,それまでの扇風機の概念を覆すスマートな外観を実現した.ただし,それ以降は扇風機製造の拠点をタイに移し,技術開発及びドラスチックな新規デザイン開発が段々と行われなくなる.
著者
石村 真一 平野 聖
出版者
九州大学
雑誌
特定領域研究
巻号頁・発行日
2006

本研究の対象は、電気扇風機、テレビの2機種とする。電気扇風機に関しては、明治期から昭和40年代初頭までの文献史料、特許及び意匠権資料調査、日本国内及びヨーロッパのフィールド調査、テレビに関しては、松下電器産業株式会社の社史編纂室等の社内資料を通して調査した結果、次の内容が明らかになった。(1)電気扇風機の開発と発達日本の電気扇風機は、従来主張されてきた芝浦製作所が第1号を製作したのではなく、別の小規模の会社が先に開発したことが、明治10年代の新聞広告より確認された。明治末期あたりから芝浦製作所が量産体制に入るが、モーターは輸入品であった。大正中期になると三菱等の他のメーカーも電機扇風機の開発に乗り出し、海外のメーカーと提携してモーターの国産化を進めていく。大正後期にはレンタルの電気扇風機も出現し、国産電機扇風機の割合が増加する。それでも海外からの輸入品の方が多かった。昭和初期からガードの意匠権申請が多くなり、戦後までこの傾向が続く。電気扇風機のカラー化は戦後間もない時期から始まり、昭和20年代後期には定番化する。昭和30年代前半には高さの調節できる機能が加わり、電気扇風機の基本的な機能はこの時代に確立される。(2)テレビの開発と発達日本のテレビは昭和20年代後半に開発され、当初はブラウン管を輸入して17インチから出発した。また全体の形態は台置き型であった。ところが、昭和30年代前半には、4本脚型で国産のブラウン管を使用した14インチのテレビが主流になる。昭和30年代中葉には、カラーテレビも開発される。しかし、高価であったため、昭和30年代後半になっても普及しなかった。昭和40年あたりからコンソールタイプの家具調テレビが開発され、昭秘40年中葉には和風のネーミングと共に、カラーテレビとして広く普及した。
著者
平野 聖 石村 眞一
出版者
一般社団法人 日本デザイン学会
雑誌
デザイン学研究 (ISSN:09108173)
巻号頁・発行日
vol.54, no.3, pp.55-64, 2007-09-30 (Released:2017-07-11)
参考文献数
33
被引用文献数
1

本論では,扇風機のデザインの歴史を研究することを通じ,我が国家庭電化製品のデザイン開発における特徴を解明する一助としたい。明治,大正時代の史料を調査することにより,以下のことが判明した。明治時代には,先進国から我が国へ輸入された製品が,扇風機を普及させる中心的役割を果たした。欧米では,天井扇の需要が大いにあったが,我が国においてはほとんどなく,卓上扇風機を中心に開発が進められた。我が国における職人の能力は高度であった為,欧米から導入された技術を受容できる余地があった。当初は町工場も扇風機を製造していたが,やがて財閥系の大企業が製造を独占するようになる。大正時代に入ると多くの大企業が扇風機製造に進出し,各社の宣伝活動が盛んになった。大正時代前半には,扇風機のデザインにおける基本的な4つの要素が出揃った。すなわち,黒色,4枚羽根,ガード,首振り機能である。扇風機は高価であったので,大半の人々は扇風機の貸付制度を利用していた。その結果,扇風機はステイタスシンボルとして機能した。
著者
平野 聖
出版者
Japanese Society for the Science of Design
雑誌
日本デザイン学会研究発表大会概要集
巻号頁・発行日
pp.60, 2012 (Released:2012-06-11)

昭和後期の扇風機のデザインの変遷に関し、三洋電機のデザイン開発事例をもとに考察した。同社において市場喚起の役割を担ったのが「パーソナル」、「フロアライフ」をキーワードとした差別化戦略であった。特徴的な風のパターンを生み出す「マジックターン」等はサーキュレーション効果に優れ、国内外の市場に高く評価された。また、収納時のコンパクト化や、自然な風の再現を目指したりもした。ただ、これらの動きについては、他社のコンパクト化戦略や、「1/fゆらぎ」に代表される自然な風志向にも影響を受けていることは否めない。昭和60年代以降はNIEsの強力な輸出攻勢により、価格競争に巻き込まれ、低価格化を余儀なくされるとともに、生産拠点が中国へと移転してゆく。
著者
平野 聖
出版者
一般社団法人 日本デザイン学会
雑誌
日本デザイン学会研究発表大会概要集 日本デザイン学会 第57回研究発表大会
巻号頁・発行日
pp.F02, 2010 (Released:2010-06-15)

