- 著者
-
杉井 健
- 出版者
- 国立歴史民俗博物館
- 雑誌
- 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
- 巻号頁・発行日
- vol.173, pp.541-562, 2012-03-30
きわめて良好な遺存状態を保つ甲冑や鉄鏃などが出土したマロ塚古墳であるが,その正確な所在地はいぜん不明のままである。しかし,熊本県北部を流れる菊池川の支流,合志川の中流域西半部左岸をそのもっとも有力な候補地域とすることまでは可能である。合志川中流域西半部左岸には,いくつかの注目すべき特質が存在する。第1に,当地域にはじめて築かれた前方後円墳(高熊古墳)には窖窯焼成技術導入期の埴輪が樹立され,しかもそれは畿内地域の埴輪と同じ技術体系のなかに位置付けられるきわめて精美なものである点である。第2に,合志川下流域まで含めると帯金式甲冑出土古墳が3基存在し,その基数は熊本県地域では緑川中流域に並ぶ多さである点である。第3に,大規模な円墳が古墳時代中期に集中して築かれる点である。第4に,方形周溝墓あるいは小規模な円墳が古墳時代前期から後期に至るまで連綿と築造され,そのなかに朝鮮半島系渡来文化の一要素とみられる馬埋葬をともなう円墳が存在する点である。こうした特質は,当該地域が,古墳時代中期中葉になって,古市・百舌鳥古墳群を造営した中央政権と密接な関係をもつに至ったことを示している。これと類似の動向を示す地域には,熊本県阿蘇谷や緑川中流域,あるいは福岡県八女地域や筑後川中流域の吉井地域などがあるが,これらは古墳時代中期前葉までには有力な古墳が築かれていなかった地域である。さらに,有明海に直接面しない内陸部である点でも共通する。これらのことから,古墳時代中期中葉の有明海沿岸地域では,海岸沿いのルート以上に河川づたいの内陸ルートが重視されたこと,しかもそれは中央政権側の意図のもとに新たに整備された可能性があることを指摘した。合志川中流域西半部左岸は菊池川中流域の菊鹿盆地と南の熊本平野部を結ぶ内陸ルートの要衝であるが,マロ塚古墳に多くの武器武具類が副葬された要因の一端はまさにここにあるのである。