著者
是澤 博昭
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.206, pp.129-162, 2017-03-31

昭和七年三月の満州国建国宣言から同年九月の満州国承認までの、排外熱が一段落した時期に、日本国内で唱えられたのがアジアの融和と平和であった。そこで大きな役割を果たしたのが子供である。子供による日満親善交流を日満両政府や関東軍は、満州侵略の正当性を大衆に宣伝するための効果的なイベントとして認めていた。さらに日本から行状のよくない移民が多数流入した満州国では、反日感情が増幅しており、国民レベルで融和をはかる必要性もあった。そこで日満融和の名のもとに、民間教育団体である全教連と新聞社が共同で主催する日本学童使節に全面的に協力するのである。学童使節は、文相、拓相のメッセージ持参をはじめ、首相など主要閣僚、満州国の執政、国務総理、関東軍司令官等の要人への謁見や満鉄、新聞社、立ち寄り先の国内外の都市の首長や役所、在留邦人団体などの訪問にも重点を置く。そして帰路朝鮮にも立ち寄り内鮮融和をはかるなど、日満融和を唱える日本の宣伝活動の役割を担っていた。さらに派遣日程が、満州事変一周年と満州国承認に重なり、その関連イベントとしての要素を強め、国民的な支持を広げる。それが新聞報道を過熱させ、予想以上の相乗効果を生み出す。日本学童使節は非公式ながら、ある意味では国家的な使命を帯びた使節となり、大衆意識を国家戦略へと誘うイベントにまで成長したといえるだろう。政府や軍は、大人社会の醜さを覆い隠す子供による日満親善交流の政治的な利用価値を認めたのだ。さらに昭和九年初頭、日本学童使節をモデルにした皇太子誕生を祝う二つの学童使節が『大毎』・『東日』と朝鮮総督府の御用新聞『京城日報』の主催で企画実行される。その方法論は、国家への帰属意識を高めるイベントへと応用され、主人公も少女から少年へと交代するのである。
著者
阿部 和子 柴崎 正行 阿部 栄子 是澤 博昭 坪井 瞳 加藤 紫識
出版者
大妻女子大学人間生活文化研究所
雑誌
人間生活文化研究 (ISSN:21871930)
巻号頁・発行日
vol.2014, no.24, pp.245-264, 2014 (Released:2015-01-31)
参考文献数
70
被引用文献数
1 1

本研究の目的は,「おんぶ」や「抱っこ」という身近な育児行為の変化とえじこ,子守帯,ベビーカー等の育児用品の変化と現状の検討を通して,近代日本における子育ての変化の過程を考察するものである.「おんぶ」は,子守や家事の必要性から生れた庶民の育児法であり,その起源は,平安時代にまでさかのぼる.それが明治以降わずか150年ほどの間に「労働のためのおんぶ」から「育児のための抱っこ」へ,日本人の子育てのスタイルが変化をとげた.また明治から昭和の初めにかけて,多くの人々にとっての育児用品は日用品の代替であった.だが第二次世界大戦後,特に,欧米の情報や文化が庶民レベルまで浸透し,普及しはじめる60年代に入り育児用品は家庭で作るモノから買うモノ(商品)へと変化する.モノの豊かさは,ある意味で親子の生活を便利にすると言える.一方,それらは自らの子育ての必要感から作りだされたモノではない.現在,他者から提供されるあふれるモノの中で,その使い方さえ教えてもらわなければならないという逆転現象を生んでいる.それがモノにたよる育児へと変化し,もはや商品化されたモノがないと育児が難しい状況である.子どもの成育環境の悪化が叫ばれる昨今,本研究で取り上げた諸事象は,一考すべき問題であろう.
著者
是澤 博昭 湯川 嘉津美 広田 照幸
出版者
聖徳大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2005

本研究では、近代日本の地域社会における幼稚園教育の社会的機能について、茨城県土浦幼稚園を事例として検討を行った。土浦幼稚園は1885(明治18)年に設立され、今日まで120年余り地域の幼稚園として命脈を保ってきた公立幼稚園であり、同園には文書資料はもとより、幼稚園の教材・教具類などの実物資料が数多く残されている。そこで、まず資料(計429点)の整理と目録作成を行い、つぎに入園綴や退園届、保育証授与簿などをもとに「土浦幼稚園園児データベース」作成して、利用層についての数量的分析を行い、明治期から大正期にかけての土浦幼稚園の実態と同園が地域社会において果たした社会的機能を総合的に検証した。研究成果は以下の通りである。1)近代日本における幼稚園導入・普及の社会的文脈について、1892年の幼稚園調査を用いて全国的動向の把握を行った。そして、当時の幼稚園が「教育の質」と「社会的開放性」と「財政上の要因」をめぐって複雑なトリレンマ(三すくみ)の状態にあったこと、そのなかで、土浦幼稚園は公費支出と保育料の低額化によって財政上の要因と社会的開放性の問題を解決して、そのトリレンマを処理していたことを明らかにした。2)土浦幼稚園の設立とその後の展開過程について検討し、土浦幼稚園がおもに商業者の支持を得て設立・維持され、小学校との関係を持ちながら、就学準備教育機関として機能していたことを明らかにした。3)「土浦幼稚園園児データベース」をもとに、利用層の数量的分析を行い、女子の就園率の高さ、通園圏の狭さ、在園期間等から、土浦町では幼稚園が小学校就学前の教育機関として男女によらず必要であるという認識が一定程度広まっていたこと、そして、そこでは学歴獲得や社会的地位達成とは別の文脈で、幼稚園の就園そのものに意味を見出す利用がなされていたことなど、土浦幼稚園の実際を利用者の側から明らかにした。