著者
福永 伸哉 北條 芳隆 高橋 照彦 都出 比呂志 杉井 健 松木 武彦 清家 章
出版者
大阪大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2001

本研究においては、西日本の前方後円墳消滅過程について、九州、中四国、畿内の地域事例を比較検討し、以下のような事実を明らかにした。(1)前方後円墳消滅過程は地域ごとに著しく異なること(2)そのなかで中期前葉(5世紀前葉)、中期後葉(5世紀後葉)、後期中葉〜後葉(6世紀中葉〜後葉)に前方後円墳消滅の大きな波が認められること(3)後期前葉(6世紀前葉)には長らく途絶えていた前方後円墳築造が復活する地域があることこうした前方後円墳消滅過程の背景としては、中央政権と地方勢力との政治関係の変化、薄葬化へ向かう東アジア共通の傾向、横穴式石室導入に伴う葬送儀礼の変化といった複数の要因が存在したと考えられる。とりわけ、6世紀前葉の前方後円墳の「復活」は、支持基盤の拡大をねらった継体政権による地域首長優遇策の反映であり、その後まもなくして各地の前方後円墳が消滅する現象については、安定的な政権を築いた6世紀後葉の欽明政権が大王墓クラスの前方後円墳を巨大化させる一方で地域首長からは前方後円墳を奪うという戦略にでた結果であると推測した。そして、大王墓も含めた6世紀末における前方後円墳の完全な消滅は、もはや前方後円墳を必要としない社会秩序が生まれたことを示し、それは推古天皇の時代の「政治改革」と関連する可能性が高いが、円墳や方墳はなお多数築造されており、葬送儀礼による社会秩序の維持がなお必要であったことを指摘した。また、研究のもう一つの柱であるフィールド調査としては、兵庫県勝福寺古墳の発掘調査を行い、畿内北部地域における最後の前方後円墳の築造背景について多くの知見を得た。
著者
杉井 健 Takeshi Sugii
出版者
熊本大学文学部
雑誌
ドローンによる空撮写真を用いた熊本県球磨郡錦町四ツ塚古墳群の測量調査 : その成果、手順、課題
巻号頁・発行日
2023-03-31

本書は、科学研究費補助金基盤研究B(2021-2024, 21H00596)および基盤研究A(2020-2024, 20H00019)の助成を受けて実施した四ツ塚古墳群の3次元測量調査についてまとめたものである。
著者
杉井 健 西 貴史 Takeshi Sugii Takashi Nishi
出版者
熊本大学大学院人文社会科学研究部(文学系)
雑誌
人文科学論叢 = Kumamoto journal of humanities (ISSN:24350052)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.211-228, 2023-03-31

We investigated and analyzed weapons and armor from the Kofun period, which are managed as "excavated from Soyo-machi" by the Kumamoto Prefecture Cultural Property Reference Room. As a result, it became clear that these artifacts were excavated from the Takatsuka rock-cut tomb group in Takamori-machi. It is assumed that the incorrect excavation location was labeled on the artifacts during the process of storing and managing them at the Kumamoto Prefecture Cultural Properties Reference Room. This indicates the importance of strictly managing artifacts.
著者
杉井 健
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.173, pp.541-562, 2012-03-30

きわめて良好な遺存状態を保つ甲冑や鉄鏃などが出土したマロ塚古墳であるが,その正確な所在地はいぜん不明のままである。しかし,熊本県北部を流れる菊池川の支流,合志川の中流域西半部左岸をそのもっとも有力な候補地域とすることまでは可能である。合志川中流域西半部左岸には,いくつかの注目すべき特質が存在する。第1に,当地域にはじめて築かれた前方後円墳(高熊古墳)には窖窯焼成技術導入期の埴輪が樹立され,しかもそれは畿内地域の埴輪と同じ技術体系のなかに位置付けられるきわめて精美なものである点である。第2に,合志川下流域まで含めると帯金式甲冑出土古墳が3基存在し,その基数は熊本県地域では緑川中流域に並ぶ多さである点である。第3に,大規模な円墳が古墳時代中期に集中して築かれる点である。第4に,方形周溝墓あるいは小規模な円墳が古墳時代前期から後期に至るまで連綿と築造され,そのなかに朝鮮半島系渡来文化の一要素とみられる馬埋葬をともなう円墳が存在する点である。こうした特質は,当該地域が,古墳時代中期中葉になって,古市・百舌鳥古墳群を造営した中央政権と密接な関係をもつに至ったことを示している。これと類似の動向を示す地域には,熊本県阿蘇谷や緑川中流域,あるいは福岡県八女地域や筑後川中流域の吉井地域などがあるが,これらは古墳時代中期前葉までには有力な古墳が築かれていなかった地域である。さらに,有明海に直接面しない内陸部である点でも共通する。これらのことから,古墳時代中期中葉の有明海沿岸地域では,海岸沿いのルート以上に河川づたいの内陸ルートが重視されたこと,しかもそれは中央政権側の意図のもとに新たに整備された可能性があることを指摘した。合志川中流域西半部左岸は菊池川中流域の菊鹿盆地と南の熊本平野部を結ぶ内陸ルートの要衝であるが,マロ塚古墳に多くの武器武具類が副葬された要因の一端はまさにここにあるのである。
著者
田中 宏 江口 由紀 松本 明子 杉井 健祐 坂口 智香 丹後 ゆかり 丸濱 勉 藪嶒 恒夫
出版者
日本緩和医療学会
雑誌
Palliative Care Research (ISSN:18805302)
巻号頁・発行日
vol.11, no.4, pp.248-253, 2016 (Released:2016-11-02)
参考文献数
12

終末期における抗がん治療の現状を知り緩和ケア病棟(PCU)の意義を検討する目的で,2013年10月からの2年間に当院で死亡したがん患者414例(PCU 219例,一般病棟195例)を対象に,抗がん治療歴や緩和ケア状況を検討した.その結果,一般病棟ではPCUに比べ高齢で,診断が遅く,病勢進行が速い患者が多く,これらが標準的な抗がん治療や緩和ケアの機会を妨げる要因となった可能性が示唆された.一方,化学療法施行例においては,最終治療日から死亡までの中央値がPCU 110日に対し一般病棟は55日と有意に短く,死亡前1カ月間の化学療法施行率もPCU 2%に対し一般病棟は32%と高率であった.終末期の抗がん治療を適正化する上でPCUの意義は大きいと考えられたが,診断時期や病勢進行速度にかかわらず早期からの緩和ケアを実践するには,社会全体に向けた緩和ケアやアドバンスケアプランニングの普及啓発が大切である.