本稿では昭和40年代以降すなわち昭和後期の我が国扇風機のデザインの変遷に関し、三菱電機のデザイン開発事例をもとに考察し、以下の事情について概観した。 昭和後期は、我が国扇風機の成熟期に相当し、普及率が頭打ちの状態となった時代である。各社の扇風機のデザインは、非常に似通ったものとなった。そんな中、同社において市場を喚起する約割を担ったのが、「扇風機のコンパクト化」に関する提案であった。扇風機を分解梱包し、使用しない時にはコンパクトに保管できるアイデアを「コンパック」とネーミングし消費者に大いにアピールした。扇風機本体の形状を変化させる工夫を施しさらにコンパクトにするアイデアは継続的に研究され、「オレオレ」として花開く。他社がスイッチ部の電子コントロール等の開発に血道を上げている間に、同社はダイナミックな外観の変化を優先することにより差異化を図った。
著者
平野 聖
出版者
日本デザイン学会
雑誌
デザイン学研究 (ISSN:09108173)
巻号頁・発行日
vol.56, no.2, pp.7-16, 2009-07-31
参考文献数
23

扇風機の基本的な機能は,第2次世界大戦前に,ほぼ満足のゆく段階に至っており,戦後追加された機能としては,いわゆる「お座敷扇」に見られる首伸縮機能くらいである。これは1台で洋間にも和室にも使用可能な経済的な扇風機と認知され,団地を中心に広く受け入れられた。戦前発明された幅広3枚羽根の「エトラ扇」は,戦後特許が切れたことにより,各社がこぞって採用するようになる。安全性が確保されたことから,ガードの間隔の疎らなものが増え,流線型の本体との相乗効果により,戦前に比較し軽快でスマートな印象を与える扇風機も登場した。色彩に関しては,扇風機は「黒」という常識が,戦後のカラー化導入によって覆された。これは,進駐軍の影響とプラスチックの採用によるところが大きい。この時期の扇風機用ガードのデザインの多様性には目を見張るものがあり,扇風機のモデルチェンジやバリエーション展開により付加価値を与え,消費者の購買意欲をそそる営業戦略的側面において,大いに寄与している。
著者
平野 聖
出版者
日本デザイン学会
雑誌
デザイン学研究. 研究発表大会概要集 (ISSN:09108173)
巻号頁・発行日
no.56, pp.200-201, 2009-06-20

A purpose of this research is to find the feature of the design development of Japanese home electronics by studying history with the design of electric fan. We considered about the design development case of the electric fan in Panasonic ecology systems at the Showa latter period, and noticed the following things.The shape of the electric fan of each company had almost become same, so they aimed at the quality of the wind. For the purpose of reproducing "natural wind", their electric fan has evolved in "the wind of the 1/f shake" via "the rhythm wind" and "the random wind". They changed the form of their electric fan body to appeal for the innovation of their new "natural wind".
著者
平野 聖
出版者
川崎医療福祉大学
雑誌
川崎医療福祉学会誌 (ISSN:09174605)
巻号頁・発行日
vol.19, no.1, pp.157-168, 2009

本論の目的は,我が国家電製品のデザインの変遷を辿ることによって,我が国デザイン開発の特徴を見出すことにある.今回,松下精工(現パナソニックエコシステムズ)における昭和後期の扇風機のデザイン開発事例について調査した結果,下記のことが示された.それまでに各企業の扇風機の形状は,ほとんど同一となってしまったので,差異化のために同社は「風自体の品質向上」をめざした.「自然な風」を再現するために,「リズム風」,および「ランダム風」を経,「1/fゆらぎの風」へと発展させ,その革新性をアピールするために,扇風機自体の形状を従来とは大きく変更した.
著者
平野 聖 石村 眞一
出版者
日本デザイン学会
雑誌
デザイン学研究 (ISSN:09108173)
巻号頁・発行日
vol.55, no.2, pp.29-38, 2008-07-31
被引用文献数
2

明治時代に先進国からもたらされた扇風機は,大正時代には欧米の企業との技術提携が進み,我が国主要企業による大量生産が開始された。米国では天井扇に加えフロア扇の需要も多かったが,我が国では相変わらず卓上扇の独壇場であった。関東大震災により,直接裸火を使用しない電気製品の安全性が注目されるようになり,震災の復興期に数多く建てられた和洋折衷の文化住宅では,電化が大きなテーマとなった。企業間競争の激化による価格の下落と,新中間層の急増や大正デモクラシーの影響から女性の社会進出も果たされるようになると,大衆の購買力が向上し.家電ブームが起こった。人々のあこがれの対象であった扇風機は,その牽引役を果たした。扇風機の基本的形態の四要素,「黒色,四枚羽根,密なガード,首振機能」は踏襲されたが,エトラ扇の発明により,三枚羽根のものも加わった。この時代には,ガードが独立してデザインされるようになり,他社との差別化やモデルチェンジを明示する役割を担った。